四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百十四章(雍也第六②)

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○日曜日の朝、11月19日、ウオーキング

 

子曰、伯夷叔斉不念旧悪、怨是用希。公冶長二十三

 

孔夫子はいわれた、周の粟を食べずと、首陽山に隠遁して餓死した伯夷・叔齊の兄弟は、清廉で且つ度量が大きく、人が過去に行った不仁を何時までも憎むことはなく、人から怨まれることはなかったのだ。

 

「清廉であるとは人として美しいことであるが、狭量であれば自らを越え、他人にも清廉であることを強いる・許せない。孔夫子の教えに独善はない。大きな仁徳で全てを包み込む(ぽかぽかとした暖かな)優しさ、思いやりがあり、その内に礼、義、智、信がある」

 

#論語

 

○日曜日の朝、森

 

「他人と比べて自分は頑張っている(なのに世の中から認められない)だから人の過失が許せない」

 

儒家に多い、仁徳を広げることなく四書五経の知識ばかり増えるも、後進に対して捨て垢で煽るのが関の山だ」

 

「三書五経は大切であるが、肝心の目的である仁徳を広げていない、既に、孔夫子の大きな仁徳に包まれているのに、そのことに未だ気付いていない」

 

#三行詩

 

○日曜日の夕方、マクド

 

「男らしさの呪縛とか、別に、らしくなくても人は人だ、ありのままで良い」

 

「男という概念に拘る必要があるのだろうか、人間として毅くあればそれで良い」

 

「見かけしか見ない、その程度の人たちに何が出来ようか、そのまま真っ直ぐ進んで下さい」

 

#三行詩

 

○日曜日の夜、自宅

 

「Aであることが100%『真実』である、ということを信じない人たちの為にBという『真実』を数%用意する」

 

「歴史的には使い古された常套手段であり、例はあり過ぎる」

 

「しかし、この場合、本当の真実とはCであることは明白であり、我々は物ごとから推察せねばならない、AとBからそれは可能なのだ」

 

#三行詩

 

「Aは正であるが100%、Aは誤である(B)が数%とする」

 

「どちらも発信元が同じZの場合、BはAの為に存在する」

 

「ABの正誤に注目させるのならABの選択肢は真実ではない、では何故ABという行動をせねばならなったのか」

 

#三行詩

 

「Cという事実を隠す為にZは情報を操作する(選択肢ABを与える)、つまりCには限りなく闇がある」

 

「ローマ史から江戸時代、近現代史、歴史書のあちこちに散見できる為政者側(Z)のトリックだ」

 

「Cも実はZのブラフですらある、しかし嘘100%からABCは作られない、いづれも少しの真実は含まれる」

 

#三行詩

 

「仮にABCがブラフとする、これはこれでチャンスだ、DがありEも見つける」

 

「Zがかくしたい真実Xは、事例が多い程、消去法と抽出方で推察出来る」

 

「問題の作成者の立場で考えること、次にZが誰なのか推察せねばならない、興味深い」

 

#三行詩

 

「仮にUFOは存在しないをA、存在するをBとする」

 

「真実はUFOの存在の有無ではなく、何故、その時、その場所、その場合でこの話題が取り上げられたかにある」

 

「ZはABの選択肢を選ぶ私たち被支配層Yに「UFO」という存在を刷り込みたかったということになる」

 

#三行詩

 

「或いは、正解は、その時、その場所、その場合の何かから外らす為に「UFO」の選択肢をYに与えたのかも知れない」

 

「残念ながらコナン・ドイルの時代とは違う、情報量が多すぎる、更なる物差しとコンパスが必要だ」

 

「歴史、数学、道徳を学んだものであれば、誰もが可怪しいと気付いている、どう考えてみても不整合であるし、あちこちにボロがある」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、通勤

 

子曰、孰謂微生高直、或乞醯焉、乞諸其鄰而与之。公冶長二十四

 

孔夫子はいわれた、馬鹿正直で融通が利かない微生高という人を世の人は実直であるという。彼は或る人に酢がないか乞われれば、隣家に酢を求めて与えるような人だ。どうして実直といえようか。

 

