四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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2023-01-01から1年間の記事一覧

三行詩 第百十九章(述而第七②)

○日曜日の午後、12月24日、ウオーキング 冉有曰、夫子為衛君乎、子貢曰、諾、吾将問之、述而十四 衞の霊公の太子蒯聵、霊公の夫人南子を追放しようとして失敗し、晋国へ亡命。後、霊公が死去、蒯聵の子、輒が即位する。晋の趙鞅、亡命した蒯聵を即位させよう…

三行詩 第百十八章(述而第七②)

○日曜日の午前、12月17日、ウオーキング 子之燕居、申申如也、夭夭如也。述而四 孔夫子のご自宅でのご様子は、伸び伸びとして寛がれ、楽しそうに、にこやかであられた。 「申申如、夭夭如であり、これが自宅での礼節なのだ」 #論語 ○日曜日の午前、ウオーキ…

三行詩 第百十七章(述而第七②)

○日曜日の午後、12月10日、マクド 子曰、斉一変、至於魯、魯一変、至於道。雍也二十四 孔夫子はいわれた、遥か昔、太公望呂尚が建国した斉は、政を仁徳により改めさえすれば魯のようになれるし、その周公旦が建国した魯は、仁徳により政を改めれば、古の周王…

三行詩 第百十六章(雍也第六②)

○日曜日の午後、12日3日、ウオーキング 冉求曰、非不説子之道、力不足也、子曰、力不足者、中道而廃、今女画。雍也十二 冉求はいう、孔夫子の教え、先王の道に感動を覚えていますが、私の力は及ばず、いくら学んでも実践出来ないのです。孔夫子はいわれた、…

三行詩 第百十五章(雍也第六②)

○日曜日の午後、11月26日、マクド 哀公問、弟子孰為好学、孔子対曰、有顔回者、好学、不遷怒、不弐過、不幸短命死矣、今也則亡、未聞好学者也。雍也三 魯の君主である哀公が問う、弟子で学問を好む人はいますか。孔夫子はいわれた、顔回という者がいました。…

三行詩 第百十四章(雍也第六②)

○日曜日の朝、11月19日、ウオーキング 子曰、伯夷叔斉不念旧悪、怨是用希。公冶長二十三 孔夫子はいわれた、周の粟を食べずと、首陽山に隠遁して餓死した伯夷・叔齊の兄弟は、清廉で且つ度量が大きく、人が過去に行った不仁を何時までも憎むことはなく、人か…

三行詩 第百十三章(公冶長第五②)

○日曜日の朝、11月12日、ウオーキング 子貢曰、夫子之文章、可得而聞也、夫子之言性与天道、不可得而聞也。公冶長十三 高弟の子貢はいう、孔夫子は、学問や道徳、先王の道については度々お話しされたが、人間とは何かや天に関してはほとんどお話しをされなか…

三行詩 第百十二章(公冶長第五②)

○日曜日の朝、11月5日、森 子謂南容、邦有道不廃、邦無道免於刑戮、以其兄之子妻之。 孔夫子、魯の家老である孟孫氏の子息、南容を評す。仁徳によって国が治められているのであれば厚く用いられるであろうし、仁徳が国に無くとも刑罰を受けるようなことはな…

三行詩 第百十一章(里仁第四②)

○日曜日の朝、10月29日、ウオーキング 子曰、見賢思斉焉、見不賢而内自省也。里仁十七 孔夫子はいわれた、人の仁徳の行いを見れば自らもそうなりたいと努め、不仁の行いを見れば自らにもその点がないか省みること。 「仁徳に基づいた礼節を日々、実践する君…

三行詩 第百十章(里仁第四②)

○日曜日の朝、10月22日、ウオーキング 子曰、富与貴、是人之所欲也、不以其道、得之不処也、貧与賤、是人之所悪也、不以其道、得之不去也、君子去仁、悪乎成名、君子無終食之間違仁、造次必於是、顛沛必於是。里仁五 孔夫子はいわれた、富と名声は人であれば…

