四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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論語 子路第十三(6)〈白文・意訳・所感〉

論語子路第十三(24〜30)〈白文・意訳・所感〉

 

『子貢問曰、郷人皆好之何如、子曰、未可也、郷人皆悪之何如、子曰、未可也、不如郷人之善者好之、其不善者悪之也、』

論語子路第十三24(全文)

 

○「子貢問曰、郷人皆好之何如、」

▶子貢はいう、郷里の人、皆に好かれる人はどうですか。

❖ 子貢の悩み

何故、子貢が、郷里の評判の良し悪しで人の善悪を判断する方法を夫子に尋ねたのだろうか。

・善悪の人に好かれる。△

・善悪の人に憎まれる。△

・善に好かれ、悪に憎まれる。○

子貢は優秀な人だ、恐らくは何か出来事があり集団意識の難しさ(倫理意識)と、為政者として正しい道の歩み方に、子貢なりに悩むことがあったに違いない。

更に、リーダーシップ論として全ての人の好かれるのは理想ではあるが、悪人にも好かれるというジレンマに対して、夫子はどのような考えであるかを知りたかったのだ。

 

○「子曰、未可也、郷人皆悪之何如、」

▶孔夫子はいわれた、十分ではない。

子貢はいう、では郷里の人、皆が悪む人はどうですか。

❖ 変化球の質問

ここで、ユニークな質問をする子貢。

為政者足る者、民のご機嫌を取れば良い訳ではない、時には郷里全体から憎まれることもありますよね、と。

二つの質問に即座に「未だ可ならざるなり」と返答する夫子。

夫子は、子貢の思い全てを察している。

これほど頭が切れて優秀な子貢であるが、高齢の師は衰えなど微塵もなく、脳裏は冴え渡っていて子貢は手も足も出ない。

大きく叩けば叩く程に大きく返ってくる、やはり夫子は聖人だ。

 

○「子曰、未可也、不如郷人之善者好之、其不善者悪之也、」

▶孔夫子はいわれた、十分ではない。

郷里の善人に好かれ、悪人に憎まれるくらいでなければ人物とはいえないものだ。

❖ 孔夫子、今回も名分を正される

夫子は常に名分を正される。

是は是、非は非、決して振れることがないのが夫子だ。

為政者としての悩み、リーダーシップ論、倫理意識の是非等々、優秀過ぎるが故に深く悩む子貢に対して、夫子は大鉈を振るって十六文字の言葉で名分を正された。

妥協する必要なし、為政者は為政者の為すべきことを為しなさい。

悪人には憎まれ、善人には好かれる、その為に為政者になったのではなかったか、と。

 

『子曰、君子易事而難説也、説之不以道、不説也、及其使人也、器之、小人難事而易説也、説之雖不以道、説也、及其使人也、求備焉、』

論語子路第十三25(全文)

 

○「子曰、君子易事而難説也、」

▶孔夫子はいわれた、君子に仕えることは易しい、しかし君子を喜ばせることは難しい。

❖ 家臣も君子でなければならない

この句、君子と小人のそれぞれを君主とし、家臣の(仕える)立場での思い行ないの比較をしている。

君子は公正無私、故に上司として仕えるに非合理はない、ただし君子は民の喜びと一体、故に民の苦しみを救う、家臣も君子と同じ君子でなければ思い行いを共有出来ない。

君子を喜ばせることは難しい、当たり前であり、真に難しいのは家臣も君子でなけれならないことだ。

そして、内容的には夫子の今まで経験を述べておられるし、同様の立場にいる弟子たちに向けたメッセージとも取れる。

結論から述べれば、この時代に君子が現れなかった前提条件は変わらない、故に小人に仕えるということはどういうことか、そして自らが為政者になった時に、どう(君子として)行動すれば良いのかを夫子は述べられる。

 

○「説之不以道、不説也、」

▶君子は、(天地万物の)道に従わなければ喜ぶことはない。

❖ 君子の道

道とは、即ち中庸であることだ。

人は皆、生老病死は避けられない。

同時に川の流れは絶えずして、しかももとの水ではない。

故に、易経にある「乾は元いに亨りて貞しきに利し」と。

物ごとは巡り巡るのだ。。

君子の中庸とは、この大きな流れには逆らわず、本来の善性に基づいて、物ごとを善へと導く。

君子が喜ぶとは、単に民を喜ばせることではない、故に君子を喜ばせることは難しい。

 

