四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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論語 顔淵第十二(4)〈白文・意訳・所感〉

論語 顔淵第十二(22〜24)〈白文・意訳・所感〉

 

『樊遅問仁、子曰愛人、問知、子曰知人、樊遅未達、子曰、挙直錯諸枉、能使枉者直、樊遅退、見子夏曰、嚮也吾見於夫子而問知、子曰、挙直錯諸枉、能使枉者直、何謂也、子夏曰、富哉是言乎、舜有天下、選於衆挙皐陶、不仁者遠矣、湯有天下、選於衆挙伊尹、不仁者遠矣、』

論語 顔淵第十二 22(全文)

 

○「樊遅問仁、子曰愛人、問知、子曰知人、」

▶樊遅、仁を問う。孔夫子はいわれた、人を愛することだ。次に知を問う。孔夫子はいわれた、人を知ることだ。

❖ 自らを知る樊遅

何故、樊遅は仁と知を夫子に問うたのであろうか。

仁は聞き返していない、愛するとは父母から受けた慈愛を人へ広げることと理解している。

仁の実践とは忠恕、自らを誠に人を思いやることであり、子路と同じく樊遅も、もって生まれつきの実直、誠実さ、行動力に恵まれてはいる。

であれば、何故、次に知を問うのか、知こそ、自らの能力で足らぬ、実践するに遠いと理解しているからだ。

武人、武侠である子路と同じく経書をじっくりと読む、経書から学ぶことが苦手であったことも影響している。

しかし、自らの足らぬを知る、樊遅の学問は確実に進んではいるのだ。

 

○「樊遅未達、子曰、挙直錯諸枉、能使枉者直、」

▶樊遅、知、人を知ることの意味が分からない。孔夫子はいわれた、実直な人物を(知り)取り立て、不仁な者の上にする、不仁な者もやがては実直になるものだ。

❖ 樊遅の成長

この46年歳下の愛弟子に夫子は、曲がった木を、上に真っ直ぐの木を置いて直くする例を例えに知を述べられる。

学問が進んでいる実直、誠実な樊遅に、そろそろ世に出て(仕官して)、汝の実直さで世の中の不仁を直くするがよい、とも取れる。

また、人を知る、から子夏のように経書の故事が出てこない樊遅に、じっくりと経書に取り組む必要はある、とも取れる。

知という意味では、世に出て世間を知ることも知なのだ。

 

○「樊遅退、見子夏曰、嚮也吾見於夫子而問知、」

▶樊遅、夫子の前を退いてのち、高弟の子夏を見ていう、先ほど夫子にまみえ、知を尋ねました。

❖ 子夏登場

穏やかで温厚、思慮深く、経書を深く学び、礼楽に通じて学問に長けた高弟子夏が登場する。

のちに孔夫子の継承者として、孔夫子の教えを体系化し、後世の儒学者に大きな影響を与える。

また、多くの弟子を育て、儒学の基礎を築いた。

正直者で腕っぷしの強い樊遅と、プロフェッサー子夏との組み合わせは奇妙な感もあり、たまたま出会った気がする。

体育会系の樊遅からすれば渡りに船、といった感で、いつも経書にどっぷり浸かっている文系の子夏に尋ねるのだ。

 

○「子曰、挙直錯諸枉、能使枉者直、何謂也、」

▶夫子はこういわれました、実直な人物を(知り)取り立てて不仁な者の上にする、不仁な者もやがては実直になるものだ、と。どのような意味なのでしょうか。

❖ 様々な仁

何故、樊遅はこの比喩が理解出来ないのだろうか。

自らの徳を周囲へ及ぼすということ(仁徳を広げる)、次に君子としての行い(仁徳の政治)、更に世の中を変える(天下を泰平にする)、未だ儒家大義まで学問が追いついていない。

目の前の世界で、正直、誠実に生きる、行動することも仁であるが、樊遅の文の弱さは否定出来ない。

しかし、それでも良い、そういう仁もあると、夫子は温かく樊遅を見守っている。

 

