四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百二十二章(述而第七②)

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○日曜日の午後、1月14日、ウオーキング

 

子曰、若聖与仁、則吾豈敢、抑為之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣、述而篇三十三

 

孔夫子はいわれた、学問の道の目標とは、自らを聖人や仁者へと近づけることであるが、私は未だにそれらに及ばない。ただ、止まることなく学問の道を歩み、飽きることなく人に教えることだけだな。

 

「若聖與仁、則吾豈敢とあるも、常に学ぶ、省みて実践する人こそ聖人であり、仁者なのだと思う」

 

#論語

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○日曜日の夜、自宅

 

「毎日、根本通明先生の論語講義を少しずつ繰り返し読み、ノートに写経している」

 

「参照として、諸橋轍次先生の論語の講義を横に開くと、どうも形が良くない、机上が狭すぎる」

 

「明日が誕生日なので、Amazon書見台を買う、ささやかながら自らへのご褒美としたい」

 

#三行詩

 

論語を解説した本としては、根本通明先生の本はとても中身が濃く、なるほど、と思うことばかりが続く」

 

「参照している、諸橋轍次先生の本との比較も面白い」

 

「問題は、夢中になり過ぎて睡眠時間を削ってしまうことだ、明日から金曜日までは仕事、ここらで寝るとしよう」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、通勤

 

公西華曰、正唯弟子不能学也。述而篇三十三

 

そして弟子の公西華はいう、それこそが私たち門人が達せない境地なのです。

 

「孔夫子は聖人であるが、宗教的というよりは先王の教えを学び、実践する、実務者としての聖人であられた。しかし42歳も年下の弟子の子華にとっては崇拝の対象であり、宗教的な意味あいすら師に感じている。孔夫子は自分が後世の弟子たちから宗教的対象とされることを望まれたのだろうか」

 

#論語

 

○月曜日の夕方、通勤

 

子疾病、子路請祷、子曰、有諸、述而篇三十四

 

孔夫子、重い病を得て床に伏される。子路、心配のあまり病を祓う祈祷を捧げることを願う。孔夫子はいわれた、そのような故実があっただろうか。

 

「快男児である子路も、心から尊敬する師の重い病では狼狽えるしかない。普段であれば子路のような硬骨漢が祈祷など思いも寄らぬ。しかし、病に苦しまれる孔夫子を見て、二進も三進も行かぬと神頼みの赦しを乞う姿は滑稽でもあり、師弟関係の深さに感動すら覚える」

 

#論語

 

○火曜日の朝、通勤

 

子路対曰、有之、誄曰、祷爾于上下神祇、子曰、丘之祷久矣。述而篇三十四

 

そこで子路はいう、誄という祈祷の言葉に、『汝の幸いを天地神明に祈る』とあります。孔夫子はいわれた、天の命に生きる私に、どうして天地神明に祈る必要があるかな、と祈祷をお断りになられた。

 

「孔夫子も弟子の子路もリアリストであり、祈祷を信じている訳ではない。しかし師は弟子の思いを汲み、言葉を返し、そして弟子に道を教えたのだ」

 

#論語

 

○月曜日の夜、自宅

 

「根本通明先生の論語講義は凄い、一々が肚に落ちる」

 

「例えば為政第二の異端の解釈、『異端といふは、今日、専ら修めて居る他が皆異端である。』とくる」

 

「学問が楽しい、寝る時間が勿体ない、写経しつつ時を忘れている」

 

#三行詩

 

「何を以って、あの孔夫子が何を異端とするのか」

 

「ここが意訳で引っかかる、道に生きる孔夫子が、他者や他の学問を差別などするだろうか」

 

「そこで、根本通明先生は、今進むこと以外は異端であるとする。凄い解釈だ、言葉に誤魔化されず、本質を得ている」

 

#三行詩

 

○火曜日の夕方、通勤

 

子曰、奢則不孫、倹則固、与其不孫也、寧固。述而篇三十五

 

孔夫子はいわれた、名声や富を得れば、人は傲慢で不遜になるし、貧しくて倹約に努めれば、人は吝嗇で頑固になるものであるが、不遜であるよりは頑固のほうがまだましだな。

 

「人の悪とは、富や権力を得て傲慢で不遜になることに尽きる。二千五百年前の中国の君主もそうであるし、利権を独占して、世襲治外法権で罪にも問われず、国民に増税を繰り返す、何処ぞの国会議員団もそうなのであろう」

