○月曜日の朝、1月9日、ウオーキング
「今朝、アマプラ映画で邦画の犯罪ものを観たせいか心が暗い」
「子の宿題は絶望的だ、家族全員が暗やみに包まれている」
「夜更しした子、昼から立て直そう、それまで資格勉強に励もう」
#三行詩
○月曜日の朝、ウオーキング
「昨日は昼からサイゼリヤで友人と新年会、安くて美味い、大好きだ」
「1.5リットルの赤と白、スパークリングワイン、赤ワインを各1本、四人で痛飲する」
「相変わらずのバカ話に花が咲き、とても楽しかった、また集まろう」
#三行詩
○月曜日の午前、マクド
「少し気分がのらないので、岩波文庫、孟子(下)を読んでいる」
「昼からの計画を立てる、まず環境、部屋をきれいにして、整理整頓、残りの宿題を見える化して優先順位を決める」
「間に合わないなりに道筋を立てる、提出物とは結局は提出するのだ」
#三行詩
○月曜日の午前、マクド
「結局、子が本気にならねばどうしようもない、筋トレしている場合ではないと思う」
「脳筋とメンタル豆腐は親ゆずり、ため息をつく」
「一人っ子なので構い過ぎのきらいは十分にある、ほっとくのも手だ、さて、次の手は」
#三行詩
○月曜日の午前、森
「本屋さんで『塾へ行かなくても成績が超アップ! 自宅学習の強化書』なる本を買う」
「我がことであれば、進むか逃げるで話しは終わる」
「物事とはシンプルに考えること、整理整頓すれば大概糸口は見える、目的と目標を明確に、確実に刻む」
#三行詩
○月曜日の夕方、ジョギング
「子の冬休みの宿題、英語を終わらし、数学残り三枚、夕方、親子で脳筋故に大グラウンドへ」
「ラグビーの練習、子、確かに筋肉質になってきている、のち走り込み」
「さて、明日から日常が始まる、会社と家の往復だ、メンタルを強く、身体は無理をせず」
#三行詩
○火曜日の朝、通勤
「子曰く、徳の脩まらざる、学の講ぜざる、義を聞きて徒る能わず、不善改むる能わざる、これ吾が憂いなり。述而三」
「孔夫子はいわれた、自らの徳を修めようとしない、学問を日々進めることがない、正しき義を前にして行動することが出来ない、自らの不善を理解しながらも改めれない、これらが私の憂いである」
「この章句、誰のことを述べたのかは置くも、儒者たるもの、この四つの『出来ていない』は、他人に向けてではなく、常に自らに省みることが大切だと思う」
#三行詩 #論語
○火曜日の朝、乗り換え
「お祭りののぼり旗が風で揺れていた、ふと、六文字とは風か旗か迷う」
「結論は風でもなく旗でもない、今、ここが、即ち六文字だ」
「主客からの脱却、水面に映る月の姿、暗室の内にあり隙間からの光」
#三行詩
○火曜日の朝、電車内
「人間の中で揉まれるとは、やはり人に成長にとって必要なのだろう」
「善き人よりは無関心、悪き人との出会いの方が多く思われるが、人とはどちらでもない」
「勧善懲悪、歪んだ正義の誘惑に流されてはいけない、中庸とは偉大なり」
#三行詩
○火曜日の夕方、通勤
「子の燕居、申申如たり、夭夭如たり。述而四」
「孔夫子がご自宅で寛がれている時は、伸び伸びとして穏やかな笑顔を浮かべておられた」
「孔夫子の日常でのお姿や人となり、雰囲気が伝わってくるように思える」
#三行詩 #論語
○水曜日の朝、通勤
「子曰く、甚だしいかな、吾の衰えたるや。久しいかな、吾復た夢に周公を見ざること。述而五」
「孔夫子はいわれた、なんと老いたことか。文武両道の周公旦に憧れながらも、夢にみなくなってから久しい」
「周公旦は、中国周王朝の政治家で且つ、周邑の君主。姓は姫、諱は旦。魯の初代の公である伯禽の父。太公望や召公奭と並ぶ、周建国の功臣」
#三行詩 #論語
○水曜日の朝、電車内
「私は言葉が多過ぎる、述べなくてよいことまで文字にしている」
「言葉ありきながら、言葉以外の感覚も大切だ、白黒が全てではない」
「言葉オバケ、何かの呪いか、取り憑いた過去が訴えているのか、興味深い」
#三行詩
○水曜日の朝、乗り換え
「ビル街の谷間を歩いている、手塚治虫の漫画で読んだメトロポリスが脳裏に浮ぶ」
「人とは言葉にした綺麗ごとを歌うも、実現するも、中身は欲でドロドロだ、変わらない」
「良く生きる、とは難しい、それでも已の運命を受け入れ、穏やかに消えるとしよう」
#三行詩