○「子夏曰、富哉是言乎、」

▶子夏はいう、何と学び豊かな言葉でしょうか。

❖ フリークは熱狂する

子夏は孔夫子に学べることが嬉しくてたまらない。

夫子とお会いして困惑した顔をしている樊遅から、さっそく夫子のお言葉を仕入れる。

根っからの研究者タイプであり、経書の文字の沼に没入してはいるが、以上に生きている聖人である孔夫子のことは全て収集し、分析し、体系化して後世に伝えることが自分の使命・天命であると自覚している。

樊遅より夫子が述べられた「挙直錯諸枉、能使枉者直」との言葉の意味を瞬時に理解し、「富哉是言乎」と感動して叫ぶなど、孔門下、随一の孔夫子フリークだけはある。

 

○「舜有天下、選於衆挙皐陶、不仁者遠矣、」

▶帝舜の頃、帝舜は実直で知られる皐陶を司法長官の職につけると、天下の不仁の者は何処かへ消えてしまいました。

❖ 子夏の選択

子夏の学識の高さが伝わってくる。

「挙直錯諸枉、能使枉者直」との夫子の言葉から帝舜の数ある優秀な部下から皐陶をチョイスする学問の積み重ねは見事としか述べようがない。

以下、帝舜の主だった部下であり、法制度の整備、司法の確立、道徳的な指導といった業績を省みれば比喩として皋陶が適切であることが理解る。

・禹∶治水工事で13年間各地を巡り、河川を整備して大洪水を治めた。

・皋陶:法曹の祖とされ、刑法制度を確立した人物。舜帝から刑罰の執行を任され、公正な裁判を行った。

・益:水利工事に長け、洪水対策を行う。九戸の野に水を引くなど、農業の発展にも貢献。

・夔:音楽の祖とされ、楽器である夔鼓を創製し、その音色で百鬼夜行を鎮めた。

 

○「湯有天下、選於衆挙伊尹、不仁者遠矣、」

▶また、殷王朝を開いた湯王は、元料理人であった伊尹を取り立てて政を補佐させると、天下の不仁の者は何処かへ消えてしまったのです。

❖ 天下を正すシェフ伊尹

湯王は殷王朝の創始者であり、夏王朝を滅ぼし、殷王朝を建国した。夏王朝最後の王である桀王の暴政を討ち、民を救う。

伊尹は夏王朝から殷王朝にかけて活躍した人物。

・優れた政治家・料理人。

夏王朝最後の王、桀王に仕える。

・桀王の暴政に失望し、殷の湯王に仕える。

・湯王を補佐し、殷王朝の建国に貢献。

・優れた政治手腕で殷王朝を安定させた。

・料理の腕前も優れ、湯王の為に料理を作った。

この顔淵第十二 22のテーマは、夫子に知を樊遅が問い、夫子は「人を知ること」と述べられことだ。

湯王は歪んだ天下を直す為に伊尹を、天下の上に置き腹心として政治を行なわせた。

知、人を知ることとは、天下すら治めてしまう。

そして「挙直錯諸枉、能使枉者直」の例として子夏が即答したこの知こそ、夫子の目指され、門弟たちに託した悲願でもある。

省みれば、確かに子夏が、「富哉是言乎」と叫んだのも納得ができる。

そして、即答で伊尹が浮かんだ子夏の学問の積み重ねも相当なものだ。

ただ、文が足らぬ樊遅に、子夏いうことの何処まで理解出来たか、おそらくは無理な気もする。

 

『子貢問友、子曰、忠告而以善道之、不可則止、無自辱焉、』

論語 顔淵第十二 23(全文)

 

○「子貢問友、子曰、忠告而以善道之、」

▶子貢、友を問う。孔夫子はいわれた、誠を以て告げ、善道に導くことだ。

❖ 友とは

そもそも何故、子貢は夫子に友を問うのであろうか。

夫子晩年、孔門、門下三千人と評される大世帯となり、学問の道を学ぶ集団から、立身出世の為の私塾のような形態になりつつある現実を踏まえ、改めて友を夫子に問うたのだ。

そこで夫子は答えられる、共に成長していく為の友でなければならない。

論語 学而第一 1にある、

「子曰く、学びて時に之を習う、また説ばしからずや。朋遠方より来たる有り、また楽しからずや。人知らずして慍みず、また君子ならずや。」

友とは、学ぶ仲間でなければならない。

学ぶ目的は何か、自らの仁義を広げる、周囲へ及ぼす、家を治め、地域を治め、国を治め、やがては天下を泰平にするのだ。

その為に同じ方向を歩む友こそ友であると夫子は述べられている。

 

