四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百十九章(述而第七②)

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○日曜日の午後、12月24日、ウオーキング

 

冉有曰、夫子為衛君乎、子貢曰、諾、吾将問之、述而十四

 

衞の霊公の太子蒯聵、霊公の夫人南子を追放しようとして失敗し、晋国へ亡命。後、霊公が死去、蒯聵の子、輒が即位する。晋の趙鞅、亡命した蒯聵を即位させようとして衞へ出兵、内乱が始まる。孔夫子一行は衞に滞在中でもあり、冉有がいう、孔夫子は衛の君主を助けられるのだろうか。子貢がいう、私もそのことを孔夫子にお尋ねしようと思っていたところです。

 

「霊公といい、あの南子といい、碌でも無いし、太子蒯聵の肩を持ちたいところだが、隣国の兵を率いて内乱とは民のことを蔑ろにし過ぎる。つくづく酷い時代だと思う」

 

論語

 

○日曜日の夕方、マクド

 

「金曜日の忘年会、のち風邪をひく、土日は寝込む」

 

「先週から千円前後の明治書院史記を古本で買い集めている」

 

「今で5冊、年始年末、来年は史記を読み耽る予定」

 

#三行詩

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○月曜日の朝、通勤

 

入曰、伯夷叔斉何人也、曰、古之賢人也、曰、怨乎、曰、求仁而得仁、又何怨乎、出曰、夫子不為也。述而十四

 

子貢、孔夫子の部屋に入り問う、伯夷・叔斉とはどのような人ですか。孔夫子はいわれた、古の賢人だな。子貢、更に問う、彼らは地位や名誉を自ら捨てました。後悔したのでしょうか。孔夫子はいわれた、仁の徳を求め、仁の徳を手に入れた結果ではないか、どうして後悔があろうか。部屋から出た子貢、冉有にいう、孔夫子は衛の現・君主である蒯聵の子、出公輒をお助けにはならないようだ。

 

「亡命した父、蒯聵を差し置いてその子、輒が即位するのは仁徳とは遠い、と孔夫子はいわれている。伯夷・叔齊の故事を例えに尋ねる時点で、頭の良い子貢もそう思っていたに違いないと思う」

 

論語

 

○月曜日の夕方、通勤

 

子曰、飯疏食飲水、曲肱而枕之、楽亦在其中矣、述而十五

 

孔夫子はいわれた、一椀の煮た雑穀を食べ、一椀の水を飲む。そして、あばら家で肘を枕にして寝る。君子とは貧しい生活の中でも学問の道を学び、実践し、楽しむことが出来るものだ。

 

「君子=君主とは限らない。儒学帝王学だと延べる識者もいるが、どの帝かによる。少なくとも秦の始皇帝とか、漢の武帝ではない。堯帝、舜帝であるべきであり、先王の教えと帝王+学という言葉は、私はイメージが繋がらない」

 

論語

 

○火曜日の朝、通勤

 

不義而富且貴、於我如浮雲。述而十五

 

一方、仁に依ることなく、私利私欲を満たす為に不正や不義を好み、富や名声、権力を得ることが幸せであるとする人たちがいる。私にとって彼らは浮き雲のように思えるだけだ。

 

世襲を繰り返しつつ政治に関わり、心に国を思う誠がなく、数十年単位で組織的に裏金を溜めていた浮き雲のような人たち。政治とは究極的には仁、民への思いやりであり、義、自らが率先して正しき道を歩まねばならない。率先して自らを思いやってどうするのだろう」

 

論語

 

○火曜日の夕方、通勤

 

子曰、如我数年、五十以学、易可以無大過矣。述而十六

 

孔夫子はいわれた、あと数年、五十になるまで易経を学び直せば、もはや大きな過ちを犯すことはあるまい。

 

「孔夫子の時代に易経はなかったという人もいる。しかし、朱子学(儒学)に於いて易経は、汎神論的な、この世界を説明している唯一の貴重な書だ。故に『易(また)大過なかるべし』ではなく『以て易(えき)を学べば、大過なかるべし』と意訳した。異論はあると思う」

