○日曜日の夕方、10月6日、自宅
❖ 君子とは何か
何以文為矣、
(棘子成はいう、君子とは本質が優れていれば良いのです)形式的なもの、或るいはお飾りで、君子ともあろう者が何を為せましょうか。
「貴族の棘子成のいう君子の本質とは、(生まれ育ちからくる)徳性であり、文とは、外観、飾り(礼楽)、後付けに過ぎない、本来の君子には不要なものです、と、丁寧な口調ながら暗に儒家を『似非君子め』と馬鹿にしている、なんて嫌な奴なんだろう」
#論語 顔淵八
○日曜日の夜、自宅
❖ 休日はローマに遊ぶ
「終日、『ローマ人の物語』を読み、読書に飽くとアマプラVでドキュメンタリー(動物・恐竜)を観ながら午睡する」
「ローマ人・・を読むと、何故かSFCゲームのポピュラスやシムシティを思い出す」
「同時並行で中公文庫『世界の歴史2、ギリシアとローマ』も読み進めている、副読本は読む世界を広げるように思う」
#三行詩
❖ やっかみから自爆へ
「世に『ローマ人の物語』への批判があることも知る、学識者からは一部間違っていると」
「塩野先生は文中で自らを小説家であり(歴史の)シロウトと述べられている」
「学識者の書く『ローマ史』と塩野先生の『ローマ人の物語』、どちらが面白いのか明白だ」
#三行詩
○月曜日の朝、通勤
❖ 貴族の傲慢に対して
子貢曰、惜乎夫子之説君子也、
(棘子成の君子とは本質であり文『礼楽』は無用との言葉を聞いて)子貢はいう、棘子成のいう君子の説明は間違っています。
「『惜乎夫子之説』(直訳すると、その説は惜しいものですね)と、大夫である棘子成を(一応)立てているのは何ごとも如才なき子貢らしいが、次に続く言葉は、遠慮など微塵もなく棘子成を責め立てる」
#論語 顔淵八
○月曜日の午後、一休み
❖ 変わらない不平等
「『ローマ人の物語』を読み進めている、やはり孔夫子(BC552〜BC479)を思う」
「古代ローマの共和制期(BC509〜AC27)は中国春秋戦国時代(BC770〜BC221)と重なる」
「奴隷(貧困)、市民、貴族の社会構造は、現代・資本主義になっても変わらない、呪いなのか」
#三行詩
○月曜日の夜、自宅
❖ 螺旋する道徳
「結局は被支配層が望む道徳は、終には支配層を、そして社会全体をも呑み込んでしまう」
「そして道徳は、被支配から支配へとその本質を変えてしまう」
「被支配層は再び”、自らが望む道徳を亜流として数多く派生させ、淘汰されたものが再び全てを呑み込むのだ、グノーシスであることは必然か」
#三行詩
○火曜日の朝、通勤
❖ 子貢の指摘
駟不及舌、
(棘子成のいう、君子は質であり文は無用との弁に対して、子貢はいう)貴公の舌禍は、四頭立て馬車の速度より早く世の中に広まりましょう。
「四頭立て馬車の速度とは当時最速、さらに威丈高の意、大夫棘子成の無知・無能振りは、瞬く間に世の中に知れ渡るでしょう、大夫(家老)がこんな無能とは、衛の国も大したことありませんな、と子貢は暗に述べている」
#論語 顔淵八
○火曜日の午前、一休み
❖ ローマからボーグへ
「ローマ人は敵を同質化する(ローマ市民として対等に向かえる)ことにより広大な地を支配した」
「移民を受け入れてきたアメリカ合衆国の強みと既視感はある、しかしあくまで同質化は人に限られる」
「新スタートレックに登場する、全てを同質化するボーグこそ生物の究極の姿、人類の未来像か」
#三行詩
❖ 変異する無双
「ピカード艦長の能力も同質化すれば全てボーグ・クイーンの支配下に出来る、まさに無双だ」
「FCゲームのナムコ三国志は裏技があり、戦闘画面で敵の兵を吸収出来た、これも無双か」
「アトランティスの謎は、無敵コマンドの上で尚且つ死にゲーである、これこそ開発者無双だ」
#三行詩
❖ 来たるべき未来
「新スタートレックのテーマは、もちろんピカード艦長と仲間たちの冒険談である」
「同時にアンド口イドである、データ少佐の成長物語でもある」
「人間の感情、物ごとへの喜怒哀楽こそが人生であり、川の流れの如くやがて仲間は消え去る、そして少佐は永遠の冒険の中でいつか、人間となるのだろうか」
#三行詩
