日曜日の朝、ウオーキング
「久方ぶりに坐禅でも組もうかと思う、どかっと坐りたくなった」
「基本、通勤・仕事=苦行であり、自宅・散歩=癒しなので、相対的に楽に生きている」
「苦楽の繰り返しでは何処か芯が緩む、自らを一であり全と為す、念仏と同じく、只座ることに集中する」
日曜日の朝、森
「宗教的ものは正直わからない、ただ、一遍上人絵伝が私の落ち着き所だ」
「信仰心が無くとも念仏するを是とし、絶対的な他力を信とする」
「率直で潔い、嘘方便はなく、一つに徹している、柳宗悦でなくとも、一日本人である私の心に響く」
日曜日の朝、晴れ
「歎異抄や正法眼蔵、臨済録も素晴らしい本であり、それぞれに一つの世界を感じる」
「一遍上人絵伝を選んだのは、結局は好みなのだろう」
「人間、腹を据えるということは最も大切なことだと私は思っている、方法は人それぞれで、批判も肯定もない」
日曜日の朝、風
「若い頃、ボロブドゥール寺院遺跡に行く、宗教的というよりは歴史の積み重ねを感じる」
「三年前ハノイに行った時、仏教寺院でたくさんの人が念仏を唱えているのを見た」
「主はあくまで人であり、客の部分で経典や寺院がある、宗教とは生きている人のことだと感じた」
日曜日の朝、森の中
「腹を据えるかわからないが、亡父より子供の頃に訓練を受けた」
「互いの眼を見て逸らさない練習だ、子にも伝えた」
「私は人であり、人の中で生きねばならぬ、人の中に生きてこそ人だ、ならば人から逃げてはいけない」
日曜日の朝、森の外れ
「人と対面する時は、その人の眼を視る、相手の瞳に映る自分も観る」
「敵も、味方も、家族も、友人も、他人も、あらゆる瞳から眼を逸らしたことは一度もない」
「少なくとも人間恐怖症にならなかったのは父の功績かも知れない」
日曜日の朝、沼地
「むろん、眼を直視されると嫌がる人もいる、わざと逸らす時もある」
「荒っぽい業界で仕事をしてきた、喧嘩や怒鳴り合いはよくあるが、睨み合いで負けたことはない」
「実は苦手な眼が一人いる、すぐ下の妹だ、彼女の気性は虎そのもので、いつも威圧される、叶わない」
月曜日の朝、通勤
「友の楽しみを嗤うのではなく、自らの仁の小ささを嘆くべきだ」
「会計学的な引き締めが求められている、無駄使いはしない」
「駅で聴く鳥のさえずりも森もさえずりには変わらない、人よ、今日を楽しもう、どうであれ」
月曜日の朝、電車内
「騒ぐ若い人たちがいる、この時間帯では朝帰りか、大声にイラ」
「なんとなく、もう人にうんざりしてきた、自分を含めて」
「下を向いて座る乗客たち、一様に年齢が高く、生活の疲れを感じるのは気のせいだろうか」
月曜日の朝、乗り換え
「思考を仕事へ切り替える、月曜の朝とは心が弾まない」
「平凡でささやかな日常に感謝すること、明日、いつも通りとは限らない」
「思考を回転させること、周囲を洞察し、自らの仁を広げること」
月曜日の夕方、通勤
「ホームから見る何気ない令和四年の風景の中で、今も歴史は動いている」
「最近、日本史を読んでいない、帰宅したら読み返そう」
月曜日の夜、自宅
「山川出版社、詳説日本史研究と、吉川弘文館、日本史年表・地図を広げる」
「年表と地図を開きながら山川の詳説日本史研究を読む」
「活字と年表、地図の彼方から甦る、日本という国と人間の歴史に思いを馳せる、とても楽しい」
火曜日の朝、通勤
「小雨に濡れながら駅へ、ホームに座り電車を待っている」
「足音を聴いている、引きずる人、コツコツと鳴らす人、勢い良い人、忍者」
「これほど特徴があるものながら、自分の足音はよくわからない」
火曜日の朝、雨
「雨が降ると、古き五十年代の映画音楽が脳裏に浮かぶ」
「雨にあう曲なら、ユーミンやサザンで良い曲がいくらでもある」
「刷り込みか、無意識に口ずさむ、音楽ならまだ良いが集団心理や行動なら大変だ、興味深い」
火曜日の夕方、通勤
「雨と風の中で電車を待つ、ホームにも吹き込んでいる、肌寒し」
「電車来る、混み合う車内、蒸し暑し、アルコールの臭い、あちこちで会話」
「そして沈黙、電車は出ない、信号がなんたらとアナウンス、またか」
火曜日の夕方、電車内
