
◆今週の詩- 倦怠
- 鐘
- 否
- 終着駅
- 口 (詩誌 MY DEAR 佳作一歩前)
- 黒と白
- 信じる
- 挨拶
◯月曜日の夕方、通勤
『倦怠』
言葉は
意味を失い
音が残された
やがて
音も失われ
暗闇と真空が
世界を覆う
無数の
星であったものが
宙を漂う
もう
このままでいい
再び
星屑は
重なり合い
力を蓄え始める
ぶつかり合い
大きさを増していく
周囲の塊を、吸収していく
重力は
中心にマグマを
火山は
大気を真空に放つ
音が
意味を得て
言葉が生まれる
また
繰り返し
疲れている
うんざりしている
ただ
暗闇と真空の中で
漂いたい
意味を
求め続ける
因果の行く末などに
興味は失せた
眠りたい
二度と
目を覚まさせないで欲しい
音が
鳴っている
言葉も
#自由詩 20260629(ver1)
◯火曜日の朝、通勤
『鐘』
2025年
出生数67万人
出生率1.14
国家存亡の危機
近い
未来が見える
若者が四割を切り
老人が多くを占める
そして
人種は入り混じり
差別が当たり前の社会
偏見がまかり通り
嘲笑う、暴力が蔓延る
憎しみは復讐を誘い
さらなる応酬が繰り返される
逃げ去った富裕層
貧しさだけのスラム街で
その日暮らし
民主政治は崩壊し
人種ごとの住み分けが進む
国家としての体はなせず
各地が自治領として独立
互いに、争い続ける
廃墟と貧困、疫病が
広がり続ける
三十年から
五十年後のこの国の姿
鐘は
鳴り響いている
現在、進行形の国々は
為す術もなく
崩壊していく医療と治安
国、人
そのものが変質していく
誰でもない
誰でもある
何処にでもいる
アイデンティティ無き
混沌の集団へ
✳
通勤の途中
周囲を見回す
⋯⋯
平和な世界と
あちこちに破綻の兆候
10年後、20年後も
出生数と出生率は
下がり続ける
砂に埋もれた廃墟のように
地中に眠る遺跡のように
国家そのものが
滅亡へと向かう
何処からか
鐘の音が聞こえる
弔いの鐘が
鳴らされている
#自由詩 20260630(ver1)
◯火曜日の夕方、通勤
『否』
結局、人間とは
救われない
愛と業の
果てしなき深さ故に
どう足掻いても
苦しみ続ける
故に、仏や神が
必要とされる
人間とは
人間では救えない
領域がある
見せかけの幸不幸
喜怒哀楽を生む交々の
そういった
ごまかしの内に潜む
人間の心は
他人には嘘をつける
しかし
自分自身は騙せない
責める
苛む、最大の存在とは
自分自身
地獄とは滑稽
自分自身こそ
最悪の獄卒であるのに
業火や串刺しが
どうしたというのか
人間の
最大の苦しみとは
生きること
罪を重ねること
愛と業は
人間そのものを
形づくり
根本から破壊する
人間は
簡単には死ねない
自分が
人間であるとの認識は
地獄の
最下層で蠢く
亡者と等しい
哀れ哀れ、ただ哀れな自分よ
消滅を願う
一秒でも早く
人間という意識を失いたい
天国から垂れる
一本の糸
結局、人間とは
救われない
たった独りで
溺れ、足掻き、苦しみ続ける
そのために
神や仏が必要とされる
否
希望を、救いを
棄ててこそ
真実が現れる
#自由詩 20260630(ver1)
◯水曜日の朝、通勤
『終着駅』
今回も抜け出せない
繰り返し
同じ時にいる
どうすれば
ループを破壊出来る
何処にでもある
通勤電車内
乗り換え駅までの
四半刻を
一ヶ月繰り返している
水や食料は
毎回、同じ乗客から奪う
終着駅に着けば
何をしてもリセット
非常停止ボタンは無効
車掌に説明しても
四半刻には忘れられる
疲労、眠気
数時間眠っても
起きれば状況は変わらない
ガタンゴトン
規則的な走行音と
微振動が続く
牢獄に
閉じ込められた感覚
考えろ、考えろ
何か変化点はないか
座席に座り続ける
周囲を見回す
慣れた動作で非常扉を開ける
