四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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論語 憲問第十四(3)〈白文・意訳・所感〉

論語憲問第十四(13〜16)〈白文・意訳・所感〉

 

子路問成人、子曰、若臧武仲之知、公綽之不欲、卞莊子之勇、冉求之芸、文之以礼楽、亦可以為成人矣、曰、今之成人者、何必然、見利思義、見危授命、久要不忘平生之言、亦可以為成人矣、』

論語憲門第十四13

 

○「子路問成人、子曰、若臧武仲之知、公綽之不欲、卞莊子之勇、冉求之芸、文之以礼楽、亦可以為成人矣、」

子路、道を成した(完成した)人を問う。

孔夫子はいわれた、臧武仲の知性、公綽の不欲、卞莊子の勇敢さ、冉求 の多芸、これに礼楽を修めたのであれば、道を成した(完成した)人といえる。

❖ 成した人とは

それぞれの長所を一身に集めれば、完成した人のイメージに近いと述る夫子。

夫子は、成した人の本来のあるべき姿を述べられた。

徹底した現実主義ではあるが、理想論は失わない、儒家の本領の様な句に思う。

【人名】臧武仲(ぞうぶちゅう)

 * 魯国の大夫の一人: 魯という国の有力者の一人。

 * 知恵者として知られる。

 * 後継者問題で活躍: 魯国の後継者問題で重要な役割を果たした。

 * 孔夫子は臧武仲の知恵を評価しつつも、徳については疑問を呈した。

【人名】公綽(こうしゃく)

 * 無欲: 欲が少ない、または欲を持たない人物。

 * 才能: 趙や魏の家老(家臣の長)を務めるほどの能力を持っていた。

 * 評価: 孔夫子は、公綽の無欲を高く評価し、理想的な人物像の一要素として挙げた。

【人名】卞荘子(べんそうし)

 * 楚の卞地に住んでいた人物。

 * 虎狩りで、逃げる虎に飛びかかり、その顎の下に手を突っ込んで虎を捕らえた勇猛な人物として知られる。

 * 智伯瑤との戦いで、晋の将軍を討ち取るために出陣する際、危険を顧みず名誉を重んじる行動をとった。

【人名】冉求(ぜんきゅう)

 * 実務能力に長け、家政や農業にも精通していた。

 * 孔夫子の教えを社会で実践することに熱心だった。

 * 性格は慎重で実直。

 

○「曰、今之成人者、何必然、」

▶孔夫子はいわれた、乱世が続く今の世の中では、このような成した(完成した)人が現れることを望むのは難しい。

❖ 乱世の現在

正道正義が成り立たない世の中では、公正無私の有能な人物が、どう世に出れるというのか。

(このような完成された人が世に出ても、私利私欲の小人たちに潰されるのが落ちではないか)

 

○「見利思義、見危授命、久要不忘平生之言、亦可以為成人矣、」

▶故に、(乱世の世の中では)利を見ずに義を思い、危機に際して命懸けで取り組み、古い約束でも忘れずに守り続ける。

このような人も、成した(完成した)人と言って良いのだ。

❖ 夫子、子路を励ます

愛弟子の子路には、率直な思いを夫子は述べられた様に思う。

もっとも、四人の長所を合わせて一人の成した人では、大道正義ではあるが文の足らぬ子路では及ぶことは難しい。

故に、この乱世ではと前置きし、子路の目指すべき姿を述べられた。

何れも、何と子路らしい長所だろう。

単純な子路が、喜び、勇気を、気力を増した姿と、それを嬉しく眺める夫子の光景が目に見えるようだ。

 

『子問公叔文子於公明賈、曰、信乎、夫子不言不笑不取乎、公明賈対曰、以告者過也、夫子時然後言、人不厭其言也、楽然後笑、人不厭其言也、義然後取、人不厭其取也、子曰、其然、豈其然乎、』

論語憲門第十四14

 

○「子問公叔文子於公明賈、曰、信乎、夫子不言不笑不取乎、」

▶孔夫子、衛の人である公明賈に、高名で知られた大夫である公叔文子のことを問われた。

彼は、話しもしない、笑いもしない、(贈り物を)取りもしないとは、真実ですか。

❖ 孔夫子、問う

幾ら寡黙で慎み深いとはいえ、大夫の地位(国政を司る立場)にありながら、言わず、笑わず、取らないで済ませられる訳がない。

義の人であり、夫子が尊敬をしていた公叔文子ではあるが、余りにも過ぎる為に、同じ衛の人、公明賈に真偽を問われた。

【人名】公叔文子(こうしゅくぶんし)

   * 衛の大夫。夫子は人柄を高く評価した。

   * 沈黙を重んじる: 軽々しく言葉を発せず、必要に応じてのみ話をする。

   * 感情を表に出さない: 笑ったり、感情的な行動をしたりすることは少ない。

   * 義に基づいて行動する: 自分の利益よりも、道義に基づいた行動を優先する。

【人名】公明賈(こうめいか)

   * 衛の人。子細は不明ながら、正しさを知る人であったらしい。

 

○「公明賈対曰、以告者過也、」

▶公明賈はいう、夫子に告げた人は、真実を理解出来ず過ちを述べています。

❖ 過ちは正す

義の人で知られ、夫子も尊敬する公叔文子が、実は、無口で笑いもしない、贈り物も突き返す様な険のある人物である訳がない。

讒言か、小人の弁であることは夫子も推察しているが、敢えて公明賈に尋ねられ、幸い公明賈は公叔文子を知っており、即答で、その言は過ちであると答えた。

 