「うんざりした雰囲気の電車内、アナウンス、ようやく動き出す」
「思い出したかの様にクーラーが効き出した、いつもの風景に戻る」
「梅雨時は、何故か室温の日本酒が呑みたくなる、コップ一杯をちびちび味わうのが好きだ」
火曜日の夕方、乗り換え
「困った、禁酒中にも関わらず、日本酒が呑みたくなった」
「ここが肝心、梅雨に負けてはいけない、たとえ五臓六腑に染み渡ろうが関係なし」
「高枕安眠とは出典が戦国策とは知らなかった、そういえば本棚に眠らせている、今宵読んでみよう」
水曜日の朝、通勤
「自らの仁を広げる、仁とは天に通じる、儒学とは大きいなと思う」
「播州法語集には、捨てることの大切さが説かれる、一遍上人にも心惹かれる」
「自力の積み重ねではなく、本来備わることに戻る、性善とも似ている」
水曜日の朝、電車内
「一遍上人の「捨てる」とは深い、捨てるにも色々ある」
「全てを「捨てる」のは理想ではあるが、例えば家族の為に身を粉にして働くも「捨てる」だ」
「捨てることにより得る、他力思想とは凄まじいが、そこに日本人の美意識も感じる」
水曜日の朝、乗り換え
「自らの腹を据える、覚悟を持つとは、どのようなことか」
「覚悟とは、武道の達人のみが得れる境地ではなく、万人に備わるのだ」
「仁を広げる、自らを捨てるとは、些細なこと、つまらないことに拘泥するのではなく、世の中を面白く生きること、そして死ぬことだ」
水曜日の夕方、通勤
「己の仁を広げること、積み重ねた書物や学問とは過程に過ぎない」
「捨ててこそ、六字に全てを預けること、そして己の為すべきことを為せ」
「もちろん火宅の人生だ、最後は燃え尽きて骨と灰、忘れ去られて消えるのだ、さようなら」
木曜日の朝、通勤
「子、言うことを聞かず深夜まで、こちらも寝不足なり」
「念の為、目覚し時計の位置を遠くする、無意識に止めるかも知れない」
「今朝は血圧も上下共に20高い、寝不足と過食、ストレス」
木曜日の朝、乗り換え
「内在する心、維持する為に呼吸水分食料温度衣服住宅娯楽を求める身体」
「本当に心が主なのか、一日の大半が身体を維持する為に動いている」
「社会的であることを課せられるが故に、心=理性的なのだ、束縛か構築か」
木曜日の朝、電車内
「どうだろう、感情のままに社会的=理性的な何かをぶち壊す開放感」
「無限に並ぶ五角形のコロニーの内に蠢く住人たち、社会的なとは神と等しい」
「圧縮された諸々の感情、火種、爆発、消滅、ひょっとして世界とはクソゲーなのかも知れない」
木曜日の朝、一休み
「歳を取るということは、クソの様な隣人たちとの経験が豊富ということだ」
「故に、我慢を学べる、過去に出会った巨大なるクソの様な人と比べれば、まだまし、と自分を抑えられる」
「もちろん正義づらはしない、最後には自らのクソの様な人格にも絶望するのだ」
木曜日の夕方、通勤
「上から下まで通す六字、腑に落ちれば残るは一身」
「三界無安、そもそも三界無安」
「喜怒哀楽こそ人の本性、今日も喜び怒り哀しみ楽しんだ、善き哉、善き哉」
金曜日の朝、通勤
「血圧高し、節々の痛み、マスクが息苦しい、どうやら生きているらしい」
「踏切で、自分が自分が‥と大声で話している若い二人組がいた」
「車内、隆々とした色黒筋肉マンが優先座席にそっと座る、所作が女々しいのは何故だろう」
金曜日の朝、電車内
「一様に下を向き横一例にすわる通勤人、服の色まで似ている」
「大都会にときめきを感じなくなった田舎者一人、今日もビル街を歩く」
「入る時は並び、出る時はガラ空きの駅のトイレ、什麼生」
金曜日の朝、乗り換え
「芸能人の様な顔をした車掌さんを眺めている、アナウンス中に眼が合う」
「と、お互いに目線を避ける、次のアナウンスは下を向いて話している」
「お笑い芸人さんとそっくりだ、誰だったっけ‥と、再び目線が合い、またお互いに避けた」
金曜日の夕方、通勤
「仕事が忙しい、化けの皮が剥がれてきたのか鈍ってしまったのか」
「ここからが強み、粘り強くひたすら前進あるのみ、自らの長所を活かすのだ」
「じたばたするのが大好きだ、見苦しく騒ぐのだ、じたばたしてからが実力さ」
