詩
日曜日の朝、晴れ雲多し
「風が涼しい、ジャージで調度良い、森の中を歩いている」
「子は疲れたのか、晩飯のちすぐに寝てしまった」
「昨日の夕方、スーパーでハイボールを買おうとしたら子に止められた、心配しているらしい」
日曜日の朝、午前七時
「風が吹き、樹々がザザザザと揺れている、心地よい」
「子は中間試験に向け勉強をしなければならない、今一つ自覚に欠けている」
「父は易経を読む、先生のツイートは易経の例えが多い、正直、あまりついていけてはいない」
日曜日の朝、ウオーキング
「風に揺られて枯れた竹の葉が舞っている、竹林に陽の光、穏やかな時」
「京都で古本市が開かれている、行きたいが散財するのは目に見えている」
「温かいコーヒーが飲みたくなった、今日も朝マックにしよう」
日曜日の朝、マック
「温かいコーヒーをゆっくり飲んでいる、子のお土産も買う」
「田舎育ちなので、朝からマックが単純に嬉しい」
「バスを一時間半乗らねばマックはない環境で育つ、夏は川で泳いでいた」
日曜日の朝、午前八時
「二十代前半に大阪に引越しし、徒歩五分にミスドがあった、妻とたびたび通う」
「コーヒー飲み放題が珍しく、お腹をじゃぶじゃぶさせながら都会の香りを楽しんでいた」
「妻も田舎の出というが、挨拶に赴いた時に駅とコンビニを見かけて、結構都会だなと思った」
日曜日の朝、ばら園
「子はその点、都会生まれの都会育ちだ、ギャップがある」
「蛇を手で捕まえたり、川に潜りヤスで魚を突く経験がない」
「虫の死骸を見て跳び上がる、勘弁してほしい、冗談だろう」
月曜日の朝、晴れ
「GW終わる、週初め故に、ボチボチいこう」
「子の中間試験対策に付き合い寝不足、眠たい、英単語から危うい」
「ホームに座り、足音を聴きながら微睡んでいる」
月曜日の朝、通勤
「GW明け、くしゃみと鼻水、身体が嫌がっている、ぼちぼちいこう」
「左薬指がじんじんと痛む、子とラグビーの練習でつき指した場所だ」
「少し、心が楽になる、痛みが温かく思う、さあ、仕事用脳筋に切り替えよう」
月曜日の午後、プラットフォーム
「小雨、風、肌寒し、Tシャツの人が横にいる、私は意地悪なので少し嬉しい」
「電車がきた、車内は混んでいる、見渡すとTシャツは一人だ、チッと舌打ちを打つ」
「私は性格が悪い、他人のプチ不幸を見ると嬉しくなる、なんて正直なんだ、と心底思っている」
月曜日の午後、出発待ち
「世の中、正直では生き辛い、しかし自分自身には正直でありたい」
「嬉しいことを嬉しく思い、悲しいことを悲しいと思う」
「と、人で混み合う一方の電車の中で、身を小さくして座っている」
月曜日の夕方、満員電車
「座席横の棒に腰掛けている人、お尻が肩に当たっている」
「人混みを掻き分けて車両を移動する人、満員電車でする意味があるのか」
「降りる人の濡れた傘が、脚に当たる、いいんですよ、仕方ないこと」
火曜日の朝、晴れ
「今朝は着込む、10度とか、子の試験勉強がうまくいってない」
「駅構内に、ごーーーーっという低音が鳴っている、何処からかわからない」
「椅子に座り電車を待っている、やはり眠たい、フッと寝落ちする」
火曜日の朝、通勤
「のんびり気ままな旅を思う、北か南か、目的地なしで彷徨う」
「北海道一周も良い、いつか行こう、美味しいものをたらふく食べる」
「電車で寝ていた、今朝はやたら眠たい、立っていよう」
火曜日の朝、構内
「人と違う向きに立っている女性がいる、列に並ぶと向き合うは必然」
「手に消毒液を入れた霧吹きを持ち、常に周囲に撒いている」
「車内では手すりに撒き、腕組みして立っている、手すりは関係ないらしい」
火曜日の午後、帰宅中
「ホームで電車を待っている、前後の人が大くしゃみをした、なんとなく囲まれ感」
「二人のサラリーマンが大声で話している、本部長レースの予想を興奮して話している」
「電車内でも大声で話している、ピンク色シャツ男は、大きな動作でうなずいた、ウソヤンと笑う」
火曜日の午後、曇り
「電車内で出発待ち、人混み合う中に座っている、マスクが蒸し暑い」
「と、黒電話の音が鳴り響く、一瞬、黒電話の音が世界を支配した」
「電話で話すご老人、そして、何ごともなく人混みと喧噪が戻る、電車が出発した」
火曜日の夜、自宅
「中間試験の勉強が進まぬ子、心配する父」
「子いう、こうなったら最後の手段だ、毎日お詣りにいくよ」
