書き下し文)
孟子曰く、
孔子東山に登りて魯を小とし、
太山に登りて天下を小とせり。
故に海を観る者は水となし難く、
聖人の門に遊ぶ者は言となし難し。
水を観るに術あり、必ず其の波を観よ。
日月明あり、容光をも必ず照す。
流水の物たるや、科に盈たざれば行かず。
君子の道に於けるや、章を成さざれば達せず。
孟子 尽心章句上
意訳)
孟子はいわれた、
孔子が東山を登られた時、四方を見渡して、魯の国が小さいと思い、
太山を登られた時、四方を見渡して、天下も小さいと思われた。
故に、海を見た人は川を見てもなんとも思わず、
孔子の門に学ぶ人は、世間で評価された言論を聴いてもなんとも思わない。
水の大きさを知りたければ、波の大きさを見ればよい。
太陽、月が照らす明かりは、小さな隙間さえあれば光は射し込む。
流れる水は、行く先の窪みを満たさねば先に行くことはない。
君子の道とは、一つ一つ成さねば道に達しない。
所感❳
■孔子とともに東山に登る
言葉が多いからといって、その現代語訳が優れているとは限らない。
言葉と言葉に含まれた趣旨を、丁寧に書き記すことが良い現代語訳とは限らない。
この章のように、誰もがイメージ出来る事象、
山頂からの眺め、海、波、一筋の光、流れる水、窪みに満ちる清流、、、
その意味するところを書いてしまうなど、無粋。
読む者は、孔子とともに東山に登り、魯の国を見て思い、太山に登り下界を俯瞰して思う。
川から海へ、波が広がり、一筋の光を見る。
これ以上の説明はいらない。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。