○水曜日の朝、一休み
「まさか、また、海外に税金をばら撒くか、欧米の軍産複合企業体から兵器を大量購入しにいくのか」
「外遊の度に自らの名前を欧米諸国に覚えてもらおうと媚びているとしか」
「物価が上がり、給料は上がらず国民の生活は苦しい、増税を匂わせ、海外には税金をばら撒き、欧米産の兵器を買う、いったい何処の国の宰相なのだろう」
#三行詩
○水曜日の午前、二休み
「結局はSNSとは飴と鞭の無理ゲーな気がする、或は自分しだいか」
「批判を受け入れられないのであれば紙のノートに書けばよい」
「次々と現れる論客を倒せたとしても、最後には肥大した自分自身に負けるのだ」
#三行詩
○水曜日の夕方、通勤
「子曰く、道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ。述而六」
「孔夫子はいわれた、君子とは天と同じくしてその道を志し、自らの徳を修めて根本とし、何事にも仁から離れることはなく、六芸(礼儀・音楽・弓術・馬車術・書道・算術)を楽しむものだ」
「天と志しを同じくして自らの根本を徳で修め、行いは仁、六芸は楽しむレベルにある。今更ながら君子とは超人の様に思える。そして仁の上にはさらに聖がある。孔夫子の教えに、ただ圧倒されるばかりだ」
#三行詩 #論語
○水曜日の夜、自宅
「諸事情あり、ツイッターを止める段取り通りに進んでいたが、止めた」
「Tweetをまとめた週一回のブログの熱心な読者である高齢の母より、ストップがきた」
「毎週、楽しみにしているのに、とても残念だと、子として母の笑顔に抗えるはずもなし」
#三行詩
○水曜日の深夜、自宅
「夜、目がさめたので岩波文庫、柳宗悦著、南無阿弥陀仏を読む」
「よろずのものは我れ独りではない」
「問う、神様、仏様は何処におられるのか。答え、貴方は今、どこにいるのか」
#三行詩
○木曜日の朝、通勤
「子曰く、束脩を行うより以上は、吾未だ嘗て誨えること無きにあらず。述而七」
「孔夫子はいわれた、礼で定められた最低限の干し肉一束を持参した者であれば、私はどのような身分、性格の者でも教えないことはなかった」
「孔夫子の教えは、礼を伴えば何人も受けることが出来た、学問の道に差別なく、現代においても変わらない」
#三行詩 #論語
○木曜日の朝、乗り換え
「また悪夢、過去に出会った屑の様な人が登場し迷惑をかけられた」
「酒乱、陰険、暴力、臆病、上に媚びる、複数の女性関係、世の中に屑はいる」
「自分がこうはならぬように反面教師として登場したのかも、嫌悪感のみ」
#三行詩
○木曜日の朝、電車内
「孟子の好きな章句を暗唱して機嫌を直す、トイレは行列、スルーした」
「今週は低調だ、より慎重な言動を心掛けよう、ポカミスに注意」
「良く生きるとは、慎み深く、自らの運命を受け入れる強さを持つこと」
#三行詩
○木曜日の午前、一休み
「ツイッターのオフ会なるものがあるとフォロワーさんのツイートで知る」
「考えたら私は宇宙人で、身の丈が3メートルあり、今、ケンタウロス星からtweetしている、かも知れない」
「オフ会に現れる人が果たして地球人なのか確証はない、行く理由が見当たらない、私は怖がりなのだ」
#三行詩
○木曜日の夕方、通勤
「子曰く、憤せずんば啓せず、非せずんば発せず。一隅を挙げて、三隅を以て反らざれば、則ち復せざるなり。述而八」
「孔夫子はいわれた、学問に対して学ぼうとする情熱がない人、学問に行き止まった時に考え尽くして悩まない人、四隅の一隅を教えて残りの三隅を考えようとしない人には、私は二度も教える必要を感じない」
「学問の道とは主体的に、自らの仁を広くする為に行うことであり、師がどうこう出来るものでは決してない」
#三行詩 #論語
○木曜日の夕方、乗り換え
「先に志しがあり、次に自らを誠として人を思いやるのが忠恕であり、仁といえる」
「志しが大きいほど誠も大きく、その為の行いも激しくなる」
「ふと、吉田松陰先生を思う、巨大な誠は、先生が亡くなられた後もこの国を変えた」
#三行詩
「講孟箚記にある、孟子は素晴らしい書だが、二千年以上前に書かれており、時代に則した良い部分を学べば良い」
「同様に吉田松陰先生ならいわれるであろう、講孟箚記から学ぶにあたり、現代に則した部分を学べば良い」
