○日曜日の夕方、8月4日、ウオーキング
子畏於匡、顔淵後、子曰、吾以女為死矣、曰、子在、回何敢死、先進二十三
孔夫子、匡の難(衛の匡で、悪政の挙げ句に逃亡中の陽虎と間違われた孔夫子は、民に五日間包囲された)に遭われる。顔回、遅れてのち孔夫子と合流する。孔夫子はいわれた、(顔回が)死んでしまったのではないかと心配していたのだ。顔回はいう、夫子が生きておられる限り、どうして私が先に死にましょうか。
「顔回という人となりが伝わってくる。ただの君子然の人ではない、肚も据わっている、非常時にもびくともしない、柔らさの内に毅さがある人だ」
#論語
○日曜日の夕方、森
「連日の猛暑、午後から暴雨、雷鳴、雨少し、傘をさして森へ」
「少し涼しさを感じる、子は先に大雨の中をジョギングへ」
「Amazonで大きなバケツ帽子とサングラスを買うが、今日は出番なしか」
#三行詩
○日曜日の夕方、森
「昔から人間嫌い、故に人混みを嫌う、昨今、人間の皮を被り続けるのも大変だ」
「かと言って、一人、部屋で過ごしても、そこにも(鏡には)人間はいる」
「ゴーギャンの絵画に『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』とある。どうやら、今、ここだけでは、人間は辛いらしい」
#三行詩
「猿山のボスと取り巻きがあちこちの猿山を支配下に置こうと群を率いて戦う」
「そして血が流れ過ぎた、もはや相手を絶滅させねば気が済まぬ」
「ここから進化出来ない、何故なら猿は猿なのだ、怒り、憎しみ、復讐こそその本体、道徳は勝者の憐れみなのか、孔夫子の時代も現代も同じだ、変わらない」
#三行詩
「儒学に足らないものは、汎人類的スケールかも知れない」
「道徳により人そのものを進化させる、このくらいでないと、現、猿山の猿の呪いからは逃れ難い」
「人の、根源的な問題解決の思考パターンとは、結局は宗教的な一体化論、或いは汎神論に至ってしまう。詰まる所、いくらシステム(思想、哲学、主義、社会、制度)を良くしても利用者のレベルが低すぎるのだ。根本原因はここにある。或いは、遠からず生まれるであろう、人の手を必要としない自己進化する神、AI。神の子(AI)の出現を知らせる洗礼者ヨハネこそ、人類の役割かも知れない(何と不吉なことだろう、洗礼者ヨハネは、最後は斬首されたのだ)」
#三行詩
○月曜日の朝、通勤
季子然問、仲由冉求、可謂大臣与、先進二十四
季子然は問う、(魯の筆頭家老たる我家に仕える)高弟の子路と冉求は、一国の大臣を務めても余りある優秀な人材ですね。
「季子然 は魯の家老、季平子の子、季桓子の弟。季氏は陪臣でありながら魯の実権を握っていた」
#論語
○火曜日の朝、通勤
子曰、吾以子為異之問、曾由与求之問、先進二十四
孔夫子はいわれた、私は、もっと重要なこと(陪臣が肩力を握り、君主を蔑ろにしている現状)をお話しされると思っていました。高弟の子路と冉求のことですか。
「孔夫子は下剋上の今の魯国の現状を怒っている、このような事を質問する季子然にも不快感を隠そうともしていない」
#論語
○水曜日の朝、通勤
所謂大臣者、以道事君、不可則止、先進二十四
一国の大臣を務めれる人材とは、仁義(道)を以て君主に仕え、(君主が仁義を疎かにした時には)一身を何ら省みることなく(辞職する)君主に直言する者のことです。
「高弟の子路と冉求は、道を誤る季氏に仕えていながら直言もしない。孔夫子は怒っている、そして孔夫子は、仁義を、先王の教えを疎かにする時代の流れ、そのものに逆らおうとしている」
#論語
○木曜日の朝、通勤
今由与求也、可謂具臣矣、先進二十四
高弟の子路と冉求は、(仁義を実践するのが家臣の道とすれば)形式的な人数揃えの類いの学問しかありません。
「愛弟子とはいえ、王を蔑ろにする陪臣に仕えて、彼の蛮行を諌められない、故に間に合わせの家臣レベルだと酷評する夫子」
#論語
○金曜日の朝、通勤
然則従之者与、子曰、弑父与君亦不従也、先進二十四
(ならばと季子然は問う)子路と冉求は(家老の)季氏の命じることであれば何でも従うのですか。孔夫子はいわれた、その父を殺す、或いはその君主を殺すことに従うことはありません。
「命をかけて君主の非道をおさめはしない、それでも、父や国の君主を弑すことはしない。夫子は、今の子路、冉求の学問そのものを述べている」
#論語
所感)
■つれづれ、帰省
子を連れて田舎に帰省する。
駅前で、古くからの友人であるNと昼食。
寿司をたらふくご馳走になる。
大とろ、中とろ握りや雲丹、イクラの軍艦巻き等々を口に入れる、美味し、次に日本酒をグイグイ呑む。
幸せな時間だった。
食後、昔語りしながら周辺エリアを買い物する。
十五歳からの付き合いだが、双方中身は変わらない、会話も変わらない。
昔から残る、今や幽霊屋敷のような佇まいの古本屋さんに寄る。
内野台嶺先生の『四書新釈 大学』を見つける。
購入する。お代二千円なり。
のち、バス停まで見送られ、母が待つ実家へ。
実家で二泊する。
母がご馳走三昧で毎食もてなしてくれた。料理が得意な妹からスペアリブ等々の差し入れもあり、全て美味なり。
ビールをグイグイ呑む。呑んで食べては横になり、オリンピックを観ながら寝る。心身ともにリフレッシュした。
日中、十年前に亡くなった亡父の未整理の遺品を整理整頓する。
共通の趣味であるクラッシック音楽のCDは次回、持ち帰る予定。
囲碁関係の本は、二冊を除いて破棄。
ダンボール箱の底に、幼稚園から中学生までの成績表や卒業アルバム、学生証、卒業証書があり、子と見る。
大学四回生のとき、卒業記念にと合気道部の後輩たちが近くの温泉宿に泊まりがけで連れて行ってくれて、師範やコーチ、含めて部員全員が写った記念写真が見つかる。
主将として中央で微笑む私と、今の姿のギャップに子が驚いていた(当時は全身バキバキに筋肉を鍛えていたとい言っても、今まで信じていなかった)。
諸々、流石に捨てれず、次回、持ち帰る予定。
母は元気そうであったが、前回よりまた身体が小さくなった気がする。
滞在中、度々食卓に上がるお味噌汁は、紛れもなく子どもの時から記憶にある味であった。
刻んだお揚げさんが具であることが多いが、母の好みではなく父の好みであったと初めて知る。
母も自身の年齢を感じているらしく、いつまで手料理で(帰省した子供たち家族を)もてなすことが出来るのか、と不安を口にしていた。
七十七歳、まだまだ健康で長生きしてほしいと、心から思う。
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