「実直であるとは、まず自らに対して実直でなければならない。自らを誠にせず、他人の為(自分の評判を上げる為に)に誠を尽くしても、所詮は私利私欲が見え隠れするエゴにしか過ぎない」

 

論語

 

○月曜日の夕方、通勤

 

子曰、巧言令色足恭、左丘明恥之、丘亦恥之、匿怨而友其人、左丘明恥之、丘亦恥之。公冶長二十五

 

孔夫子はいわれた、言葉巧みに良い顔を浮かべ、腰を低くして相手の歓心を得ることを左丘明は恥とし、私も恥とする。また、怨む気持ちがありながら、私利私欲を満たす為にその人と友人となることを左丘明は恥とし、私も恥とする。

 

wikipediaより抜粋『左丘明(さきゅうめい)は、春秋時代の人。生没年不詳。『論語』に登場する。伝統的に『春秋左氏伝』および『国語』の作者とされているが、『春秋左氏伝』の偽作説とも関連し、その人物には不明の点が多い。』」

 

論語

 

○火曜日の朝、通勤

 

顔淵季路侍、子曰、盍各言爾志。子路曰、願車馬衣裘、与朋友共敝之而無憾、公冶長二十六

 

顔回子路が控えている時に孔夫子はいわれた、各々、志を述べなさい。子路はいう、車や馬、高級な衣装を友人たちと使い、使えなくなっても気にしない、こういう風になりたいです。

 

「車に馬に高級な衣装、当時でも大金持ちしか持てない高級品に対して、単純に欲しいと、そしてケチケチせず友人たちと楽しみたいと述べる子路、如何にも子路らしい。心から信頼し尊敬する孔夫子の前では子供のようになっている」

 

#論語

 

「一部の識者の方は、この句から子路マルクス主義的な何かがあったという」

 

子路の能力云々は置いて、私は違うと思う、子路からマルクス主義的な暗さは感じない」

 

「単純に、子路はいい男だ、欠点もあるが快男児であり、英雄の気概を持っている、それで良いと思う」

 

#三行詩

 

○火曜日夕方、通勤

 

顔淵曰、願無伐善、無施労、子路曰、願聞子之志、子曰、老者安之、朋友信之、少者懐之。公冶長二十六

 

顔回はいう、善いことをして人に誇るようなことはなく、嫌がることを人に押し付けたりはしないようにしたいです。子路はいう、願わくば孔夫子の志をお聞かせ下さい。孔夫子はいわれた、年寄りには安心を、友とは信頼を、年少者からは親しまれるようになりたいものだな。

 

「孔夫子の教えに大言壮語はない。天才顔回の言葉は仁そのものであるし、孔夫子のお言葉からは、夫子の大きな仁が伝わってくる」

 

#論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

子曰、已矣乎、吾未見能見其過而内自訟者也。公冶長二十七

 

孔夫子はいわれた、やんなるかな、自らの過ちを認めて省みる人など見たことがない。なんという世の中だろう。

 

「他人を攻めることには勤しむも自らを省みれない、行き着く先は戦乱の世だ。故に、孔夫子の教えが光を放つ。忠恕、自らを誠にし人を思いやる。礼節による規律ある世の中。正しい善悪の価値観の共有」

 

#論語

 

○水曜日の夕方、通勤

 

子曰、十室之邑、必有忠信如丘者焉、不如丘之好学也。公冶長二十八

 

孔夫子はいわれた、十軒ほどの村でも、私のように目上の人に礼を尽くし、周りから信頼を得る者はいるだろう。ただ、学問を好むことに於いて、私より上の人はいないのだ。

 

「何ごとも好むに優れること無し」

 

#論語

 

○水曜日の夜、自宅

 

「負けず嫌いだ、学問の道を歩む限りは遥かに格上の人でも挑みたい」

 

礼記が素晴らしいと拝見する、平凡社版は読んだ、が」

 

「間もなく賞与あり、明治書院礼記(上)を買う、見上げれば高嶺、一歩ずつ追うぞ」

 

#三行詩

礼記 上 新釈漢文大系 (27)

 

○木曜日の夜、マクド

 

「終日、平凡社版の礼記を読み返す、前回より良く理解出来た」

 