○火曜日の夕方、通勤
❖ 紛う方なき真実
「何をする人なのか、とは自ら仕方なく強いられてを問わず、その人そのものとなる」
「仮に、営業職であれば『Sales-man』であるし、興行師であれば『Show-man』、雨なら『Rain-Man』、晴れ男は『Sunshine-Man』だ」
「何れもお好みに合わないなら、何故、私は『Man』であると言わないのだろう、これこそ紛う方なき真実ではないか」
#三行詩
❖ 人間の本質
「私は人間です、では世の中通じない、何故ならこの星では人間と人間以外で区別されているからだ」
「では、私は道徳(忠恕、自らを誠にして人を思いやること)を学び、実践を心がけている人間です、ではどうだろう」
「職業がどうしたというのか、人間の本質は道徳にあり、私は人間です、と述べることは正しいのだ」
#三行詩 #論語
❖ 自ら考える大切さ
「人間は人間である、しかし自己肯定を他人に求める人の何と多いことか」
「性善、性悪、もはやどうでも良い、人間とは自ら考え行う生き物ではないか、どうして他人の顔色を伺い善悪を選ぶのか」
「人間とは、源にある道徳・徳性を広げることにより自ら完成するのだ、他人ではない」
#三行詩
○火曜日の夜、自宅
❖ 狂気の連鎖
「多様性を否定する、異端を否定することが正統正道唯一の道とする時代があった」
「先人の連なりを否定するに等しい、一道に達した先人も最初は異端、多様性の一から始めたのだ」
「暗黒の時代、安全なところから精神論で140万人の将兵を餓死させた人たちがいた」
#三行詩
❖ 甦る狂信者
「自らは正義であると微塵も疑わない、省みることなき義は義ではない、もはや暴だ」
「将兵の140万人を餓死させて反省もなく、更なる将兵、国民の犠牲を厭わない」
「半藤一利さんのいう、『タコツボ社会における小集団主義の弊害』の系譜を継ぐ者が今もいる」
#三行詩
❖ 歴史とは、正しく学ばねばならない
昭和史、暗黒の時代の教訓を半藤一利さんは以下語られている。
1、国民的熱狂をつくってはいけない、流されてしまってはいけない。
2、抽象的な観念論のみを主体とし、具体的且つ理性的方法論を検討すらしなかった。
3、日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害。
4、国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握していなかった。
5、何か起こった時の、対処療法的な、すぐに成果を求める短兵急な発想。
✳平凡社刊『昭和史1926▶▶1945』より要約
○火曜日の夜、自宅
❖ 真実は何処か
「歴史を学ぶとは善人を褒めて悪人を貶すことではない、その善悪は時代により変わる」
「ヒトラーとナチスは合法的手段(選挙を経て)で生まれた、戦後、個人や組織のせいとするには余りにもその罪は大きい」
「絶対的悪とは戦争であり、理不尽に虐待される弱者、集団はあってはならない、間違っている」
#三行詩
○水曜日の朝、通勤
❖ 君子論と学問の道
文猶質也、質猶文也、
(子貢はいう)君子の学ぶ先王の教え、礼楽とは、君子の本質(徳性)であり、本質(徳性)とは先王の教え、礼楽を学んでこそ本質(徳性)なのです。
「君子とは学問の道(質・文)から生まれるものであると子貢は説いている」
#論語 顔淵八
○水曜日の朝、一休み
❖ 悪の傍系
「アーレントの述べるアイヒマン裁判に視た凡庸な悪とは、日本では少し違和感を覚える」
「731部隊は凡庸な悪だ、彼らは戦後も余生を全うした、では140万人の味方を餓死させた大本営、参謀本部はどうか」
「凡庸な悪とは任務遂行能力はあった訳だが、彼らはその能力すら欠けていた、味方殺しの三流の悪、軍のエリートがこの惨状とは」
#三行詩
❖ 亡国の内部抗争
「幸い私たちは後世の人間として歴史の俯瞰像をみることが出来る」
「皇道派と統制派、陸軍と海軍、軍部内部での権力抗争に追われ、戦争の遂行以前に、やたら有為の人材を左遷・放逐し、軍部という組織自体が危機的状況にあった」
