○火曜日の朝、4月16日、通勤
当暑眞希谷、必表而出之、郷党篇六
(君子とは)暑い時に涼しい麻の衣を着ても、外出するときや客と会うときには、必ずその上から単衣の絺綌を羽織るものだ。
「いくら暑くとも、君子たるもの不様な様子は見せない」
#論語
○火曜日の朝、通勤
「アトピーリハビリ中なれど、28日ぶりにポストする」
「車中、薬のせいか猛烈な睡魔に打ち負かされた」
「休養中、銀英伝(旧)アニメを延々と観ていた、オーベルシュタインと考え方が似ていることは否定出来ない」
#三行詩
「黒ずくめの服、白いスニーカーの若者二人、ホームにあり」
「まだ顔は幼さが残るも、口調はいわゆるイッパシのワルだ、会話の内容も拙い」
「歳を取るとは背景に溶け込めることにある、何処にでもいるサラリーマンとは、通勤時の駅では風景らしい、会話に興味も失せ、再び睡魔と戦っている」
#三行詩
○火曜日の夕方、通勤
当暑眞希谷、必表而出之、郷党篇六
(君子とは)暑い時に涼しい麻の衣を着ても、外出するときや客と会うときには、必ずその上から単衣の絺綌を羽織るものだ。
「いくら暑くとも、君子たるもの不様な様子は見せない」
#論語
○水曜日の朝、通勤
輜衣羔裘、素衣麑裘、黄衣狐裘、郷党篇六
(寒いときには)黒衣の下に子羊の黒い毛皮を着、白衣の下には子鹿の白い毛皮を着、黄衣には黄色の狐の毛皮を着、上に着る服と下に着る服は必ず同色を用いるのが君子だ。
「現代にも通じる、電車内の乗客も、同色で合わせている」
#論語
○水曜日の朝、乗り換え
「Kindleプライム無料で植物の進化の本を読んでいる」
「タイムスケールは異なるが、植物も生き物であることがよく分かる」
「強かに長所短所を活かして種の生き残りを賭けて進化する様は、戦いの歴史そのもの、葉っぱ一枚にも驚くべきストーリーがある、興味深い」
#三行詩
○木曜日の朝、通勤
褻裘長、短右袂、必有寝衣、長一身有半、郷党篇六
(君子は)普段使い毛皮は、暖かくなるように長めにし、動きやすいように右の袖をたくし上げた。就寝するときには寝巻きに着替え、寝巻きは身体の一倍半の大きさにした。
「日常生活での孔夫子のお姿が見て取れる」
#論語
○木曜日の朝、乗り換え
「平平凡凡たる日常こそ貴い、働く職場があり、帰る家があり、毎朝、毎夕、挨拶する家族いる」
「歳を重ねることが出来る、とは稀有なことだ」
「当たり前の何と難しきこと、健康でさえあれば良い、と願う父母の願い、幸せは目の前にある」
#三行詩
○金曜日の朝、通勤
狐貉之厚以居、去喪無所不佩、郷党篇六
家に居る場合は、狐や貉の毛皮を着る。喪が終われば装飾類を身に着ける。
「現代人の感覚では、この郷党篇は、退屈と思う」
#論語
○金曜日の朝、乗り換え
「朝、黒猫が前を横切り、鴉が数匹、頭をかすめた」
「電車内、目の前にフードを被り全身黒尽くめの人が座る」
「服は黒ではないが、性格が腹黒いので黒ばかり寄ってくるのかも知れない」
#三行詩
○金曜日の夜、梅田
「安すぎる、即買いする」
「明治書院、孔子家語を探している、古本屋巡りは宝探しだ、ワクワクする」
#三行詩
史記 上・中・下 全3巻揃 司馬遷 中国の古典シリーズ1 平凡社版
「平凡社の中国思想関係は、原文がないもの多いが、古書は対費用効果に優れている」
「未読であれば、取敢えず買う、何せ千円以下ばかりだ」
「そこそこ買い漁っている、何故こんなに安いのか不思議だ、明治書院や岩波書店と同じ著者が多い」
#三行詩
○日曜日の朝、ウオーキング
去喪無所不佩、非帷裳、必殺之、郷党篇六、
(君子とは)喪中の時以外は、玉や装身具を身につけること。祭服以外は帯のところに布地を重ねてはならない。
「二千五百年前の衣服の礼節、何となくは現代との共通項が垣間見える」
#論語
○日曜日の朝、森
「体調、戻らず、昨日は伏せる、ポストもままならず」
「久方ぶりに森を歩いている、アトピーで破けた肌を庇いながら、そろりと」
「チャート式の新化学、新物理を安く買い、気分転換に読む、こういうのが読みたかったらしい」
