四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百二十三章(泰伯第八②)

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○日曜日の午後、1月21日、自宅

 

詩云、戦戦兢兢、如臨深淵、如履薄氷、而今而後、吾知免夫、小子。泰伯篇三

 

曽子、傷のない手足を見せていう、詩経にこうある『戦々恐々として深き淵に臨みて、薄氷の上を歩むが如く』と。臨終を迎え、ようやくこの心配から離れられるのだ。お前たち、よく理解するのだよ。

 

「孝とは親に心配をかけない、=親から与えられたこの身体を傷つけ、欠損させないこと。しかし、この乱れた世の中を生き抜くには並大抵のことではなく、文字通り、薄氷を踏むが如く、慎んで生き抜くことの大切さを曽子は臨終にて弟子たちに述べた」

 

#論語

 

○月曜日の朝、通勤

 

曾子有疾、孟敬子問之、曾子言曰、鳥之将死、其鳴也哀、人之将死、其言也善、泰伯篇四

 

魯の国の大夫である孟敬子、重病の曽子を見舞う。曽子はいう、鳥まさに死なんとする時その鳴き声は哀しく、人まさに死なんとする時その言葉は善し、と古語にあります。最後に三つのことをお伝えしたいと思います。

 

「孟敬子は、孔夫子の弟子である曽子に師事していたかも知れない。臨終の曽子は、君子として守らなければならないことを三つ述べる」

 

#論語

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

諸橋轍次先生の論語解釈は現代語訳の白眉であり、他の本ともほぼ相違ない」

 

「一方、根本通明先生の論語解釈は現代とは少し異なる部分がある」

 

「私の中で培った孔夫子像が語る言葉では、根本先生が正と思う、根本先生の孔夫子は全体から一句まで言葉がぶれない」

 

#三行詩

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○月曜日の夕方、通勤

 

君子所貴乎道者三、動容貌、斯遠暴慢矣、正顔色、斯近信矣、出乱気、斯遠鄙倍矣、辺豆之事、則有司存。泰伯篇四

 

君子とは日々貴ぶ道が三つあります。一つ、行いを万事慎むこと、そうすれば権力や名声から生じる驕慢は遠くなります。二つ、顔色は常に温和であること、そうすれば周囲から信頼を得れましょう。三つ、言葉使いを丁寧に、礼節を持って発すること、そうすれば野卑な汚い言葉は遠くなりましょう。最後に、祭祀のときの台の位置等の細かなことを気にする必要はありません。担当の役人に任せれば良いのです。

 

「行いを慎重に、顔色は温和に、言葉は礼儀正しく。どれも今、この瞬間から行えることでありながらも、実際は中々出来ることではない。故に君子なのだ。そしてこれらの目的は人の上に立つことではない。君子とは、民を率いて苦しむ民を救うことにある。ここはぶれてはいけない」

 

#論語

 

○火曜日の朝、通勤

 

曾子曰、以能問於不能、以多問於寡、有若無、実若虚、犯而不校、泰伯篇五

 

曾子はいう、学問の道であれば自らの方が優れていても、劣った者にも教えを請い、多くを知っていても、少ししか知らない者にも教えを請う。学識や才能があっても何も知らないかのように振る舞い、自らの内面が充実していても空虚なように見せる。間違ったことで攻められても敢えて歯向かわない。

 

顔回を述べた句。孔夫子とはタイプが異なるも、大舜と同じく彼も儒学の聖人であると思われる。敢えて作った人柄などではなく、天然でこのような人物なのだろう。言い換えれば、やはり聖人とは特別枠、常人が達せられる境地ではないと思う」

 

#論語

 

○火曜日の夕方、通勤

 

昔者吾友、嘗従事於斯矣。泰伯篇五

 

昔、孔夫子の門下には、このような朋がいたのです。

 

「年老いた曽子が、若くして早世した朋、顔回を述べているとされているが、孔夫子の門下、学問の道を歩む者、全ては、斯くあるべきであると、理想の姿を述べたのかも知れない」

 

#論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

曾子曰、可以託六尺之孤、可以寄百里之命、臨大節而不可奪也、君子人与、君子人也。泰伯篇六

 

曽子はいう、幼子のまま継いだ君主を託せれる仁徳、家老として国の政を任せれる力量、危急の時においても揺るがぬ誠、これでこそ君子といえます。

 

「仁徳と誠は君子としては当たり前のことであろうが、一国の政治を宰相として行える人物とは数限られる、とはならない。大きな仁徳と自らを誠にして(政治を)実践するのが君子だ。仁徳、誠、実践、これらは一つであり、故に学問の道なのだと思う」

 

#論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「学問は積み重ねであり、連なりであるとブログによく書いている」

 

「最近、繋がりも学問であると実感する」

 

四書五経も繋がりであるし、それらを踏まえた論語の様々な解釈もそうだ、縦と横の軸が重なり始めた気がする」

 

#三行詩 #根本通明先生

 

○水曜日の夕方、通勤

 

曾子曰、士不可以不弘毅、任重而道遠、泰伯篇七

 

曽子はいう、学問の道を歩む者とは、自らの度量を広くし、自らの思いを毅くしなければなりません。目指す仁者の為すべきことは、とても重く、遠い道を歩むことになるからです。