 

論語

 

○火曜日の夜、自宅

 

アトピー具合悪く、浸出液、止まらず。母、独り待つ田舎への帰省ままならず」

 

「包帯の長さが肝、厚く巻くと乾かず悪化、薄いと捲れる」

 

「止めのガムテープの改善を検討、ドラクエⅱのミイラ男は大変だったのだと今更気付く」

 

#三行詩 #アトピー性皮膚炎

 

「今年最後の診察の日、近所の皮膚科医はいう、ここ十年変わらぬ同じ言葉」

 

「今の時期(春夏秋冬)、皆さん苦しんでますね。じゃあ、前回と同じお薬でいいですね」

 

「全て理解していう、お願いします。お大事に。やはり、アトピー性皮膚炎とは治らない病気なのだ、病と向き合うことが大切なのだ」

 

#三行詩 

 

○水曜日の朝、通勤

 

子所雅言、詩書、執礼皆雅言也。述而十七

 

周王朝があった西安での発音を雅言といい、孔夫子が詩経書経を読み上げるときは雅言であり、礼節を行う人も雅言で言葉を発するものだ。

 

「礼節に於いて言葉を発するのであれば正しく発音しなければならない。孔夫子の詩書を読まれたお言葉はどう聴こえるのだろうか。興味深い」

 

論語

 

○水曜日の夕方、通勤

 

葉公問孔子子路子路不対、子曰、汝奚不曰、其為人也、発憤忘食、楽以忘憂、不知老之将至云爾。述而十八

 

楚の重臣である葉公、子路に孔夫子の人柄を問う。子路、どうお答えすればよいか、言葉に詰まる。のちにこの件を聞き孔夫子はいわれた、このようにいえば良いのだ、私の師は学問の道に熱中するあまり、食事すら忘れられます。道を実践することを楽しまれ、憂うことすら忘れられます。ご自身が老境にあるのに、そのことにすらお気付きになりません、と。

 

「孔夫子がご自身を評された貴重な言葉。読んで嬉しくなる。見事なまでに学而第一、そのままではないか。孔夫子はぶれない、一つで通されている、老いてますます学問の道を歩まれている。儒家とは、孔夫子の教えを学ぶ者とは、斯くあるべきなのだと心から思う」

 

#論語

 

○水曜日の夜、焼き鳥屋さん

 

「本日で仕事納め、お疲れ様でした、仕事始めは五日から」

 

「この焼き鳥屋さんは子供の頃から通っている、亡父が若い頃からのお気に入りのお店だ」

 

「結婚前、妻が初めての来阪時にも最初にこのお店からだ、今のところ子も気に入っている」

 

#三行詩

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○水曜日の夜、梅田

 

「生き死にとは二つか、或いは一つなのか、という人あり」

 

「肉親の死とは現実的には二つであるし、のち遺影を見つつ過去と語り合うのは一つではないか」

 

「我が生死は、ただ単純でありたいと思う。日々悔いなく過す、その時はその時、じたばたしませんように」

 

#三行詩

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「・・・否だ、もちろん、じたばたするさ、とことん足掻いてやるさ」

 

「中指を上に上げて、呼吸できる限りは戦ってやる」

 

「で、あることが善く生きることだと信じている、こういう生き物で生まれてきた、父も、祖父も、曽祖父も、そして我が子も、そうなる必然であろう世界に今も生きている」

 

#三行詩

 

○木曜日の夕方、自宅

 

子曰、我非生而知之者、好古敏而求之者也。述而十九

 

孔夫子はいわれた、私は生まれながらに汎ゆることを知る超人などではない。ただ、先王の教えを好み、止まることなく学び続ける者に過ぎない。

 

「孔夫子は紛れもなく儒学の聖人であるが、この人を以ってしてこの言葉だ。後世の儒家(或いは儒家もどき)のような高慢と偏見さは皆無であるし、儒学とは自らの学問の積み重ねであることがよく理解る」

 

#論語

 

○木曜日の夜、サイゼリア

 

