四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百二十五章(子罕第九②)

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○月曜日の朝、2月5日、通勤

 

孔子曰、才難、不其然乎、唐虞之際、於斯為盛、有婦人焉、九人而已、三分天下有其二、以服事殷、周之徳、其可謂至徳也已矣。泰伯篇二十

 

孔夫子はいわれた、国の政に才ある人を得るのが困難というが、果たしてそうだろうか。堯帝、舜帝が天下を治めていた時が終わっても、周王朝では尚、勢いが盛んであった。武王のいう十人の重臣がいて、一人は夫人。武王の父である文王の頃に、西伯となり天下の三分の二を領有していたのだ。そして、残りの三分一を統治する殷王朝に、周は臣従していたのだ。周王朝の徳とは、真に最高のものであるといえるな。

 

儒学とは、歴史の積み重ねでもある。現代の私たちにとっても、孔夫子や孟子が生きた中国の春秋・戦国時代から、自国の近現代史まで、あらゆる国の歴史を繰り返し学ぶことは重要な学問の道であると思う」

 

#論語

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

「車内やホームで嫌な咳をする人が増えた、風邪が流行っているらしい」

 

「土曜日の夜、呑み会のちで風邪をひく、日曜は終日寝るもいまいちか」

 

「今更ながら月曜日の朝なんだと呟く、通勤風景とはこの世が終わるまで変わらないに違いない、無個性と誰でもない時間」

 

#三行詩

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○月曜日の夕方、通勤

 

子曰、禹吾無間然矣、菲飲食而政孝乎鬼神、悪衣服而致美乎黻冕、卑宮室而尽力乎溝洫、禹吾無間然矣。泰伯篇二十一

 

孔夫子はいわれた、禹帝とは十全十美、素晴らしい君主であった。自らの飲食を少なくし、鬼神に供え物をする。自らの衣服を簡素にして、祭祀に用いる衣服を整える。自らの住居を質素にして、政に全力を尽くし全国の治水工事を完成させた。禹帝とは十全十美、素晴らしい君主であったのだ。

 

「堯帝に父である鯀が仕え、自身は舜帝に仕えた。あの舜帝が上司だ、且つ、上司に認められ帝位をも譲られた逸材、故に人として十全十美と表現した。のち治水の神として信仰の対象となる。孫悟空の如意棒は、兎が江海の深さを測る為に用いた重りだという」

 

#論語

 

○月曜日の夜、自宅

 

「公冶長篇二十六『顔淵曰、願無伐善、無施労』に引っかかっている、顔回の主客が見えない』

 

「根本通明先生の論語講義を写経中に止まる」

 

「根本通明先生の論語講義で顔回はいう『願くは人の善を伐り損なふことのないようにしたいものである』と」

 

#三行詩

 

顔回は、何処を目指したのだろうか、(一方、前の子路の言葉は理解りやすい)」

 

「あくまで顔回一個人のことなのか、世界を『人に善あれば我に善あるが如くしたい』と述べたのか」

 

「世界中の人が『労を施すこと無からん』とは、まさに先王の教えそのものだ、聖人の言と等しい」

 

#三行詩

 

儒学とは自ら仁徳を広げ、周囲へ及ぼすものだ」

 

顔回は貧民街でも最底辺に住む人、この人が、自らの徳を広げ、世界の苦しむ民を救う、思いを持つ」

 

「仮に顔回個人のこととしても、結論は変わらない、仁者とは思いを周囲へ及ぼす、広げる」

 

#三行詩

 

儒家とはリアリスト・現実主義者でもある、夢みる夢夫くんではない」

 

顔回という人に、正直、背筋が寒くなる、次元が違い過ぎる」

 

「古代、中国の貧民街で早世した天才は、忠恕で世界を救おうとしたのだ、やはり彼は聖人なのだ」

 

#三行詩

 

「故に、現代の儒家、学問の道を歩む者は、子路を目指すべきだ」

 

顔回は、天才で聖人だ、もはや人の域から出ている」

 

「とはいっても、結局は孔夫子の大きな仁で皆、包まれてしまう、安心してしまう。論語とは面白い、学んでも学んでも先が見えない」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、通勤

 

子罕言利、与命与仁。子罕篇一

 

孔夫子は、人の利になることを述べられることは少なく、稀に述べられる場合でも、天命や仁徳と重ねて述べられた。

 

「子、罕に利を言う。命と与もにし仁と与もにす。と読んだのは荻生徂徠先生だ。根本通明先生がどう読んだのかは、のちの写経で学ぶ予定。論語内で仁に関しては、孔夫子はそこそこ発言されており、この場合は荻生徂徠先生の読み方が論理的に正しく思う」

 

#論語

 

○火曜日の夕方、通勤

 

達巷党人曰、大哉孔子、博学而無所成名、子罕篇二

 

達巷の村人はいう、孔夫子とはなんと偉大な人だろう。一つのことで有名なのではなく、博学であらゆることに精通されておられるのだ。

 

