四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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論語 子路第十三(2)〈白文・意訳・所感〉

論語 子路第十三(4〜8)〈白文・意訳・所感〉

 

『樊遅請学稼、子曰、吾不如老農、請学為圃、子曰吾不如老圃、樊遅出、子曰、小人哉樊須也、上好礼則民莫敢不敬、上好義則民莫敢不服、上好信則民莫敢不用情、夫如是則四方之民、襁負其子而至矣、焉用稼、』

論語子路第十三4(全文)

 

○「樊遅請学稼、子曰、吾不如老農、請学為圃、子曰吾不如老圃、」

▶樊遅はいう、穀物の育て方を教えてください。孔夫子はいわれた、老いた農夫に私は及ぶまい。樊遅はいう、では野菜の育て方を教えてください。夫子はいわれた、老いた農夫に私は及ぶまい。

❖農業を問う樊遅

何故、経書を通して先王の教えや礼楽、学問の道を教授する夫子に、農作物の育て方を樊遅は請うたのであろうか。

おそらくは(後の文脈から)飢餓に苦しむ民を見て心を痛め、彼らに農作物の育て方を教えれば、飢餓に苦しみ人が少なくなる=夫子も賛成してくれるはず、との思いからと思われる。

腕っぷしは強く、実直誠実な(ただし文に弱い)樊遅らしき問いではある。

 

○「子曰、小人哉樊須也、」

▶樊遅、退室のち孔夫子はいわれた、樊須の学問はまだまだであるな。

❖小人の意味するところ

夫子は樊遅の思いは気付いておられる。樊遅は判りやすい男だ、その上で学問の道、孔門に学ぶ意味、目の前の飢える民を救うのではない、国中の飢える民を救う、ひいては天下の飢える民を救う方法を説いている夫子を理解していない樊遅を「小人哉」と声に発せられた。

言い換えれば、目の前の飢餓に苦しむ民に思う気持ちは夫子も樊遅も変わらない、あとはスケールの違いであり、目の前しか見ない樊遅に、この場合、期待を込めた分、腹立たしさを感じておられる。

 

○「上好礼則民莫敢不敬、」

▶為政者が礼を好み何ごとにも礼に則れば、為政者を敬しない民などいない。

❖礼を好む

為政者と民が一つになってこそ国は栄える。

民の幸せを願う為政者の国が栄えれば、民が飢えることなど無くなる。

その為にも為政者は、礼儀を好み、民の規範・規律とならねばならない。

規範・規律を示す為政者を尊ばない民などいない。

 

○「上好義則民莫敢不服、」

▶為政者が義を好み何ごとにも義に則れば、為政者に服しない民などいない。

❖義を好む

自らの悪を憎み、自らの悪を正すのが君子の義だ。

義を好む為政者とは、常に自らの悪を正す、他人の、民の悪を正すのではない。

礼と同じく、自ら規律・規範を示す為政者に服しない民などいない。

 

○「上好信則民莫敢不用情」

▶為政者が誠実であること(信)を好み何ごとにも誠実も以て則れば、為政者に誠実にならない民などいない。

❖信を好む

自らを誠にして民を思いやる(忠恕を実践する)為政者がいて、民がその徳の影響を受けずにおられようか。

そして民自身も為政者に近付きたい、為政者の様な誠実になりたいと願うことは、必然ではなかろうか。

 

○「夫如是則四方之民、襁負其子而至矣、」

▶何ごとも礼と義、信(誠実)に行う為政者がいると聞き及べば、四方の民がその為政者の徳を慕い、幼子を背負ってでも為政者の下へ集まるものだ。

❖君子を待ち望む民

国とは人であり、人とは君主と家臣(為政者)と民の関係に他ならない。

仁政の国に、仮に飢饉がきたとしても、民と共に飢え、問題を解決しようとする為政者であれば、何にしろ乗り越えることは出来よう。

一方で現実の君主と家臣は、自らの食料を得ようと飢饉に苦しむ民にさらなる重税を課している。

礼と義、信(誠実)を行う君主の国が現れれば四方の民は皆、その王の下え集まるのは自明の理ではないか。

 

