論語 顔淵第十二(19〜21)〈白文・意訳・所感〉
『季康子問政於孔子、曰、如殺無道以就有道、何如、孔子対曰、子為政、焉用殺、子欲善而民善矣、君子之徳風也、小人之徳草也、草上之風必偃、』
論語 顔淵第十二 19(全文)
○「季康子問政於孔子、曰、如殺無道以就有道、何如、」
▶魯の国の大夫である季康子、政についていう、国中の無道(非道)な輩を捕まえて殺し、有道(道徳的)の人を篤く用いれば良いのではないか。
❖ 政治の本質は何処に
政治家とは大なり小なり、このように思っている。民と心は別にあり、力で民を支配することが目的だと勘違いしている。
政治とは手段であり、民を幸せに国中を繁栄させる、平和を実現することが目的だ。
手段が目的と化した、特権階級の支配ゲーム、権力抗争、そして苦しむ民、世の中とは何と悲惨なことだろう。
陪臣の身でありながら、君主を蔑ろにして権力を握る季康子は碌でもない人物であるが、現代の政治家(世襲議員や独裁者)も基本的には変わらないのではないか。
○「孔子対曰、子為政、焉用殺、」
▶孔夫子はいわれた、政を為すとは、民を殺すことではありません。
❖ 政を為すとは
孔夫子は戦争を否定する、人を殺すことを否定する、政治で民を殺すなどあり得ないことだと。
生まれた時から罪人などいない、罪を犯す、犯さざるを得ない状況が罪人を生む。
勿論、極悪非道の悪人は法に基づいて罰せねばならない、死刑は必要だ(現実主義は揺るがない)。
しかし政治はそこだけではない。
貧困、格差、差別を無くす、民が笑顔で暮らせる状況へ改めることが政治家の役割だ。
○「子欲善而民善矣、」
▶為政者が善を望めば、民もまた善を望むものです。
❖ 意識を改める
季康子への批判も含むが、孔夫子は下克上の時代そのものを批判し、『善』という価値観、忠恕(自らを誠に、人を思いやる)の実践を、為政者が率先して行うべきだと述べる。
貧困は悪だ、しかし為政者自身が貧困の中で民と共に善を行えばどうだろう(贅沢が目的ではない、君主と民が一つになることが政治だ)。
民の善悪を上から論じ、賞罰で支配を目論む政治家こそ小人そのものではないか。
○「君子之徳風也、小人之徳草也、草上之風必偃、」
▶君子の徳とは風のようなもの、小人は草のようなものです。風が吹けな草は皆なびくのです。
❖ 善悪ともに及ぼす
風という表現が素晴らしい。一方で孟子は源泉から溢れ出る水が(上から下へ)窪地や荒地を満たし、やがて大海に至るとも表現した。
徳とは、仁徳に他ならない。
政治とは、司る為政者、君主が先頭を切って道徳的な規律・規範を示さねばならない。
君主が贅沢に耽り、権力抗争に力を振るえば振るう程に民もそうなる。
社会とは、常に上を見て倣う、善悪ともに、君主の風は民に及ぶ(及ぼす)のだ。
『子張問、士何如斯可謂之達矣、子曰、何哉、爾所謂達者、子張対曰、在邦必聞、子曰、是聞也、非達也、夫達者、質直而好義、察言而観色、慮以下人、在邦必達、在家必達、夫聞者色取仁而行違、居之不疑、在邦必聞、在家必聞、
論語 顔淵第十二 20(全文)
○「子張問、士何如斯可謂之達矣、」
▶子張は問う、達した人物とは、どのような人を云うのですか。
❖ 安易に尋ねる子張
才知ある子張らしく、道に達する、ということが在ることは知る、そして自分の見識が何やら怪しいことも気付いている、故に師に尋ねる。
しかし、過ぎたるは及ばざるが如しの「過ぎたる」子張だけに本気で学問に取り組んでいない、自分は優れていると過信し、安易に質問していることが丸わかりだ、故に次に夫子は、まず自らの見解を述べなさいと、子張の力を視る。