 

#論語

 

○火曜日の夜、自宅

 

「一日の務め終わらし小さな書斎に籠る、今日はバッハ、ゴルトベルク変奏曲を微かに流す」

 

「根本通明先生の論語講義を書見台に置き、続きを開く、ノートとペンも準備よし」

 

「今から就寝までが至福の時間なり、白文からじっくり取り組む、考える、学ぶ、写経する」

 

#三行詩

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○水曜日の朝、通勤

 

子曰、君子坦蕩蕩、小人長戚戚。述而篇三十六

 

孔夫子はいわれた、仁徳で満たされている君子は穏やかでのんびりしているし、私利私欲で頭がいっぱいの小人は何時もびくびくしているものだ。

 

「私利私欲を追いかけて小さな幸せを得、次々と失うことを恐れて更に私利私欲を追いかけて生きるか。学問の道を歩み、自らの仁徳を広げて伸びやかな人生を歩むか、自らの選択肢による因果報応は避けられない。もちろん、私は後者を選ぶ」

 

#論語

 

○水曜日の夕方、通勤

 

子温而厲、威而不猛、恭而安。述而篇三十七

 

孔夫子のご様子は、温和でありながらも厳しさが垣間見られ、威厳がありながらも猛々しくはなく、礼儀正しくもゆったりと落ち着かれておられた。

 

「この句、難解なり。対になる形で夫子のご様子が述べられており、中庸を体現しておられたと思うも、孔夫子も人間であり、対句のような形ではなく、人を包み込むような温かさが全面に溢れておられたのではないか。威厳や厳しさは時と場合と場所により自然とにじみ出られたと思う」

 

#論語

 

○木曜日の朝、通勤

 

子曰、泰伯其可謂至徳也已矣、三以天下讓、民無得而称焉。泰伯篇一

 

孔夫子はいわれた、周の太王の長子であり、季歴(のちに周王朝を開いた文王の父)の兄である泰伯とは、なんと至徳の人物であろうか。三度、王位を弟の季歴に譲り、民にそれを知らせもせず国を去ったのだ。

 

「有能でありながらも、父である太王が、弟の季歴の子である姫昌(のちの文王)に王位を譲りたい意向であることを知り、次兄をも誘い、南方の国に隠れた人物。孔夫子はその徳を最上であるといわれた」

 

#論語

 

○木曜日の夕方、通勤

 

子曰、恭而無礼則労、慎而無礼則思、泰伯篇二

 

孔夫子はいわれた、いくら恭しく人に敬意を示そうが、礼儀と節度が無ければ相手にその心は伝わらず、お互い徒労に終わるものだ。また、いくら慎み深くして自らを律しようが、礼儀と節度が無ければ相手に自らはどういう人間かは伝わらず、恐れ慄いていると勘違いされるだけだ。

 

「形だけの礼儀や、節度なき作法は礼節とは遠い。ともに学問の道で学び、実践し、省みながら身に付けるものだ。いくら礼の本質、尊ぶことを理解はしていても、表現の方法を学ばず、自己流や見て真似ただけの礼儀では、自らの浅はかさを露呈するようなものではないか」

 

#論語

 

○金曜日の朝、通勤

 

勇而無礼則乱、直而無礼則絞、泰伯篇二

 

また、勇気があり、行動で示そうも礼儀と節度がなければ荒ぶる者と変わることがなく、素直で正直であっても、礼儀と節度がなければ辛辣な物言いと人から思われるだけだ。

 

「礼節とは人の根本にあり、社会生活での規律・規範を示すとともに、物理的な中庸をももたらす。そして美徳を美徳成らしめるのだ」

 

#論語

 

○金曜日の夕方、通勤

 

君子篤於親、則民興於仁、故旧不遺、則民不偸。泰伯篇二

 

君子が両親や兄弟への孝行を厚くすれば、それを見て民の間にも仁徳(思いやり)が広がる。また、君子が旧き友を大切に扱うのであれば、それを見て民の間にもお互いに親切し合うようになるものだ。

 

「仁徳とは広げるものであり、広げるとは、及ぼすことだ。プレゼンをしたり、アピール合戦、言葉で仁徳は広がるものではない。学問の道を歩み、学び実践する。徳治政治とはリーダーの仁徳を広げることから政が始まる」

