四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百三十一章(郷党第十②)

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○火曜日の朝、4月16日、通勤

 

当暑眞希谷、必表而出之、郷党篇六

 

(君子とは)暑い時に涼しい麻の衣を着ても、外出するときや客と会うときには、必ずその上から単衣の絺綌を羽織るものだ。

 

「いくら暑くとも、君子たるもの不様な様子は見せない」

 

#論語

 

○火曜日の朝、通勤

 

アトピーリハビリ中なれど、28日ぶりにポストする」

 

「車中、薬のせいか猛烈な睡魔に打ち負かされた」

 

「休養中、銀英伝(旧)アニメを延々と観ていた、オーベルシュタインと考え方が似ていることは否定出来ない」

 

#三行詩

 

「黒ずくめの服、白いスニーカーの若者二人、ホームにあり」

 

「まだ顔は幼さが残るも、口調はいわゆるイッパシのワルだ、会話の内容も拙い」

 

「歳を取るとは背景に溶け込めることにある、何処にでもいるサラリーマンとは、通勤時の駅では風景らしい、会話に興味も失せ、再び睡魔と戦っている」

 

#三行詩

 

○火曜日の夕方、通勤

 

当暑眞希谷、必表而出之、郷党篇六

 

(君子とは)暑い時に涼しい麻の衣を着ても、外出するときや客と会うときには、必ずその上から単衣の絺綌を羽織るものだ。

 

「いくら暑くとも、君子たるもの不様な様子は見せない」

 

#論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

輜衣羔裘、素衣麑裘、黄衣狐裘、郷党篇六

 

(寒いときには)黒衣の下に子羊の黒い毛皮を着、白衣の下には子鹿の白い毛皮を着、黄衣には黄色の狐の毛皮を着、上に着る服と下に着る服は必ず同色を用いるのが君子だ。

 

「現代にも通じる、電車内の乗客も、同色で合わせている」

 

#論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

Kindleプライム無料で植物の進化の本を読んでいる」

 

「タイムスケールは異なるが、植物も生き物であることがよく分かる」

 

「強かに長所短所を活かして種の生き残りを賭けて進化する様は、戦いの歴史そのもの、葉っぱ一枚にも驚くべきストーリーがある、興味深い」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、通勤

 

褻裘長、短右袂、必有寝衣、長一身有半、郷党篇六

 

(君子は)普段使い毛皮は、暖かくなるように長めにし、動きやすいように右の袖をたくし上げた。就寝するときには寝巻きに着替え、寝巻きは身体の一倍半の大きさにした。

 

「日常生活での孔夫子のお姿が見て取れる」

 

#論語

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

「平平凡凡たる日常こそ貴い、働く職場があり、帰る家があり、毎朝、毎夕、挨拶する家族いる」

 

「歳を重ねることが出来る、とは稀有なことだ」

 

「当たり前の何と難しきこと、健康でさえあれば良い、と願う父母の願い、幸せは目の前にある」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、通勤

 

狐貉之厚以居、去喪無所不佩、郷党篇六

 

家に居る場合は、狐や貉の毛皮を着る。喪が終われば装飾類を身に着ける。

 

「現代人の感覚では、この郷党篇は、退屈と思う」

 

#論語

 

○金曜日の朝、乗り換え

 

「朝、黒猫が前を横切り、鴉が数匹、頭をかすめた」

 

「電車内、目の前にフードを被り全身黒尽くめの人が座る」

 

「服は黒ではないが、性格が腹黒いので黒ばかり寄ってくるのかも知れない」

 

#三行詩

 

○金曜日の夜、梅田

 

「梅田古本屋街、平凡社史記全三巻、千五百円なり」

 

「安すぎる、即買いする」

 

明治書院孔子家語を探している、古本屋巡りは宝探しだ、ワクワクする」

 

#三行詩

史記 上・中・下 全3巻揃 司馬遷 中国の古典シリーズ1 平凡社

 

平凡社の中国思想関係は、原文がないもの多いが、古書は対費用効果に優れている」

 

「未読であれば、取敢えず買う、何せ千円以下ばかりだ」

 

「そこそこ買い漁っている、何故こんなに安いのか不思議だ、明治書院岩波書店と同じ著者が多い」

 

#三行詩

 

○日曜日の朝、ウオーキング

 

去喪無所不佩、非帷裳、必殺之、郷党篇六、

 

(君子とは)喪中の時以外は、玉や装身具を身につけること。祭服以外は帯のところに布地を重ねてはならない。

 

「二千五百年前の衣服の礼節、何となくは現代との共通項が垣間見える」

 

#論語

 

○日曜日の朝、森

 

「体調、戻らず、昨日は伏せる、ポストもままならず」

 

