四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百二章(子張第十九)

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○日曜日の午後、8月末27日、ウオーキング

 

「子夏曰わく、仕えて優なれば則ち学ぶ。学びて優なれば則ち仕う。子張十三」

 

「子夏はいう、仕事をして余力があれば学問の道を歩むこと。学問の道を歩み成果を得られれば仕事に活かすこと」

 

「漫然と生きない、自らの徳を広げ、世の中を善い方向へ進める」

 

#論語

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○日曜日の午後、森

 

ベートーヴェン交響曲第七番第二楽章を聴きながら森を歩いている」

 

「土日は寝る、疲労蓄積した身体は回復するもアトピー皮膚は崩れたまま、面倒くさい身体なり」

 

「休日は涼しくなるまで自室に潜むしかなさそうだ、帰宅したら読みかけの昭和史に戻ろう」

 

#三行詩

 

○日曜日の午後、森

 

ベートーヴェン交響曲第七番第二楽章を聴きながら森を歩いている」

 

「土日は寝る、疲労蓄積した身体は回復するもアトピー皮膚は崩れたまま、面倒くさい身体なり」

 

「休日は涼しくなるまで自室に潜むしかなさそうだ、帰宅したら読みかけの昭和史に戻ろう」

 

#三行詩

 

「子の言動が見事に中二病なり、妻とともにため息をついている」

 

「反抗期でもあり、言うことも聞かない、勉強もしない、やれやれ」

 

「親父には敵わないのは自覚しているらしく、最後はガンジー化し『やるならやれよ!』と大の字で動かない、ため息をついて放置している」

 

#三行詩

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○月曜日の朝、通勤

 

子游曰わく、喪は哀を致して止む。子張十四」

 

子游はいう、喪は悲哀の感情を尽くすのみだ」

 

「喪の本質とは心から悲しむことであり、格式や形式を飾ることではない」

 

#論語

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

「日常茶飯事には形式が定められている、疎かにしてはいけない」

 

「起床時にはおはようございます、寝る前にはおやすみなさい、手を合わせて、いただきます、ごちそうさまでした、の積み重ね」

 

「尊ぶ、感謝、貴い、所作で示すもの、心が所作となるものがある」

 

#三行詩

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○月曜日の午前、一休み

 

「1945年8月の広島、長崎への原爆投下で、広島で約14万人、長崎で約7万4千人が亡くなる」

 

ハリー・トルーマンという人が命じたが、彼の戦争責任は今だに問われない」

 

「一方向の正義とか二元論とかを元にしたの国家の主張に虫酸が走る、あらゆる戦争は否定されねばならない、富と貧困の二極化は是正されねばならない、人は平等であるべきだ、歴史書は見事なまでにこれらを裏切り続ける」

 

#三行詩

 

○月曜日の夕方、通勤

 

子游曰わく、吾が友張は、能くし難きを為すなり。然れども未だ仁ならず。子張十五」

 

子游はいう、友人である子張は、普通では出来ないことをやり遂げる優秀な人材である。しかし、彼は未だ仁とはいえない」

 

「同門の高弟である曾子からも、立派ではあるが、ともに仁をなすに難がある、と子張を評した。人となり才が高く、意が広く、門戸を張って、人の感情などに拘らないところがあったという」

 

#論語

 

○月曜日の夕方、車内

 

アトピーの具合が悪く、集中出来ない、気晴らしに自宅でSwitchのゲームをしている」

 

「The Outer Worldsというアメリカのゲームで自由度が高いらしい」

 

「日常生活から完全に隔離された世界を彷徨うのもたまには良い、ド下手なのでストーリーモードでも度々死ぬ」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、通勤

 

曾子曰わく、堂堂たるかな張や、与に並びて仁を為し難し。子張十六」

 

曾子はいう、子張とは堂々としたものだ、ただ、自己主張が強く、子張と一緒に仁を行うのは難しいと思う」

 

「誰もが認める有能な子張ではあるが、性格に癖があったらしい」

 

