四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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論語 為政第二

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論語 為政第二

1:子曰く、政を為すに徳を以って(もって)すれば、譬えば北辰のその所に居て、衆星のこれを共る(めぐる)が如し。

 

孔子はいわれた、

一国の政を行なう時は、何ごとも仁の徳(思いやりの心、憐れみの心)をもってすれば、

北極星が天の中心として他の星々が周りを巡るかのように国中がうまくいくもの。

 

2:子曰く、詩三百、一言(いちごん)以ってこれを蔽むれば(さだむれば)、思い邪無し(よこしまなし)と曰うべし(いうべし)。

 

孔子はいわれた、

詩経三百篇を、ただ一言をもって述べるのであれば、

「思い邪なし」

心に曇りなく、思いに邪まなことは一切なし、

と言える。

 

3:子曰く、これを導くに政を以ってし、これを斉える(ととのえる)に刑を以ってすれば、民免れて恥なし。これを導くに徳を以ってし、これを斉えるに礼を以ってすれば、恥有りて且つ格し(かつただし)。

 

孔子はいわれた、

民を治めるに、法により縛り、刑により罰すれば、民は法から逃れようとし、それを恥とも思わない。

一方、民を治めるに、仁の徳(思いやりの心、憐れみの心)で行い、礼により整えば、民は恥を知り国は正しく治められる。

 

4:子曰く、吾(われ)十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う(したがう)。七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰えず(こえず) 。

 

孔子はいわれた、

我、

十五の歳にて、学問の道を志す。

三十の歳にて、自らの学問を完成させる。

四十の歳にて、何ごとにも惑うことがなくなる。

五十の歳にて、天より授かりし我が命を知る。

六十の歳にて、聞くと何ごとも腑に落ちるようになる。

七十の歳にて、心の命ずるがまま行っても天の道から外れることがなくなる。

 

5:孟懿子(もういし)、孝を問う。子曰く、違うことなかれ。樊遅(はんち)、御(ぎょ)たりしとき、子之に告げて曰く、孟孫我に孝を問いしかば、我対えて(こたえて)違うなかれと曰えり(いえり)。樊遅曰く、何の謂(いい)ぞや。子曰く、生けるときはこれに事うるに礼を以ってし、死せるときはこれを葬るに礼を以ってし、これを祭るに礼を以ってすべし。

 

魯の大夫である孟懿子が、孝とは何か問う。

孔子はいわれた、

踏み外すことがないように行うこと。

帰路、孔子の弟子である樊遅は馬車を操りながら孔子の言葉を聞く、

今日、孟孫(孟懿子)が我に孝を問うたのでこう答えた、

踏み外すことがないように行うこと。

樊遅はいう、

踏み外すことがないように行う、とはどのようなことか。

孔子はいわれた、

父、母が生きている間は何ごとも礼を以て行う。

父、母が亡くなれば葬儀は礼を以て行う。

父、母を先祖と共に祭るには礼を以て行う。

 

6:孟武伯、孝を問う。子曰く、父母には唯その疾(やまい)をこれ憂えよ。

 

孟武伯が孝を問う。

孔子はいわれた、

父、母とは我が子の病を何よりも憂えるもの。

 

7:子游(しゆう)、孝を問う。子曰く、今の孝はこれ能く養うを謂う。犬馬に至るまで、皆能く養うあり。敬せざれば何を以ってか別たん。

 

子游が孝を問う。

孔子はいわれた、

近ごろは、父、母を養うことを孝という。

しかし、犬や馬でも我が子を養うではないか。

父、母への敬うという心なくして何を孝というのか。

 

8:子夏(しか)、孝を問う。子曰く、色難し(いろかたし)。事あれば弟子(ていし)その労に服し、酒食あれば先生に饌す(せんす)。曾ち是以って孝と為さんや。

 

子夏が孝を問う。

孔子はいわれた、

顔色を取り繕うだけではいけない。

何ごとかあれば自らが先ず動き、食事であれば酒や料理を先にすすめる。

このような行いが孝といえる。

 

9:子曰く、吾回と言る(かたる)こと終日、違わざること愚なるが如し。退きてその私を省れば(みれば)、亦(また)以って発らか(あきらか)にするに足れり。回は愚ならず。

 

