四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第四十六章


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月曜日の朝、7月1日、通勤

 

「過ちて改めざる、是を過ちという。衛霊公第十五」

 

「間違えは良い、間違えを認めない(改めない)のが間違いだ」

 

「開き直るのは良くない、頭を下げれない自分とは、人として深く反省すべきだ」

 

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月曜日の朝、乗り換え

 

「孔孟の教えに否定的な人がいるらしい、もちろん考えは自由だ」

 

「私は日本人の根本には「忠恕」があると信じている」

 

「日本人、日本史とは素晴らしい結晶だ、過ちは過ちとを認め、仁と礼と義に立ち返る、儒学は実践してこそ」

 

#忠恕/心を誠にし、人を思いやること

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月曜日の夕方、通勤

 

「死生命有り、富貴天に在り。顔淵第十二」

 

「つまるところ、君に悪いところは無い、生き死にや富や名声、全て天の命だ」

 

「天命とは命懸けであるし、命を受ける(民を救う)とはまず自らの徳を広げる必要がある(私利私欲を満たす為に冨や名声を求めるとは違う)」

 

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月曜日の夕方、乗り換え

 

「力あるものが富む、群雄割拠、戦国乱世に道徳で世を救うと説いた」

 

「天、天命を考える場合、善神の人格を期待するのか、汎神論と捉えるか」

 

「あくまで人だ、我々儒家とは、人の中で忠恕の心で自らの徳を広げ、この世の中で仁を実践し広げるのだ」

 

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火曜日の朝、通勤

 

「君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し。里仁第四」

 

「人を治めるとは、足し算引き算通りには行かず、正誤ですら危うい」

 

「中庸をもって良しとし、つまらない小利に左右されない、常に人びとの根本であること」

 

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火曜日の朝、乗り換え

 

「エクセルの様な人は、有能であっても人の上には立たない方が良い」

 

「半紙に、安全とかを大真面目に筆で書く人は、人の上に立てる」

 

「人の上に立つとは、人間であること、人間の感情がきちんとある人、これ以外は思いつかない」

 

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火曜日の夕方、通勤

 

「惟だ仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む。里仁第四」

 

「思いを誠にし、多くの民を思いやる君子故に、善き人を好み、驕り高ぶる人を憎むのだ」

 

「能くとは、天と同じくして、道を歩むが故にであり、私利私欲に溺れた者の好悪とは違う」

 

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火曜日の夕方、乗り換え

 

「私たち、我々という言葉を使う人たちには注意すべきだ」

 

「彼ら彼女らの私利私欲の好悪に、何故私が関わらねばならぬのか」

 

「善きことであれば正々堂々と、私は、我はという、仁とは一つであり大勢の総意など必要とはしない」

 

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火曜日の夜、自宅

 

儒学を学び二年目の夏を迎え、公田連太郎先生の呻吟語、来たれり」

 

「序説に、自己の修養の為に書かれた書とある」

 

陽明学者の大塩平八郎が愛読していた書とのこと、読み始めるとする」

 

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水曜日の朝、通勤

 

「子川上に在りて曰く、逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎かず。子罕第九」

 

孔子は川を眺めていう、天地、常に道は行われている、この川の様に(新注)」

 

「集注と新注で解釈が異なる、集注では、川の流れの様に皆消え去る(無常感)と解釈された」

 

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水曜日の朝、乗り換え

 

「ものごとが主観なら、私は悲観よりは楽観を選びたい」

 

「そして、楽観よりはお笑いを狙いたい、ユーモア、可笑しみとは人を癒し和ませる」

 

「最悪の事態の中にいても、些細なことを見つけて笑うのだ、心から」

 

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水曜日の夕方、通勤

 

「子曰わく、君子は器ならず。為政第二」

 

「善いことは何でもする、君子とは先頭に立ち、最後を守り、留まることはない」

 

「故に、何もせずとも良い、自らの徳を以て民を治め、優れた人を用い、民の苦しみ楽しみを我がこととする」

 

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水曜日の夕方、通勤

 

儒学界のスーパースター、大舜を思う時、私は心が明るくなる」

 

孟子を意訳する時、大舜が登場すると心がワクワクした」

 

「芯から陽キャであり、側にいる、いや、思うだけで幸せな気持ちになる」

 

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木曜日の朝、通勤

 

「三年学びて穀に至らざるは、得やすからざるのみ。泰伯第八」

 

「学問の道を三年学んでも、尚学ぼうとする、得難い人材ではないか」

 

「まず三年学ぶ、そこから学問の道は始まる、自らを修めるとは並大抵のことでは出来ない」

 

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木曜日の朝、乗り換え

 