 

#論語

 

○金曜日の夜、居酒屋さん

 

「心が言葉であった時がある、子が産まれ、初対面の時に呼んだ、決めておいた子の名前」

 

「あれは契約、なのかも知れない、この子が成人するまでは、この子の為に生きるのだ」

 

「仁徳、忠恕とは親から子への連なりに根本がある、言葉は心、重く尊く、であるべき存在だと思う」

 

#三行詩

 

○金曜日の夜、本屋さん

 

「微酔し、紀伊國屋書店梅田本店をぶらりと巡る」

 

「新書コーナーで、貝塚茂樹先生の『孔子』と目が合う」

 

「手に取り、読む、ああ、この本ともご縁があったらしい、有り難いことだ」

 

#三行詩

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「次いで東洋思想コーナーへ、ふむふむ、と背文字を追いかける」

 

「あるがままに生きよう、と腰巻にあるを見る」

 

「安易過ぎる、その為に成すべきことが、その本を読めば成せるのだろうか、著者は天才なのだ、私は小人なので及びもつかないと思う」

 

#三行詩

 

紀伊國屋書店横にある、古書店街へ寄る」

 

「古本屋さんに入ると、何時も緊張する、店主との真剣勝負な気がする」

 

「棚に明治書院の孝経、しかも1,500円、即買いする」

 

#三行詩

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○金曜日の夜、自宅

 

「最初はアメリカのいわゆる三流映画のノリ、飽き飽きだけど少し惹かれる」

 

「・・・凄く練られたシナリオだ、途中から先が見えて唸る、面白い」

 

「この映画は大好きだ、繰り返し観ても観飽きない、見事なり、アマプラV、コンテイニユー」

 

#三行詩

 

○土曜日の午後、ウオーキング

 

曾子有疾、召門弟子曰、啓予足、啓予手、泰伯篇三

 

曽子、病がいよいよ重くなり、門弟たちを床に集めていう、お前たち、私の足と手を布団から出しておくれ。

 

「曽子の述べた孝とは、仁徳の根本、或いは原理原則といえる。孝に関して為政篇二に『孟武伯問孝、子曰、父母唯其疾之憂。』とあり、また、為政篇七にも『子游問孝。子曰、今之孝者、是謂能養。至於犬馬、皆能有養。不敬何以別。』とある」

 

#論語

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○土曜日の夕方、マクド

 

「途中、ガチャガチャと目が合う、300円を入れて、回す」

 

「すべてがおしまいになったウサギ クリアーバージョン」

 

「なんとなく中2の子と似ている、今、横にいるが、本人は面白くもなんともないという」

 

#三行詩

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○土曜日の夜、自宅

 

「人は弱いものだ、故に強さに憧れる、しかし強さは二元論からの開放ではない」

 

「弱肉強食、現実は弱い者が虐げられる世の中、少なくともこの二千五百年変わらない」

 

「故に孔夫子の教えがある、人は平等であり、忠恕、思いやりの連鎖こそ全ての人に幸せをもたらすと」

 

#三行詩

 

所感)

■土曜日の夜、自宅

・仕事≦忙しい。

・家庭≡やや問題あり。

・趣味≪学問の道、楽しくも時間が足らない。

・健康≫アトピー、変わらず浸出液止まらず。

 

映画、コンテイニューがツボにはまる。

こういう映画は好きだ。

主役のフランク・グリロのマッチョでとぼけた、且つ、80年代ゲーム(永遠なれ)風に進みつつ、推理小説風に真相を読み解く、さらに親と子の連なりも描いている。

今も繰り返し観ている。

 

80年代アーケードゲームダブルドラゴンは高校時代、田舎のNとゲーセンで繰り返し遊ぶ。

肘打ち無双の面白いゲームだ。

SEGAアフターバーナー等、ゲーセン全盛の時代、8ビットの世界に来たるべき近未来を確信したのは16歳の頃だった。

 

大学時代はSF小説、 アメリカのR・A・ハインラインを読み耽り、P・K・デイックに心酔し、初期のS・キングの小説に涙する。

 

今や53歳、歳を経たものだ。

学問の道とは、積み重ねと連なりであるが、

人の生き方も変わらない、善悪はともかく、今、生きているということは、そういうことなのだろう。