○「焉用稼、」

▶どうして、農作物を耕す必要があろうか(政治によって多くの民を救うのが、学問の道である)

❖孔夫子の嘆き

ここで樊遅の言葉に戻る。

苦しむ民を思う気持ちは変わらない、根底からこの地獄を変えようと、先王の教え、儒学を創始して実践するも、天命か、君子には終に出会えず高齢になってしまった夫子は、門下の弟子たちに、救世の望みを託そうとしている。

実直誠実な長所をもつ樊遅ではあるが、文が足らず、礼、義、信の価値に気づかず、とうとう農作物の育て方を夫子に尋ねる始末では、思わず夫子が、なんと小人のままなのか、と嘆かれたお気持ちも十分、理解出来る。

 

『子曰、誦詩三百、授之以政不達、使於四方不能専対、雖多亦奚以為、』

論語子路第十三5(全文)

 

○「子曰、誦詩三百、」

▶孔夫子はいわれた、詩経三百篇ある経書も(大変な努力を積み重ねた挙げ句に)ただ暗唱出来ただけでは、

❖孔夫子の嘆き

何故、夫子は詩経を重要な経書としながらも、暗唱しただけではないか、と批判的な言葉を述べられたのだろう。

外には下克上の世の中で、本来であれば徳の見本とならねばならぬ王族・貴族の腐敗がある。

名門の子弟としての教養は詩経書経、春秋の経書を学ぶことであるが、今の有り様はどうか、酷いものだ、と。

内には孔門三千人と云えども、実質夫子の教えを引き継ぐ志、誠を抱けたのは五〜六十人足らずであり、多くは立身出世の為に孔門を叩き、詩経を学ぶも、その本質を理解していない、と。

 

○「授之以政不達、使於四方不能専対、」

▶君主から授かった政命も十分に行えず、四方の国に遣わされても使者としての役割を果たすことも出来ない。

詩経とは

詩経三百篇を学ぶ、身につける、実践するとは、どのようなことかを夫子は述べられている。

論語、為政第二2にこうある。

『子曰く、詩三百、一言以て之を蔽う、曰く、思い邪 無しと。』

詩経を学ぶとは、第一に先王の教え、誠、道徳を学ぶ、実践することに他ならない。

次に、思想、価値観、美意識の共有。人間の本質を詩経三百篇を学ぶ、自らのものにすることだ。

故に、為政者としての常識を身につけて道徳的な政治を行うことが出来ようし、他国へ使者として赴いても、共有美意識である詩経は使者の資質、言い換えれば使者を派遣した君主の威信にも繋がる。

 

○「雖多亦奚以為、」

▶(経書の内容を実生活に活かす本来の目的を理解せず)文章を暗記するだけとは、何と無意味なことだろうか。

❖目的は何か

ここで現在に戻る。詩経三百篇を学んでも、ただ暗唱するだけで、為政者としての根本(誠)なく、使者として外国へ赴いても、礼儀作法一つまともに出来ない、何ら人としての深み、道徳性を開花していない王族・貴族の子弟や、立身出世に目をギラギラさせる門弟に対して、夫子はいわれる、なんと無意味なことか、と。

学問の道とは、誠、志あっての学問であるち、夫子は嘆かれている。

 

『子曰、其身正、不令而行、其身不正、雖令不従、』

論語子路第十三6(全文)

 

○「子曰、其身正、不令而行」

▶孔夫子はいわれた、為政者としての思い行いが正しいのであれば、それを見て民も不正をせず、命令を下さずとも正しいことが行われる。

❖本来の姿

正しさとは何か、公正無私の誠からくる思いやり、実践に他ならない。

勿論、自己に向けてではない、為政者と民を思いやる、民の喜び悲しみを我がものとする、故に思い行いが正しければ、民に不正はなく、命令を下さずとも正しさは行われる。

 