孔子はいわれた、

我、回(顔回)と終日、道を語る。

回、ひたすら話しを聞き、唯(はい)と返事をするのみで、傍からは愚かものにみえる。

ところが、その場をひいてのち、回をみれば、

その有り様は、我が語る通りに道に反せず、むしろ悠々と道を楽しんですらいる。

回は愚かではない。

 

10:子曰く、その以す所(なすところ)を視(み)、その由る所(よるところ)を観(み)、その安んずる所を察すれば、人焉んぞ捜さんや(かくさんや)、人焉んぞ捜さんや。

 

孔子はいわれた、

その人の行いを、視る。

その人の行いの、行う動機を、観る。

その人の行いを視、その行いの行う動機を観、その人の望む目的を、察る。

人とは隠しごとは出来るものではない、

とてもその本性を隠し通せることは出来ない。

 

11:子曰く、故きを温めて新しきを知る、以って師と為すべし。

 

孔子はいわれた、

古の聖王(堯・舜)の教えをあまねく学び、

今の世の中おいても道は変わらぬことに気づき、

自らも聖王と同じ、天の道を歩めることを知る。

この学び、気づき、歩みを以て、自らの師とするがよい。

 

12:子曰く、君子は器ならず。

 

孔子はいわれた、

君子とは、何かに凝り固まるようではいけない。

その心は自在であり、ただ天の道に則って正しきをよしとする。

故に、君子は器ならずというのだ。

 

13:子貢、君子を問う。子曰く、先ず(まず)その言を行う、而して(しこうして)後(のち)これに従う。

 

子貢(孔子の弟子)、君子を問うた。

孔子はいわれた、

君子とは、まず、率先して自らが行うもの。

その上で、人に仁の心、義の行いを説いた。

 

14:子曰く、君子は周しみて(したしみて)比らず(おもねらず)、小人(しょうじん)は比りて周しまず。

 

孔子はいわれた、

君子とは、

身分を問わず、どんな人たちとも親しくなるが、

特定の人の為に便宜をはかったり、権力者におもねることは決してない。

一方、

小人とは、

権力者におもねり、特定の人に便宜をはかるが、

自分の得にならない人たちと親しくすることは少ない。

 

15:子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。

 

孔子はいわれた、

学びても、考えることがなければ学問の道は開くことはない。

また、

考えても、学ぶことがなければ利己的となり自らを危うくする。

 

16:子曰く、異端を攻むるは、これ害あるのみ。

 

孔子はいわれた、

A古の聖人(堯・舜)の教えに背き、異端の学問を学ぶことは害ばかりだ。

OR

B世の中に住む自らとは異なる価値観を持つ人たち(異端)を攻めることは害にしかならない。

 

17:子曰く、由(ゆう)よ、汝に之を知ることを誨えんか(おしえんか)。これを知るをこれを知ると為し、これを知らざるを知らずとせよ、是れ(これ)知るなり。

 

孔子はいわれた、

由(子路)よ、汝に知るということを教えよう。

 

A知っていることは知っているとし、知らないことは知らないとする、これが知ることだ。

OR

B自らの知ること知り、自らの知らないことを知る、これが知るということだ。

 

18:子張、禄(ろく)を干むる(もとむる)を学ばんとす。子曰く、多く聞きて疑わしきを闕き(かき)、慎みてその余りを言えば、則ち尤(とがめ)寡なく(すくなく)、多く見て疑わしきを闕き、慎みてその余りを行えば、則ち悔い寡なし、言(こと)に尤(とがめ)寡なく、行(こう)に悔寡なければ禄はその中(うち)にあり。

 

子張(孔子の弟子)、

君主に仕えるに大切なことを学ぶ。

孔子はいわれた、

多くのことを聞き、多くのことを見て、自らが疑わしいと思うことを除く。

そして、その残された善きことを慎んで行い、自らの言葉とすれば判断を間違えることはない。

自らの行いに悔いはなく、自らの言葉に咎がなくなれば、君主に仕えるに十分に足る。

 

19:哀公問いて曰く、何を為さば則ち民服せん。孔子対えて(こたえて)曰わく、直きを挙げて諸れ(これ)を枉れる(まがれる)に錯けば(おけば)則ち民服す。枉れる(まがれる)を挙げて諸れを直きに錯けば則ち民服ぜず。

 

