○月曜日の朝、通勤
「フリースを着込んできた、寒風が心地よい、厚着大正義と今朝は出だしから少し嬉しい」
「ロングダウンコートの人もいる、中々やる、上には上がいるものだ」
「血圧(下)高し、仕方なし、色々あるが今日も生きている、無事に帰ろう家族の元へ」
#三行詩 20241118
「都会を通勤しているとゾンビに出会う時がある、形骸化した抜け殻、心亡き反復動作を繰り返すサラリーマン」
「ふと、故、M・ジャクソンさんのスリラーを思い出すがこうではない、無気力・仮面・無関心」
「最近、わざと当たり、背後から頭をどつく犯罪が増えているとか、仮面の下は地獄の住人らしい、ご注意を」
#三行詩 20241118
○月曜日の朝、乗り換え
「ホームに並んでいる、アトピー持ちなのであちこちを掻く、右首を搔いたら肘が非常スイッチに当たる」
「軽くなので幸いにも警報機は鳴らない、昔から運が悪いので、こういう事は日常茶飯事だ」
「だからどうしたと開き直る・達観・悟りはない、のび太くんの系統とは、慣れれば気にはしないものだ」
#三行詩 20241118
○火曜日の朝、通勤
「柳宗悦さんの民藝運動、思想・哲学を調べている、興味深い、穏やかな顔をされている」
「彼の「用に即する美」は民藝から開花し、やがて物の美から、物を扱う人も美である、と言い切る」
「利休程度の仕事よ、と、かの千利休を権力に媚びたとも批判する、独立不羈の精神は天才そのものだ」
#三行詩 20241119
「柳宗悦さんの「南無阿弥陀仏」岩波文庫を繰り返し読んでいる、帯に仏教の入門書として最適とあるが、いつも違うと思う」
「確かに理解り易い文章ではあるが、柳哲学の真髄がここにある、「用に即する美」学とは、言葉ではなく実践に重きを置く、日常生活にこそ真実はある」
「昔から岩波文庫青版を集めている、仏教経典も青版はほとんど読んだが相変わらず信仰はない、無宗教、故に柳哲学が心に響くかも知れない」
#三行詩 20241119
○火曜日の朝、乗り換え
「アトピー酷く、バットマンに登場する『トゥーフェイス』の様になっている」
「何故、片側なのだろうか、ジキルとハイド、二面性の具現化系キャラであることは否定しない」
「まあ、(人目には)慣れているし、生来、正義の主人公とは真逆なのだ、悪役バンザイ」
#三行詩 20241119
「二面性で思い浮かぶのが、まずマジンガーZのあしゅら男爵なのは、年齢だろうか」
「光陰印象が変わる像と同じく、元は一つである」
「極端な相対主義や白黒二分法などは人間には当てはまるまい、多角的視点こそ真実だ」
#三行詩 20241119
「人間とは総合的解釈と妥協の産物に他ならない、客観的、柔軟性、多様化した個性の集まり」
「そこに歴史、文学、科学の解釈が加わり、カクテルの様な摩訶不思議な個性となる(味は兎も角として)」
「人間は人間を知ることが究極の学問といえる、私たちは、依然として人間が何であるかを知らないのだ」
#三行詩 20241119
「私は人間である、しかしそれを証明出来得るもの何か、マイナンバーカード、免許証、図書館カード、否だ」
「国家と云えども単なる集団、組織に過ぎない、いつか消えるのだ、それに他人に何が分かろうか」
「私を人間足らしめている私とは、私自身が証明せねばならない、私の人間像とは何か、肝臓か?爪か?髪の毛か?」
#三行詩 20241119
「アイデンティティとは、社会的役割、所属意識、価値観、経験、身体性により構成される」
「これらが私ではあるが、別に良く出来たAIロボットでも代われそうな気がする」
「結論、私を私ならしめているものとは、私の意思に他ならない、どう思うかが私だ、私は自由であり、主観的に時空すら移動出来る、つまり人間であることは必ずしも必要ではない、となる」
#三行詩 20241119
「人間であることを、自ら解放することにより、本来の人間となる」
「世界と私、の世界は無限に広がりを見せる、哲学とは蛹から蝶へと変化するが如く、人の本質を変えるのだ(でなければ哲学ではない)」
「私は思うことにより存在している、私のアイデンティティは、もはや揺るがない、私は人間ではなく私である、という日が来るかも知れない」
#三行詩 20241119
○水曜日の朝、通勤
「治安の悪化とは民度の低下、格差、貧困、差別が日々、世界中で広がりつつある、物価高により社会の中間層が消えつつある」
「夜通し働いても家賃すら払えない貧困層と、方や富の集中による独占、世襲による数%の富裕層の二元化社会へ」
「資本主義モデルの最終形態とは、暴動、革命による軍事政権、或いは無法地帯へ、乱世が近づく一方に思う、多くが怒りを溜めている」
#三行詩 20241120
「政治は腐敗し、マスコミは権力に阿り偏向報道が繰り返えされる、少子高齢化は移民問題へと姿を変える」
