四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第九十七章(陽貨第十七)

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○日曜日の朝、7月23日、ウオーキング

 

「子曰く、性は相近し。習えば相遠し。陽貨二」

 

「孔夫子はいわれた、人の生まれついいた性質とは誰も似たようなものだ。何を学び、思い、実践したかにより小人に終わる人もいれば、君子の高みに至る人もいる」

 

「学ぶことの大切さを述べられている。学びを説いた学而第一とは、論語の眼目であると改めて思う。言葉は短いが、その意味するところはとても深い。人の性質、本質、人はどう生きるべきか、生涯をかけて仁徳を学ぶ、省みる、実践するのだ」

 

#論語

 

○日曜日の朝、森

 

「暑気あたり、日中は暑すぎる、また寝込む、明日からの為に涼しい時間を歩いている」

 

「アプリの無料漫画を読む、人が面白いと感じる事象が判り良い」

 

「未知への畏敬、欲望と正義の執行、別世界での体験、そして人、人、人」

 

#三行詩

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「玄関を出て扉を閉めたら向かいのマンションの窓に白黒の三毛猫あり、目が合う」

 

ウオーキング途中、大型犬と目が合う、ツンデレ女子らしく、直ぐにそっぽを向かれた」

 

「人にしろ動物にしろ目線は外さない、が、鴉は避けている、都会の鴉は大型だし群れて頭が良い、追っかけられたら困る」

 

#三行詩

 

○日曜日の朝、マクド

 

「一番客らしい、値上がりが悲しい、世界の所得は上昇しているが、少なくとも我が家ではない」

 

「チャート式新世界史、近代・現代編を持ってきた、しばらく読み耽けよう」

 

「子が友人たちと出掛けるらしい、丸亀製麺でランチとか、アトピーなの暑さに警戒していた」

 

#三行詩

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○日曜日の朝、森

 

「酒臭い息で喚き散らす中年男性二人、五月蝿いので店を出た」

 

「外に出ると、青空、陽光と蝉の声で満ちている、良い休日になりそうだ」

 

「なんとなく森鴎外の小説を読みたくなった、日中は図書館へ寄ろう」

 

#三行詩

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○日曜日の午前、向日葵

 

「向日葵が咲いている、青空と夏の太陽、蝉の声」

 

「この能天気さが良い、夏休みそのものではないか」

 

「バッハ、マタイ受難曲を聴きながら歩いている、妙に日本の夏と合う」

 

#三行詩

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○日曜日の午後、お昼

 

「えび天・玉天・野菜天の天丼と讃岐ぶっかけうどん、美味し」

 

「お腹いっぱいになる、幸せ」

 

「次はうどんをカレーうどんにして、天丼に+とり天を追加しよう」

 

#三行詩

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○月曜日の朝、通勤

 

「子曰く、唯上知と下愚とは移らず。陽貨三」

 

「孔夫子はいわれた、聖人は変わることがなく、同様に驕慢な小人も変わることがない」

 

「多くの人は学問で変わるが、生まれつきの聖人と、権力を離さない驕慢な小人は変わらない」

 

論語

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

「自己肯定で驕慢な内面と、現実に則して感情を抑えるストレス表層」

 

「芯に何を置くかで人は変わる、色々置いたらいい、家族、仁徳、偉人、思想、哲学、経験、歴史」

 

「ただ、自己否定と目耳鼻口腹が好むことを芯にしてはいけない、否定は墓場だし、欲と願は違う」

 

#三行詩

 

○月曜日の夕方、通勤

 

「子、武城に之きて絃歌の声を聞く。夫子莞爾として笑いて曰く、鷄を割くに焉んぞ牛刀を用いん。子游対えて曰く、昔者偃や諸を夫子に聞けり、曰く、君子道を学べば則ち人を愛し、小人道を学べば則ち使い易しと。子曰く、二三子よ、偃の言是なり。前言はこれに戯れしのみ。陽貨四」

 

「弟子の子游が城主として治める武城に孔夫子が行かれた時、村の家々から、琴の音に合わせて歌う弦歌の声がするのを聞かれた。孔夫子、にっこりと笑みを浮かべて(礼楽で善政を行う子游の手腕に嬉しくなって)いわれた、鶏をさばくのに、大きな牛刀を用いずとも良かろうに。」

