四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 No.166

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○木曜日の午前、自宅

「年末から寝込む、喘息もピークは収まる、ここまで悪化したのは転職以来、六年振りか」

「仕方なし、寝床で伏せつつアマプラVを観ていた、月が導く異世界道中二期、等々」

「五日、無駄にした、残り四日、予定通りに読書に戻ろう、哲学とは何故こうも事象を難解化させるのか、世界はSimpleではないか」

#三行詩 20250102

 

○金曜日の午後、自宅

「喘息、収まらず、家族との年始梅田での食事を諦め、近くのスシローへ、帰宅のち、再び、論理哲学論考 (叢書・ウニベルシタス)を開く」

「世界の真理という世の中の全てを集約したかのような業を、追い求める様は鬼気すら感じる」

「自らの全てを燃え尽くす天才の御技は、悲劇か、否、喜劇か、否、(皮肉なことに)生臭き孤独な人の生き様、そのものに思うのだ」

#三行詩 20250103

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「気分転換に、再びアマプラVダンまち4期を観ている、もどかしき勇者成長の物語は令和版アムロを彷彿させる」

「喘息と暗闇の自室、よりは、ましではないかと痰が出やすい横寝のまま、眠たくなるまで流し観している」

ホメロスイーリアスを思う、英雄譚とは心躍るものでなけれなならない、共感と憧れ、理想と挫折、神々と生臭き人々、そして墓場(永遠の休息)へと全ては向かうのだ」

#三行詩 20250103

 

○金曜日の夕方、自宅

「休日は一日数回、布団の内外に落ちた落屑をミニ箒セットで清掃する、白い分身を塵取りに集め、その量で症状を量る」

アトピー歴三十年を越えると、あかんのも理解できる、アトピー由来の眼病と喘息である、勿論加齢と共にだ」

「若い頃は酒で誤魔化せたが、五十を越えると酒自体がしんどい、残るは、暗やみに積もる落屑と咳の音、内外から身体が死のうとしている、まさに哲学を学ぶ環境そのもの、ここから学びがある」

#三行詩 20250103

 

○金曜日の夜、自宅

ピアノソナタ集を聴いている、14番 嬰ハ短調 、沈みきった静けさと内に広がる熱情」

ベートーヴェンの音楽とは良いものだ、世界に存在する良いものの内の最良の一つだ」

「根底に流れる、強い、不断の意思にベートーヴェンそのものを感じる、気高く、孤高、そして人間の解放、汎神論、世界へと」

#三行詩 20250103

 

○金曜日の夜、自宅

「文字通り、個性が薫るような文章を書く人がいる、XのFFさんに数人居る、凄いと思う」

「言葉、文字の連なりから滲み出るその人の本質が、行間から匂いを感じる」

「プロは違う、元何屋さん系かなとか、なんとなく臭う、詩人に限らない、言葉は平等なのだ」

#三行詩 20250103

 

「心は言葉である、薫る文章とは必ずしも名文家が為すことではない」

「母から子に宛てた手紙や、戦場から家族へ宛てた手紙には真、思いやり、誠が満ち溢れている」

「故に、文章を磨くとは、心を磨くことなのだ、徳高き人の言葉は技巧無くとも輝き続ける」

#三行詩 20250103

 

「私の宝物は、幼少期の子から贈られた手紙である、『いつもおそくまでおしごとありがとう、がんばれよ』と横に私の似顔絵がある」

「今や中三、受験勉強そっちのけで筋トレに励み、筋肉は正義だと公言する子、昔の面影は少なくなる一方(寝顔はまだ可愛い)だ」

「言葉は思い、思いは誠、誠とは思いやり、忠恕に至る、孔夫子の教え、学問を曲がりなりにも続けて四年目、まだまだだが今年も登り続けよう」

#三行詩 20250103

 

○金曜日の夜、自宅

「躾けと怒りが同一視され、躾け無き教育現場は、今、貧困層・低学力から崩壊しつつある様に思う」

「富裕層・高学歴のレールを歩む子供たちも、その心は、道徳性から離れ功利功名が主となっている」

「子供も一人の人間である、足らずを怒るのではなく同じ高さでの共感と進めべき方向を示す、そこから躾け、叱るがある」

#三行詩 20250103

 

「教育とは、過去の大戦であった様な良き兵士、良き将校を育てるものではない」

「多様性を認め、子供の可能性を育み、学校というレールから好きな方向へ翔び立たせる為にある」

「一方で(武道経験者からすれば)型を学ばすのは当たり前である、受身を覚えさせずに投げ技を教える師範はいない、躾け、礼儀、作法は子供が学ぶべき当たり前ことであり、眼目は、人を思いやる、物ごとを尊ぶことにある」

#三行詩 20250103

 

