四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第五十七章(里仁第四)


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○日曜日の朝、10月16日、ウオーキング

 

「皮膚が秋冬形態に移行済みの為、十月で28度を越える暑さに戸惑っている」

 

「明日から21度くらいらしい、今日の暑さはやり過ごそう、皮膚よ頑張れ」

 

「秋の花粉でアトピーがぐずり出している、気温の変化についていけない」

 

#自由律

 

○日曜日の朝、マクド

 

「早々にマクドへ、資格勉強に取り組む、過去問、過去問、あゝ過去問」

 

「混んでいる、行列だ、まあここまで来たには朝食は食べて帰ろう」

 

「近くのコーヒー店も値上がり、一杯五百円を越えた、ため息しか」

 

#自由律

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○日曜日の午前、自宅

 

最近、Twitterを止めようと思うこと、しばしばなれど思い直す。

癌で亡くなられた方の最期のツイートを拝見する。

 

『あなたの世界は輝いています

 

いつか等しく終わりがくるから

 

楽しんで下さいどうかどうか』

 

Twitterとはもの凄い。

御冥福をお祈りいたします。

 

#自由律

 

○日曜日の午後、ウオーキング

 

金木犀の香りはあまり好きではない、嫌な記憶と結びついている」

 

「生まれ育ちではなく、自らの力で戦える様になってからの方が好きだ」

 

「少年時代とは時に残酷であり理不尽さに満ちている、今が一番だと思う」

 

#自由律

 

○日曜日の夜、自宅

 

「座禅をくむ、臍から下に集中して腹から上をちょこんと載せる」

 

「学問を修養し、仁徳を体得しようと志す人、『志士』こそ我が目指すところ」

 

「齢五十にして学問の道を志し早二年、未だ至らぬ我が身なれど充足の時来たれり」

 

#自由律

 

○月曜日の朝、通勤

 

「子曰く、出でては則ち公卿に事え、入りては則ち父兄に事う。子罕十六」

 

「世に出ては人に仕えて政を行い、家では父母を大切にして敬う」

 

「孔夫子は忠孝を説かれた、人として当たり前のこととされた」

 

#自由律 #論語

 

○月曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、忠信に主しみ、己に如かざる者を友とすることなかれ、過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。子罕二十五」

 

「義を重んじ己を誠とする人を友とせよ、足らず過ぎる人とは近づかないこと」

 

「過ちは速やかにに訂正すること、後回しは禍根を大きくするのみ」

 

#自由律 #論語

 

○月曜日の夜、自宅

 

「子とメガドラミニ大魔界村に挑戦する、無敵コマンド入力から難しい」

 

「親子で苦心惨憺してコマンド入力成功する、二人でガッツポーズ」

 

「甘かった、無敵でもガンガン死ぬ修羅のゲーム、BGMは良いなと親子で共感する」

 

#自由律

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○月曜日の夜、自宅

 

「子より形意拳の虎撲子を教えてほしい、父は入門時に三体式のみを一年練習したと答える」

 

「教えるのは容易い、五行拳が出来れば十二形拳は応用だ、だが三体式あってこその五行拳だ」

 

「父は壁拳のみを二十年練習した、同じ系統の虎撲子は出来るが、子には早すぎる」

 

#自由律

 

○火曜日の朝、通勤

 

「子曰く、仁に里るを美しと為す。里仁一」

 

「仁の徳を得てのち、仁を実践する、美しいことではないか」

 

「孔夫子はいわれた、忠恕であること、その為に一生学び、得た仁を広げること」

 

#忠恕/己を誠にして人を思いやる

#自由律 #論語

 

○火曜日の夕方、通勤

 

「択びて仁に処らず、焉んぞ知たるを得ん。里仁一」

 

「自らの意思で仁を為そうしない、そのような人が物事の是非を知り得ようか」

 

「物事の中心に仁があってこそ、世の中に善いことが広がる」

 

#自由律 #論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

「子曰く、不仁者は以て久しく約に処るべからず。里仁二」

 

「不仁の人とは、自ら不幸を背負い、不安と恐怖から離れることがない」

 

「自分さえ良ければいい人とは、孤独で寂しく、得た小利を守る為に攻撃的な言動が多い」

 

#自由律 #論語

 

○水曜日の夕方、通勤

 

「以て長く楽しきに処るべからず。里仁二」

 

「また、(不仁の人とは)富や名誉を得たとしても、仁無き故に驕り高ぶりて全てを失う」

 

「仁無き人とは、なんと哀れなことか、不安と恐怖に追われ、楽しみも長くは続かない」

 

#自由律 #論語

 

○水曜日の夕方、電車内

 

「仁無き人とは、なんと私たちなのだろうか、常に不安と恐怖が側にいる」

 

「苦しいときは鬼になり、楽しいときは驕り高ぶる」

 

「故に、忠恕の心を離してはいけない、仁こそ人の根本、人を尊ぶこと」

 

#自由律

 

○木曜日の朝、通勤

 

「仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。里仁二」

 

「仁を実践する人とは、如何なる時間、場所、場合でも仁から離れることがなく常に安らいでいる」

 

「一方、智を得た人は仁の安らぎを知り、心乱れることがない」

 

#自由律 #論語

 

木曜日の朝、乗り換え

 

「いつもの二人組が車内の横に立つ、小声で囁やきあっている」

 