#論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「眠たい、やや涼しい、これだけ人間が集まるとは興味深くもあり、鬱陶しくもある」

 

「この人間め!、と、何となく思ったが自分も人間なのでどうしようもない」

 

「既に疲れている、吊り輪を掴む、下を向いて座る乗客たちを見ながら人間臭さにうんざしている」

 

#三行詩

 

○火曜日の夕方、通勤

 

曾子曰わく、吾諸を夫子に聞けり、人未だ自ら致す者有らず。必ずや親の喪か。子張十七」

 

曾子はいう、孔夫子からこう聞いたことがある、自らの真の情を心から発するのは、親の喪の時くらいではないか」

 

「自分の全てを出し切って感情を発するのは、肉親の死の時くらいであると孔夫子は述べられたのだろう」

 

#論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

曾子曰わく、吾諸を夫子に聞けり、孟荘子の孝や、その他は能くすべきなり。その父の臣と父の政とを改めざるは、是能くし難きなり。子張十八」

 

曾子はいう、孔夫子から聞いたことがある、魯の国の大夫、孟荘子の親孝行は、他の人もそれを真似を出来るところはあるが、亡くなった父の家臣と政を改めずに引き継いだことは、誰にもよく真似出来ないことだな」

 

儒学ではかの大舜が、孝徳に優れるとされる、孔夫子の弟子の曽子は孝経を記した」

 

#論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「弁天町にある交通科学博物館に初めていったのは小学六年生の時だ」

 

「友人のМと二人で、首から下げるカニさん財布とお弁当・水筒を持って出かけた」

 

「今日は、ふとМのことを思い出す、太ったお腹をぶるんぶるんと揺らす人で、ドテチンそっくりの良いやつだった」

 

#三行詩

#ドテチン/はじめ人間ギャートルズ

 

○水曜日の夕方、通勤

 

孟氏、陽膚をして士師たらしむ。曾子に問う。曾子曰わく、上その道を失いて、民散ずること久し。如しその情を得れば、則ち哀矜して喜ぶこと勿かれ。子張十九」

 

「魯の大夫である孟孫氏、曾子の弟子である陽膚を司法長官に任命する。陽膚、司法長官としての心得を曾子に問う。曾子はいう。上に立つ者が道義を失った政を行い、民の心はすっかり君主から離れている。故に、民の小さな罪をつかんでも憐れみをかけることだ。手柄を立てる機会と喜ぶようではいけない」

 

「陽膚という人は、曾子の弟子としかわかっていない。乱れた政に疲れ果てた民に、小さな正義を行使して、さらに民を鞭打つ必要が何処にあろうか」

 

論語

 

○木曜日の朝、通勤

 

「子貢曰わく、紂の不善も、是

くの如くこれ甚だしからざるなり。是を以て君子は下流に居ることを悪む。天下の悪皆な焉に帰すればなり。子張二十」

 

「子貢はいう、殷の紂王の悪事も、それほど酷いではなかったらしい。しかし、君子は下流に居るのを嫌う。天下の悪事が、結局は皆、下流に集まってくるのを知っているからだ」

 

「殷の紂王は、高身長で美貌、弁舌にも優れ、頭の回転は速い、しかも力は猛獣を素手で殺すほど強かった。故に自らに奢るところが大きく、妲己という女性に溺れてからは人道を踏み外す行いを好みようになったらしい」

 

論語

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

「生まれ育ち、何もかも恵まれた紂王と、親兄弟から疎まれ、野人同様に育った大舜」

 

「紂王は何故闇落ちしたのだろう、驕慢とは退屈なのかも知れない」

 

「大舜は何も持っていない、ただ善いことを好んだだけだ、一つで貫き、後に聖王と称せられた」

 

#三行詩

 

○木曜日の夕方、通勤

 

「子貢曰わく、君子の過ちや、日月の蝕するが如し。過つや人皆これを見る、更むるや人皆これを仰ぐ。子張二十一」

 