「父、…(#^ω^)…、その間に英単語一つでも覚えろよ、子よ!」
水曜日の朝、曇り
「昨晩、子より明日は早く帰ってきてほしい、嫌な予感が、とか」
「You Tubeで11日は地震があると予言している、から」
「やれやれ、中間試験勉強で少し不安定だ、予とはグズグズするとの意あり」
水曜日の朝、通勤
「小雨、やはり眠たい、早く寝てはいるが、疲れが溜まっている」
「駅のトイレ、何処も扉が開かない、この間、私は好きではない」
「亡父の遺影に毎朝語りかける、今朝は、やんちゃ顔、はて?」
水曜日の午後、帰宅中
「晴れ、青空を見ながら、冷凍チャーハンとキムチを思っている」
「あと二日、昼休みは爆睡した、疲れは溜まり、お腹は空いた」
「電車内、犬のようなくしゃみをする人がいる、ずっとしている、きっと中身は犬に違いない」
水曜日の午後、出発待ち
「空を見ている、いかそうめんが心に浮かぶ、小樽で食べた」
「札幌ビール園で食べたジンギスカンと生ビールを思う、美味かった」
「新千歳空港、濃厚味噌バターラーメンにんにくマシマシは美味かった、十数年前なので、今は知らない」
木曜日の朝、曇り
「肝心な部分は、「拙書、中国の思想に述べた」との記述も面白い」
「さっそく、吉川幸次郎先生の本を買わねばなるまい」
木曜日の朝、通勤
「子の試験勉強上手く行かない、思い返せば、父も成績優秀とはほど遠い」
「子の人生だ、説教は止めよう、最初だし挽回は出来る余地はある」
「向き不向きはある、健康で学生生活を満喫してくれれば、と」
木曜日の午後、小雨
「あと一日、長かった、今週は疲れた、疲れた、週末だ」
「目を閉じて、側道の水を切るタイヤの音を聴いている」
「アナウンスが流れ、踏切音、そして電車がホームへ、目を開ける」
木曜日の午後、帰宅中
「脱メガネなので、日常ほとんどが見えていない」
「書類とパソコンが見えさえすれば困らない、音に注力している」
「音の大小、距離感、様々な連なりから空間を感じ、世界に触れている」
金曜日の朝、晴れ
「古本屋ネットで遊んでいる、孟子でいくつか読みたい本あり」
「無駄遣いは止めよう、金谷治先生の本がある」
「孟子好きが、孟子好きの為に書かれた、孟子愛に溢れる、孟子原理主義者の為の書、根本に帰ろう」
金曜日の朝、通勤
「孟子を幾冊か持っている、どちらかといへば、批判的な訳者が多い」
「是は是、非は非で中庸に則した見方考え方、と理解は出来る」
「しかし、私のような凝り偏った考えを持つ孟子原理主義者には、不満だ、称賛以外に何があろうか」
金曜日の朝、乗り換え
「先生から、孟子とは儒学の雄であり、中庸に欠ける面があると教わる」
「しかし、論語を学べば学ぶほど、孟子が面白い、ますます好きになる」
金曜日の午前、小雨
「2010年、Twitterを始めた頃は、アリストテレスに夢中になっていた」
「故に、Twitter名を決めた、ある友に語っていた時、質問された」
「アリストテレスはわかった、で、自分はどう思うのか、…答えられず」
金曜日の午前、ひと休み
「ストア哲学ならこう答える、悲しみの中に可笑しみすら感じさせる「真理」に共感したから」
「少し違うが、ホメロスのイリアスなら、料理の描写でひたすらお腹が空くから」
「アリストテレスは、残念ながら文章のまましか述べれない、自分はどう思うか、が、欠けていた」
金曜日の午前、雨
「結局は、かのアリストテレスを学んでいる、ことに酔っていたとしか」
「本棚には、あれから12年眠っている、今夜は久方ぶりに読んでみよう」
「中身ではなく外見を唄うとは、なんと恥ずかしきこと(他にもないか、こっそりと自省してみるとしよう)」
金曜日の午後、雨
「駅に向かう傘の色を見ている、色的には面白くはない、黒か透明ばかり」
「和傘があってもいい、傘キャップも自分でなければ問題ない」
「ショッキングピンクの傘を見かける、…やはり黒か透明が良さそうだ」
金曜日の午後、電車車内
「目の前に赤い服を着た男性が座っている、大きなため息をついている」
「繰り返し、ため息をついている、はあああああ、と繰り返している」
「ため息とは、実は楽しいことではないか、と冷静に考えている」
金曜日の午後、電車内
「赤い服を着た男性、バッタのような動作で足を床に叩きつけ、パンっと音を立てた」
