○日曜日の午前、12月17日、ウオーキング
子之燕居、申申如也、夭夭如也。述而四
孔夫子のご自宅でのご様子は、伸び伸びとして寛がれ、楽しそうに、にこやかであられた。
「申申如、夭夭如であり、これが自宅での礼節なのだ」
#論語
○日曜日の午前、ウオーキング
「稲葉浩志さんの曲を聴きながら再び冬の森を歩いている」
「洋楽邦楽を問わず、スラッシュ・メタルと日本の冬の光景はよく合う」
「寒風が心地よい、風よ、もっともっと強く吹くがよい」
#三行詩
「続いで、音楽はイギー・ポップへ、力が湧いてくる」
「ロックはいい、年老いてから聴くロックはますます良くなる」
「あらゆる音楽とは素晴らしいものだ、ショスタコーヴィチの述べたことは正しいと思う」
#三行詩
○月曜日の朝、通勤
子曰、甚矣、吾衰也、久矣、吾不復夢見周公也。述而五
孔夫子はいわれた、私も衰えたものだ。道を志してから理想とした、周公旦の夢を見なくなって久しい。
「孔夫子は衰えたのであろうか、否、周公旦と同じ領域に達されたのだ」
#論語
○月曜日の夕方、通勤
子曰、志於道、拠於徳、依於仁、遊於芸。述而六
孔夫子はいわれた、君子とは道に志し、徳を根本とし、仁に依り、六芸(礼・楽・射・御・書・数)に遊ぶものだ。
「何ごとにも5W1Hは大切だ。論語を一句意訳するにも『主語』を明確にせねば珍紛漢紛は逃れられない。この句の場合、“游於芸”は誰を指すかで意味が違ってくる。孔夫子自身のことか、弟子に向けたのか、私は君子で解釈するも、他にも色々ある」
#論語
○火曜日の朝、通勤
子曰、自行束脩以上、吾未嘗無誨焉。述而七
孔夫子はいわれた、一束の乾し肉(束脩)を添えて入門を願う者があれば、誰でも弟子として迎え入れ、先王の道を教えた。
「人は平等であり、身分や住む場所で差別などしてはならない。孔夫子は、学びたいと門をくぐる者には教育の機会を与えられた」
#論語
○火曜日の夕方、通勤
子曰、不憤不啓、不非不発、挙一偶不以三隅反、則不復也。述而八
孔夫子はいわれた、どうして理解出来ないのか、自らに憤るくらいでなければ教えることはないし、意見を言いたくて仕方がないくらいでなければ発言を聴くことはない。一隅を挙げて説明して、三隅をもって返答しないのであれば、再び教えることはない。
「丁寧に教えることが正解とは限らない。学ぶ者の学びたい気持ちに合わせて対応せねば、学ぶ者の学びの機会を失することになる。単純に答えを教えるのが正しいのではなく、その答えを自ら考える過程が重要だと孔夫子はいわれている」
#論語
○水曜日の朝、通勤
子食於有喪者之側、未嘗飽也、子於是日哭、則不歌。述而九
孔夫子は、喪中の人と食後される時は食が進まない様子を見せられ、葬儀に出た日には、帰宅されても歌など唄うことはなかった。
「この句、食事や葬儀後の礼を述べているとされているが、現代でも常識的なことであり、孔夫子の(喪中や葬儀、その他での)日常風景を述べた句で良いと思う」
#論語
○水曜日の夕方、通勤
子謂顔淵曰、用之則行、舍之則蔵、唯我与爾有是夫、述而篇十
孔夫子は顔回にいわれた、世に仁徳があれば政において功績を残し、苦しむ民を救う。世に仁徳がなければ政に関わらず隠棲する。これは私と汝のみが出来ることだな。
「隠棲するとは、来たるべき仁徳の世に備えて、自らの仁徳を広げる、周囲へ及ぼすことにある。次世代、或いは数百年、千年先の未来に、先王の教え(孔夫子の教え)を繋げるのだ。君子クラスであることは当然であるし、顔回が如何に仁徳に優れていたかが孔夫子の言葉から伝わってくる」
#論語
○木曜日の朝、通勤
子路曰、子行三軍、則誰与、子曰、暴虎馮河、死而無悔者、吾不与也、必也臨事而懼、好謀而成者也。述而十
そこで子路がいう。もし、孔夫子が三軍を率いられる場合、誰をお供にされますか。孔夫子はいわれた、虎と闘い、黄河を泳いで渡るような、死をも恐れぬ壮士とは、共にに三軍を率いたくはないものだな。ものごとには臆病なほどに慎重であり、よく計画を立ててから事を成し遂げる、仁者と共にであれば、そもそも三軍を率いるこなど必用はないではないか。
「得意満面で虎と闘い、黄河を泳いで渡る子路のイメージが浮かぶ。天才・顔回とは別な意味で子路とはいい漢だ。孔夫子と高弟たちの日常が垣間見えてくる」
#論語
○木曜日の夕方、通勤
子曰、富而可求也、雖執鞭之士、吾亦為之、如不可求、従吾所好。述而十一
孔夫子はいわれた、仁徳に基づいた正しい方法で富が手に入るのであれば、行列の先頭で露払いをする御者になっても良い。しかし、仁徳に基づいた正しい方法では富が手に入らないのであれば、私は自分の好きなこと(先王の道を歩む、周囲へ仁徳広げること)を為したいのだ。
「一般的には富を孔夫子が肯定する句と解釈されているが、私は、仁徳に基づいて正しく働くことが大切であると、孔夫子が述べられていると思う。仁徳に背いてまで富を得ることは非であるし、人は仁徳から離れてはいけないのだ」
#論語
○金曜日の朝、通勤
子之所慎、斉戦疾。述而十二
孔夫子は祭祀と戦争、疫病に関しては、常に慎重であられた。
「祭祀とは、当然ながら先王の教えであり、政もその延長に他ならない」
#論語
○金曜日の夕方、通勤
子在斉、聞韶、三月不知肉味、曰、不図為楽之至於斯也。述而十三
孔夫子、斉に滞在された時に(舜帝が作曲したと伝わる)韶という音楽を聴かれる。その音楽はとても素晴らしく、三ヶ月間の間、肉の味もわからない程であった。孔夫子はいわれた、思いがけないことだ、音楽がこれほど素晴らしい境地に達するとは。
「孔夫子は斉に滞在した三十五歳から四十二、三歳の年齢で既に舜帝の境地にあられた、故に舜帝の作曲した韶という曲に深い共感と感動を覚えられたのだ」
#論語
所感)
■土曜日の夜、自宅
金曜日の夜、忘年会。古い仲間たちと呑む。
とても楽しかった。
プレゼントの交換は、腕時計雑誌、興味深い。
手違いで2冊あり、丁度良かった。
厚着をして出かけるも、今朝起きたら風邪症状。
無理をして、診察日があと2日の皮膚科へ、120分待ち・・。
帰りにスーパーでお弁当を買い、帰宅。
頭痛、寒気、寝込む。