四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

三行詩 第百十三章(公冶長第五②)

f:id:aristotles200:20231118113951j:image

○日曜日の朝、11月12日、ウオーキング

 

子貢曰、夫子之文章、可得而聞也、夫子之言性与天道、不可得而聞也。公冶長十三

 

高弟の子貢はいう、孔夫子は、学問や道徳、先王の道については度々お話しされたが、人間とは何かや天に関してはほとんどお話しをされなかった。

 

「述而第七 にある『子不語怪力亂神』(孔夫子は怪奇現象や武勇談、巷の醜聞、神や鬼神のことを語られることはなかった)。人間(性)については、孔夫子の言葉、全てが人間のことを語られており、子貢のいう性とは哲学的な解釈であろう。孔夫子の視点・思考は現実世界にある、終生、振れることはない」

 

#論語

 

○日曜日の夕方、森

 

「朝は寒かったので夕方は着込むも今度は着ぶくれて暑い」

 

「一気に冬の感あり、秋は何処へ」

 

「終日、新しいヘッドホンでベートーヴェンピアノソナタ全集を聴く、バックハウスは最高だと改めて思う」

 

#三行詩

f:id:aristotles200:20231118114033j:image

 

「私はベートーヴェンピアノソナタが好きなので繰り返し聴く」

 

「心ない人がいう、他の音楽を聴いてこそベートーヴェンの魅力が理解るとか」

 

クラシック音楽を聴いて40年になる、大概は聴いている、お節介な説教屋さんとは距離を開けようと思う」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、通勤

 

子路有聞、未之能行、唯恐有聞。公冶長十四

 

高弟の子路は、孔夫子から教えていただいたことを未だ実践出来ていない間に、次のことを教わることを我が身の恥とし、ひどく恐れた。

 

儒家とは、言葉足らずを恥とせず、言葉が過ぎることや行いが足らないことを恥とした。孔夫子の一門で塾頭格であった子路らしい一本気な学ぶ姿勢、孔夫子への信頼の厚さが伝わってくる」

 

#論語

 

○月曜日の夕方、通勤

 

子貢問曰、孔文子何以謂之文也、子曰、敏而好学、不恥下問、是以謂之文也。公冶長十五

 

子貢が問う、魏の大夫であった孔裕はどうして孔文子と諡をされたのですか。孔夫子はいわれた、学問を好まれ、事において明敏、位が下の者でも教えを乞うことを恥とされなかった。故に、諡としては最高位にある文の字をおくられたのだ。

 

「学問を好み、身一体となってこそ一流なのだろう」

 

#論語

 

○火曜日の朝、通勤

 

子謂子産、有君子之道四焉、其行己也恭、其事上也敬、其養民也惠、其使民也義。公冶長十六

 

孔夫子はいわれた、鄭という小国にありながら名宰相として讃えられた子産は、君子の道を四つ実践された。自らに対しては厳格、君主に仕えるに敬虔、民を養うに恵み深く、民を使役するに公正無私であられた。

 

「孔夫子は子産を君子として敬愛された」

 

#論語

 

○火曜日の夕方、通勤

 

子曰、晏平仲善与人交、久而人敬之。公冶長十七

 

孔夫子いわれた、斉の霊公・荘公光・景公の三代に仕え、名宰相として世に知られた晏平仲という人は、誰とでも善き関係を結び、人を敬うことを崩すことがなかった。

 

「晏嬰は、大国である斉の宰相として管仲と並び、春秋時代で一、二を争う名宰相とされた。しかし、孔夫子が斉に仕官しようとした際、晏嬰は孔夫子の仕官を認めることはなかった」

 

#論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

子曰、臧文仲居蔡、山節藻梲、何如其知也。公冶長十八

 

魯の大夫であった臧文仲は、天子のみ許される亀卜の亀や、藻の模様を彫刻した卯建を所持していた。礼制に反する行いをしてどうして智者といえようか。

 

「どんなに高名であろうと、陪臣の身でありながら天子の真似事をするなど、孔夫子が認める訳がない」

 

#論語

 

○水曜日の夕方、通勤

 

子張問曰、令尹子文三仕為令尹、無喜色、三已之、無慍色、旧令尹之政、必以告新令尹、何如、子曰、忠矣、曰、仁矣乎、曰、未知、焉得仁。公冶長十九

 

子張が問う、楚の宰相である子文は、三度宰相に就任しても嬉しさを表さず、三度辞めさせられても怨みを表さず、前の宰相の政を後の宰相へと引き継ぎました。如何でしょうか。孔夫子はいわれた、誠実である。更に子張は問う、仁ですか。孔夫子はいわれた、彼は智者ではない。どうして、仁であろうか。

 

「仁者とは誠だけではない、善悪を正しく視る智がなくて、どう大義の為に世の中を変えることが出来ようか」

 

#論語

 

○木曜日の朝、通勤

 

崔子弑斉君、陳文子有馬十乗、棄而違之、至於他邦、則曰、猶吾大夫崔子也、違之、至一邦、則又曰、猶吾大夫崔子也、違之、何如、子曰、清矣、曰、仁矣乎、曰、未知、焉得仁。公冶長十九

