論語憲問第十四(21〜25)〈白文・意訳・所感〉
『子曰、其言之不怍、則爲之也難、』
論語憲問第十四21(全文)
○「子曰、其言之不怍、則爲之也難、」
▶孔夫子はいわれた、大言壮語を恥を思わない人物とは、言葉だけで何一つ物ごとを成すことは無いものだ。
❖ 貴族階級の有り様
傲慢であるから言葉は乱れ、恥を知らぬ故に大言壮語する。傲慢を抱く人物とは、実力や経験もなく、地位や富財産を世襲した貴族や王族に多いことは現代の政財界でも変わらない。
何一つ、物ごとを成せない、自らに何の積み重ねなく、他人の功績を我が物として誇る。
このよう人物が、大夫として国の政治を執り行う魯の現状を夫子は暗に嘆かれておられる。
『陳成子弑簡公、孔子沐浴而朝、告於哀公曰、陳恒弑其君、請討之、公曰、告夫三子、孔子曰、以吾従大夫之後、不敢不告也、君曰、告夫三子者、之三子告、不可、孔子曰、以吾従大夫之後、不敢不告也、』
論語憲問第十四22(全文)
○「陳成子弑簡公、」
▶陳成子、斉の君主である簡公を弑す。
❖ 歴史の教訓
仁義なき、君子ならざる権力者は、より力を得ようと下剋上を重ねていく。
【人名】陳成子(ちんせいし)
・斉の大夫。姓は陳、名は恒、成はその諡。田常ともいう。
・前481年、斉の簡公を弑して弟の平公を立て、自分は宰相となった。
○「孔子沐浴而朝、告於哀公曰、陳恒弑其君、請討之、」
▶齢七十一になる孔夫子、既に大夫の職を隠退されておられたが、斎戒沐浴して身を清め、朝廷に参内して魯の哀公にいわれた、
斉の大夫陳恒が主君を弑しました。このような非道が許される様では天下は乱れるばかり、
どうか、兵を出して陳恒を討伐されるべきです。
❖ 孔夫子、悲憤する
隠退していた高齢の夫子であるが、この不忠(陳成子の謀反)が世の中で罷り通ろうとする現状に悲憤し、結果はわかっていながらも魯の哀公に直訴せざるをえなかったのだ。
時代は、孔夫子の思い、教えと逆行していく。
○「公曰、告夫三子、」
▶哀公はいう、孟孫・叔孫・季孫の三家老に言うことだな(実権のない私には決めれない)
❖ 斜陽の哀公
他人事ではない哀公は、どう夫子に接したのだろうか。
暗然と、或いはどうしようも出来ない現状に自虐的笑顔を浮かべていたのではないか。
老いてはいるが孔夫子ほどの人材を抱えていても、何も変えれない。
そして明日は我が身か、と諦念し、三家老へ告げるが良いと、告げるしか哀公には選択肢がないのだ。
○「孔子曰、以吾従大夫之後、不敢不告也、」
▶孔夫子は退室のちにいわれた、大夫の末席にて魯の国に仕えた者として、(これ以上、天下が乱れることが無いように)主君を弑した陳恒の討伐を、申し上げずにいることなど出来ようか。
❖ 悲憤する孔夫子
孔夫子の視点が天下にあることがよく理解かる。
隣国の謀反騒ぎなど、放っておいても直ぐに魯の国の大事には至らず、大勢を見極めて勝者と交渉すれば良い、違う。
天下泰平を実現する、苦しむ民を救う、夫子の思いの何と気高きことか。
故に夫子は悲憤される、天下の為に悲憤されている。
○「君曰、告夫三子者、之三子告、不可、」
▶そこで、哀公がいわれた通りに、孟孫・叔孫・季孫の三家老に陳恒の討伐を意見するも、結局は聞き入れられることはなかった。
❖ 欲の三家老
大夫陳恒と同じ輩である孟孫・叔孫・季孫の三家老からすれば、自らも魯の王位を狙っているのだ、どうして陳恒の非を攻めれようか。
天下の行く末を視る夫子と、自らの権力を肥え太らそうと国の家老の地位にある三家老、余りにも人としての違いが大き過ぎる。
恐らくは、三家老は夫子の思いの欠片すら理解していない。
