○火曜日の朝、通勤
「2020年に購入した通勤鞄のジッパーがバカになる、今まで良く持ってくれた、有難うご苦労さま」
「高級ブランドでもない、無骨で頑丈、機能本位、こういう鞄が好きだ」
「同じタイプは販売中止、同じメーカーの少し大きいものを買う、順当なら次は2028年の予定か」
#三行詩 20241105
「夜、体調を崩してくしゃみ止まらず阿寒あり、早く床につくもよく眠れず、冷や汗」
「途中、うつらうつらと悪夢みる、おぞましい、六字を小声で唱えていたら再びうつらうつらと」
「目覚まし時計の音にほっとする、今朝も寝坊せず出勤出来そうだ、血圧高し」
#三行詩 20241105
○水曜日の朝、通勤
「コンビニでスイーツに目が止まる、約三百円也、少し迷って買う、心弾むのは何故だろう」
「田舎のNに二通メールする、予言しようトランプ氏が勝つ・予言しようハリス氏が勝つ、と」
「今週は三連休食べ過ぎの影響下にあり血圧高し、朝は結構肌寒い、明日は下に何か着よう」
#三行詩 20241106
「昨夜は子と料理を競う、下味を付けた豚脇腹肉を子はカリカリに揚げる、私はオーブンで焼く」
「フライパンに残った豚油に刻んだ油揚げとモヤシを入れて軽く炒めて塩コショウ」
「炊き立てのご飯とともに三人で食べた、ジャッジ妻は子に采配を上げる、g/99円は正解だった」
#三行詩 20241106
○水曜日の朝、乗り換え
「車内、咳が止まらぬ人あり、抑える素振りもなく撒き散らす、周りの視線集中するも動じず」
「ココナッツ風香料をふんだんに使用している若い男性あり、お菓子ではないのだ、臭いに困る」
「対面に座った人、組んだ脚を激しく揺らしているダンシングという言葉浮かぶ、歌でも唄おうか」
#三行詩 20241106
○木曜日の朝、通勤
「寒い、北風小僧の寒太郎を口ずさみながら駅に向かう、Welcome寒太郎」
「深夜、血圧高いので座禅組む、結果的には数値変わらずもメンタル上がる。」
「米国一番大統領再び、何でも良いが、まず戦争終結へ、出来得る立場なら早急に」
#三行詩 20241107 #戦争反対
「この寒さで半袖のお馴染みさんあり、メガネ草食動物顔にマッスルボデイ、謎だ、何者だろう」
「顔は銀行員系、服装はサファリツアーの添乗員風、スパイとか(否、目立ち過ぎる)」
「まともな勤め人には見えない、知性的筋肉マンの通う先が想像出来ない、いよいよ宇宙人かも」
#三行詩 20241107
○木曜日の午前、一休み
「政治家とは
1、 国民全体の利益を優先
2、 長期的な視点
3、 倫理観と責任感
4、多様な意見を尊重」
「政治屋とは
1、自身の利益や特定のグループの利益を優先
2、短期的な視点
3、倫理観の欠如
4、対立を煽る」
「なるほど、絶望しか感じない、まだ米国の方が理解りやすい分(だけ)ましかも知れない」
#三行詩 20241107
○金曜日の朝、通勤
「気温10度、私は寒さに強い、何故なら我慢しないからだ、着膨れして外へ」
「股引きを心強く思う、ダウンが間に合わない分、インナーを重厚に装備した」
「私は意地悪なので、薄着通勤で震えている人を見ると嬉しくなる、ふふふっ」
#三行詩 20241108
○金曜日の夜、自宅
「ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、グールド、もはやこの世を超えている、あり得ない」
「悪魔と契約したのか、或いは神の恩恵をその身一つに受け給うたのか、美の狂気すら感じるのだ」
「故に、大道正義、鍵盤の獅子王、ヴィルヘルム・バックハウスが人類に存在する、これこそ音楽である、この道を進むべし、正道を歩もう」