金曜日の夕方、乗り換え
「人生思えば、ピンチにはじたばたで乗り込えてきた人生だ、(((╰(°ㅂ°)╯)))」
「日頃の関係構築と巻き込み度、そして無言の圧、ヾ(°ω。ヽ≡ノ°ω。)ノ」
「じたばた見苦しくするにも作法あり、一、人のせいにしない、二、他人に迷惑はかけない、三、最後まで諦めない、ε٩(°Д°)۶з」
金曜日の夜、自宅
「子の漫画を読んでいる、面白し、最終巻らしいが心にくる」
「鬼舞辻󠄀無惨とは、人の純粋な思いを継ぐ者、強者ありきとは恐れ入る」
「エゴイズム、自我とはいつの世も変わらぬもの、一つであれば痛快なり」
#狂歌
鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックス) https://t.co/5UHriGwJxG https://t.co/rPQmNttUL5
金曜日の夜、自宅
「かのルービンシュタインでも、バックハウスを聴いたあとでは霞む」
「バックハウスのベートーヴェンピアノソナタ、という独立した世界が世の中にはある」
#自由律
ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ全集 https://t.co/iWdmnF3xa1
金曜日の夜、自宅
「グルダを否定などしない、バックハウスさえいなければ一角の雄だ」
「ただ、残念ながら二十の時に買ったこの全集は心に響かなかった」
「改めて聴いている、ふと、最近余り聴いていないギレリスと既視感を覚えた」
#自由律
ベートーヴェン:Pソナタ全集 https://t.co/d3fp0oqtDB
金曜日の夜、自宅
「芯からのバックハウス信者といえども、ギレリスの音楽は無視出来ない」
「見事なギレリス節のベートーヴェンピアノソナタを聴かせてくれる」
「ルービンシュタインしかり、ピアノソナタ一つに絞っても、この世界は沼過ぎる」
#自由律
Beethoven Sonatas https://t.co/hFARO765sQ
金曜日の夜、自宅
「ケンプのベートーヴェンピアノソナタ全集は良いものだ、中庸を得ている」
「バックハウス狂信者の私でも、ケンプの音楽は素晴らしいと思う」
「12歳の時、父のレコード版で聴いてからの長い付き合いだ」
#自由律
Beethoven: The 32 Piano Sonatas https://t.co/3XtM3K3N18
金曜日の夜、自宅
「アニー・フィッシャーのベートーヴェンピアノソナタ、通好みとされる」
「理屈は置いといて、保育園の頃の子が、唯一アニーのベートーヴェンを聴いてのみ鼻唄を歌う」
「わかり易い演奏、子供でもサビを歌えるのは凄いとしか」
#自由律
Various: Ikon https://t.co/2pAoPIiJoX
金曜日の夜、自宅
「バックハウスのベートーヴェンピアノソナタ全集を聴き続けている」
「もはや旋律や音の強弱もどうでもいい、ピアノの一音一音が心に染みる」
「危うい、この中毒性、バックハウスの音楽とは神か悪魔か、何れにしろ、ただ、聴き続けるしか選択肢がない」
土曜日の朝、ウオーキング
「膝に毛嚢炎、ストレス・疲労が溜まっている模様、今日は安静に」
「これをほっとくと帯状疱疹が出てくる、これは困る」
「先生のTweetを拝見し、3回目の大学、中庸の写経をしようと思い立つ」
土曜日の朝、曇り
「昨夜も中庸を読み返していた、確かに孟子と通じる」
「孟子で述べられた内容が中庸でも述べられている」
「四書は何度も振り返ろう、大学と中庸は間を開け過ぎた、しばらく戻ろう」
所感)
■己の仁を広げること
人とは違う、私は私の思う儒家を目指せば良い。
四書、経書を暗記し、詳細に説明出来ることが仁ではない。
学問の道の目的とは、己の仁を広げることだ。
その為に繰り返し四書、経書を学ぶのだ。
■捨ててこそ
六字で貫くこと、頭の髪の毛から足の爪先まで一つであれば、それで良い。
毀誉褒貶に心を揺さぶられることも無く、日々、家族を養う為に働くのだ。
ものごとは単純であれば良い、少なくとも我が身、我が心くらいはそうありたいと思う。