四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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論語 憲問第十四(7)〈白文・意訳・所感〉

論語憲問第十四(31〜36)〈白文・意訳・所感〉

 

『子貢方人、子曰、賜也賢乎哉、夫我則不暇、』

論語憲問第十四31(全文)

 

○「子貢方人、子曰、賜也賢乎哉、夫我則不暇、」

▶子貢、常日頃から人を比べることが多かった。孔夫子はいわれた、賜(子貢)よ、賢くなったものだな。私にはそのような暇など無いぞ。

❖ 学問の道

優秀な子貢、故に学問が未熟の頃は、他の門人の能力の低さ(自らの優秀さ)を周囲に述べることがあった。

夫子は、その驕りが子貢の学問を駄目にすることを知っている。

故に、師の私ですら、今、この瞬間でも学問の道を精進しているぞ、汝の如きの学問で、人を評する暇があるのか、と学問の道を軽視した子貢を戒めている。

そして、子貢よ、汝の学問の目的は、そのような下らないことなのか、と。

 

『子曰、不患人之不己知、患己無能也、』

論語憲問第十四32(全文)

 

○「子曰、不患人之不己知、患己無能也、」

▶孔夫子はいわれた、世の中の人から知られていないと心を患う、そうではあるまい。(学問の道を歩む人とは)自らの仁徳の低さを、徳の広がりのなさを、中途半端な学問こそ、心患うべきである。

❖ 小人と学問の道

もはや小人ではない、学問の道を歩む者の心構えを夫子は述べられている。

逆説的には、人間、誰でも世に名が知られたい、知られないことを患うものであることを認め、

それを弱さ、小人であるとする。

学問の道を歩み、広げる自らの仁徳とは、周囲へ宣伝する、誇るものではない。

仁徳とは及ぼすものであり、向き合うことは周囲からの評価ではなく、自らの仁徳を広げる(学問の道)ことだ、と。

 

『子曰、不逆詐、不億不信、抑亦先覚者、是賢乎、』

論語憲問第十四33(全文)

 

○「子曰、不逆詐、不億不信、」

▶孔夫子はいわれた、人と接しても騙されまいと疑いもせず、裏切られるかも知れないと憶測などしない、

❖ この句、難解なり

この章句、短文ながら十日ほど解釈に悩む、難解なり。

夫子の述べられる賢さ、とは人から騙されない、裏切られない、これらを先に気付くことではあるまい。

そもそも小人は視野に入っていない、天下泰平を目的とする夫子が?

 

○「抑亦先覚者、是賢乎、」

▶日常、ただ仁徳を貫くのみ。故に、小人の騙そう、裏切ろうという思いも先んじて悟ってしまう。賢者とはこういうものだ。

❖ 賢、難解なり

ここでの「日常、ただ仁徳を貫くのみ。」は、意訳である。

当初は「仁徳」を「道」としたが改めた。

この短文から、この句の目的、賢者のあるべき姿は知り難い。

もう一つの解釈としては、文脈通り、単に小人に対する対応を述べた(学問の道を歩み、賢くなれば小人の浅はかさは先に悟れるものだ)、とも。

 

『微生畝謂孔子曰、丘何為是栖栖者与、無乃為佞乎、孔子対曰、非敢為佞也、疾固也、』

論語憲問第十四34(全文)

 

○「微生畝謂孔子曰、丘何為是栖栖者与、無乃為佞乎、」

▶微生畝、孔夫子を評していう、丘(孔夫子)はどうして、落ち着きなく動きまわっている者なのだろう、君主に阿て取り入ろうとでもしているのか。

❖ 孔夫子への批判

微生畝は隠者であったらしい。夫子を丘、と言える人物像は、夫子に対しての批判的な内容を踏まえると孔門以外、同郷の人物、或いは宮廷での反対勢力、異なる思想の持ち主となろう。