 

子游はいう、君子が道を学ぶとよく民を愛すようになり、民が道を学ぶとよく国は治まると、以前、孔夫子より教わったことを実践しています。孔夫子は笑いながらいわれた、諸君(門人たち)。子游の言葉は正しい。さっきの言葉は(嬉しくなって、つい)戯れたのだよ」

 

#論語

 

○火曜日の朝、通勤

 

「公山不擾、費を以て畔く。招く。子往かんと欲す。子路説ばずして曰く、之くこと末きのみ。何ぞ必ずしも公山氏にこれ之かん。子曰く、夫れ我を招く者にして、豈徒ならんや。如し我を用うる者あらば、吾はそれ東周を為さんか。陽貨五」

 

「費を拠点としている公山不擾、三家老に反乱を企てた陽虎に呼応し、孔夫子を招く。孔夫子、応じられようとする。子路、不満を覚えていう、費に行かれるべきではありません。どうして公山氏のところに行かれたいのですか。」

 

「孔夫子はいわれた、私を招くからには其れ相応の理由があるのだろう。私を政に用いる君主が現れたのであれば、その地を東周にしたいと思っているのだ」

 

論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「朝からKiller Queenのサビが脳裏に流れている、不思議だ」

 

「電車止まる、アナウンスではお客様と接触とか、南無阿弥陀仏

 

論語陽貨編、前十章と比べると明らかに孔夫子の印象が違う、興味深い」

 

#三行詩

 

○火曜日の夕方、通勤

 

「子張、仁を孔子に問う。孔子曰く、能く五つの者を天下に行なうを仁と為す。これを請い問う。曰く、恭・寛・信・敏・恵なり。恭なれば則ち侮られず、寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち人任じ、敏なれば則ち功あり、恵なれば則ち以て人を使うに足る。陽貨六」

 

「子張、孔夫子に仁について問う。孔夫子はいわれた、五つを天下で実践すれば仁といえる。」

 

「子張、さらに五つを問う。孔夫子はいわれた、恭・寛・信・敏・恵であることだ。恭、謙譲であれば人に侮られない。寛、寛容であれば民から信望される。信、誠実であれば人から信頼される。敏、敏捷であれば功績を上げられる。恵、恩恵を民に施せば民は応えてくれる」

 

#論語

 

○火曜日の夕方、車内

 

「忙しい、物理的に忙殺されると、知恵もまわらない」

 

「挙動不審の人がいる、周囲をあちこち見ている人、満員電車の中で人を押し退けて移動する人」

 

「車内の臭いが良くない、挙動不審の人に注力する、ホームに警察官が複数いる、駅を出てもいる」

 

#三行詩

 

○火曜日の夜、自宅

 

「悪人に塵ほどの値打ちもない、捨ててよい紙屑にも劣るのが悪人だ」

 

「地獄必定の身、故に悪人の往生とは彼ら・彼女ら自身に、全く関係がないことに依る」

 

「唯、弥陀が助ける、一も二も大悲の仕業に基づく、仏教とは何と興味深いことだろうか」

 

#三行詩 #柳宗悦

 

○水曜日の朝、通勤

 

「仏肸召す。子往んと欲す。子路曰く、昔者由や諸を夫子に聞けり。曰く、親から其身に於て不善を為す者には、君子は入ざるなりと。仏肸中牟を以って畔く。子の往や之を如何と。子曰く、然り。是の言有なり。堅を曰ずや、磨すれども磷がずと。白を曰ずや、涅ども緇まずと。吾豈匏瓜ならんや。焉ぞ能繫りて食ざらんや。陽貨七」

 

「反乱を起こした佛肸の招きに応じようとした孔夫子に子路はいう、昔、孔夫子はこういわれました、君主自らが不善を行っている国に、君子は入国しないものだと。佛肸は中牟の地に立て籠もり晋に反逆しています。孔夫子がこの佛肸の呼びかけに応じようとされるのは何故ですか。」

 