このまま外に出ても
瞬間、最初に戻る
ならばと
無表情に
なんの感情も沸かず
逃げる乗客を
片っ端から外へ放り出す
悲鳴が
車内に響き渡る
電車が
終着駅のホームへ
戻らない
アナウンスが流れ
電車は止まる
扉が一斉に開く
助かった
ループを破壊出来た
パトカーのサイレン音が
大きさを増している
数人の駅員が
こちらに向かってくる
そうかと
無表情のまま
走りだす
ここから
放り出さねばならない
まだ
続いているらしい
#自由詩 20260701(ver1)
◯水曜日の夕方、通勤
『口』
みんな
今から小ミーティングに入る
集まってくれ
会議室に入る
さて、今週の売り上げ
どうなってるか説明してくれ
はい
Bが、目標数値と
達成率の説明を始める
各自、ノートパソコンの
画面を見ながら話を聞いている
バンッ
Y課長が、軽く机を叩く
蜘蛛を見つけたらしい
次に、Cが話している
ふと、Y課長を見ると
口を動かしている
いつ、ガムを口にしたんだろう
会議は続く
バンッ
Y課長が机のヘリを叩く
小さなヤモリらしき尻尾が見えた
さて、次が私だ
画面を見ながら進捗を説明する
ふと
Y課長を見る
口を動かしている
端に、尻尾が見えた気がする
言葉に詰まる
どうしたんだ、A
Y課長は
何かを噛みながら
こちらに話しかけてくる
ネチャネチャと
生臭い
い、いいえ
何でもありません
説明を終える
よし、わかった
みんな、この調子でな
ミーティングは終わった
どこか空腹を覚えた
#自由詩 20260701(ver1)
◯木曜日の朝、通勤
『黒と白』
赤い靴というものを
この歳まで履いたことがない
靴といえば
学生時代は白
会社勤めでは黒か茶
休日も黒、青くらい
そもそも
服装が目立たない
黒か紺にワイシャツ
或いは
休日は地味なTシャツ
服装は変えられない
何十年、同じ格好
しかし、靴は変えられる
赤がいい
蛍光色のオレンジも
グッとくる
絵に描いた様なサラリーマンが
ある日の通勤で
カーマインレッドの靴を
履いて歩いている
白黒茶色で
変わらない通勤風景の中で
私の足だけが
今、ここで
光り輝いている
これは
魅力的に思えて仕方がない
夕方、靴屋さんに向かう
若者向けのお店
痛む右膝を庇いながら
探す
ルビーレッド色の
派手派手しい運動靴を
見つけた
脳裏に音楽が鳴りだす
通勤路
赤色の靴を履いて
軽やかに舞う、飛び跳ねる
自分の姿を想像する
駄目だ
いい歳をして
私の中の常識が語りかける
大丈夫か、正気じゃないぞ
ああ、わかっている
店を変えて
いつもの
黒い革靴を買うんだ
ああ、そうだね
✳
赤い靴というものを
この歳まで履いたことがない
これからも
#自由詩 20260702(ver1)
◯木曜日の夕方、通勤
『信じる』
信じるとは何か
斯く、あらねばならないことを
成し、続ける為に
必要不可欠のことと説く
希望も絶望も
何もかもひっくるめて
貴方の思う
信じることを出来たことが
貴方にとっての真実となる
他人のいう真実は
貴方の真実とは限らない
貴方の真実を
貴方自身が探し、求める
迷う、悩む、挫折する
それでも諦めない
いつかは見つかると
探し求める=信じること
結果ではない
その過程にある
どう思い、どう行動したのか
テレビや映画の
登場人物とは違う
私たちは人間であるし
人間とは
終生をかけて
信じることを創り出す
守り抜く
故に、人間なのではなかろうか
完成を求め続ける
過程に、その価値を見出す
完成は、存在しない
その次が見えるからこそ
信じることは尊い
#自由詩 20260702(ver1)
◯金曜日の朝、通勤
『挨拶』
こんにちは
お名前は何と申されますか
はい
山田左衛門尉
ヤマダ サエモンノジョウと申します
宜しくお願いします
次の方、どうぞ
はい
山田左衛門尉