「今、論語を丁寧に学んでいるので被る箇所が多く、こうであったのか、との気付きが多い」

 

「不思議にも、感覚的な情景が脳裏に浮かぶ、礼節とは遠景で見れば祭祀であり、和合する光景は神秘的にすら感じる」

 

#三行詩

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「檀弓下第四にある、遠方にて長男を亡くした延陵(呉)の季子は、子を墳に埋めたあと」

 

「左の肩を肌ぬぎ、墓を巡り三度、声を発していう」

 

『骨肉の土に帰るのは、物のさだめ。しかし魂気は必ず故郷へ飛んでもゆこうぞ』

 

#三行詩

 

「子を失った父は、異国の地で子を葬って去るのだ」

 

「情景が浮かんでくる」

 

平凡社版の礼記は現代語訳のみで読みやすい、通読は五回目になるが、学問がすすむほど礼記が面白くなってくる」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、病院

 

仲弓問子桑伯子、子曰、可也簡、仲弓曰、居敬而行簡、以臨其民、不亦可乎、居簡而行簡、無乃大簡乎、子曰、雍之言然。雍也二

 

高弟の仲弓冉雍、隠者である子桑伯子について問う。孔夫子はいわれた、中々の人物であり、諸事簡素に物ごとを行う人だ。仲弓はいう、何ごとにも敬いをもって簡素に行う、民と接するのであれば良いのですが、何ごとにも大まかで簡素に行う、大雑把では良くないと思います。孔夫子はいわれた、その通りだな。

 

「人を、物ごとを敬う(目的)からこそ、ことに当たる(目標)に慎重になる、結果を大切にする。一方、敬う心(目的)なく、簡素に効率(目標)を追いかけてしまへば、大雑把な作業になり、どうでも良い結果を量産するだけだ」

 

論語

 

○金曜日の朝、病院

 

「背中左下の痛み、出血、待ち受けは人で溢れ返っている」

 

「前回、大腸内視鏡検査をした病院、もう一軒、皮膚科に行こうと思ったが無理っぽい」

 

「基本食べ過ぎる、自宅では常に口を動かしている、あちこちにチョコや飴を隠す、ポテチ類はカーテンの裏に」

 

#三行詩

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「診察終わる、突き詰めれば暴飲暴食に原因がある」

 

「食べることが大好きだ、お酒も嫌いとは遠い」

 

「飲む打つ買うの三拍子とあるが、他がない分飲む(食べる)に突出している」

 

#三行詩

 

○金曜日の午前、皮膚科

 

「なんとか次の病院へ、待ち時間120分とか、やれやれ」

 

「今週のブログは書き終えてしまった、さて、どう暇つぶしするか」

 

「本を持ってこなかったのが敗因か、呆然と待ち受けで座っている」

 

#三行詩

 

○金曜日の夜、自宅

 

「常に弱者が虐げられ、犠牲になる世の中だ」

 

「そして血は血を、復讐はさらなる復讐を呼ぶ」

 

「必要なのは正義の行使ではない、小さな思いやり、思いやりの往復がやがては大きな思いやりとなり、弱者を守る守れる、人間の世界へと繋がるのだ」

 

#三行詩 #イスラエル・ガザ戦争

 

○土曜日の朝、自宅

 

「日本のメディアとは偏向している、真実+各社の思想で発信される」

 

「鶏と卵だ、それを求めているのは実は大衆であり、マスコミは悪の巣窟ではなく追随者に過ぎない」

 

「日本の報道はマイナス面を強調する、何故なら大衆がそれらを好む、マイナス事象から反省を得て何らかのプラスへ転じるのが大好きなのだ、時代劇しかり、ドラマしかり、最後には大衆の好きな正義が語られなければならない」

 

#三行詩

 

「戦前から戦中まで、我が国で民主主義が失われた時期があった」

 

「独裁者も現れず、悪の枢軸もいない、大衆の集団意識に流されるように軍部は暴発し、メディアは迎合する」

 

「勿論、鶏と卵だ、維新のち三度の戦争を勝利する、四度目も必ずあるとの大衆意識があり、米英と開戦へと暴走する」

 