「先生の学問は、あくまで現実的である。盲信する必要はなく、学問を学ぶ一人として、時代に則した解釈をすれば良いのだ。儒者とは現実から離れることなく忠恕を実践する人のことだ」
#三行詩
○金曜日の朝、通勤
「子、喪ある者の側で食すれば、未だ嘗て飽かざるなり。子、是の日に於いて哭すれば、則ち歌わず。述而九」
「孔夫子が、喪中の人と食事をするときに満腹まで食べることはなく、葬儀に出席した日に終わったからといって詩を唄うことはなかった」
「礼とは、根底に人を尊ぶからこその礼であり、孔夫子は見せかけだけの礼を好まなかった」
#三行詩 #論語
○金曜日の朝、電車内
「柳宗悦によれば、私たちは常に神様、仏様の手のひらにいるらしい」
「哲学か宗教か、思想か未知の領域かはよくわからない、ただ、亡父はその手のひらの上に居てほしい」
「現実主義と汎神論は相反するのではなく、同じことを述べているのではないか、最近そう思う」
#三行詩
○金曜日の朝、通勤
「駅のトイレ、最近、粗忽がないところの方が少ない、マナーとは何ぞや」
「昨日、インテリノッポを見かけたがメガネはいない、ノッポは下を向いていた」
「人目のないところで、どのような所作を行えるのか、人の器とは所作に表れる」
#三行詩
○金曜日の朝、乗り換え
「覚悟とは、眦を吊り上げて感情を昂らすのではなく、覚悟をも捨てて平常心にあることだ」
「長渕剛さんのJEEPが脳内に流れている、今日は調子が良いか悪いかのどちらかだ」
「結局、捨てることが私たちにとって最も尊いとは、なんとも神様、仏様とは意地が悪い」
#三行詩
○金曜日の朝、一休み
「映画マッドマックスの悪役そっくりの道路族たちが道の往来でスケボーをしつつ奇声を上げ、大音量で音楽を鳴らす」
「私含めて寄らず触らずで先を急ぐ人ばかりのなか、小柄な老婦人が一人、歩みより正々堂々と文句をいい、彼らを退散させた情景をみたことある」
「覚悟なのか、義侠心か、或は単純な怒りか、凄い行動だ、私の子供時代には、この国には、こんな人たちがあちこちに居た気がするが、最近は何処かへ行ってしまった」
#三行詩
○金曜日の朝、二休み
「マッドマックスを地で行く治安の悪い国では、住民がもはや逃げ出している」
「だからといって、私は孟子の性善説を否定はしない、人の本質は学ぶこと、教育にある、本来は善人だ」
「志しが欠けている、誠が失われている、学ぶことを忘れてしまっただけだ、貧富の格差が学んでたどり着ける領域を超えてしまった」
#三行詩
○金曜日の朝、三休み
「貧富の格差を打ち破るくらいの思想、例えば学問の道、という明かりが必要だ、過去の人物ではなく、生きている人で」
「省みれば、現代の社会こそ、儒学のいう聖人の登場を待ち焦がれている、社会を変革するくらいの聖人を」
「マルクスやレーニンのような思想家かも知れない、或は、カルヴァンかルターのような宗教改革でも始まるのか、ひょっとしたら吉田松陰先生のような儒学から大きな、時代を変える誠が生まれるかも知れない」
#三行詩
○金曜日の午前、四休み
「もちろん聖人や革命家を語る独裁者にはうんざりしている。現代に於いても甚大な災厄を生み出している。聖人や革命とはあくまで思想でなければならない、取って付けた様な二番煎じではなく」
「ならば、生物学の分野かも知れない。ホモ・サピエンス学者こそ、富の格差を起因とする人の停滞を解決する方法を考え得るのだ。こうまでくると儒学を遠く離れ、SF小説や映画の匂いがしてくる」
「もの凄い成果があり、ある日世界は変わっていた、などは戦争や悲劇以外にはあり得ない。やはり、こつこつと論語を学ぶ、仁を、忠恕を周囲へ広げることこそ、世の中を救う王道なのだろう。学問の道、学ぶこととは世の中を(いつかは)救うのだ」
#三行詩
○金曜日の夜、夕方、通勤
「子、顔淵に謂いて曰く、これを用うれば則ち行い、これを舎つれば則ち蔵る。唯我と爾と是あるかな。子路曰く、子、三軍を行わば、則ち誰と与にかせん。子曰く、暴虎馮河し、死して悔いなき者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成さん者なり。述而十」
