日曜日の午後、
「午前中、漢文の勉強を終え世界の歴史(中世)を読む内にに寝る」
「夜は映画を観るか、S・キングの短編集でも読むとしよう」
日曜日の午後、
「禁酒四日続いて負け二日、今日から禁酒一日目」
「今年は家酒は呑むと負けルールを採用する」
「酒は買わぬが、昔からあるウイスキーやジンがある」
日曜日の午後、
「実は大人になったら負けと思っている」
「見かけ親父(頑固)ながらバカをするのが大好き、と自分では思っている」
「歳を重ねた分、おもんない、人に迷惑をかけるバカは憎しみすら感じる」
日曜日の午後、
「死はもちろん怖いが、むしろ家族の死を恐れる」
「仏教道教儒教哲学思想、究極的には生と死を述べているも、理性では未だわからぬ」
「晩酌を楽しみ、子の成長を見守り、終生学ぶものがあれば、よく生きてよく死ねるのではないか」
日曜日の午後、
「学問に完成なく、学びに終わり無し」
「歩み続けること、休むのは骨になってかららしい」
「アンテッドの方々は大変だろう、永遠の生など御免被る」
日曜日の午後、
「喜怒哀楽の感情劇場にうんざりしつつある」
「不眠はナチュラルな不眠のままがベスト、投薬は人生を棄てる様なもの」
「脳に影響を与える投薬は脱薬が至難、投薬耐性投薬の魔のサイクル」
日曜日の午後、
「最近、凄く頭のいい人のtweetを見ても文字が頭に入らない」
「センスのいい人は、何をしてもその人風の薫りが立つ、tweetも」
「心がこもったtweetは怖ろしい、伝わる情報量が凄まじ過ぎる」
日曜日の午後、
「腹減った、そろそろ思考が肉まんに支配されつつある」
「肉まんにはソースだろ、と意外と周りに賛同者少しは何故か」
「ウオーキングの帰りにコンビニに寄ろうと思う」
日曜日の午後、
「バカをしても、人に迷惑をかけず、おもろかったら許される風潮は正しいのか」
「笑いあれば良し、逆に素であれば、こいつ、わかってないなとイラ」
「ナチュラルな人の天然の返しには敵わぬ」
月曜日の午後、
「小春日和と雲なき青空、明日から学校でブルーの我が子」
「朝から韓国映画三昧の休日、気分はザ、ウイッチ」
「禁酒二日目、四勝二負二勝でまだ勝ち越し」
月曜日の午後、
「バッハのゴルトベルク変奏曲を聴きながら森をゆっくりと歩く」
「暖かな陽射し、穏やかな時間、冬でも青々しい竹林で深呼吸」
「そろそろ気になる昼ご飯、なんだろう、もう帰ろうか」
月曜日の午後、
「午後からは久方ぶりにブログを書こうかと考え中」
「同学の大先輩に倣い、要約に挑戦しようと昨夜思いつく」
「浅学非才の身なればこそ、恥も外聞もなくトライ・アンド・エラー」
月曜日の午後、
「曲はヒゲドライバーへチェンジ、よくわからないが聴いて楽しい」
「マイラウンドのマイ時間で、ふーっと息を吐いている 落ち着く」
「お気に入りのベンチにどんぐり、幼子の忘れものであろうか」
月曜日の午後、
「日向ぼっこしつつ本を読む しあわせ」
「暖かい陽射しに春を感じて本を閉じる この時この場所この空間」
「こころ充電中、充電中、充電中」
月曜日の午後、
「齢五十、もはや豊かな生活は望むべくもなし」
「生きて死ぬのだ そしてその死も近づいている」
「なら好きなことに打ち込もう 学問の道こそ」
月曜日の夜、
「夕食後、論語古義を精読する」
「日中読んだ論語も貝塚茂樹先生で、夜読む論語古義も同先生が編集されていると今気づく」
「何度も学び、何度も読み返す論語 」
火曜日の朝、
「自分を基準で人を裁かないこと」
「まあまあふうふうで良い時もある」
「自らの心と行いに、忍びざるの心があれば善し」
火曜日の朝、
「今朝は、心が会社に行くのを嫌がる」
「研修のレポートを書かねばならぬ、 近づく提出日」
「文章を書くのは好きなれど、心もない事を書かなければならぬのは苦痛」
火曜日の朝、
「雨がぽつぽつと降り出した早朝暗い通勤路」
「禁酒は四勝二敗三勝目、このまま行こう」
「心の中の起爆剤、幼子の頃の我が子の笑顔とぱぱとの声」
火曜日の夕方、
「脇腹痛むは金が無いから酒が無いから財布からから」
「脇腹痛むは今朝のストレッチが原因としか」
「脇腹痛むは季節の変わり目とストレスでしょうと医師の言葉が聞こえてくる様 またロキソニン」
火曜日の午後、
「夢や目標に向って進もう(お金払って)、との言葉に違和感」
「現実はガチャが存在して、ガチャに左右されるではないか」
「むしろ、身の程を知れ(お金を稼いで)、の方が電車広告としては良心的では 」
水曜日の朝、
「禁酒、四勝二敗四勝、よし、今日も頑張ろう」