「孔夫子いわれた、その通りだ。しかし、こういう古語もある、堅いという他はない、砥いでも砥いでも薄くならないのは。白いという他はない、染めても染めても黒くならないのは、と。私がどうして苦い瓜にならなければならないのか。どうして蔓に下がったまま、人に用いられずに終われようか」

 

#論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「寝不足、東條英機のことをあれこれ読んでいたら深夜に」

 

「戦前・戦中史の解釈は未だに難しい、左右に過ぎると思われるテキストが多い」

 

「良い本がないか探してみよう、私自身は司馬遼太郎の影響が未だ濃い」

 

#三行詩

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○水曜日の朝、通勤

 

「子曰く、由よ、女六言六蔽を聞けるや。対えて曰く、未だせず。居れ、吾女に語げん。仁を好みて学を好まざれば、その蔽や愚。知を好みて学を好まざれば、その蔽や蕩。信を好みて学を好まざれば、その蔽や賊。直を好みて学を好まざれば、その蔽や絞。勇を好みて学を好まざれば、その蔽や乱。剛を好みて学を好まざれば、その蔽や狂。陽貨八」

 

「孔夫子はいわれた、子路よ、六言六弊(六つの言葉にある六つの害)を聞いたことがあるか。子路はいう、いまだありません。孔夫子はいわれた、座りなさい、今から教えよう。仁を好んで学問を好まぬと、弊害として愚かになる。智を好んで学問を好まぬと、弊害としてとりとめもなくなる。」

 

「信を好んで学問を好まぬと、弊害として人を損なうことになる。正直を好んで学問を好まぬと、弊害として窮屈になる。勇を好んで学問を好まぬと、弊害として乱暴になる。剛強を好んで学問を好まぬと、弊害として狂乱に陥るのだ」

 

#論語

 

○水曜日の夕方、乗り換え

 

「片寄らず、中正を保つこと、小さな正義に拘り、大義が揺らいではならない」

 

「仁徳を学ぶ、省みる、実践するとは正義執行ではなく、徳を広げる、及ぼすことにある」

 

「三度省みて落ち度がない、なら相手は賊であり残である、畜生には畜生なりの対応で十分だ」

 

#三行詩


○木曜日の朝、通勤

 

「子曰く、小子、何ぞ夫の詩を学ぶこと莫きや。詩は以て興すべく、以て観るべく、以て群すべく、以て怨むべし。邇くは父に事え、遠くは君に事え、多く鳥獣草木の名を識る。陽貨九」

 

「孔夫子はいわれた、弟子たちよ、詩経をよく学ぶことだ。詩は心を奮い立たせ、物事を観察することができ、共に友好を深められるし、政の批判や恨み言も表現することができる。近きところでは父に孝を行えるし、遠きところでは君主への忠を学べる、鳥獣草木の名前を覚えることもできる」

 

詩経/中国においては、古代から『詩経』と『書経』は「詩書」として並び称され、儒家の経典として大きな権威を持った。中国の支配層を形成する士大夫層の基本的な教養として、漢代から近世に至るまでさまざまに学ばれ、さまざまな解釈が生まれた」

 

#論語

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

「眠い、暑さに参っている、電車内のクーラーの心地よさ、寝入ってしまった」

 

「昨晩は孟子を読んだ、相変わらず心に響く、声に出すと尚良い、好き嫌いというより根本がピタリと合う」

 

「夏バテしている、肥満、高血圧、心を落ち着けて、食べる量を減らそう」

 

#三行詩

 

○木曜日の夕方、通勤

 

「子、伯魚に謂いて曰く、女周南、召南を為びたるか。人にして周南、召南を為ばずんば、それ猶正しく牆に面して立てるがごときか。陽貨十」

 

「孔夫子、子息の伯魚にいわれた、詩経の周南・召南を学んだか。人として周南・召南の部を学ばないと、まるで塀の目の前に立っているようなものだ(周囲が見えず一歩も進めない)」

 

詩経/周南・召南、国風の冒頭の二篇。周南は関雎以下十一首、召南は鵲巣以下十四首の詩からなる。治国平天下の出発点である修身斉家の道を述べている」

 

#論語

 

○木曜日の夕方、乗り換え

 

貝塚茂樹先生の論語を読んで、素直に感動している自分がいる」

 