哀公は問うた、

どうすれば民が私に従ってくれるのであろうか。

孔子はいわれた、

曲がった板(私利私欲の人)の上に真っ直ぐの板(心が正直な人)を置いて(配置して)直くするようすれば民は従う。

一方、

真っ直ぐの板(心が正直な人)の上に曲がった板(私利私欲の人)を置いて(配置して)歪ませようとすれば民は従わない。

 

20:季康子(きこうし)問う、民をして敬忠にして勧め(つとめ)しむるには如何せん(いかんせん)。子曰く、これに臨むに荘を以ってすれば則ち敬あらん、孝慈(こうじ)ならば則ち忠あらん。善きを挙げて不能を教うれば則ち勧めん(つとめん)。

 

季康子は問うた、

我が民をして、君主を敬い、心を誠にして日々を過ごさせる為にはどうすればよいか。

孔子はいわれた、

君主が政を行うに、何ごとにも荘重に執り行えば民は敬うようになる。

そして、人として父と母によく使え、子を慈しめば民の心も誠になる。

善いことを好む正直な人を取り立てて、そうでない人に教えれば、民は君主を敬い、心を誠にして日々を過ごすようになる。

 

21:或るひと、孔子に謂いて曰わく、子奚ぞ(なんぞ)政を為さざる。子曰わく、書に云う、孝なるかな惟れ(これ)孝、兄弟(けいてい)に友(ゆう)あり、有政に施すと。是れ亦た政を為すなり。奚ぞ其れ(それ)政を為すことを為さんや。

 

ある人、孔子に問う、

先生はどうして国の政に関わらないのか。

孔子はいわれた、

書経にある、

父、母を尊び、兄、弟の仲が良い、孝とは国の政にも影響を与える。

たとえ国の政に関わらなくとも、

父、母を尊び、兄、弟の仲が睦まじいのであれば、既に政を行っているのと同じことだ。

 

22:子曰く、人にして信なければ、その可なるを知らざるなり。大車軛(げい)なく、小車軛(げつ)なくんば、それ何を以ってかこれを行らんや(やらんや)。

 

孔子はいわれた、

人として、その心に誠がないとすれば、人として何が残るのであろうか。

大車に軛がなく、小車に軛がないとしたら、馬を抑えられず車は前に進むことも出来ないではないか。

 

23:子張問う、十世知るべきか。子曰く、殷は夏の礼に因る(よる)、損益するところ知るべきなり。周は殷の礼に因る、損益するところ知るべきなり。それ或い(あるい)は周に継ぐものは、百世と雖も知るべきなり。

 

子張は問うた、

今の世から十代先を知るとは出来ることのであろうか。

孔子はいわれた、

殷王朝とは、夏王朝の時代に形づくられた礼に基づいている。

殷王朝が夏王朝の善いところを引き継ぎ、悪いところを引き継がなかっことは明らかだ。

また、

周王朝とは、殷王朝の時代に形づくられた礼に基づいている。

周王朝が殷王朝の善いところを引き継ぎ、悪いところを引き継がなかっことは明らかだ。

つまり、

周王朝の善いところ、礼が代々引き継がれてきたことを踏まえれば、十代どころか百代先をも知ることが出来ることは明らかだ。

 

24:子曰わく、其の鬼(き)に非ずしてこれを祭るは、諂い(へつらい)なり。義を見て為ざる(せざる)は勇なきなり。

 

孔子はいわれた、

その時、その場でもないのに、何かしらの利益を得ようと祭祀を催すのは、諂いといえる。

また、

正しき行いが求められる時、場において、なんら義の行動を起こせないような人とは、勇ましさに欠けているといえる。

 

所感)

■病院へ寄る

子の入学式のあとから腹痛、今朝も痛む。

退勤後、隣駅の初めての病院へ向かう。

待合室いっぱいの人(およそ二十人以上)と廊下、外にずらりと並ぶ人、そして殺気立った受付の人たち。

受付の女性に待ち時間を尋ねるも、沈黙のまま、つり上がった眼光に射竦められた。

怖くなって、また来ます、と言って病院を去る。

あの眼光はヤバい、ガチに怖い人に違いない。

 

帰り道、自宅から徒歩3分のかかりつけ医に行く。相変わらず待合室には誰もいない。

ほっとして、保険証をさし出す。

すぐに診てもらい、抗生物質を処方された。

良かったここにして。

前の病院なら、夜の8時~9時は越えたはず。

 

#儒学 #論語 #自由律