三行詩 第百九章(八佾第三②)

○日曜日の午前、10月15日、自宅 定公問、君使臣、臣事君、如之何、孔子対曰、君使臣以礼、臣事君以忠。八佾十九 魯の君主であり襄公の子である定公が問う、君主が臣下を使う、臣下が君主に仕えるに大切なことは何か。孔夫子はいわれた、君主が臣下を使う場合…

三行詩 第百八章(八佾第三②)

○日曜日の午後、10月8日、マクド 子夏問曰、巧笑倩兮、美目盻兮、素以為絢兮、何謂也、子曰、絵事後乎、子曰、起予者商也、始可与言詩已矣。八佾八 子夏が問う、詩に『笑窪あらわに、可愛い口元。白目にくっきりとした美しい黒い瞳。白さに対して際立つ彩り…

三行詩 第百七章(八佾第三②)

○日曜日の朝、10月1日、ウオーキング 子張問、十世可知也、子曰、殷因於夏礼、所損益可知也、周因於殷礼、所損益可知也、其或継周者、雖百世亦可知也。為政二十三 子張は問う、十代の後、王朝が交代しても礼は残っているのでしょうか。孔夫子はいわれた、殷…

三行詩 第百六章(為政第二②)

○日曜日の夕方、9月24日、ウオーキング 子貢問君子、子曰、先行其言、而後従之。為政十三 子貢、君子を問う。孔夫子はいわれた、言葉よりも先に行うこと、後に思うことを述べるのが君子というものだ。 「言葉に過ぎて行いが足らない、恥とするべきだ」 #論語…

三行詩 第百五章(為政第二②)

○日曜日の夜、9月17日、自宅 子曰、為政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之。為政一 孔夫子はいわれた、仁徳を以て天下の政を行うとは、例えれば、天下の国や民、全天の星々が、仁徳の君子、北極星の周りを巡るようなものだ。 「徳治政治とはどの様なものか、…

三行詩 第百四章(学而第一②)

○日曜日の夕方、9月10日、自宅 子曰、道千乗之国、敬事而信、節用而愛人、使民以時。学而五 孔夫子はいわれた、戦車を千台維持出来る位の大国を治める道とは、何ごとにも誠を以て慎んでことに当たること、民を大切にし無用な出費は慎むこと、民を使役する場…

三行詩 第百三章(尭曰第二十)

○日曜日の夕方、9月3日、ウオーキング 「叔孫武叔、仲尼を毀る。子貢曰わく、以て為すこと無かれ。仲尼は毀るべからざるなり。他人の賢者は丘陵なり、猶踰ゆべきなり。仲尼は日月なり、得て踰ゆること無し。人自ら絶たんと欲すと雖ども、それ何ぞ日月を傷ら…

三行詩 第百二章(子張第十九)

○日曜日の午後、8月末27日、ウオーキング 「子夏曰わく、仕えて優なれば則ち学ぶ。学びて優なれば則ち仕う。子張十三」 「子夏はいう、仕事をして余力があれば学問の道を歩むこと。学問の道を歩み成果を得られれば仕事に活かすこと」 「漫然と生きない、自ら…

三行詩 第百一章(子張第十九)

○月曜日朝、8月21日、通勤 「子夏の門人、交わりを子張に問う。子張曰わく、子夏は何をか云える。対えて曰わく、子夏曰わく、可なる者はこれに与し、その不可なる者はこれを距めと。子張曰わく、吾が聞ける所に異なり。君子は賢を尊びて衆を容れ、善を嘉して…

三行詩 第百章(微子第十八)

○日曜日の午後、8月13日、自宅 『過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。/ヴァイツゼッカー』 「図書館で、戦中・戦後史の本をかりる、このお盆休みに腰を据えて読もう」 「思想は左右別れるも、戦争を繰り返すな、若い人はしっかりと勉…