○「及其使人也、器之、」

▶(例えば)君子が為政者として民を使役する場合、それぞれの人の向き不向き(TPO)に沿って無理なく使役させるものだ。

❖ 君子の選択

君子は道を進む。為政者として民を使役するにしても、民を善からしめねばならない。

故に、人を器とし、それぞれの長所短所を踏まえ、更に時、場所、場合に最適の用い方をする。

 

○「小人難事而易説也、説也、」

▶一方で、小人に仕えることは難しい、しかし小人を喜ばせることは易しい。

❖ 小人の求めること

小人が上司になった場合、全ては自分の私利私欲、名誉の為に家臣を仕えさせる。現代のブラック企業、そのままであり、常に顔色を見ることを求められる。

一方で、小人の上司を喜ばすのは簡単だ、上司の真似をして部下を使い捨てればよい。

悪代官と越後屋さんは、時代を問わず存在する。

お上の権威をかりて民を、中小企業を搾取する、中抜き、贈賄、各種ハラスメント、サービス残業、休日出勤、現代と変わらない。

 

○「及其使人也、求備焉、」

▶(例えば)小人が為政者として民を使役する場合、民の全てを犠牲にさせて、強制的に使役させるのだ。

❖ 先王の教え

春秋時代から現代まで、小人が権力を握る体制は変わらない。

支配層、被支配層ともに道徳性に欠け、下克上のみが理の世界。

幼少期の夫子が、命尽きるまで先王の教えに没入されのも無理はない。

夫子が創始された儒学が、今日を以てしても光り輝いていることは、ある意味当然ではないか。

 

『子曰、君子泰而不驕、小人驕而不泰、』

論語子路第十三26(全文)

 

○「子曰、君子泰而不驕、」

▶孔夫子はいわれた、君子は泰然としていて、且つ驕慢ではない。

❖ 君子とは

君子が泰然であるのは何故か。

・自らを誠に、人を思いやる人が、どうして奢り高ぶる必要があろうか、日常そのままが泰然である。

・私利私欲を離れ、天下を泰平にする志を立てられたのだ、どうして小事に感情が乱れようか。

・天命に全てを預けている、ことの成す成さない以前に全力を尽くしている。

後は天命に任せるのみの君子に、どうして奢り高ぶる必要があろうか。

 

○「小人驕而不泰、」

▶小人は驕慢であり、且つ泰然としてはいない(いつも慌てて、驚き、大声を上げている)。

❖ 小人とは

小人は何故、驕慢になるのか。

・目耳鼻口腹の求めるがままに欲求を満たそうとする。動物と変わらない。

・小利が全て。目先の小利を我が物にする為には手段を選ばない。大利=仁徳に気付かない。

・小人故に、世界全てが小人だと思っている。ずる賢く、卑怯、不正は過程、結果さえ良ければ名声は付いてくる、と。

 

『子曰、剛毅朴訥近仁、』

論語子路第十三27(全文)

 

○「子曰、剛毅朴訥近仁、」

▶孔夫子はいわれた、剛毅、朴訥であるのは仁に近い。

❖ 仁とは

・剛毅/意志が強固で不屈なこと。

・朴訥/飾りけがなく無口、実直で素朴なこと。

仁とは何だろう、夫子は度々、一つで貫くことの大切さを説かれが、それは忠恕だ。

自らを誠にして、人を思いやること、この実践こそ仁といえる。

剛毅、朴訥とは忠恕である為に必要なことだ。

故に、夫子は仁に近しと述べられた。

勿論、これらは仁ではない。

何故なら、天下泰平の志、誠があってこその仁だ。

その為に先王の教え(経書)を学ぶ、礼楽を自らのものにする、日常生活で実践する、学問の道がある。

全ては仁に通じるが、剛毅木訥では近いとしか述べれない。

 

子路問曰、何如斯可謂之士矣、子曰、切切偲偲怡怡如也、可謂士矣、朋友切切偲偲、兄弟怡怡如也、』

論語子路第十三28(全文)

 