○「子曰、何哉、爾所謂達者、」
▶孔夫子はいわれた、では達した人物とはどのような人なのか述べなさい。
❖ 変わらない子張
子張の力を視る夫子。夫子は弟子の状況をよく理解し、常に弟子が成長する為の最適解を述べられる。汝の意見を述べなさい、とは学ぶ為の準備(繰り返し悩み、どうしても理解らないから師に尋ねる)が為されていない、とまず子張に伝えている。
当然ながら、次の子張の返答は薄っぺらい内容であり、儒家の本質である誠や仁徳とは遠いところに居る弟子に、再度気付きを与えるべく夫子は述べられる。
○「子張対曰、在邦必聞、」
▶子張はいう、国中に評判が聞こえる人物です。
❖ 子張の野望
世に評判が聞こえる人物が、(物ごとに)達した人物であると真顔で答える子張。
比べては子張が可哀想ではあるが天才・顔回や仁義無双・子路とは、余りにも学問が開き過ぎている。
学問の差とは能力ではなく、気性と学問の積み重ねによる。
時代は下克上、子張は自他ともに認める優秀な人間であり、孔門に入り、学問で名を響かせて有力貴族に仕え、政治か外交で華々しい名声と富、権力を得る、夢に取り憑かれている。
子張は、名声を得ることが達する人と本気で思い、未来の自分と重ねていることが理解る。
○「子曰、是聞也、非達也、」
▶孔夫子はいわれた、それは(世間に)聞こえるだけの人であり、達した人物ではない。
❖ 才知高くも名声が大好きな子張へ
孔夫子は何度同じ話しを子張にされたのだろうか、それでも子張は仁徳を理解出来ず、夫子は繰り返し子張に仁徳の道を伝えられる。
名声を得ることは目的でもなく、手段でもない、後から付いてくるもので決して主ではない。
次に、(道に)達することを(外面ばかり見ようとする子張の為に)人物に例えて根本から説かれる。
○「夫達者、質直而好義、察言而観色、慮以下人、」
▶ (物ごとに)達した人物とは、義を好みて実直であり、人の言葉をよく聴いて顔色を察し、何ごとにも慎み深くして、言葉を憚るものだ。
❖ 子張への言葉
明らかに子張と真逆の人物像を述べられる夫子。
子張程度の才知では、万が一にも国政に携わる機会を得ても、命を落とすか悪評を受けて追放されかねない。
子張よ、汝に足らぬところは「慮」、何ごとにも慎み深くして、言葉を憚る姿勢が必要なのだ、と。
○「在邦必達、在家必達、」
▶朝廷で政を行う時にもこの様であり、家に居る時にも何ら変わることはない。
❖ 常在仁の生き方
師の言葉の意味を深く省みる、師の日常の姿から学ぶべきことがある。
名声を追う、そんな薄っぺらい生き方ではなく、常在仁であることに気付きなさい、と。
○「夫聞者色取仁而行違、」
▶(世間に)聞こえる人とは、見かけは仁徳の人を気取った言動をしているが、その内実は仁徳とは違って(私利私欲に溢れて)いる。
❖ 偽物の仁
子張の憧れる姿の、真実を教えている。
これまで、この様な名利を求める人物がどのような人生をたどり世間の海蘊と消えていったか、夫子の脳裏に無数の顔が浮かび、最後に子張が浮かぶのだけは避けようと、更なる言葉を投げかけられる。
○「居之不疑、在邦必聞、在家必聞、」
▶もはや自らの不仁を疑うことすら忘れ(人気取りの言動を繰り返し)、国中に、地元でも評判が高いことを誇りに思っているのだ。
❖ 名利ゾンビは感染する
名利を追う者とは私利私欲に呑み込まれた小人に過ぎない、常に名利で囲まれる為には悪事であろうが関係ない、何が何でもして人気得ようとする。