夫子を全否定しているこの句は、心ない人たちには、夫子がそう見えた(見える)一面があったとも解釈出来る。

【人名】微生畝(びせいぼ)

・偏屈で物怖じしない性格。

・「中庸」や「礼」を欠く行動を孔夫子からたびたび批判された。

 

○「孔子対曰、非敢為佞也、疾固也、」

▶孔夫子はいわれた、君主に阿て出世を窺っている訳でありません。(学問の道での)現状に凝り固まる、留まることを嫌うだけです。

❖ 振れない孔夫子

夫子は振れない。忠恕、一つで貫かれており、その為の学問の道(先王の教え)を、弛みなく歩まれる姿勢も終生、貫かれた。

是には是、否は否と端的に答えて、その主旨を述べる。

夫子を批判した微生畝は、ぐうの音も出なかったのではないか。何故なら、常日頃の夫子、そのままの姿を夫子は述べられたに過ぎない。

結果的には、妙な邪推をして、夫子を陥れる言葉を述べた微生畝の資質、自体にこの件を知る人皆、疑問符が点ったのだ。

 

『子曰、驥不称其力、称其徳也、』

論語憲問第十四35(全文)

 

○「子曰、驥不称其力、称其徳也、」

▶孔夫子はいわれた、名馬とは、その筋肉の伸びやかさ、毛並みの美しさをいうのではなく、内面から全身に出る気品、徳の高さにより、名馬と称賛されるのだ。

❖ 人は道徳にこそ

孔夫子の視野の広さと、馬術にも精通しておられた、孤児として世の中の辛酸を踏まれた苦労人の一面が垣間見える。

当然ながら比喩であり、外見の良さや良い人の振りをする、或いは地位名声を得ている人物が、イコール君子ではない。

人の優劣とは、内面にあり、道徳の高低にある。君子とは、学識を深め、礼楽に精通し、内面の仁徳を深く押し広げたと人物である、と夫子は述べられたのだ。

 

『或曰、以徳報怨、何如、子曰、何以報徳、以直報怨、以徳報徳、』

論語憲問第十四36(全文)

 

○「或曰、以徳報怨、何如、」

▶或る人はいう、自らの徳を以て、小人から受ける怨みつらみを受け止め報いることがが君子ですか。

❖ 学問のジレンマ

中々良い質問に思える。学問の道を歩む過程で、多くの人が悩むところだ。

真面目に学問に取り組む人ほど、小人の言動は、接する自身の徳の低さに原因があるのか、と受け止めかねないジレンマに違いはない。

多くの人がここで、或る人と同じく勘違いをしている。世の中の小人を、学問の道を歩む者と同一視している。

小人は私利私欲、学問を歩む者は公正無私を求める、根本から違うのだ。

小人は怨む、君子は忠恕(誠と思いやり)、どうして君子が小人のレベルに合わせる必要があろうか。

君子は、一つ、忠恕を貫く人のことである。

 

○「子曰、何以報徳、以直報怨、以徳報徳、」

▶孔夫子はいわれた、では人の徳の行いを、何を以て受け止め報いることが出来ようか、

小人からの怨みつらみには、ただ公正無私の正しさを以て対処し、

人の徳の行いには、自らの徳を以て、誠心誠意受け止め報いるものだ。

❖ 小人と君子の違い

小人に何故合わせなければならないのか、現代でも通じる小人への対処方法に思う。

相手に合わせることが、思いやることではない。

公正無私の視点で正しきことを述べる、勿論思いやるとは相手を、仁徳の方向へ導く一面もある。

しかし、私利私欲の小人は欲にくらみ手段を選ばない時もある、正せば怨みに思い危害を加えてくることもあるものだ。

故に、ただ、自らは正しいことを述べるだけで良い。

仁徳の方向へと導くに、相手にも仁徳、忠恕が無ければ導きようがないではないか。

学問の道を歩む者、同士が後人を引きあげるに、徳には徳で応える、夫子の現実主義的な一面も読み取れる。