○「子路問曰、何如斯可謂之士矣、」

子路は問う、どのような人が士なのですか。

子路の士、夫子の思い

子路が士を問う。論語子路第十三20で子貢が同じ質問をし、

「子曰わく、己を行うに恥あり、四方に使いして君命を辱めざるは、士と謂うべし」と答えられた。

子貢は孔門下、抜群に優秀な人物であり、この士の説明は儒学の公式見解と等しい。

ここで大道正義、猪突猛進、剛毅木訥、一番弟子の子路に向けて夫子が士を述べられるが、これは子路に向けての士である。

「切切偲偲怡怡」とは、士とはこうでなければならぬ夫子の思いが込められいる。

そして、「切切偲偲怡怡」とは、夫子の思う子路の未来形でもある。

なんと弟子思いの師であろうか。

子路と夫子の信頼関係の深さが伝わってくる、素晴らしい句であるが、

恐らく子路は夫子の思いが分からず、きょとんとしている。

苦笑する夫子の姿が目に見える様に思う。

 

○「子曰、切切偲偲怡怡如也、可謂士矣、」

▶孔夫子はいわれた、切切(親切に)偲偲(励まして)怡怡(穏やかに親しむ)人であることが士である。

儒学の眼目

夫子は六歳下の一番弟子であり、友人でもある子路に向けた、信頼の思いを込めた言葉だ。

もはや士の説明などしない、感覚的に伝わる短い言葉で、歌を唄うように思いを伝えられた。

私見ながら、この言葉こそ論語の眼目に思える。

儒学とは、「切切偲偲怡怡如」であると思う。

 

○「朋友切切偲偲、兄弟怡怡如也、」

▶朋友には切切(親切に)偲偲(励ます)こと、兄弟には怡怡(穏やかに親しむ)ことだ。

❖ 朋友子路

学而第一1にこうある。

「子曰く、学びて時に之を習う、また説ばしからずや。朋遠方より来たる有り、また楽しからずや」と。

やはり、学而第一1は論語の主題であり、夫子の人生を述べられている。

そして、この句でも愛弟子の子路に述べた「切切偲偲怡怡如」は、子路も夫子の朋友なのだ、友よ、楽しく学問の道を歩みなさい、との意に思える。

 

『子曰、善人教民七年、亦可以即戎矣、』

論語子路第十三29(全文)

 

○「子曰、善人教民七年、」

▶孔夫子はいわれた、善人を為政者として民に七年、礼楽の道を教えることが出来れば、

❖ 七年の意味すること

善人が為政者として長期間政治を行えたら・ればの話しを、夫子は他にも繰り返し述べられている。

ぽっと出の優秀な君子一人では、たかが知れているのだ(政治は一代で変えれるものではない、とも取れる)。

優秀な君子団を年単位で輩出出来得る組織が必要だ、と夫子は言いたいのだ。

故に、夫子は先王の教え、礼楽の道を学び、終生をかけてその実践と、教団を組織して後人の育成に尽力してきた。

 

○「亦可以即戎矣、」

▶(例え)国、存亡の危機に会っても、為政者と民は一つとなり、侵略者に対して戦い抜くであろう。

❖ 戦うときは最後まで戦う

この句、識者一般の現代語訳は、民を戦争で使う為には善人による政治が七年は必要、との解釈が多い。

しかし、夫子は戦争を否定されているのだ、そうではない。

孟子から論語を読めば夫子の意図は明確だ。

孟子、梁恵王章句下にこうある。

「斯の池を穿ち、斯の城を築き、民と与に之を守り、死を効(至)すとも民去らずんば則ち是れ可為らん」(この城の堀を深くし、城壁を高くし、民と共に籠城し、命を落とされるがよい。民が王を見捨てず、逃げることがなければ、道にかなうといってよい」と。

君子(善人)の治める君民一体の国であれば、侵略者に対して、例え全滅しようが戦い抜くであろう、と夫子は述べられている。

 

『子曰、以不教民戦、是謂棄之、』

論語子路第十三30(全文)

 

○「子曰、以不教民戦、是謂棄之、」

▶孔夫子はいわれた、(季節を問わず民を徴兵して)何の訓練もさせずに戦場で戦わせている。これは民を捨てることと等しい(このような暴政を許してはならない)

❖ 孔夫子の嘆き

この句も(前の句と同じく)識者一般の現代語訳は、教育をせぬまま民を戦場に駆り立てれば、民の命を捨てるようなもの、との解釈されている。

孔夫子は戦争を否定された。

故に、民の命を捨てる悪逆無道の君主、為政者を嘆いている、と解釈も出来る。