○「其身不正、雖令不従、」

▶しかし、為政者の思い行いが正しくなければ、それを見て民も不正をし、命令しても従うことはない。

❖物ごとは対にある

そこで、現在が述べられる。民や家臣の不正を嘆く、罰するより、政治とはまず、君主(為政者)自らが、自らの内側を正さねばならない。

命令を下す、とは正しき者が下してこそ、その命が行われ、守られるものだ。

現在の様な、不正、私利私欲の為政者が下す命令に、果たして従うことが正しいのか、自らに問い質すべきである、とも解釈出来る。

論語は面白い、噛めば噛むほど味が染み出す。

 

『子曰、魯衛之政兄弟也、』

論語子路第十三7(全文)

 

○子曰、魯衛之政兄弟也、

▶孔夫子はいわれた、周公旦の子、伯禽を開祖とする魯と、周の武王が弟、康叔を開祖とする衛とは、政に於いても兄弟の様なものだ。

❖先王の教え

魯と衛の政治が、君主が、かつて(先王の時代)の様に正しくあれば、兄弟が手を取り合って、この乱れた天下をも正すことが出来ように。

権力を陪臣が握る魯、王位を争い泥沼の権力抗争を繰り返す衛、今日の惨憺たる有り様はどういうことだどうか、と夫子は述べられている。

そして、故に、この乱れた世を正すのは先王の教えを学ぶ、実践する我ら孔門(弟子たち)にある、とも取れる。

 

『子謂衛公子荊、善居室、始有曰苟合矣、少有曰苟完矣、富有曰苟美矣、』

論語子路第十三8(全文)

 

○「子謂衛公子荊、善居室、」

▶孔夫子はいわれた、衛の王族であり大夫でもある公子荊という人は、家を治めることに長けている。

❖王族にも人はいる

何故、夫子は、合・完・美との三段階に分けて身の程を知る、質素倹約を美徳とする公子荊を、ここまで褒めたのであろうか。

時の王族・貴族の余りにも華美、贅沢、周王朝の対する不遜を嫌ったに他ならない。

王族である公子荊が、その気になれば口利きや依怙贔屓で莫大な財産を築くことは安易であり、

多くの王族・貴族がそのように財を築いている中で白眉の存在であったのだろう。

 

○「始有曰苟合矣、」

▶財産が出来て最低限の家財が家に来た時に、ようやく間に合ったようだ、と述べた。

❖世の中を知る公子荊

足るを知る公子荊は、最低限の家具で、ほっとしている。その『苟合矣』という言葉から、彼の善性を知ることが出来る。

また、彼は世の中を知っているのだ。贅沢は王族・貴族ばかりで、民は飢えて貧困に苦しんでいる。

故に、『苟(いささ)か合(あつ)まれり』との言葉が自然と出る。

 

○「少有曰苟完矣、」

▶少し財産が貯まって、もう少し家財が家に来た時に、ようやく揃ったようだ、と述べた。

❖満足している公子荊

更に公子荊はいう、『苟(いささ)か完(まった)し』と。

最低限の暮らしさえ出来れば満足なのに、更に揃っようだ(もう十分に満足している)、と。

最初の「合(あつ)まれり」から、次に「完(まった)し」と全く振れていない。

 

○「富有曰苟美矣、」

▶大きな財産が出来て、人並みの家財が家に来た時に、いささか華美になり過ぎている、と述べた。

❖孔夫子の述べたいこと

最後に公子荊はいう、「苟(いささ)か美(よ)し」と。

公子荊は、政治を志している。何故ならば、苦しむ民を救い、国を立て直す思い、志があるからこそ、人並みの財産に執着がない。

夫子は、公子荊の人間性を見事に見抜いている。

この句は、単なる質実倹約を勧めるものではない。

政治家として必要な資質を述べられている。