○「不可則止、無自辱焉、」

▶悪いことを止めても聞く耳を持たない、であれば友ではない人に忠告をしているのだ、自らをこれ以上恥ずかしめる必要が何処にあろうか。

❖ それぞれの道

孔夫子の没後に孔門は分裂する。それを予期しているかのようにも取れる。

後継者、顔回亡き後、個性豊かな、方向性も異なる弟子たちは、それぞれの方向に分かれていく。

 

【孔夫子の弟子の特徴】

顔回閔子騫冉伯牛、仲弓

徳行を重んじ、仁義礼智信を重んじ、実践しようとした。

・子貢 、宰我

言語に秀で弁舌に巧みで、説得する能力に長けていた。

子路冉有

政事に長け、政治手腕に優れ、実務能力が高い。

・子夏、子游

文学(学問)に長け、学問を好み、経書や礼楽に通じていた。

 

曾子曰、君子以文会友、以友輔仁、』

論語 顔淵第十二 24(全文)

 

○「曾子曰、君子以文会友、」

曾子はいう、君子とは学問の道、詩経書経礼記・楽記を学び合う人を友とします。

❖ 生きた学問

学問の道とは、経書を学ぶ、実践する、省みる、改める、見事なまでにPDCAを繰り返すことに尽きる。

自らの地力を上げる、とは、自らの仁徳を広げる、日常生活で経書から学んだことを実践することに他ならない。

故に、同門の友とは、共に学び、共に実践し、共に省みる、共に改めることが出来る、同じ道を歩む戦友ともいえるのだ。

 

○「以友輔仁、」

▶仁徳を共に広げ合える人を友とするものです 

❖ We Are The World

一人善い行いを楽しむ、家族と善い行いを楽しむ、友と共に善い行いを楽しむ、地域の人たちと共に善い行いを楽しむ、

仁徳を共に広げるとは、善い行いを楽しむのだ。

1から始まり、最後は国の億、そして天下の82億人(2024年世界人口)が善いことを楽しむ。

これが孔夫子の仁である。

 

We Are The World】(1985年)

【英訳/和訳】

There comes a time when we heed a certain call

今こそ呼ぶ声を聴く時

 

When the world must come together as one

世界が一つになるべき時

 

There are people dying

死にゆく人々がいるから

 

And its time to lend a hand to life

今こそ手を差し伸べる時なんだ

 

The greatest gift of all

命という素晴らしい贈り物へ向けて

 

We can't go on pretending day by day

知らないふりをして日々を送るのはもう終わりさ

 

That someone, somewhere will soon make a change

誰かが、どこかで変えてくれるなんてのは

 

We are all a part of Gods great big family

僕らはみな神の一部であり家族なのだから

 

And the truth, you know,

それが真実なんだ、わかるだろ

 

Love is all we need

愛こそが本当に僕らが必要としているものなんだ

 

[Chorus]

We are the world, we are the children

僕らは世界とひとつ、僕らは子供

 

We are the ones who make a brighter day

僕らこそが 輝ける明日を作り出せるんだ

 

So lets start giving

だから与えることを始めよう

 

There's a choice we're making

僕らの選択が創りだす

 

We're saving our own lives

それは自分たちの人生を救うことで

 

Its true we'll make a better day

それこそが真に良い日々を作るんだ

 

Just you and me

君と僕からはじめよう

 

Send them your heart so they'll know that someone cares

君の心を伝えるのさ そうすれば彼らは誰かが助けてくれることを知るだろう

 

And their lives will be stronger and free

そして彼らの生は強く自由になってゆく

 

As God has shown us by turning stones to bread

神が石をパンに変えることで示してくれたように

 

So we all must lend a helping hand

僕らも救いの手を差し伸べる時なんだ