#三行詩
○月曜日の朝、通勤
羔裘玄冠不以弔、吉月必朝服而朝。郷党篇六
黒は祭祀で用いる色故に、黒冠や黒毛皮で葬いに行ってはならない。大夫の地位を返上した後でも、毎月の朔日は大礼服を着て君主に挨拶に赴くこと。
「現代で着る黒色の服の発祥は、古代中国かも知れない」
#論語
○月曜日の朝、乗り換え
「チャート式新化学の参考書を眺める、読むには至らない」
「哲学が科学であった時代、化学は妖しき錬金術士の奥義であった」
「確かに魔術書的ではある、一方で真理でもある、暗黒時代に紙一重とは大したものだと感心している」
#三行詩
○木曜日の朝、ウオーキング
「10連休6日目、例の如くアトピー静養中、気分転換に松屋へ向かう」
「途中、民家の壁に緑色のアヒル人形が一つ置いてある、なぜか和む」
「バス亭で待つサラリーマン、気合いの入った顔に、5日後の自らを思う」
#三行詩
○木曜日の朝、松屋
斉必有明衣、布、斉必変食、居必遷坐。郷党七
(君子とは)祭祀を行う前に斎戒沐浴をするときには、必ず専用の衣を着ること。生地は麻を用いること。斎戒沐浴の前には、酒は飲まず大蒜などは食べないこと。家の中でも普段とは異なる場所で行うこと。
「二千五百年前、祭祀が日常生活の中で、如何に重要な催事であったかが垣間見える。現実と宗教が混在する日常生活の中で、リアリストである孔夫子でも(だからこそ、より)通念的、一般的な宗教行事には郷に入れば郷に従う、心から行う姿勢とは、現代に置いても範とすることに変わりはない」
#論語
○木曜日の午後、自宅
「子曰、君子不器(君子とは器ではない)為政第二 、器とはなにか」
「用いるもの、用途により様々な器がある」
「何故、君子は器ではないのか、君子とは仁であり、仁徳とは自らを誠にし、人を思いやるからだ、別に器が下ということではない、君子は自ら自らの存在を高みには上げない」
#三行詩
「人は器ではいけない、という解釈を度々目にするが、枝葉であり、器<君子ではない」
「優れた器も善し、仁道を歩み天下泰平ために苦しむ民を救うも善し」
「孔夫子の教え、仁とは小さなものではない、大きく、暖かく、全ての老若男女を包み込むものだ」
#三行詩
「そもそも、君子とは自らを世俗的な高みに至らせようとはしない、思わない」
「君子を自称し、自らの学問を貴いとする、誇るこそ似非君子だろう」
「善いことを好む、更に皆と一緒に善いことをするのを好むのが君子だ、周囲は君子を世俗的な高みに至らせる(受動的な地位名誉を儒家は否定しない)が、君子自体は、唯、善いことを好み、実践するのみ、この範囲から外れることはない」
#三行詩
○木曜日の夕方、自宅
「子曰、君子和而不同、子路第十三(君子は協調する一方で、迎合はしない)」
「この句も、本来は目的(善いこと・仁)があるから協調するのだ(小人は仁がないから私利私欲に迎合する)」
「十把一絡げ、人とは付和雷同するな、ということではない、仁徳を広げる、実践する為には付和雷同など(君子たるもの)あってはならない。昨今の論語の解釈は、目的を目標にすり替えた、或いは本来の目的がない、腑の抜けた教訓ものを多く見かける。腑の抜けた教訓=仁徳のない世俗的な道徳的教訓では、孔夫子の抱かれた救世の熱き思いとは、かけ離れ過ぎる。論語を語るのであれば、必然的に目的である仁からは離れてはいけない」
#論語
所感)
■近状(4月16日〜5月2日)
アトピー具合悪し。日々のX、ブログもままならず。ただ会社を休まぬようにと注力する。
GW、帰省ままならず、年老いた母の姿、見ることも叶わず。
GW、日中は、講談社ブルーバックス、進化の教科書1〜3、平凡社版の史記(全)を読んでいる。
夜は、アマプラVで刑事ものドラマ、等々を眠たくなるまで流し観している。
田舎のN、竹酢液を入れた風呂をやけに勧めてくる。過去、確かに効果はあったが気力なし。GW、Nはずっと仕事らしい。
友人のSさんから、病中見舞いを兼ねて明日(3日)、駅前でランチの誘いあり、気分転換に行ってみようと思う。