 

「曽子は興味深い、しかし自らの学問が浅く、子路顔回、子貢のような顔(性格・イメージ)が浮かばない。幸い、先週、明治書院の『孝経』(曽子が作者とされる)を古書店で買えた。今、写経している根本先生の論語講義のあとは孝経に進もうかと思う。早くても夏以降になりそうだ」

 

#論語

 

○木曜日の朝、通勤

 

仁以為己任、不亦重乎、死而後已、不亦遠乎。泰伯篇七

 

さらに曽子はいう、学問の道を修め、仁徳を広げて周囲へ及ぼし世の中を善くしようとする、なんと重い道でしょうか。そしてその道を死を迎えるまで歩む、なんと遠い道のりでしょうか。

 

「孔夫子であれば、現実的な言葉を重ねられるが、曽子は『死而後已』のように、のちの孟子を感じさせるような、激しい言葉が並ぶ。興味深い」

 

#論語

 

○木曜日の夕方、通勤

 

子曰、興於詩、立於礼、成於楽。泰伯篇八

 

孔夫子はいわれた、詩経によって感性を磨き、礼節を学ぶことにより社会にて自立し、音楽により楽しみを得て、人は一人前になるものだ。

 

「この句、最後の『成於楽』をどう意訳するのかで迷う。主語を人とし、人として完成する、との現代語訳が多い。究極的にはそうであるが、だからといって詩経と礼節、音楽を学べば、人の完成形である君子になれるのだろうか。まず、社会人としての基礎教養を学ぶ、一人前になることが『成』ではないか」

 

#論語

 

○金曜日の朝、通勤

 

子曰、民可使由之、不可使知之。泰伯篇九

 

孔夫子はいわれた、仁者は、自らの徳を広げて民を仁徳(思いやり)へと及ぼせなければならない。ただ仁徳、仁徳と知らしめて何になろうか。

 

「この句は解りやすい、『之』をどう解釈するかによる。一般的には、民を政に従わせることは出来るが、その理由を理解させることは難しい、との現代語訳が多い。しかし、私の中で積み重ねた孔夫子は、このようなことはいわれなかった」

 

#論語

 

○金曜日の夕方、通勤

 

子曰、好勇疾貧乱也、人而不仁、疾之已甚乱也。泰伯篇十

 

孔夫子はいわれた、勇気と度胸を備えた者たちが貧困、或いは困窮した場合、世の中に下剋上の争乱が起こるものだし、人の不二の行いを憎み、恨みすぎても、正義の名のもと、国の内外に争乱が起こるものだ。

 

「故に、孔夫子の教え、学問の道がある。上に立つ者は自らを誠にし、仁、思いやりを広げる、実践する。民はその仁徳に及ぼされ善となる。法治国家を否定する必要などいない。法治+徳治・道徳教育が必要なのだ。不仁、或いは私利私欲に走る権力者、支配層そのものが生まれない社会をきっとだ」

 

#論語

 

○金曜日の夜、自宅

 

「愛読書は、と問われれば実は論語ではない、論語儒学は学問の道、自らを磨く為に学んでいる」

 

岩波書店刊、世界史年表・日本史年表」

 

「この二冊、暇さえあれば開いている、読んでいる、日本語で記された本では最善の類だと思っている」

 

#三行詩

 

○土曜日の午後、ウオーキング

 

子曰、如有周公之才之美、使驕且吝、其余不足観也已。泰伯篇十一

 

孔夫子はいわれた、周公旦の如き家柄と才能に恵まれた人であっても、学問の道を歩むことなく、仁徳を広げることなく、ただ私利私欲のままに富や権力に驕り、困窮した人たちにも吝嗇である。もはや人として評する価値もあるまい。

 

「周公旦の如き才や家柄とは、孔夫子の述べられる最高の表現でありながらも、傲慢不遜、貪欲吝嗇であれば、それらをドブに捨てるような、吐き捨てるような人物であると孔夫子は述べられた。周王朝を蔑ろにする下剋上の時代に対して、怒りと嘆きを禁じ得ないお気持ちが、言葉に出たのかも知れない」

 

#論語

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○土曜日の夜、自宅

 

「晩飯のち、アマプラV『恋の潜伏捜査』を観ている」

 

「80年代少女漫画風ラブコメ学園刑事物語韓国映画は面白い、迷いなくこのノリでも振り切ってくる」

 

「邦画では『翔んで埼玉』の続編を観るのを楽しみにしている、こういう類の映画は大好きだ」

 

#三行詩

 

所感)

■土曜日の夕方、マクド

アトピー性皮膚炎の具合、悪し。

手と脚に包帯を巻いてる、浸出液が止まらない。

別に掻き壊してはいない、股引や長袖シャツにすら耐えられず剥ける肌、しかし裸では流石に生活は出来ない。

子も、悪し。

両脚の膝裏を掻き壊し、浸出液が酷い。

親子でアトピー性皮膚炎に苦しんでいる。

やれやれ。

 

夕食はサイゼリヤを希望した子も、流石に今日は外出は諦め、肌の回復を待っている。

妻が子の好物、お気に入りの四川料理の店により、鶏の足(もみじ)を買ってきてくれた。

子の笑顔。