四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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論語

三行詩 第百三十章(郷党第十②)

○日曜日の午後、3月10日、森 揖所与立、左右其手、衣前後譫如也、郷党篇三 (朝廷で)同役の人たちに挨拶をされるときは、両手を胸の前で組み合わせて、左に向き、次に右に向き、少し上にあげる動作をされた。礼服の裾の前後は整然と揺れ動き、寸分も乱れな…

三行詩 第百二十九章(子罕第九②)

○月曜日の朝、3月4日、通勤 子曰、可与共学、未可与適道、子罕篇三十 孔夫子はいわれた、共に学問を行うことは出来よう、しかし同じ学問の道を歩むことは出来ない人もいる。 「志や学問に対する思いが異なれば、孔門を叩いた時は変わらぬも学問が進めば次第…

三行詩 第百二十八章(子罕第九②)

○日曜日の午後、2月25日、ウオーキング 子謂顔淵曰、惜乎、吾見其進也、未見其止也。子罕篇二十一 孔夫子、早世した顔回を評していわれた、惜しいことかな、彼の学問は進むばかりで、止まることは無かったのだ。 「惜乎(惜しいことかな)とは、早世した顔回を…

三行詩 第百二十七章(子罕第九②)

○月曜日の朝、2月19日、通勤 且予与其死於臣之手也、無寧死於二三子之手乎、且予縦不得大葬、予死於道路乎。子罕篇十二 (孔夫子はいわれた)そのような偽の家臣団に偽の大夫として天に見送られるより、門弟の二三人に見送られるほうがよい。大夫としての大葬…

三行詩 第百二十六章(子罕第九②)

○日曜日の朝、2月11日、森 大宰問於子貢曰、夫子聖者与、何其多能也、子貢曰、固天縦之将聖、又多能也、子罕六 呉の大宰である嚭、子貢に問う、孔夫子は聖人であられるも、どうして諸事多能であられるのか。子貢はいう、孔夫子は天より許しを得た、真の聖人…

三行詩 第百二十五章(子罕第九②)

○月曜日の朝、2月5日、通勤 孔子曰、才難、不其然乎、唐虞之際、於斯為盛、有婦人焉、九人而已、三分天下有其二、以服事殷、周之徳、其可謂至徳也已矣。泰伯篇二十 孔夫子はいわれた、国の政に才ある人を得るのが困難というが、果たしてそうだろうか。堯帝…

三行詩 第百二十四章(泰伯第八②)

○日曜日の午後、1月28日、自宅 子曰、三年学、不至於穀、不易得也。泰伯篇十二 孔夫子はいわれた、学問の道を学んでも、たかが三年で仕官を求める者がいるのだ。 「何の為の学問の道か、仕官は手段であり、目的は苦しむ民を救うことにある。孔夫子の門を叩い…

三行詩 第百二十三章(泰伯第八②)

○日曜日の午後、1月21日、自宅 詩云、戦戦兢兢、如臨深淵、如履薄氷、而今而後、吾知免夫、小子。泰伯篇三 曽子、傷のない手足を見せていう、詩経にこうある『戦々恐々として深き淵に臨みて、薄氷の上を歩むが如く』と。臨終を迎え、ようやくこの心配から離…

三行詩 第百二十二章(述而第七②)

○日曜日の午後、1月14日、ウオーキング 子曰、若聖与仁、則吾豈敢、抑為之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣、述而篇三十三 孔夫子はいわれた、学問の道の目標とは、自らを聖人や仁者へと近づけることであるが、私は未だにそれらに及ばない。ただ、止まること…

三行詩 第百二十一章(述而第七②)

○日曜日の夜、1月7日、自宅 子釣而不綱、弋不射宿。述而篇二十六 魚釣りはしても網でさらうことはなく、弓で鳥を狩っても巣を狙うことを孔夫子はなさらなかった。 「のちの季氏第十六 に『孔子曰、益者三樂、損者三樂。』とある通り、釣りも狩りも君子の嗜み…