三行詩 第九十九章(微子第十八)

○日曜日の午後、8月6日、自宅 「子曰く、唯だ女子と小人とは養い難しと為す。これを近づくれば則ち不遜。これを遠ざくれば則ち怨む。陽貨二十五」 「孔夫子はいわれた、小人とは扱いにくいものだ。優しくして近づけると無礼になり、疎遠にして冷たくするとこ…

三行詩 第九十八章(陽貨第十七)

○日曜日の夕方、7月30日、ウオーキング 「子曰く、道に聴きて塗に説くは、徳をこれ棄つるなり。陽貨十四」 「孔夫子はいわれた、中途半端に得たものを人に説く、徳を捨てるようなものだ」 「学問の道とは、自らどう思うかまで掘り下げて初めて門が見える、学…

三行詩 第九十七章(陽貨第十七)

○日曜日の朝、7月23日、ウオーキング 「子曰く、性は相近し。習えば相遠し。陽貨二」 「孔夫子はいわれた、人の生まれついいた性質とは誰も似たようなものだ。何を学び、思い、実践したかにより小人に終わる人もいれば、君子の高みに至る人もいる」 「学ぶこ…

三行詩 第九十六章(季氏第十六)

○日曜日の午前、7月16日、散髪屋さん 「孔子曰く、君子に侍するに三愆あり。言未だこれに及ばずして而も言う、これを躁と謂う。言これに及びて而も言わざる、これを隠と謂う。未だ顔色を見ずして而も言う、これを瞽と謂う。季氏六」 「孔夫子はいわれた、君…

三行詩 第九十五章(季氏第十六)

○日曜日の午後、7月9日、自宅 「子曰く、辞は達するのみ。衛霊公四十一」 「孔夫子はいわれた、言葉とは、飾ること無く内容を正しく伝えることを心掛けること」 「仁徳とは実践あるのみ、自らを賛美する人の何処に仁徳があろうか」 #論語 ○日曜日の午後、ウ…

三行詩 第九十四章(衛霊公第十五)

○日曜日の朝、7月2日、ウオーキング 「子曰く、人能く道を弘む、道人を弘むるにあらざるなり。衛霊公二十九」 「孔夫子はいわれた、人が自らの徳を広げるからこそ、天下泰平、堯帝・舜帝への道が広がるのだ、道が人を広げるのではない」 「孔夫子は夢幻は…

三行詩 第九十三章(衛霊公第十五)

○日曜日の朝、6月25日、通勤 「子曰く、群居して終日、言、義に及ばず、好んで小慧を行う。難いかな。衛霊公十七」 「孔夫子はいわれた、集まって一日中話しをしているが、言葉に真実はなく、互いに小知恵を自慢するのみだ。有為な人材になるなどとても難し…

三行詩 第九十二章(衞霊公第十五)

○日曜日の朝、6月18日、ウオーキング 「子曰く、無為にして治むる者はそれ舜か。夫れ何をか為さんや。己を恭々しくして正しく南面せるのみ。衛霊公五」 「孔夫子はいわれた、何をするのでもなく、天下が仁徳にて治まった舜帝の治世とは、なんと素晴らしきこ…

三行詩 第九十一章(衛霊公第十五)

○日曜日の朝、6月11日、自宅 「子路、石門に宿る、晨門曰く、奚れ自りするか。子路曰く、孔氏自りせり。曰く、これその不可なることを知りて、而もこれを為さんとする者か。憲問四十」 「子路、魯の城外にある石門にて宿をとる。門番がいう、汝、何処から来…

三行詩 第九十章(憲問第十四)

○日曜日の朝、6月4日、ウオーキング 「子曰く、君子はその言のその行に過ぐるを恥ず。憲問二十九」 「孔夫子はいわれた、君子とは言葉を慎み、行いより言葉が大きくなることを恥とした」 「小人の言葉とは行いより大きくなることが常であり、昨今の政治家の…