 

子張は問う、斉の家老である崔子が君主である荘公を殺めた時、同じく斉の家老であった陳文子は、戦車を十台持つ身分でしたが国を去り、他の国に着くと、ここにも崔子と同じような人がいる、といってその国を去り、別の国に行っても、また、ここにも崔子と同じような人がいる、といって去りました。これは如何でしょうか。孔夫子はいわれた。清廉といえる。子張が問う、仁といえますか。孔夫子はいわれた、彼は智者ではない。どうして仁であろうか。

 

「高潔とは美徳ではあるが、その先に為すべき目的がなければ仁とはいえない。そして、自らが為すべきことを知る為には智者とならねばならない」

 

#論語

 

○木曜日の夕方、通勤

 

季文子三思而後行、子聞之曰、再思斯可矣。公冶長二十

 

魯の宣公・ 成公・襄公の三代に仕えた宰相の季文子は、何ごとも三度考えてから行動した。これを聞いて孔夫子はいわれた、二度で良いのだ。

 

「この場合、三度視点を変えて自らを省みるのではない、同じことを三度考えるくらいなら確認は二度とし、行動に移すべきだ。と、物ごとを計るには慎重さと共に、俊敏さも必要である旨を孔夫子はいわれてるのではないか」

 

#論語

 

○金曜日の朝、通勤

 

子曰、寧武子、邦有道則知、邦無道則愚、其知可及也、其愚不可及也。公冶長二十一

 

孔夫子はいわれた、衛の宰相であった寧武子という人は、国に仁徳が行われている時には智者として、国に仁徳が行われない時には愚者であった。智者であることは出来るが、愚者であることは中々出来ることではない。

 

「国に仁徳無き状況で仁徳を説いても身に危険が及ぶ、普通は世の中から隠棲するものだが、寧武子という人はずば抜けた才覚を持っていたらしい」

 

#論語

 

○金曜日の夕方、通勤

 

子在陳曰、帰与帰与、吾党之小子狂簡、斐然成章、不知所以裁之也。公冶長二十二

 

陳にて孔夫子はいわれた、帰ろう、帰ろう。郷里では教え子たちが志を抱いて学問の道に取り組んでいる。そして未だ粗いままだ。例えれば美しい模様の布は織れたが、美しく裁断し縫製する方法を知らないのだ。

 

「諸国を巡るも、先王の教えを実践しようとする君主には、ついに出会うことがなかった。諸国巡遊の最後に孔夫子が述べた言葉は『歸與、歸與』(帰ろう、帰ろう)だ。諦めの『帰ろう』ではない、教育により弟子たちを育て、次世代に思いを繋げる為に故郷に帰るのだ。思いを繋ぐ、儒家とは連なりだ」

 

#三行詩

 

○金曜日の夜、自宅

 

「念願の根本通明先生『論語講義』を入手する、読み耽る」

 

「学問の道とはお勉強ではない、リアルである、毎日の生活で実践するものだ」

 

「命を懸けて論語を理解する、実践した最後の世代の書だ、自然、一礼して正座し、拝読している、真剣勝負だ」

 

#三行詩

f:id:aristotles200:20231118114900j:image

 

所感)

■学問の道

他人を許せる、許せないとは、実は自らの範疇にはない。動物ですら恩と怨は忘れない(食欲の対象を除いてだが)。

孔夫子の教えに独善はない、しかし、歴史を学び直す中で、私は人間とは独善的であり、独善的で良いと思うようになった。

個性とはそういうものだ、子路は常に子路であり、学問の道により精進しても最後まで子路であったし、日本でいえば西郷さんも、太久保利通も、死ぬまで西郷さんであり、太久保利通であった。

 

他人を許すとは、その人に対して共感がなければならない。

しかし、ナチス・ドイツは果たして許される対象だろうか、スターリンポル・ポトはどうか。

 

許す、許せない、という選択自体に無理ある。

 

ここに啓蒙思想を入れて、奇妙な聖人論を一般の人に強制する人たちを見かける。

教育現場や企業研修の場で、何度も聴いた。

今だに吐き気を催す。

もっとも、宗教的な信仰であれば有り得るとは思うが、私は無宗教なのでここは黙る。

 

人は他人を許せるようには出来てはいない、しかし省みることは出来る。

自らを三度省みる、そして自らに落ち度がない。

ならば相手が畜生で獣なのだ。

何故、畜生で獣を許す必要があろうか。

故に、排除出来るなら排除すれば良い、遠慮なく放伐なり追放すれば良い。

また、相手が強大であれば逃げれば良い。

逃げるのは恥ではない、無策で被害者のままでいることのほうが恥とすべきだ。

 

論語を学ぶ、道徳を学ぶとは、宗教的な聖人になることではない。

時代の奔流に飲み込まれず、是々非々の正しい判断が出来る、行動することが出来るようになる為に学ぶのだ。

 

また、個性は個性で良い、様々な個性を認める。

それぞれの仁徳、生き方があり、実践方法がある。

言い換えれば学問の道とは、まず、社会の偏見や差別意識、歪んだ道徳的な価値観から自己を開放することにある。