○「夫子時然後言、人不厭其言也、」

▶公叔文子という人は、話すべき時に話されるのが常ですので、誰も(彼の発言を)不快に思うことがありません。

❖ 言葉を慎む人

話すべき時に話し、話さざるべき時には話さない。思いを、言葉を慎み深くすることは並大抵の人物では出来ることではない。

流石、孔夫子が尊敬されるに値する義の人であったと思われる。

 

○「楽然後笑、人不厭其言也、」

▶また、楽しむべき時に笑われるのが常ですので、誰も(彼の笑い声を)不快に思うことはありません。

❖ 中庸の人でもある

楽しむべき時には楽しむ、状況の対して過ぎることも、足らずもない、中庸の徳を備えし人物であることがわかる。

 

○「義然後取、人不厭其取也、」

▶更に、受けなければならない贈り物は受け取られるのが常ですので、誰も(彼が受け取ることを)不快に思うことはありません。

❖君子である

贈り物を受け取らねばならぬ時、場合、場所に精通していた、ということは礼儀や作法に秀でていたのだ、でなければ、とても判断はつかない。

私利私欲で受け取り、便宜を図るようでは義人とが遠い。

礼儀に則して、正しく贈り物を受け取れるとは、経書を学び、先王の教えを日常で実践しているから行えるのだ。公叔文子という人は君子であることもわかる。

 

○「子曰、其然、豈其然乎、」

▶孔夫子はいわれた、その通りです。どうして(義人として高名な公叔文子に限って)そういう(話さない、笑わない、受け取らない)ことがありましょうか。

❖ 人間、孔夫子

孔夫子は喜んでおられる。

兼ねてから公叔文子の噂を聴き、その君子振りに尊敬の念を抱かれていたが、良くない噂を耳にして真偽を確かめたくて仕方なかったのだ。

乱世の世の中であり、それだけペテン師も多かったと推察出来る。

夫子の、子供の様に喜ばれる笑顔こそ、人間肯定、人の善性を信じ抜いた夫子の真の姿ではないかと思う。

 

『子曰、臧武仲以防求為後於魯、雖曰不要君、吾不信也、』

論語憲門第十四15

 

○「子曰、臧武仲以防求為後於魯、」

▶孔夫子はいわれた、臧武仲という人は罪を得て魯から逃げ出そうとするも、あろうことか領地の防の城に篭城し、防の城を明け渡す代わりに、自らの一族の者を大夫として登用するように迫ったのだ。

❖ 不仁、臧武仲ここにあり

君主を蔑ろにする三家老しかり、禄でもない人材ばかりいる魯の国であるが、臧武仲もその例に漏れず悪臣として後世に名が残ってしまった。

夫子が嫌う不仁、尽く備える私利私欲の人物であったらしく、夫子の彼を嫌う感情が文中から伝わってくる。

【人名】臧武仲(そうぶちゅう)

   * 魯国の大夫

    * 知恵がある人物として知られている。

   * 自身の利益のために、巧みに言葉や状況を利用することが得意。

 

○「雖曰不要君、吾不信也、』」

▶臧武仲は威嚇、脅迫ではないと言い訳しようも、どうしてそれを信じることが出来ようか。

❖ こいつは嫌いだ

夫子は彼を嫌っている。

不仁、私利私欲、多言、挙句に言い訳するなど、この人の存在自体が、大嫌いであることが伝わってくる。

才知に長けた分、不仁の幅も大きかったのではないか。

逆説的ながら、有能な小人ほど、世に害をなすものらしい。

 

『子曰、晋文公譎而不正、斉桓公正而不譎、』

論語憲門第十四16

 

○「子曰、晋文公譎而不正、斉桓公正而不譎、」

▶孔夫子はいわれた、晋の文公は謀略を好み、正道を行わずに覇王となり、一方で斉の桓公は謀略を好まず、正道を以て覇王になられたのだ。

❖ 振れてはいけない

儒家のあるべき姿を述べられている。

覇道とは、正道に則ってこその覇道なのだ。

先王の教えや仁徳に謀略があろうか、否。

結果よければ、過程の不仁が赦されるわけではない。

二人の覇王を比較し、儒家の進む道は、正道大義であると夫子は述べられている。

【人名】文公(ぶんこう)

晋の文公について

 * 春秋五覇の一人: 春秋時代の晋の君主で、名君として知られる。

 * 波乱万丈な生涯: 父の失脚により国外へ追放され、19年間の放浪生活を送った後、秦の援助を受けて即位。

 * 名君としての評価: 亡命中の経験から民衆の苦しみを理解し、周王室を立て直し、諸侯をまとめるなど、覇業を成し遂げた。

 * 有名な逸話: 「退避三舎」「反璧」など、多くのエピソードが残されている。

 * 特徴:

   ・人徳が厚く、多くの人々から慕われた。

   ・忍耐強く、困難な状況でも諦めなかった。

   ・政治手腕に優れ、国を安定させた。

まとめ: 晋の文公は、波乱万丈な生涯を送った後、名君として君臨し、中国の歴史に大きな足跡を残した人物。

【人名】桓公(かんこう)

斉の桓公について

 * 春秋五覇の一人: 春秋時代の中国で覇者となった五人の君主の一人。

 * 富国強兵: 管仲を宰相に迎え、富国強兵政策を推進。

 * 諸侯の盟主: 諸侯をまとめ上げ、盟主として君臨。

 * 夷狄の侵入を防ぐ: 夷狄(異民族)の侵入を防ぎ、中原を守護。

 * 商業の振興: 商業を保護し、経済を発展させた。

 * 管仲との関係: 管仲との深い信頼関係が、斉の繁栄を築いた。

 * 死後: 斉は衰退し、覇業は晋の文公へと移る。

補足:

 * 名言: 「国を富ませ、兵を強くする」

 * 特徴: 決断力、カリスマ性、人材登用眼

 * 評価: 中国の歴史において、優れた政治家として評価されている。