「寒さに強い秘訣とは、重ね着を重ねるからこそ王道」
「着ぶくれて、例えば転けても安心痛くも無かろう 実は重たくて眠たい」
水曜日の朝、
「眠いのは何故か、そもそも、、と意識飛びかけ膝がガク」
「寒いと眠たいのは人として正しいかも もちろん授業中も 」
「夢見が良くなかった、何故かひたすら謝る夢 ムカつく」
水曜日の夕方、
「わかってくれないとストレス ろくなもんじゃない」
「ミスを認めることも度量 期待値こそ反省」
「ムカつくを十回唱えて忘れる いや二十回」
#自由律俳句 https://t.co/ysRhAOC7WE
水曜日の夕方、
「腹が立つときは横にしろ 意外とあっている」
「理不尽なことは自分にとってで、他人にとってはそれが良いこと ということ」
「別にどおってことない どんとこい」
木曜日の朝、
「禁酒、四勝三負三勝一負、まだ勝っているぞ 今日は頑張る」
「また悪夢、ひたすら壁紙とホッチキスの芯を剥がす夢 どういうこったい」
「平日に本を読む時間を増やそう 一つの方向を常に向くことが大切」
木曜日の朝、
「ざわめく心よ、そろそろ君にはうんざりしている」
「得てして、調子の悪い時ほど碌でもないことが起きるもの 原因と結末」
「頭に浮かぶイメージを大切に、曲を奏でるように 今日はデスメタル」
木曜日の夕方、
「文字で記された、人類史上最も古い書とは易経とのこと」
「一陰一陽これ道という、これを帝王学と解釈する人がいる現代の不思議」
「この世界、白文を読めるスキル持ちでないと厳しいとか 漢文を学ぼう」
木曜日の夕方、
「さああと一日、もうちょいで休日だ お疲れ様自分」
「何が疲れたのか、わからないのがまた疲れた まったくだ」
「人が人と接すると、ヤスリのように熱と煙が生まれて心が削れて あー疲れた 」
#自由律俳句 https://t.co/hIy6bvPvfX
木曜日の夕方、
「かっこいいことを詠うよりも、心そのままこそ自由律」
「四角八角丸いもの遠くからでは点になる、理屈を蹴って心のままに」
「ありのままだからこそ怖ろしい いや素晴らしい」
金曜日の朝、
「朝の時間をどう表現、やれやれと起床して無言で準備して電車の人」
「伝説のスナイパーの様にひたすら・・・を繰り返す」
「今も・・・、車掌さんのアナウンスの音大きすぎて・・・」
金曜日の朝、
「せかせか歩くか止まるの通勤路、ゆっくり歩くのは罪だとか」
「みんなと同じことをするのが嫌 天邪鬼め」
「ホームで前に並ぶ人、電車の扉開いても動かずイラ」
金曜日の夜、
「夕陽に伸びる脚の影、寒風吹く今日一日も春に近付く」
「通勤電車密避け難し、ルールとマナーを守って集団感染」
「視界に広がるビル、ビル、ビル、左も右もヒト、ヒト、ヒト」
金曜日の夕方、
「口は滑ることがある、人の背中を見れば良いところはある たぶん」
「出来ない時もある、叱るが然らざる場合は受け入れるのも必要」
「自分が、自分さえ、自分だけ、が思いやりの心に変わる時」
土曜日の午後、
「ホットコーヒーと本を持って、お気に入りのベンチへ向かう」
「人のいない森を歩きつつ心穏やか ほっとひと息」
「ヒトヒトの毒にすっかり疲れる もちろん自分含めて」
土曜日の午後、
「桜の枝に若芽あり、春近づきてプルードン生誕の日」
✳ピエール・ジョゼフ・プルードン(1809年1月15日 - 1865年1月19日)フランスの社会主義者、無政府主義者。無政府主義の父。
土曜日の午後、
「北風小僧の寒太郎、寒風吹かして落ち葉舞う」
「スマホ片手に森を散策、吟じては止まる歩みとひねる頭」
「ウグイスの鳴き声と水面に鴨ふた羽、道にはマラソン人の語る声」
土曜日の午後、
「アラカシの根元散らばる落ち葉とどんぐり」
「カラスよく鳴き小鳥消えるも森の奥にてさえずりを聴く」
「浮ついた心静まりお気に入りのベンチにて座る」
土曜日の午後、
「先週のベンチのどんぐりは姿消す」
「ぼーっとベンチに座り、目の前の風景をただ眺める時と場所」
「暖かな陽射しと軽い眠気、小鳥のさえずりと空には白い雲」
土曜日の午後、
「心の毒出し充電完了する、さあ家へ帰ろう」
「家と会社と通勤電車で終わる日常生活、そして老い」
所感)
■老い
髪は白髪が増え、身体の節々は痛む。
ここ十年くらい拒否していた加齢であるが、もはや認めざるを得ない。
心は若い(つもり)のであるが、どうもそれも最近怪しい(オヤジ化)らしい(子によると)。
まあ、まだ、おやじギャグで周囲を凍えさせる様なことはしていない(つもり)、なんとかなるさ、と、また一つ歳を重ねた。
#自由律 #儒学 #日記 #雑記