「アテネポリス末期の衆愚政治が思い浮かぶ、人材はいたのに制度が許さず、結局はアテネは滅んでしまった」
#三行詩
○水曜日の夕方、通勤
❖ 興国の入り口付近
「亡国の危機とは、外的要因というきっかけは有るにしろ、結局は内部から崩壊していくことに変わりはない」
「具体的且つ理性的方法論を検討する、解決策はシンプルで良い、PDCAで回せば継続性も付いてくる」
「伝統のお国芸、対処療法が最善とは限らない、原因療法をコツコツと積み上げることから興国の機会となる」
#三行詩
❖ 戦火の教訓
「歴史の積み重ねが、斯くあるが如く軍部の暴走に繋がり、国民的熱狂が更なる後押しをした」
「狂乱の時代、と片付けるには余りにも多くの血が流れ過ぎた」
「戦後七十年を経て、世界中で国家間の戦争が起こり火種が燻っている、歴史は学ばねばならない」
#三行詩
○木曜日の朝、通勤
❖ 虎豹の毛と犬羊の皮
虎豹之鞟、猶犬羊之鞟。
(君子の質(徳性)と文(礼楽)とは)高価な虎豹の毛皮(君子の比喩)でも毛(文)を毟ってしまえば、犬羊の皮(質)と変わらなくなることと同じこと(質文あってこその君子)です。
「虎豹の皮を君子とし、棘子成のいう質のみの君子を犬羊の毛を毟った皮の様なもの、という子貢も中々辛辣であるが、以前に礼楽なにものか、と儒家を馬鹿にした棘子成こそ報いではないか、短い句であるが子貢の人となり、才知の長けたところが伝わってくる」
#論語 顔淵八
○木曜日の朝、乗り換え
❖ 善悪の構造と働き
「絶対的悪とは戦争である、絶対的善とは父母からの慈愛だ」
「悪の根本は全体(集合による利己心)にあり、善の根本は個(一人の人)にある」
「戦争(集団意識)を無くすには一人一人の善性(性善である個)の働きが必要なのだ」
#三行詩
○木曜日の朝、一休み
❖ 隠せない生き様
「顔には業が現れる、これまでの生き様とでも」
「街中を歩くと(今朝)、ごく偶におぞけが走るときがある、何と凄まじき業だろう」
「業があるなら仏様もいるかも知れない、合掌」
#三行詩
❖ デジタルのサバンナ(弱肉強食の世界へ)
「文章とはその人、そのものが表れるものだ、いくら飾ろうが言葉から滲み出ている」
「故に、SNS(X)は面白い、本人の顔姿は見えなくとも、どんな人物であるかは容易に想像がつく」
「心は言葉に、言葉は文字へ、毀誉褒貶など関係ない、ここはサバンナであり多様性の宝庫だ」
#三行詩
❖ アテナ ポリス(都市国家)から現代へ
「政治家や富裕層に直接意見を述べれる場がある、手軽に日常的に垣根なく」
「SNSは政治を国民に近くし、共有化により社会そのものを変える、『直接参加型市民』を誕生させる可能性を秘めている」
「一市民が対等に、政治家や資本家にものを言える時代へ、これこそ民主主義だ」
#三行詩
○金曜日の朝、通勤
❖ そっくりさんと聖徳太子
哀公問於有若曰、
魯の君主である哀公、孔夫子の高弟である有若に問う。
「有若は孔子に風貌が似ていたらしい、学而第一に『有子曰、禮之用和爲貴』(礼の用とは和を以て貴しとなす)とある、この言葉は聖徳太子、十七条憲法第一条の原文でもある』
#論語 顔淵九
○金曜日の朝、乗り換え
❖ 通勤の風景1
「電車で毎朝向き合っている、しかしお互い(何となく)性が合わないので目線を避けている」
「理由はわからない、ゴツい身体に毛深い腕、マスクからはみ出した鷲鼻、黒眼鏡の七三カット、大きなクシャと繰り返されるため息、」
「いけ好かない、顔は草食動物でも身体は肉食系、横柄さが滲み出ている(お互い様だろう)」
#三行詩
❖ 通勤の風景2
「子供の頃、近所にテニスコートがあり、横にある赤土を積み上げた倉庫でよく遊んでいた」
「赤土の匂いが鮮明に甦る、冷やりとした触感も」
「二つ下の妹を連れて来たり、友達と砂山の上から滑ったり、何故、思いだしたかはわからない」
#三行詩
所感)
■つれづれ
土曜日の夕方、古き友人たちと梅田に集まり、酒を呑みマグロを喰らう。
毎日新聞社ビル内にあり、土曜日の夕方であったせいか客も少なく、ゆっくりと会食する。
のち、カラオケ屋さんで3時間、呑んで歌う。
楽しき一夜だった。