ヤマダ サエモンノジョウと申します
宜しくお願いします
これは珍しい
全く同じお名前なんですね
次に女性の方、どうぞ
はい
山田左衛門尉
ヤマダ サエモンノジョウと申します
宜しくお願いします
……
なるほど
皆さん、ふざけていらっしゃる
いいですか
しっかりとチェックしてますよ
特に、そこの三人
ああ、私の自己紹介がまだでしたね
私は
山田左衛門尉
ヤマダ サエモンノジョウと申します
皆さん
宜しくお願いします
#自由詩 20260703(ver1)
所感)
■学問の道
モラルとは等価交換であり、
極端に偏るほどに、醜悪と化していく。
良い環境を希望するのであれば、優秀でなければならない。
しかし、良い環境にも悪があり、得てして悪い環境の悪より、世の中への被害は大きくなる。
孟子を学ぶ学徒としては、逆説的な言葉に聞こえるが、
善、という捉え方による。
近・現代社会に浸透した善悪二次元論のモラルと、東洋思想の一元論のモラルは根底から違う。
どのモラルを選ぶかで、人生の価値観すら左右する。
冒頭に述べた、モラルとは等価交換である、とは二元論の善悪を示す。
そして、
東洋思想の善とは、極端に偏るほどに、醜悪と化していく、悪は、行き過ぎた善にも、その姿を捉えなければならない。
善行には賞賛が与えられ、悪行には罰が与えられる。この交換原理が二元論的モラルの本質である。
学校教育のモラルはどうだろう。
超善人と極悪人がいて、集団意識を大切にしてみんなで仲良く、超善人を目指しましょう、切磋琢磨しましょう、ではない。
対価交換で、何も社会貢献(優秀な成績やスポーツで優れた実績を)出来得ない生徒は、落ちこぼれや、やがてはニートの烙印を社会から押されて、後の人生に詰まる。
極端に述べているが、この極端自体が二元論の十八番であり、だからこのような社会になっている。
もちろん、全否定するものではない。
近代化、神の下に平等、自由主義市場、二元論が根底になければ、人間は未だに封建制で空を飛んでもいないか知れない。
功罪はあれど、弱者の立場が違う。
二元論の弱者とは、極端に述べれば救済の対象として生かされている。存在自体が、受け身的な結果論.敗者=悪とすら社会に認識される。
一元論の弱者とは、勝者と対等の存在であり、その能力分の生活を過ごす、それを楽しみすらする。間違っても、勝者に媚を売り、お情けを求めることはない。
何もかも引っくくって、人間のモラルとは善悪に分けようとする。
と、するから生き難い世の中となる。
何も、その価値観を強制されている訳ではないのに、生まれてからずっと矯正され続けて、他が見えない。
論語、孟子を学ぶ、学び続ける、一生をかけて教えを実践していこうとすると、こういう価値観を抱く、気づきがある。
弱い、とは恥ではない。
弱いと、自分自身を認めて、自身の歩める人生に満足する。
他人の比較、勝ち負けは、あくまで他人の範疇にあり、
自らの悪を憎み、自らの善を、中庸に生きることとは生き易いものだ。
これを古臭いと一蹴することは簡単である。
事実、今の世の中では、そうなっている。
世の中=他人が決めた価値観に、盲目的に従うことが善、とする社会に私たちは生きている。
私は弱者である。
地位も名誉も、財産も関係はない。
それでも、私の価値観で生きる幸せを実感している。
東洋思想は学ぶだけではない、学び続ける、実践する=生活することが醍醐味ではないか。
✳
生き辛い世の中であるが、
生き辛いと思っている、その価値観自体の正誤はどうなのか。
枝葉=世の中や隣人、マスコミに答えを求めるより、
東洋思想を学ぶ、実践する。
根本を掘り返すことは、損にはならない。
何ごとも、何人も、
鵜呑みにしてはならない。
自ら考え、行動し、言葉は慎み、結果に責任を負う。
これこそ弱者の鉄則ではなかろうか。