#三行詩

 

「メディアや政府、或いは米国、又はコングロマリットが大衆意識をコントロールしているという人もいる」

 

「そう見えて、実は逆ではないか、勧善懲悪が大好きな私たちの要望が生み出した悪役像に過ぎない」

 

「億単位の民族、大衆の意識とは時代の奔流そのものであり、エリートを自称する数千人で何が出来よう」

 

#三行詩

 

「多くの人が(例の独裁者ですら)戦争は悪だと知っている、発言している」

 

「しかし現状はどうか、それぞれの勧善懲悪的な正義の為に戦争は続いでいる」

 

「今だに人類が制御出来ない無意識的に生み出される大衆意識、時代の奔流こそ真に恐れなければならない」

 

#三行詩

 

「ロシア・ウクライナイスラエル・ガザ、次は中国・台湾だろうか、世界中が暗闇に向かっている」

 

「血は血を呼び、復讐は復讐を呼ぶ、太古から変わらない、『カルタゴ滅ぶべし』は現代でも同じだ」

 

「鶏と卵の連鎖、大小各々の勧善懲悪の価値観と正義の執行、時代の奔流、大衆意識の暴走。弱者が虐げられる弱肉強食の世界に世界中の人が絶望していても、その原因である貧困、格差、差別は無くならない、孔夫子の頃から変わらない」

 

#三行詩

 

儒家は、貧困、格差、差別にどう取り組むのだろう、孟子の井田法では流石に時代に合わない」

 

「根元的には人間は平等であると孟子はいう、しかし身分や格差までは及ばなかった」

 

「君子という聖人を抱き、道徳による徳治政治が儒家の理想であるが、現代80億人の人類に通じるのだろうか」

 

#三行詩

 

儒家は戦争を認めない、有ってはならない事象だ」

 

「なら、戦争の原因である貧困、格差、差別もその存在を認めてはいけない」

 

「確かに孟子の各章で貧困や格差、差別を憎んでいる、暴君の放伐(追放)すら有りだ」

 

#三行詩

 

「国家の革命を肯定する儒家と、戦争を否定する儒家が同一線上に思想を展開する」

 

「現代風にいえばシステム論からオートポイエーシス、果てはシンギュラリティに至る、といった感覚で良いのだろうか」

 

「少し言葉が過ぎた、しかし相変わらず貧困、格差、差別は世界中に重く存在しているではないか」

 

#三行詩

 

○土曜日の午後、マクド

 

「子とモンハンNOWの亜種狩りのちマクドへ、子は試験勉強中」

 

「貧困、差別、格差を現代の儒家はどう解決するのか」

 

「仁という言葉の意味は人、つまり人間であれ、ということだ、人間であること、人間を人間にすることが儒家の行うことだと思う」

 

#三行詩

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所感)

■お菓子

自室のあちこちに隠している。家人に見つかると根こそぎ持っていかれるからだ。

勿論、家人用にも買って棚の上に置いている。

しかし、これで満足することはなく猟犬のように漁っていく。

机の引き出しの中には常にキットカットヴェルタース オリジナルの飴ちゃん、欠かせない。

ポテチなどのスナック類はカーテンの裏に潜ませる。しかし、子の好物であるじゃがりこなどは、お風呂に入っている間に確実に消える。

カップヌードル系は本棚の上に置くと気付かれにくい。

サラミやおつまみチーズ系は最初に食べてしまう。食べている途中でも家人に見つかれば丸ごと奪われて終わりだ。

 

■学問の道

源泉を常に掘り下げることが学問の道の眼目だ。

水の流れは窪みを満たしつつ川となり、やがては大海に至る。

常に学び続ける、とは学問の源泉を掘り下げることに他ならない。

人格の足らない、過ぎたところ、或いは傷ついた、慢心した心を学問は癒やし、直くし、人間そのものを毅くする、大海へと至らせる。

四書五経を漫然と読むことが学問ではない、目的と目標を明確にし、考える(Plan)、実践する(Do)、省みる(Check)、改める(Action)のだ。

目的に向かってPDCAサイクルを繰り返し回すのは、ビジネスも学問の道も変わらない。