三行詩 第百二十章(述而第七②)

○月曜日の午前、1月1日、正月 子曰、三人行、必有我師焉、択其善者而従之、其不善者而改之。述而篇二十一 孔夫子はいわれた、学問の道とは、三人いれば必ずや師となる者に出会える。仁徳に優れた善き人であれば自らも倣い。私利私欲の悪き人であれば自らはど…

三行詩 第百十九章(述而第七②)

○日曜日の午後、12月24日、ウオーキング 冉有曰、夫子為衛君乎、子貢曰、諾、吾将問之、述而十四 衞の霊公の太子蒯聵、霊公の夫人南子を追放しようとして失敗し、晋国へ亡命。後、霊公が死去、蒯聵の子、輒が即位する。晋の趙鞅、亡命した蒯聵を即位させよう…

三行詩 第百十七章(述而第七②)

○日曜日の午後、12月10日、マクド 子曰、斉一変、至於魯、魯一変、至於道。雍也二十四 孔夫子はいわれた、遥か昔、太公望呂尚が建国した斉は、政を仁徳により改めさえすれば魯のようになれるし、その周公旦が建国した魯は、仁徳により政を改めれば、古の周王…

三行詩 第百十六章(雍也第六②)

○日曜日の午後、12日3日、ウオーキング 冉求曰、非不説子之道、力不足也、子曰、力不足者、中道而廃、今女画。雍也十二 冉求はいう、孔夫子の教え、先王の道に感動を覚えていますが、私の力は及ばず、いくら学んでも実践出来ないのです。孔夫子はいわれた、…

三行詩 第百十五章(雍也第六②)

○日曜日の午後、11月26日、マクド 哀公問、弟子孰為好学、孔子対曰、有顔回者、好学、不遷怒、不弐過、不幸短命死矣、今也則亡、未聞好学者也。雍也三 魯の君主である哀公が問う、弟子で学問を好む人はいますか。孔夫子はいわれた、顔回という者がいました。…

三行詩 第百十四章(雍也第六②)

○日曜日の朝、11月19日、ウオーキング 子曰、伯夷叔斉不念旧悪、怨是用希。公冶長二十三 孔夫子はいわれた、周の粟を食べずと、首陽山に隠遁して餓死した伯夷・叔齊の兄弟は、清廉で且つ度量が大きく、人が過去に行った不仁を何時までも憎むことはなく、人か…

三行詩 第百十三章(公冶長第五②)

○日曜日の朝、11月12日、ウオーキング 子貢曰、夫子之文章、可得而聞也、夫子之言性与天道、不可得而聞也。公冶長十三 高弟の子貢はいう、孔夫子は、学問や道徳、先王の道については度々お話しされたが、人間とは何かや天に関してはほとんどお話しをされなか…

三行詩 第百十二章(公冶長第五②)

○日曜日の朝、11月5日、森 子謂南容、邦有道不廃、邦無道免於刑戮、以其兄之子妻之。 孔夫子、魯の家老である孟孫氏の子息、南容を評す。仁徳によって国が治められているのであれば厚く用いられるであろうし、仁徳が国に無くとも刑罰を受けるようなことはな…

三行詩 第百十一章(里仁第四②)

○日曜日の朝、10月29日、ウオーキング 子曰、見賢思斉焉、見不賢而内自省也。里仁十七 孔夫子はいわれた、人の仁徳の行いを見れば自らもそうなりたいと努め、不仁の行いを見れば自らにもその点がないか省みること。 「仁徳に基づいた礼節を日々、実践する君…

三行詩 第百十章(里仁第四②)

○日曜日の朝、10月22日、ウオーキング 子曰、富与貴、是人之所欲也、不以其道、得之不処也、貧与賤、是人之所悪也、不以其道、得之不去也、君子去仁、悪乎成名、君子無終食之間違仁、造次必於是、顛沛必於是。里仁五 孔夫子はいわれた、富と名声は人であれば…