「毎日少しずつ論語を意訳し、陽貨第十七まできた、無駄ではなかったらしい」

 

「しかし、自ら、どう考えるか実践するかが浅い、独学故にか、進む方向に度々迷う、次が見えない」

 

#三行詩

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○木曜日の夜、自宅

 

「バッハ、ピアノ協奏曲第1番を聴いている、凄い夕焼けだ、世界が燃えているとしか思えない」

 

「今日は気温が39℃を超えたらしい、へとへとに疲れている」

 

「ギンギンに冷えたビールを流し込み、晩飯を喰らう、そして明日の朝まで死体の如く眠るのだ」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、通勤

 

「子曰く、礼と云い、礼と云う、玉帛を云わんや。楽と云い楽と云う、鐘鼓を云わんや。陽貨十一」

 

「孔夫子はいわれた、礼だ礼だとよくいわれるが、祖先に捧げる玉や絹が礼のではない。音楽だ音楽だとよく言われるが、鍾や太鼓を打ち鳴らすのが音楽ではないのだ」

 

「礼とは尊ぶ心、音楽とは和らぐ心、あってこその礼であり、音楽となる。当然ながら、ただ礼式を整えれば良い訳はなく、ただ鍾や太鼓を打ち鳴らせば良い訳もない」

 

#論語

 

○金曜日の朝、電車内

 

「高血圧、滝のような汗、背中の掻き壊した肌の痛み、愉快とはほど遠い朝なり」

 

「腹を据えて、身体からくる不愉快さと向き合う」

 

「電車内のクーラーが効き、マシになる、この繰りかえしがきつい、ただ昨日より元気だ、何とかなる」

 

#三行詩

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○金曜日の朝、乗り換え

 

「心と身体はあちこちに振れる、故に貫くものが必要となる」

 

「駅トイレのハンドドライヤーに執着する人あり、大に並んでいるとその風が顔にくる」

 

「五分以上は乾かしている、ハンドドライヤーで貫ける人は初見だ、しかし興味は全く持てない」

 

#三行詩

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○金曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、色厲しくして内荏らかなるは、諸を小人に譬うれば、それ猶穿愉の盗のごときか。陽貨十二」

 

「孔夫子はいわれた、見かけは偉そうで、厳しい顔つきをしている、しかし、その内は卑怯で私利私欲しかない。小人に例えれば、他人の家の壁に穴を開けて忍び込んだ盗っ人そのものだな」

 

「不思議なことに、こういう人が組織では昇進し、上に対して堂々と是非を述べる有能な人が昇進しない。結果、会社の業績は上がらず、イエスマンばかりが幹部となる。トップリーダーの仁徳の有無とは組織全体に影響する」

 

論語

 

○土曜日の午前、自宅

 

「子曰く、郷原は徳の賊なり。陽貨十三」

 

「孔夫子はいわれた、田舎の村落で名士と知られる人物こそ、実は八方美人で、道徳とは真逆の賊であることが多い」

 

「偽善者はどこにでも居る、名声や地位がある人物に徳があるとは限らない、世襲した立場を傘にする屑は古今変わらない」

 

#論語

 

○土曜日の午後、ホーム

 

「暑い、ホームに直射日光、影の部分に乗客が固まっている」

 

「夕方、土佐料理のお店で呑み会、梅田に向かう」

 

「チャート式新日本史が面白い、朝から熟読していた、受験用というよりは趣味人向けだと思う」

 

#三行詩

 

○土曜日の午後、東通

 

「意外と人混みではない、安定の方向音痴なので早めにきて、いつも通り迷っている」

 

「三十分ほど彷徨う、ようやく発見」

 

「電話で聞くも、方向音痴過ぎて何を聞いても理解らない、最後は直感を信じて進む」

 

#三行詩

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所感)

■土曜日の夜

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佐清水ワールド、お初天神店にて前職の仲間たちと呑み会。

お刺し身が、何れもとろけるようで且つ新鮮、美味い。呑み放題の土佐焼酎を各種呑み比べながら、いささか酔う。

二次会は駅に向かう東通りをうろつく、通りの串かつ屋さんへ、

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ここでも、いささか呑み、大都会の風景を楽しみながら帰宅する。とても楽しかった。

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