#三行詩 20241108
○土曜日の夜、自宅
「○○ガスを名乗る人あり、チャイムを鳴らし、ガス点検である、取り敢えず扉を開けてくれ」
「聴いてない、連絡してる、書類を見せるから扉を開けてくれ、敬語・丁寧語も明らかに変」
「○○ガスに電話する、当社ではありません、なるほど、日本もこういう時代らしい、大阪もいよいよ危ないということか」
#三行詩 20241109
○日曜日の朝、ウオーキング
「秋晴れの空の下、近所の氏神様にお参りへ、のち森を抜けて駅前へ向かう、お腹が空いたのだ」
「昨日は図書館で貸し出した本を読む、単に読むとは知識が増えるだけで、五十を越えると厳しいと感じる」
「無作為に本を読めるとは若さの特権か、と思えるのは一冊の本に出会え、ずっとその一冊と向き合えるようになったからかも知れない」
#三行詩 20241110
○日曜日の午前、マクド
「最近、どうも流れが良くない、自らを原因としないつまらぬことばかり起きてしまう、南無三」
「しかし、運が悪い、お金がない、泣きっ面に蜂、何れもここ三十年変わらないこと」
「壁は乗り越える、逃げ出す、或いは壁そのものを壊してきた、故に、自己肯定と開き直りは揺るがない、積み重ねは裏切らない」
#三行詩 20241110
所感)
■つれづれ、死生観、連なり
何をしても流れが良くない時はある。
若い頃、住吉神社に初詣でに行き、おみくじを引く。
3回引いたが、全て大凶であり、たかがおみくじ、と木で鼻をくくっていたら、文字通り最悪の年となった(以来、おみくじは引かない)。
若い時は積み重ねが無い分、妙に神頼みとか不可思議なナニカに願うこともあったが、歳を重ねると異なる見解を抱くようになる。
人間、死ぬときは死ぬのだ、人様にご迷惑をかけない、自己一身で済む話しなら、さっさと死ねば良い、と。
別に人生を悲観しているわけではなく、実際そうだから、そう思うだけだ。
朝、出勤する前に、亡父の写真に語りかけている。
母や兄妹のこと、子のこと、大概は、元気にしている、とか、実力テストの成績が良くなかった、とか、他愛もないことを話す。
毎日、写真の中の父の表情は異なる(気がする)。
最後に、ひょっとしたら、これで生きては家に帰れないかも知れない、と、父の笑顔を見ながら腹を括るのだ。
馬鹿なことを、と笑う父の顔もあれば、死人の様に(確かに死んでいるが)無表情に無視する様な顔の時もある。
亡くなることは、親が子に教える最後の教えらしいが、確かにそう思う。
生前の父とは、全く、仲は良くなかった。
外面は良いが、家では会話が成立しない人であったと思う。
特に成人してからは、余命宣告を受けてからも、例えば、病床で適当な話しをしようものなら「つまらん話しはするな!」とぷいと横を向く。
我が父ながら、木で鼻をくくる性格であったが、確かに言葉に重みはあったし、人を赦すことを知っていた様に思う。
皮肉なことに、父との会話は、亡くなってから、遺影との会話の方が多い。
何故なら、もう父は聴くしかない、言葉を発せないからだ(表情は変えるが)。
亡父の例があるので、子とは積極的にコミュニケーションを心がける。
私が38歳で生まれた子なので、子が成人してから付き合える時間が少ないこともある。
亡父のことも、嘘偽りなく話す。
いつかは、私も冷たくなって病床に横たわり、子が私と同じ様に、私の頭を撫でることも知っている。
故に、毎朝、亡父と話すのは「連なり」なのだ。
亡父と話すことにより、いつかは私も遺影となって、社会に出て人生の大波に漂う子と話す自分にも繋がる。
子には何でも話すので、この話しもしたが、やはり15歳では分からない。
勿論、分からなくて良い、分かる時が訪れれば、理解かるのだ。