「人を思いやれない、物ごとを尊べない子供たちが増えつつある、良心的な教師の負担は限界を越え、国からのサポートも頓珍漢な内容ばかり」

「そもそも昨今の大人社会の出来事こそ、子供たちの規範とはほど遠い、悪例に事欠かない、貧困が更なる犯罪と貧困を生み続けている」

「教育は国の要である、学識を身につけること、礼儀作法を身につけること、両輪なきで何の教育であろうか、礼儀作法と道徳は会社でどうぞ、ほど社会は甘くない、昨今の凄惨な事件の根底には、一輪が欠けた教育にも一因を見出すべきであり、道徳(思想)+礼儀作法の教育が必要である」

#三行詩 20250103

 

○金曜日の夜、自宅

「何も偽善を全て認めた訳ではない、芯に善がある、コーテイングされた偽善が是であり、芯まで偽善とは善ではない」

「人間の弱さは偽善に向きやすい、特に優しさとは弱さの方便であることが多い」

「それでも、その優しさに救われる弱き人がいればそれは善だ、芯は蒔かれた、そこから強き善が生まれるか、或いは偽善か、知らない、善の広がりは真贋入り混じりつつ、それが人なのだ」

#三行詩 20250103

 

「故に、唯一無二たる仁徳の徳性が人に与えられ給うたのだ、誠、思いやり、忠恕こそ」

「善悪を超えたこの徳性、仁・義・礼・智・信こそ、人の本来の姿である」

「それぞれの正義が氾濫した春秋・戦国時代、先王の教えに則り、仁徳の広がりを以て、世の中を救おうとした、孔夫子とはそのような人だ」

#三行詩 20250103

 

○土曜日の午後、自宅

「真面目な学問だと自らを誇り、他人の学問を不真面目、異端、偽善であると誹る、孔夫子の教えの欠片も消え去ったらしい、これが徳なのか」

「赤の他人を非難せねば自らの学問が成り立たない、違う、自ら物ごとを考えることが学問であり、真面目に拘ること自体方向がズレている」

「孔夫子の思い、理想を追わず、周囲を見回して悪口をいう、努力を誇る、これでは学問をするほど永劫の苦しみが待ち受ける、哀しきことかな」

#三行詩 20250104

 

○土曜日の午後、初詣

「喘息の様子を窺いながら一人、子の氏神様へ初詣へ、鳥居を出た瞬間、心身の雲が晴れた様な感覚」

「少し、歩いてみよう、七日間、伏せた自室に戻る気もしない」

「穏やかも暖かさを感じる夕陽を浴びながら森へ向かう、モーツァルトピアノソナタ集を聴いている」

#三行詩 20250104

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○土曜日の夕方、帰宅中

「不真面目、異端、偽善、よく考えれば私そのものに思う、そう、私はこういう人間だ」

「旧き友はいう、俺たちは異端なんだよ、おう、と即答するのが常ではなかったか」

「不真面目は生来のことなので今さら感がある、更に偽善まで増えた、楽しい年になりそうだ」

#三行詩 20250104

 

○土曜日の夜、自宅

「アマプラV、映画オッペンハイマーを観る、アメリカの正義、支配の論理、戦争こそ全ての罪、で済むことではない」

マッドサイエンティストたちと、原爆を落とすと決めた大統領、今だに裁かれてはいない」

ナチスアイヒマン症候群と何が違うのか、弱者が虐げられる世の中に何の変わりはない、地獄は満員に違いあるまい」

#三行詩 20250104

 

所感)

■2025年、お正月終わる

年末にウィトゲンシュタイン関連の本を買い漁り、ぼちぼち読んでいる。

気付く、訳者(著者)のウィトゲンシュタイン愛のそれぞれの違いだ。

今、手に入る本は大概が良書であり、どの本を読んでも学べる、だが匂いが違う。

 

著者自身の経験、思想を杖にして深くウィトゲンシュタインの内面に、そう埋没するかのように読者を誘う、生々しき匂いの本があった。

ウィトゲンシュタインから離れた位置で、アカデミックな、木漏れ日のさす大学の講堂で授業を受けているかのような匂いがする本もある。

一つ、貫くのは天才・ウィトゲンシュタインの、その人そのものからの匂う、苦痛と苦悩、真の真理を求める叫び、いや、絶叫かも知れない。

 

本文はいたってシンプル、無機質な文列の連なりに過ぎない。しかし真実はウィトゲンシュタイン内の潜むドロドロとしたカオスを繰り返し蒸留し、その上澄みをスプーンですくったかの様な、濃い、とても濃い言葉の連なりだ。

 

故に、ここ二十数年、「ウィトゲンシュタインは理解出来る人しか理解出来ない」この当たり前のジレンマから抜け出せない。

私は未だにウイトゲンシュタインを理解出来ていない、ひょっとしたら一生をかけても無理な気がする。

それでも匂うのだ、世界の真理がここにあるのではないかと。