「孔夫子が弟子の顔回にいわれた、古い言葉に、世に出れば天の道を行い、世に潜めば天の道を楽しむ、とあるが、これを行えれるのは私と汝くらいだな。弟子の子路がそれを聞いて、顔回に負けてたまるものかと孔夫子に問う、国を挙げて全軍を率いて戦場に赴く場合には、誰を連れて行かれますか。孔夫子はいわれた、暴れる虎と平然と闘い濁流の大河を歩いて渡るような死をも恐れぬ者とは、一緒に戦場に赴きたくはないものだ。大事には臆病で、あくまで慎重を期し、ものごとを為すに事前に謀を巡らし、確実に成せる人とならば赴くであろう」
「孔夫子と顔回の会話に腹を立てた子路が、勇壮果敢たる自分の長所をアピールするも、逆に暴虎馮河は良くないとたしなめられた。もちろん孔夫子にとって顔回も子路も大切な愛弟子である。孔夫子は兼ねてから子路の直情径行、短気な性格からくる言動を心配されていた」
#三行詩 #論語
○金曜日の夜、自宅
「毎日、論語の章句を順番に意訳している、考えている、近ごろ楽しくなってきた、面白い」
「平日に朝夕二句、論語の意訳を一周するには三年くらいか、終わったらまた最初から、生きている限りは繰り返そう
「江戸時代前期の儒学者である伊藤仁斎先生は、論語を最上至極宇宙第一の書とされた」
#三行詩
○金曜日の夜、自宅
「いつも通り明治書院、孟子を開く、凛とした風が吹き、忽ちBC300年前後へ」
「梁恵王章句上、白文、書き下し文を読む、恵王を前にして、背筋を垂直に伸ばして返答する孟子の姿がみえる」
「孟子は面白い、権力に対して怯むことなく、天下の為に堂々と仁義を述べている」
#三行詩
○土曜日の午後、ウオーキング
「論語は論語だ、最近、書店で見かけるとんでも訳本の認識が変わる」
「孔夫子がいわれたことだ、どう加工しようが、仁であり、忠恕に変わりない」
「現代語訳の優劣に拘る愚に気付く、自ら門を狭くして、何が仁か」
#三行詩
○土曜日の午後、森
「儒学を学び、自らを磨き上げるつもりが、自らを狭くしている」
「我が身で例えれば、独学故か、掴んだ手掛かり足掛かりに固執している」
「つまらん掛りなど放り投げて、どっぷりと暖かな仁に溶けてしまおう」
#三行詩
○土曜日の午後、森
「薄く靄がかかる雨上がりの森を、長靴を履いて、好きな音楽を聴きながら歩いている」
「ご機嫌さんだ、心が直くなっていく、ぷち非日常を楽しんでいる」
「そろそろ温かいコーヒーを飲みに行こう、もちろんお茶請けが楽しみだ、資格勉強も頑張ろう」
#三行詩
○土曜日の午後、マクド
「温かいコーヒーとお茶請けを楽しむ、ビックマックよ大好きだ」
「食後、相変わらず孟子を読む、尽心章句上一も名文だ」
「『其の性を知らば、則ち天を知らん』何度読んでも、ビビビッと心に刺さる」
#三行詩
○土曜日の夕方、帰宅中
「間違いは誰にでもある、人のせいにするか自分に帰するのか、自分に帰するにしろ、何処を原因とするのか、能力か、徳か」
「仁とは能力の大小ではない、人の根本とは徳にあり、徳とは学問により万人が高めることが出来る、徳を高めようとする人はもはや小人ではない」
「故に、孟子は人間平等を唱えたのだ、私のように能力が低ければ低いなりに周囲に仁を広げる道があり、高ければ、果ては天下の民を救う天の道もある」
#三行詩
所感)
■土曜日の正午
冬の雨が降っていて出かける気にならない。
明日、誕生日なので妻はご馳走をつくってくれるらしい。子は毎年似顔絵を描いてくれる。
田舎の母がビールを一ケースを送ってくれた。この歳でも母は母、子は子らしい、嬉しい。
田舎のNから電話あり、私と同じく、この時期はアトピー(アレルギー)が酷いらしい。一つ上の友人が亡くなって通夜に出席したとのこと。等々、昼下りに、なんとなく雑談。
このままでは、また太るし月末は健康診断が控えている。少しウォーキングに出かけようか考えている。穏やかな週末を過ごしている。
■五十二歳をむかえて
儒学を学ぶにあたり気に入っていることが一つがある。
生きている限り、儒家は学ぶのだ。
学ぶとは、常に自らの徳を高め周囲に善いことを及ぼし、ついには天下に仁政を行き渡らせる為に学ぶ。
死後のことなどどうでも良い(亡父もそうだった)、生きている限りは戦う=学ぶのだ。
人間、長く生きていると色々とややこしくなる、色々と縺れてくる。
だからこそ、自らの内を貫き通す一つが必要だと思う。