「土地やインフラは外資に売り捨てられ、大都心集中により地方自治の崩壊はカウントダウンに入りつつある」
「それでも政治屋は私利私欲に走り、マスコミは御用聞きに勤しむ、何と暗然とした世の中だろう、この世界は終焉を迎えるのだ」
#三行詩 20241120
○木曜日の朝、通勤
「世の中どうしようもないことはある、開き直りとは、遅かれ早かれ必然だ」
「悩んで、何か進展を得れる案件であれば価値もあろうが、なす術はない」
「ならシンプルに範囲外の物ごとはなるようになれ、こっちも好きにするさ」
#三行詩 20241121
○金曜日の朝、通勤
「SNSへの興味が薄くなっている、読む本は書斎に山積み、退屈な通勤時間もブログ作成で埋まる」
「思いを三行詩へ、これは続けたい、日記、連なりでもある」
「言葉を書くことにより、思いを認識する、そこから言葉を加える、要は共有化したいかに依る」
#三行詩 20241122
「そもそもSNSで言葉を記すとは承認欲求の現れであり、人は皆孤独、故に思いを言葉にして電脳空間へ残す」
「言葉の落ち葉が無数に舞っては、誰も読まない、朽ち果てることもなく何処かに存在する」
「膨大な言葉の墓場から妖怪でも生まれそうだ、人間そのもの、無数の言葉、思い、或いは墓標かも知れない」
#三行詩 20241122
○金曜日の夜、自宅
「AmazonV「英雄」を観る、これまで数回観たが、最後の『天下』の為の意に、一番感動を得た気がする、学問のお陰かも知れない、孔夫子の時代の匂いを感じる」
「秦の始皇帝が中国を統一するまで、五百五十年間、春秋・戦国時代、乱世の世は続く」
「暗殺者である主人公は『天下(泰平)』の為に命を捨てる、この映画は善悪を越えた選択の是非を問うている、歴史が語るのだ」
#三行詩 20241122
所感)
■つれづれ、土曜日の夕方、二十代の頃
金曜日夜、中国映画を数本観て、明けて午後3時まで寝る。
睡眠不足が解消されて、頭がすっきりしている。
中国で暮らしていた頃は週1のペースで一人、映画館に行く。
前知識無しで飛び込むが、大概面白かった様に思う。
時代物が多く(幸いか抗日ものは一度も当たらず)、武侠・復讐ものばかりの記憶がある。
半分に折れた巨大な剣をチェーンで振りまわす武侠映画がとても印象深く、帰国後にDVDを手に入れようと探し回ったが、未だに見つからない。
中国語を働きながら学んでいた頃で、学生さんに日本語を教え私が中国語を教わる、等もしていた。
しかしながら、一番身になったのはこの映画と、週2回、ボロボロの公共汽車に乗って通った、上海虹橋体育館での形意拳の練習のように思う。
当時は円高で、上海の物価が安く、私自身も若くもあり、とても楽しかった。
通っていた中国語クラスの同級生の韓国人が、四ツ星ホテルチェーンの御曹司で、たまにクラス全員を誘ってくれて、ホテルで宴会、ディスコで踊ったり(踊れないので、2ビート盆踊りをしていた)、
週末は、水より安い青島ビールを呑みながら、徹夜で麻雀(最弱クラスであるが)に明け暮れた。
もっとも、彼女(今の妻)が出来てからは、野郎共の付き合いは最小になり、五つ星ホテルで食事を(デイナーコース一人5,000円もいかない)したり、
連休があれば、電車で中国国内の近場を旅行したり、まあ、遊びまくっていた。
大学時代は、合気道の練習とバイト、読書で終わり、これも確かに青春時代ではあるが、やはり働いていからの方が楽しかった記憶がある。
中国映画を立て続けに観て、ふと、当時を思い出した。
私は海外で日本人と群れるのを嫌い、いつも一人で行動していた(日本でもそうであったが)。
どうして、海外に住んでいるのに同じ日本人と行動せねばならぬのだろう。
毎日通う、路地裏にある安い定食屋さんのウエイトレスさんと友達なり、旦那さんが散打の達人で話しが合った為、度々ご自宅で食事に呼ばれて、ご馳走になる。
一般家庭の家に入るのも初めての経験であり、旦那さんと二人で蘇州等に旅行に行ったり(ボロボロの商人宿を渡り歩く)、旧正月を共に過ごしたり、とても楽しかった。
中国の人は内外の区別がはっきりしていて、ビジネス関係で友人になれた人は一人もいないが、
このような損得抜きの明友関係になると、家族同様に扱ってくれる。
機会があるのであれば、若い人は、どんどん海外に出れば良いと思う。
危険な経験もして、馬鹿もして、善い人たちとも出会って、自らを磨くのは悪いことではない。
そして、数年、海外で生活して母国に帰国すれば、日本の善いところ、悪いところが良く理解出来る。
そこから自分を見つめ直す、どう生きるのか、どう死ぬのか。
外国を知り、自国を思う、日本人と日本の歴史、連なりをどう学ぶ、思う、行うのか。
多様性知り、その内に貫く一つを自らにも得れれば、人としての厚みに繋がるのではないかと思う。