三行詩 第百九章(八佾第三②)

○日曜日の午前、10月15日、自宅 定公問、君使臣、臣事君、如之何、孔子対曰、君使臣以礼、臣事君以忠。八佾十九 魯の君主であり襄公の子である定公が問う、君主が臣下を使う、臣下が君主に仕えるに大切なことは何か。孔夫子はいわれた、君主が臣下を使う場合…

三行詩 第百八章(八佾第三②)

○日曜日の午後、10月8日、マクド 子夏問曰、巧笑倩兮、美目盻兮、素以為絢兮、何謂也、子曰、絵事後乎、子曰、起予者商也、始可与言詩已矣。八佾八 子夏が問う、詩に『笑窪あらわに、可愛い口元。白目にくっきりとした美しい黒い瞳。白さに対して際立つ彩り…

三行詩 第百七章(八佾第三②)

○日曜日の朝、10月1日、ウオーキング 子張問、十世可知也、子曰、殷因於夏礼、所損益可知也、周因於殷礼、所損益可知也、其或継周者、雖百世亦可知也。為政二十三 子張は問う、十代の後、王朝が交代しても礼は残っているのでしょうか。孔夫子はいわれた、殷…

三行詩 第百六章(為政第二②)

○日曜日の夕方、9月24日、ウオーキング 子貢問君子、子曰、先行其言、而後従之。為政十三 子貢、君子を問う。孔夫子はいわれた、言葉よりも先に行うこと、後に思うことを述べるのが君子というものだ。 「言葉に過ぎて行いが足らない、恥とするべきだ」 #論語…

三行詩 第百五章(為政第二②)

○日曜日の夜、9月17日、自宅 子曰、為政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之。為政一 孔夫子はいわれた、仁徳を以て天下の政を行うとは、例えれば、天下の国や民、全天の星々が、仁徳の君子、北極星の周りを巡るようなものだ。 「徳治政治とはどの様なものか、…

三行詩 第百四章(学而第一②)

○日曜日の夕方、9月10日、自宅 子曰、道千乗之国、敬事而信、節用而愛人、使民以時。学而五 孔夫子はいわれた、戦車を千台維持出来る位の大国を治める道とは、何ごとにも誠を以て慎んでことに当たること、民を大切にし無用な出費は慎むこと、民を使役する場…

三行詩 第百三章(尭曰第二十)

○日曜日の夕方、9月3日、ウオーキング 「叔孫武叔、仲尼を毀る。子貢曰わく、以て為すこと無かれ。仲尼は毀るべからざるなり。他人の賢者は丘陵なり、猶踰ゆべきなり。仲尼は日月なり、得て踰ゆること無し。人自ら絶たんと欲すと雖ども、それ何ぞ日月を傷ら…

三行詩 第百二章(子張第十九)

○日曜日の午後、8月末27日、ウオーキング 「子夏曰わく、仕えて優なれば則ち学ぶ。学びて優なれば則ち仕う。子張十三」 「子夏はいう、仕事をして余力があれば学問の道を歩むこと。学問の道を歩み成果を得られれば仕事に活かすこと」 「漫然と生きない、自ら…

三行詩 第百一章(子張第十九)

○月曜日朝、8月21日、通勤 「子夏の門人、交わりを子張に問う。子張曰わく、子夏は何をか云える。対えて曰わく、子夏曰わく、可なる者はこれに与し、その不可なる者はこれを距めと。子張曰わく、吾が聞ける所に異なり。君子は賢を尊びて衆を容れ、善を嘉して…

三行詩 第百章(微子第十八)

○日曜日の午後、8月13日、自宅 『過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。/ヴァイツゼッカー』 「図書館で、戦中・戦後史の本をかりる、このお盆休みに腰を据えて読もう」 「思想は左右別れるも、戦争を繰り返すな、若い人はしっかりと勉…