評判を鼻にかける以前に、他人の評価でし自らを測れない。
もはやゾンビゼミと変わらない。名利という得体不明の細菌を同胞に感染させる、集団、組織、国ですら名利の名の下に崩壊させるのだ。
『樊遅従遊於舞樗之下、曰、敢問崇徳脩慝弁惑、子曰、善哉問、先事後得、非崇徳与、攻其悪無攻人之悪、非脩慝与、一朝之忿忘其身以及其親、非惑与、』
論語 顔淵第十二 21(全文)
○「樊遅従遊於舞樗之下、曰、」
▶樊遅、孔夫子のお供をして、雨乞台の舞を舞う祭壇のほとりを散歩している時にいう、
❖ 夫子、樊遅と散歩する
正直者で礼節を重んじる、質素な生活を送り何とも思わない、孔夫子もその朴訥誠実なところを愛でられた弟子の樊遅は、子路、仕官のちの後釜として高齢の夫子の側に仕えたという。
雨乞いの祭壇のほとりを樊遅と散歩する孔夫子の図、山水画のような風景が目前に広がる。
二人の間に会話はなく、穏やかな静けさの中で周囲の自然を楽しまれている。
○「敢問崇徳脩慝弁惑、」
▶敢えて問います、徳を高め、悪を修め、惑いとは何かを教えてください。
❖ 樊遅の問い
夫子好みの問いだ。夫子は樊遅のような、持って生まれてきたかの様な仁徳の人を好まれたに違いない。一番弟子、子路の後釜だけはあり、夫子と息がぴったり合う感じも伝わってくる。
冒頭の「敢えて問います」から、樊遅なりに考え抜いた上で質問していることが理解る。
質問は、樊遅にとってどうすれば良いか…という問いであり、誠実な樊遅が自らの悪と、惑いに苦しんでいることが伝わってくる。
○「子曰、善哉問、先事後得、非崇徳与、」
▶孔夫子はいわれた、善き問いだ。行うべきことを先にして、得ることは後にする、徳を高めることだといえる。
❖ 樊遅の仁
夫子の答えは樊遅の鏡のように感じる。最初に「善き問い」だ、と褒めているところから前句(顔淵第十二 20)の子張との差が理解る。
もとより樊遅が得ること願う人物ではないことを夫子は知っている。
樊遅の徳は十分に高いのだ、故に先と後の為すこと、仁の実践こそ徳を高めることであると夫子は述べられた。
○「攻其悪無攻人之悪、非脩慝与、」
▶人の悪を責めるのではない、自らの悪を責めることが悪を修めることいえる。
❖ 樊遅の仁義を広げる
次に樊遅自身が苦しんでいる、世の中に溢れている悪に対して、どう向き合えばよいのかを夫子は述べられる。
悪は自らにあり、他人の悪を責めることは自らの悪から目を逸らす、自らの悪から逃げる行為に他ならない、故にまず自らの悪を責めなさい、と。
他人の悪は、自らの悪を修めて仁を広げる、仁を及ぼすことにより改めさせるものだ、と。
○「一朝之忿忘其身以及其親、非惑与、」
▶一時の怒りで我を忘れ、周囲に蛮行を振るい、その咎が父母に及ぶ、惑いといえる。
❖ 腕っぷし樊遅
次に惑いとくる、徳を高める(仁)と悪を修める(義)の次に、何故、樊遅は礼に至らないのか。
「一朝之忿」とあるからには、おそらくは前任の子路と似たようなタイプ、元来は武人気質であると思われる。
腕っぷしが強い樊遅にとってみれば、大兄貴分である子路こそ憧れの姿であり、子路と同じく過去が惑いなのだ。
夫子の返答は妙に尽きる、結果論から述べらているのは、樊遅よ、過去を認め、省みて、改めよと述べられているのだ。
そして夫子は敢えて礼に繋がない、この惑いを越えた先に、樊遅の礼がある、物ごとを尊ぶことを知り、尊ぶことを実践する、自ら規律・規範となる、また一歩君子に近づくと知っておられるのだ。