書き下し文)
一陰一陽これを道と謂う。
これを継ぐものは善なり、
これを成すのは性なり。
仁者はこれを見てこれを仁と謂い、
知者はこれを見てこれを知と謂い、
百姓は日に用いて知らず。
故に君子の道は鮮し。
これを仁に顕わし、
これを用に蔵し、
万物を鼓して聖人と憂いを同じくせず。
盛徳大業至れるかな。
富有これを大業と謂い、
日新これを盛徳と謂う。
生生これを易と謂い、
象を成すこれを乾と謂い、
法を効すこれを坤と謂う。
数を極め来を知るこれを占と謂い、
変に通ずるこれを事と謂い、
陰陽測られざるこれを神と謂う。
意訳)
あるいは陰となり、あるいは陽となって無窮の変化をくりかえすこと、これを道という。
その道のはたらきを、受け継ぐ人の努力が、善である。
その善が、人において完成し、成就することを性という。
もっとも、道のはたらきは広大無限なるが故に、人は容易にその全体を察知することができない。
仁者はこれを見て仁とよぶ。
知者はこれを見て知とよぶ。
市井の人たちは日々、その道を用いながらもそれと知らずにいる。
故に、
君子たる者、つまり履み行なうべき道に通達する者は、きわめてまれである。
道のはたらきとは、仁徳となって外に顕現する。
一面ではその効用を内に秘めて容易に人に悟らせない。
また、
万物を鼓動し発育生成させながらも、まったく無為無心である。
この点、人として最も理想に近い聖人とても、
その行いに心が有り、愛なきを得ないのと同じではない。
まこと道こそは、盛んなる徳をいう。
大いなるしわざの極致。
万物を包括して富裕なること。
これが大いなるしわざと呼ばれ、
日々に新たにくりかえされ、一刻も息む時のないこと。
これが盛んなる徳とよばれる。
所感)
■易経とは
「一陰一陽これを道という」
私の学問の積み重ねによれば、この言葉は易経そのものを述べている。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。