「子と二郎系ラーメンへ、のちサイゼリアで休息する」

 

「麺は普通盛り、他は全マシ、ニンニクマシマシ、これは美味しい」

 

「初めての二郎とは衝撃なり、子と語り合う、料理の女神は二郎に微笑んでいる」

 

#三行詩

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○日曜日の午前、ウオーキング

 

子不語怪力乱神。述而篇二十

 

孔夫子、怪奇・暴力・乱行・鬼神のことを語られることはなかった。

 

「孔夫子の教えとは、現実世界を善くする為にある。得体不明な事象に関わることはなかった(何ごとも礼を以って処した)」

 

#論語

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○日曜日の午前、森

 

明治書院史記は9冊(本記・世家・列伝を各3冊)、及び韓非子は上・下を年末年始、来年用に購入する」

 

「大掃除で明治書院コーナーを本棚中央に、24冊並ぶ」

 

「好きなベートーヴェンピアノソナタ集を聴きながら、ひたすら本を読んでいる、幸せな時を過ごしている」

 

#三行詩

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○日曜日の夜、大晦日

 

「夕食は、年に一度奮発する和牛の焼き肉1kg、中二の子はまだ食べている、のち書斎へ、明治書院 史記Ⅰ 五帝本紀を開く」

 

「勿体なくて、史記は大晦日から読もうと決めていた。徳間書店史記(全)は父の書斎にあり、中高生の頃に読む、とても面白かった記憶がある」

 

「お気に入りの錫のぐい呑みにジャック・ダニエルを波々と注ぎ、ベートーヴェンピアノソナタ全集を流す、至福の時間なり」

 

#三行詩

 

所感)

■2023年振り返り

・学問の道

今年は、通勤時、往復二時間半の間に行っている論語の意訳の一周目を終え、次は他の四書五経へと迷うが、結果的には同じ論語の意訳、二周目を選択したのは良かった。

同時並行で四書五経を平日夜や土日に通読している中で、余裕を持って論語を考え直す、新たな発見、感動を得ることが出来た。

意訳するのが目的ではない、論語の一句を深く考える方法は来年も継続したい。さらに句から行へ、より意訳する文を短くして、全体の意とその行の意を深堀りしていきたい。

 

・仕事

転職して5年目、仕事に慣れもあり、新たな挑戦=改善が出尽くしてしまう。

一方、日常は、テトリス状態で、新たな仕事、責任が増えるばかり、人手も足らず、忙しい日が多くなった。

儒学を学んでいるお陰だろうか、心が動揺することが少なくなり、眼の前の仕事ではなく、全体像を如何に善くするかが、具体的に見えるようになった。会議の場でも、自分は自分はではなく全体像を延べることが多くなった。

来年4月から大幅に責任が増える。社内教育で講師も務める。忙しくなりそうだ。

 

・健康

田舎の友人Nの勧めで、新ビオフェルミンS錠とカルシウム錠を毎日服用している。

アトピー性皮膚炎は、全体的には良くなっているが、脚と手首はむしろ悪化し、日常的に包帯を巻くようになる。

年齢もあるのか、剝けた皮が再生しなくなる。

包帯の巻き方も、自己流であるが改善に改善を行い上手くなってきた。

病と向き合う人生もある。百膳健康な人など、この世の中にはいないし、皆最後は消滅するのだ。よく生きる為に、よく病とも向き合いたい。

 

・総括

孔夫子の教えとは、日常の生活で実践してこその教え、学びであり、狭義には自分の周り、広義には世の中を善くすることが、孔夫子の門をくぐった者の貫く道となる。

毎日、通勤時間に論語を意訳する=孔夫子との対話の時間は、確実に自らを磨いていると実感している。

来年は53歳になる。

ますます学ばねばならない、実践せねばならない。わくわくしている、心が踊っている。

一生学ばなければならない、のではない。

今を繰り返す、学ぶ、周囲に仁徳を及ぼす、実践する。

これは楽しい。楽しいから学ぶのだ。

一生を、何故学ばないのか、人が人を根本から善くする一つの方法ではないか。