「悪だくみか、いや、共通の上司のことを罵っている」

 

「今日は本当に小声だ、近寄る、次は人事移動の噂らしい、二人とも怯えている」

 

#自由律

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○木曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、唯仁者能く人を好み、能く人を悪む。里仁三」

 

「孔夫子はいわれた、仁の人とは善も悪もその姿を正しく見ることが出来る」

 

「故に、仁を得た人だからこそ、人を善へと導き、人の悪を善へと至らしめる」

 

#自由律 #論語

 

○金曜日の朝、通勤

 

「子曰く、富と貴きとは、これ人の欲する所なり。その道を以てせざれば、これを得るも処らざるなり。里仁五」

 

「富や名誉は皆大好きだ、しかし、仁によって得たもので無ければ続かない」

 

「根本に常に仁があるのであれば、付随する富や名誉は受け取る」

 

#自由律 #論語

 

○金曜日の夕方、通勤

 

「貧しきと賤しきとは、これ人の悪む所なり。その道を以てせざれば、これを得るも去らざるなり。里仁五」

 

「貧しさや身分が低いことを人は嫌う。しかし、それが仁であればなんら恥ずべきことはない」

 

「忠恕により貧しい、身分が低い、これも立派な道といえる」

 

#自由律 #論語

 

○金曜日の夜、自宅

 

「昔からの朋友が集まり、今夜、酒席を共にする」

 

「馬鹿話しに花が咲き、真実を少し含みつつ大笑いで盃を干し合う」

 

「どいつもこいつも良か男ぶり、次の再開を誓いつつ乾杯してそれぞれに別れた」

 

#自由律

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○土曜日の夜、自宅

 

「夕方、子とラグビー形意拳の練習をしに大グラウンドへ」

 

「パスとタックル、のち劈拳と崩拳を練習する」

 

「足さばきを中心に教える、打拳ばかりに気が入り、捻りも溜めもなってない」

 

#自由律

 

所感)

論語

これまでランダムで論語の章句を自由律へ意訳してきたが、今週より改めた。

論語は学而第一から始まり二十篇で構成されている。

これまで、学而第一、為政第二、八佾第三(前半)を当ブログにて意訳したものを載せた。

八佾第三の後半も終わっているが、当分は見直しに集中したい。

次は、里仁第四の意訳に取り組む予定であったが、正直、資格勉強に追われ時間が取れない。

ならば通勤時間でツイートしている自由律を、里仁第四の最初から順にしていくことに決めた。

里仁第四の次は公冶長第五へ、全二十篇を順に全て自由律で意訳し、自らどう思うのか考えていきたい。

当然、自らの考えのみでは本来の姿から逸脱する可能性がある為、答えあわせのテキストとして、「明治書院刊行、新釈漢文大系1 論語 」を参考としている。

 

■現状

「齢五十にして学問の道を志し早二年、未だ至らぬ我が身なれど充足の時来たれり」

学問の道が、一つ、新しいところへ行く(進む/退く、は不明ながら)。

過去の高名な学者先生が遺された本や、同門の先人を過剰に意識し、褒め称える鎖自体を捨てた。

 

「基本の徹底」こそ我が信条。

 

儒学とは、「論語」と「孟子」で成りたっている。

この二書以外に気にしなければならない諸々の権威や先輩方が、正直この世界は多過ぎる。

 

そもそも「足らず」も「過ぎる」も中庸から遠ざかる、とは儒学の教えだ。

私は、多くの書や人に阿り過ぎ(自ら客であろうとし)、学問としての主を名著や他人に任せる愚に過ぎた。

 

■今後

もちろん、二書以外の四書五経朱子学陽明学を批判し、また古義学を全肯定するほど愚かではない。

二書をとことん学び、考えて、自らの考えを養ってから戻り、再び学ぶのだ。

 

■雑感

一方、東洋思想に区切っても、次々と儒学経書や次いで老荘思想を学ぶ人たちがいる。

彼ら(彼女ら)は優秀であり、頭脳明晰、天から選ばれた人たちだ。

私は、読み物としては老子荘子を読んだが、学問としては未だ理解出来ずにいる。

 

ネット上や巷によく、「孔子は固っ苦しいから老子が良い」との言葉を聞くが、私的には大胆過ぎる言葉だ。

二年、儒学を学んでも孔夫子の教えを実践出来ず、理解の遅さに歯噛みしている身からすれば、

「孔夫子は固っ苦しい」と一文で片付けれる大胆さんには舌を巻く。

さらに「老子が良い」とは凄すぎる。

形而上学的な老荘思想を理解出来、「良い」と一言で表現出来るとは、モーツァルトゲーテ級の天才だ。

 

■結論

「学問を修養し、仁徳を体得しようと志す人、『志士』こそ我が目指すところ」

在野で、老子を学問として真剣の取り組まれている方を知っているが、難解であり、一生を捧げて勉強しても「足らず」とされている。

同様に易経も同じく、難解極まるらしい(難解さを表現すら出来ない)。

要は、学問とは真剣に学べば学ぶほど「沼」なのだ。

上記を踏まえれば、二書(論語孟子)に限定しても、尚、巨大な山脈が目前に広がっている感は否定出来ない。

学問の進み具合によっては、全二十ある論語も学而第一から郷党第十に限り、繰り返し学ぶのもありかも知れない。