「学ぶことこそ論語の総論であり、学而第一に全てがある」

 

「三年を学ぶ、学ぶことを学び、そして一生を学ぶ」

 

「自らを修めるとは、常に学ぶことであり、道に終わりなく、驕り高ぶるなかれ」

 

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木曜日の夕方、通勤

 

「君子固より窮す、小人窮すれば斯こに濫る。衛霊公第十五」

 

「追い詰められれば、苦しさのあまり

小人は自暴自棄に陥る」

 

「君子とは、天に命を預けているが故に、慌てない、揺るがない、乱れない」

 

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木曜日の夜、自宅

 

論語が面白い、各々の言葉が、虹色と化して宙に浮かび、幾行も重なりつつ時系列で空間に浮かぶ」

 

「例えば、泰伯第八「昔者吾が友、嘗てここに従事せり」、曾子が亡き友(顔回)を称えた言葉」

 

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金曜日の朝、通勤

 

「君子、勇有りて義なければ乱を為す。陽貨第十七」

 

「義なく勇のみであれば、君子なら争乱を招き、小人なら強盗になる」

 

「共に、救うべき民を苦しめ暴君・暗君を利するのみか」

 

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金曜日の朝、乗り換え

 

「力なき義か、義なき蛮勇か、共に中庸を欠く」

 

「筋肉は正義だ!、とはあながち間違ってはいない」

 

「孔孟の教えを学び、武術にて心身を磨く、古代より日本人が行ってきたことに外ならない」

 

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金曜日の夕方、通勤

 

「夫子焉にか学ばざらん、而して亦何の常師かこれ有らん。子張第十九」

 

「今の世にも残る、文王・武王から伝わる礼や楽を、土地の古老から孔子は学ばれた」

 

孔子を直接教えた師はおらず、古の聖王、尭、舜を理想として忠恕の大切さを説かれた」

 

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金曜日の夜、自宅

 

「公田連太郎先生の明徳出版版『易経講話』、先行出版物の『周易講話』1〜20を購入する」

 

「印刷は孔版(ガリ版和装本

公田会による会員制自費出版物とのこと」

 

「趣意書が入っている、国会図書館に確認すると全28冊らしく、21から28まで集める楽しみも増えた」

 

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金曜日の夜、自宅

 

「これは、この本は、紛れもなくお宝だ、公田連太郎先生の字体とは、優しく包み込む込まれるような気がする」

 

「文字を眺めるだけでも、公田先生のお人柄が伝わってくる、読むまえから

、既に幸せになっている」

 

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「匂いも良い、ページを開くと香ばしい微かに焦げたかのような、良き古本の香りがする」

 

「代々の持ち主が、この本を大切に保管していたことが伝わってくる」

 

「この本は、子に伝えよう、たとえ子に縁がなくとも、孫々の代で必ず報われる気がする」

 

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所感)

■四方八方

儒学の勉強に加えて、資格の勉強を始めた。

1,000時間相当の勉強時間を稼ぐ為に、平日2時間と休日4時間、過去問をひたすらしている。

 

■川には入らないこと

今年の夏も河川で亡くなられる痛ましい事件が多発している。

まず、亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたい。

川育ちのブログ主からすれば、川をプールかなにかと勘違いし家族を水に入れる人たちの気が知れない。

地元育ちの人間でも下手をすれば溺れることがあるのに、ましてや、、。

 

結論は、川には遊びで入らないほうが良い。

川は、淵や、場所によってはいくら泳ぎが達者だろうが、足が付く深さであろうが、流れで身体が沈むところがあちこちにある。

身体が沈めば普通の人は焦り、水中で天地がわからくなり、必然的に溺れるのだ。

 

対策として、流れに巻き込まれたり淵の奥に引き込まれた場合は、海の離岸流と同じく流れに逆らわず泳ぐしかないが、泳ぎがいくら達者だろうが、知識とその川での経験がないと無理だ。

 

私は子供時代、小さなダムから飛び込んだり、魚をゴム銛で突きながら川の淵に沈んでは下流まで泳いでいたが、地元育ちの川だから出来る訳であり他の川なら確実に溺れている。

また、上流で雨が降った場合、地元育ちは上流での雨を知らずとも川の変化(水の濁りや流れの変化)で直ぐに陸に上がるが、レジャーで訪れた他所からの家族連れが気付ける訳が無い。

 

及び、万が一家族が溺れた場合でも、救おうとして安易に川に飛び込むのは自殺行為だ。

しかし、溺れる家族を目前で抛っておける人は少ないのは当然だし、私自身も躊躇なく飛び込むだろう。

 

川には入らないこと、これに尽きる。