「久方ぶりに森を歩いている、アトピーで破けた肌を庇いながら、そろりと」

 

「チャート式の新化学、新物理を安く買い、気分転換に読む、こういうのが読みたかったらしい」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、通勤

 

羔裘玄冠不以弔、吉月必朝服而朝。郷党篇六

 

黒は祭祀で用いる色故に、黒冠や黒毛皮で葬いに行ってはならない。大夫の地位を返上した後でも、毎月の朔日は大礼服を着て君主に挨拶に赴くこと。

 

「現代で着る黒色の服の発祥は、古代中国かも知れない」

 

#論語

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

「チャート式新化学の参考書を眺める、読むには至らない」

 

「哲学が科学であった時代、化学は妖しき錬金術士の奥義であった」

 

「確かに魔術書的ではある、一方で真理でもある、暗黒時代に紙一重とは大したものだと感心している」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、ウオーキング

 

「10連休6日目、例の如くアトピー静養中、気分転換に松屋へ向かう」

 

「途中、民家の壁に緑色のアヒル人形が一つ置いてある、なぜか和む」

 

「バス亭で待つサラリーマン、気合いの入った顔に、5日後の自らを思う」

 

#三行詩

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○木曜日の朝、松屋

 

斉必有明衣、布、斉必変食、居必遷坐。郷党七

 

(君子とは)祭祀を行う前に斎戒沐浴をするときには、必ず専用の衣を着ること。生地は麻を用いること。斎戒沐浴の前には、酒は飲まず大蒜などは食べないこと。家の中でも普段とは異なる場所で行うこと。

 

「二千五百年前、祭祀が日常生活の中で、如何に重要な催事であったかが垣間見える。現実と宗教が混在する日常生活の中で、リアリストである孔夫子でも(だからこそ、より)通念的、一般的な宗教行事には郷に入れば郷に従う、心から行う姿勢とは、現代に置いても範とすることに変わりはない」

 

#論語

 

○木曜日の午後、自宅

 

「子曰、君子不器(君子とは器ではない)為政第二 、器とはなにか」

 

「用いるもの、用途により様々な器がある」

 

「何故、君子は器ではないのか、君子とは仁であり、仁徳とは自らを誠にし、人を思いやるからだ、別に器が下ということではない、君子は自ら自らの存在を高みには上げない」

 

#三行詩

 

「人は器ではいけない、という解釈を度々目にするが、枝葉であり、器<君子ではない」

 

「優れた器も善し、仁道を歩み天下泰平ために苦しむ民を救うも善し」

 

「孔夫子の教え、仁とは小さなものではない、大きく、暖かく、全ての老若男女を包み込むものだ」

 

#三行詩

 

「そもそも、君子とは自らを世俗的な高みに至らせようとはしない、思わない」

 

「君子を自称し、自らの学問を貴いとする、誇るこそ似非君子だろう」

 

「善いことを好む、更に皆と一緒に善いことをするのを好むのが君子だ、周囲は君子を世俗的な高みに至らせる(受動的な地位名誉を儒家は否定しない)が、君子自体は、唯、善いことを好み、実践するのみ、この範囲から外れることはない」

 

#三行詩

 

○木曜日の夕方、自宅

 

「子曰、君子和而不同、子路第十三(君子は協調する一方で、迎合はしない)」

 

「この句も、本来は目的(善いこと・仁)があるから協調するのだ(小人は仁がないから私利私欲に迎合する)」

 

「十把一絡げ、人とは付和雷同するな、ということではない、仁徳を広げる、実践する為には付和雷同など(君子たるもの)あってはならない。昨今の論語の解釈は、目的を目標にすり替えた、或いは本来の目的がない、腑の抜けた教訓ものを多く見かける。腑の抜けた教訓=仁徳のない世俗的な道徳的教訓では、孔夫子の抱かれた救世の熱き思いとは、かけ離れ過ぎる。論語を語るのであれば、必然的に目的である仁からは離れてはいけない」

 

#論語

 

所感)

■近状(4月16日〜5月2日)

アトピー具合悪し。日々のX、ブログもままならず。ただ会社を休まぬようにと注力する。

GW、帰省ままならず、年老いた母の姿、見ることも叶わず。

GW、日中は、講談社ブルーバックス、進化の教科書1〜3、平凡社版の史記(全)を読んでいる。

夜は、アマプラVで刑事ものドラマ、等々を眠たくなるまで流し観している。

田舎のN、竹酢液を入れた風呂をやけに勧めてくる。過去、確かに効果はあったが気力なし。GW、Nはずっと仕事らしい。

友人のSさんから、病中見舞いを兼ねて明日(3日)、駅前でランチの誘いあり、気分転換に行ってみようと思う。