○「孔子曰、以吾従大夫之後、不敢不告也、」
▶孔夫子は退室のちにいわれた、大夫の末席にて魯の国に仕えた者として、(これ以上、天下が乱れることが無いように)主君を弑した陳恒の討伐を、意見せずにいることなど出来ようか。
❖ 儒家の系譜
魯の君主である哀公への直訴は成らず、魯の君主の地位を伺う三家老へも直訴するも(当然ながら)陳恒の討伐は成らない。
高齢の夫子は、ただ悲憤されている。
天下の為に悲憤されている。
この思いは、弟子たちに引き継がれ、現代の儒学を学ぶ徒に引き継がれている。
『子路問事君、子曰、勿欺也、而犯之、』
論語憲問第十四23(全文)
○「子路問事君」
▶子路、君主に仕える道について孔夫子に問う。
❖ 子路の思い
論語は孔夫子の述べられた言葉の断片集である。
ここで愛弟子の子路は「君に事(つか)えんこと」を問う。
二文字で述べた簡潔さは、夫子との親密さを表している。そして実際に子路は季孫氏に仕えている。
子路は、昨今の魯の国政(三家老による専横)を省みて夫子が何か述べられたいと直感で感じている。故に呼び水として夫子に「子路問事君」と問うたのだ。
○「子曰、勿欺也、而犯之、」
▶孔夫子はいわれた、君主を欺くことなく誠心誠意仕えること、正しいことであれば(君主の怒りを買おうが)直言することだ。
❖ 孔夫子から子路へ
何処を向いて仕官しているのか。家老に仕えて家老の力を増そうとする、ではない。
魯の国の家老とは、魯の国を繁栄させることが目的であり、家老の役目とは君主を支えることにある。
故に、三家老の筆頭にある季孫氏に仕える子路に対して、仁義に照らして本来の目的(家老を通して君主を支えること)を成すべきであり、その為には仕える季孫氏の不遜、横暴を直言も辞さずに抑えるのが仕えることであると夫子は子路に述べられている。
『子曰、君子上達、小人下達、』
論語憲問第十四24(全文)
○「子曰、君子上達、小人下達、」
▶孔夫子はいわれた、学問の道を歩む君子とは、経書を学ぶ、省みる、改めるを重ね、礼楽に精通することにより、自らの仁徳の広がりを得て上達し、道を楽しむに至る。
同様に、私利私欲を満たす小人とは、口、耳、目、鼻、腹の望むままに欲求を満たそうとし、それらを満たす為に手段を問わず、望みを得ようと下劣な方法に下達する。
❖ 志の有無こそ
人の優劣を述べられているのではない、志が何処にあるかで人は上達は上へ(君子)、下達は下へ(小人)と向かう事実を述べられている。
志とは何か、自らを誠にする、他人への思いやりを持つ、実践することに他ならない。
そこから各々の目的、方向性が志となるのだ。
一方で私利私欲の小人は真逆、故の下達するのだ。
『子曰、古之学者為己、今之学者為人、』
論語憲問第十四25(全文)
○「子曰、古之学者為己、今之学者為人、」
▶孔夫子はいわれた、古の人は学問の道の目的を理解していた為、自らの仁徳を広げることに注心したものだが、
今、学問を学ぶ人は(道を歩むどころか)世間に自分の名が知れ渡ることを目的とした、売名目的で学問をするような有り様だ。
❖ 君子に上達下達あり
前句の「君子上達、小人下達」から、次に学問の道を歩んでいる君子の上達、下達を夫子は述べられる。
自らの仁徳を広げることが本来の学問の道の目的であり、君子は自らの仁徳を周囲に及ぼすもの(上達)、
一方で仕官、売名目的で学問の道を歩む、君子足らんと自らの仁徳を広げようとせず、世の中から良い評判を得たいが為(下達)、
君子にも上達下達がある、そして今や多くが下達であることを夫子は嘆かれている。