「周囲の乗客の間で緊張が走る、おもむろに立ち上がる、そして人を押し退けて扉に向かう男」
「扉が開き姿が消えた、ため息をつく乗客たち、やがて何ごともなく終着駅に電車は着いた」
土曜日の朝、ウオーキング
「雨上がる、六日ぶりに森を歩いている、ただ歩いている」
「猫の声、小鳥のさえずり、長靴の擦れる音、坂を上り荒くなる息」
「街と人の音、匂いにはうんざりだ、森の中でゆっくりと深呼吸をした」
土曜日の朝、曇り
「穏やかな時、ただ歩む、森とはなんと美しいことか」
「子は中間試験の勉強、父も論語の写経をする」
「ばら園のバラが咲いている、辺り一帯にバラの香り」
土曜日の午前、曇り
「先生がブログを加筆された、礼を方程式の解法のように説かれている」
「自分の中で礼がつながる、突き詰めれば内面から発すること、三綱領が浮かぶ」
「儒学を学ぶとは、中々苦しいもの、しかし私には先生との縁を得た、ありがとうございました」
#自由律
土曜日の午後、晴れ
「バッハ、イギリス組曲2番を聴きながら森を歩いている」
「映画、シンドラーのリストを初めて観た、途中、この曲が弾かれていた」
「最後のシーンが印象深い、ウクライナ戦争を思い、心が沈む」
土曜日の夕方、ウオーキング
「高校生の時、独り、自室で音楽バトルをした記憶がある」
「同じ音量で、作曲家別に二曲同時に流し、旋律が頭に残った方が勝ち」
「一位はずば抜けてバッハ、二位はモーツァルト、思えば根暗な高校生だ、当時はクラッシック音楽に没頭していた」
土曜日の夕方、晴れ
「当時は田舎の一軒家だったので、窓ガラスが揺れるくらいの大音量で聴いた」
「マーラーの交響曲7番や9番とか、吸い込まれて、そのまま帰ってこれない位の勢いで没入する」
「特にショスタコーヴィチは、巨大な音の構造物の中を彷徨うような感があり、今もよく聴く」
土曜日の夕方、肌寒し
「五十を越えてからは、ベートーヴェンのピアノソナタばかり聴いている」
「演奏は、最後はバックハウスに戻る、ケンプもいい」
「父は晩年、ヘンデルをよく聴いていた、風呂でも曲を流していた」
日曜日の朝、曇り
「ウオーキングを始めて15ヶ月、去年を振り返りながら歩いている」
「森の変わり行くさま、雲の流れは変わらない」
「五十から始めた学問の道も続いている、ただ、白髪は増え、子は中学生だ」
日曜日の朝、午前七時
「歳を重ねることも悪くない、積み重ねた分だけ背伸びする必要がなくなった」
「二十年をブラック企業に勤め生計を立てたが、今は転職し穏やかな日々を得た」
「人生万事塞翁が馬、手放すことによって得ることもある、無駄な苦労は少ないが決断は必要だ、本当に」
日曜日の朝、森の中
「我執をいくつか手放して、ただ道を歩いている」
「手放せば手放すほど、身も心も軽くなる」
「年相応の重荷がある、子は大変だ、これから山のように背負う、背負っていく、今、その為に学んでいる」
日曜日の朝、マクド新装中
「今、なにが辛いといえば、往復三時間弱の通勤時間か」
「この時間ほど無駄はない、乗り換えもあり本もゆっくり読めない」
「人混みで過ごすことが苦痛だ、人にうんざりしている、まあ、勤め人である以上仕方ない、これも塞翁が馬」
日曜日の朝、午前八時
「前職を共にし独身のKさんは転職時に今までにキャリアを捨てた」
「人の上に立つのは懲り懲りだと、呑み会の時に笑っていた」
「私も同意する、が、養わなければならぬ家族がいる、これも仕方ないこと」
日曜日の朝、ウオーキング
「生きていれば、仕方ないこと、ばかりが重なる時もある」
「仕方ないこと、を、可笑しみと取るか悲痛にくれるのか」
「ひと本、自らを通すのみ、「最後まで戦え」、墓場まで持っていく言葉」
日曜日の朝、午前九時
「戦い方はいくらでもある、全力で逃げることも戦いだ」
「大切なものを守る為に、恥もかき、外見もかまわない、目的と目標は違う」
「ただ、可笑しみ、ユーモアは失ってはならない、どんな修羅場でも何処か可笑しみは忘れてはいけない、と、心から思う」
所感)
■中間試験勉強
子が苦しんでいる、明日から試験だ。
我が子はメンタルが豆腐なので、ストレスで肌も掻いている。
日中、思い詰めたかのようにラグビーボールを抱えて公園に出かけては、スッキリした顔で戻る。
ラグビーの練習をするのが楽しくて仕方がないらしい。
そして、親に似て勉強らしい。