「子貢はいう、君子の過ちとは、日食・月食のようなものだ。君子が過ちをすると国中の民がどうするのか見ている、その過ちを潔く改めると、民は君子を更に仰ぎ見るのだ」

 

「君子も小人も過ちを犯すことには変わらない、直ちに改めれば良い。小人のように人のせいにしたり、知らなかった振りをしても、過ちは消えはしないし、自らの徳を汚すばかりだ」

 

#論語

 

○木曜日の夕方、乗り換え

 

「経験則ながら、組織で自らの過失を認めない・人のせいにする人は三年持たない」

 

「なんせ仕事は任せられない、文句ばかり言い、いつの間にか消えている」

 

「更に他人の過失を許さない、関係ないのに攻撃する人もいる、大概、半年でそこから追い出される」

 

#三行詩

 

○木曜日の夜、

 

「猿から進化するも、依然として原始的欲望の束縛から逃れられぬ哀れな人間め」

 

「哲学・芸術・音楽、もはや神の領域にあるも依然として欲望の塊であり続ける人間め」

 

「身体と心、三つ目は何か、一生学ぶことだ、三位一体してこその人間だ、仁徳こそ人の完成形だと思う」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、通勤

 

「衛の公孫朝、子貢に問いて曰わく、仲尼焉にか学べる。子貢曰わく、文武の道、未だ地に墜ちずして人に在り。賢者はその大なる者を識り、不賢者はその小なる者を識る。文武の道あらざること莫し。夫子焉にか学ばざらん、而して亦何の常師かこれ有らん。子張二十二」

 

「衛の大夫である公孫朝、子貢に問う、孔夫子は誰から学問を学ばれたのか。子貢はいう、周の文王・武王の教えは、消えたのではなく人びとの間に残っています。賢者はその中でも重要なものを覚えており、賢者でない者はその中でも重要ではないものを覚えています。」

 

「天下のあらゆるところに、文王・武王の教えは存在しているのです。孔夫子は、あらゆる人から学ばれ、決まった学問の師を持つことがなかったと聞いております」

 

論語

 

○金曜日の朝、乗り換え

 

「眠たい、立ち位置は理解している、人ごみの中にいる」

 

「カミキリムシそっくりの人が目の前立っている、顔も虫っぽい」

 

「前の人の動作が遅れた、必然的にいつもの場所はない、その横に座る」

 

#三行詩

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○金曜日の夕方、通勤

 

「叔孫武叔、大夫に朝に語りて曰わく、子貢は仲尼より賢れり。子服景伯以て子貢に告ぐ。子貢曰わく、諸を宮牆に譬うれば、賜の牆や肩に及ぶのみ。室家の好きを窺い見るべし。夫子の牆や数仭、その門を得て入らざれば、宗廟の美、百官の富を見ず。その門を得る者或いは寡なし。夫子の云えるも、亦宜ならずや。子張二十三」

 

「魯の大夫である叔孫武叔、朝廷で同僚の大夫にいう、子貢は孔夫子よりも優れている。同じく大夫である子服景伯、そのことを子貢に知らせると、子貢はいう、屋敷の塀に例えると、私は肩までの高さで、家の中の小綺麗にしているところを覗けます。」

 

「一方で、孔夫子の塀の高さは数丈(10メートル以上)もあり、その門を見つけて中に入らなければ、宗廟の立派さや役人たちが勢揃いしている様子は見ることが出来ません。孔夫子の門の中に入った人は少なく、大夫がそういわれるのも無理はありません」

 

論語

 

○金曜日の夜、自宅

 

「過去の怨み・恐れに囚われている人がいる」

 

「思う、無くならない、心の内に潜む記憶に残る加害者たる彼ら彼女らは消えない」

 

「思う、自分だけではない、周囲を見回すこと、同じ気持ちを抱く仲間を探すこと、共有から孤独感は消え、共闘が始まる、負けるな」

 

#三行詩

 

所感)

■土曜日の夜

例の如く、体調悪く終日寝る。

アトピー具合悪く、梅田の呑み会も不参加、残念。