「為政第二に『子曰、君子不器』(孔夫子はいわれた、君子とは器ではない)とある。あらゆることに精通された孔夫子は、懐に無数の器がありながらも、そこに固執することなく君子であられた。学問の道も同じく、器ではいけない。学び続ける、自らの徳を広げる、忠恕の実践、故に道なのだ」

 

#論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

子聞之、謂門弟子曰、吾何執、執御乎、執射乎、吾執御乎。子罕篇二

 

これ(達巷の村人のこと)を聞いた孔夫子、弟子たちにいわれた、私は何(器)で有名になろうかな、馬に乗るか、弓を引こうか、うむ、馬にしよう。

 

「孔夫子の开万哨(冗談)、達巷の村人が一つのことではなく、あらゆることに精通されていると夫子を褒めたことに対して、じゃあ、一つのことでも有名になろうかな、と弟子たちに冗談をいわれた」

 

#論語

 

○水曜日の朝、車内

 

「ずっと咳き込む人あり、身体が大きなせいか音量が凄まじく、みんな見ている」

 

「ホームで並ぶ、何故か前2m開けて並ぶ人あり後ろに行列も詰めない詰めれない、背中から鬼のオーラが出ている」

 

「観光客か、この寒さにミニスカートと笑顔、空間を歪ませているのかも」

 

#三行詩

 

○水曜日の夕方、通勤

 

子曰、麻冕礼也、今也純倹、吾従衆、子罕篇三

 

孔夫子はいわれた、周王朝から伝わる礼式によれば、冠は麻を用いたものが正式であるが、作成するのに工程が多く手間がかかる為、最近では絹を用いた簡素化した冠が多い。倹約の為であれば私も絹の冠を用いるとしよう。

 

「主客が何処にあるかによる。冠は冠であれば古来からの礼節から外れない。ならば現実的な選択をすればよい。何から何でも周王朝から伝わるまま、といった固執は孔夫子にはない。主(目的)が何であるか、物ごとの本質からぶれない選択、シンプルで合理主義的な孔夫子の側面を垣間見ることが出来る」

 

#論語

 

○水曜日の夜、自宅

 

「アマプラV、続・荒野のガンマンを観ている、初見なれど、とても面白い」

 

「イーライ・ウオラックの演技が素晴らしい、しかし、何処かで観た顔な気がする」

 

ググると、ゴッドファーザーⅢの、あのドン・アルトベッロだ、いい役者だなと思う」

 

#三行詩

 

○水曜日の夜、自宅、

 

「子曰、十室之邑、必有忠信如丘者焉、不如丘之好学也。公冶長篇二十八とあるも、根本通明先生は、最後を『焉不如丘之好学也』と読まれた」

 

「すると、丘(孔夫子)ほど学問を好む者は世の中にはいない、との一般的な現代語訳が覆る」

 

「根本通明先生の論語講義はこうある『丘に及ぶ者が、丘に及んで丘に劣らぬ者が、必ずあるに相違いない』、これこそ孔夫子のお言葉だと心から思う。根本通明先生の解釈される孔夫子は、とても優しく、暖かい」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、通勤

 

拝下礼也、今拝乎上泰也、雖違衆、吾従下。子罕篇三

 

一方で、朝廷で君主に拝するに、堂下で拝するのが周王朝から伝わる礼式であるが、昨今、堂上で拝する人が多い。これは礼に反することであるし臣下の増長だ。故に、私は堂下で拝礼を行うのだよ。

 

「礼とは、その意味する尊ぶことを尊んでこその礼だ。手間や面倒だから、古式だから無くして良いものではない。尊ぶ心が作法となり、心と動作が一つとなる。心身ともに美しく、人の規律・規範たるに相応しい樣でなければならない」

 

#論語

 

○木曜日の夕方、通勤

 

子絶四、毋意、毋必、毋固、毋我。子罕篇四

 

孔夫子は四つのことを絶たれた。即ち、思いを邪にする、物ごとに必然を求める、凝り拘りを離さない、考えが自己中心に偏る。

 

「孔夫子は儒学の聖人だ。その上で、この句の『四絶』を強調し過ぎてブッダのような宗教的解釈をする識者がいるが、私は違和感を覚える。孔夫子は偉大なる中庸の人であり、四絶の対極の行いですら、過ぎるとまた四絶に戻ることをご存知でおられた。日常生活、ありのままの聖人が孔夫子の姿ではないか」

 

#論語

 

○金曜日の朝、通勤

 

子畏於匡、曰、文王既没、文不在茲乎、子罕篇五

 

匡の地で、陽虎に恨みを持つ村人たちに(孔夫子の容姿を陽虎と)間違わられて一行が捕われた時、孔夫子はいわれた、文王(周の武王の父)が亡くなられたのち、文王の遺徳を伝える者は私なのだ。

 

「陽貨篇第十七に登場する、あの陽虎と孔夫子は容貌が似ておられたらしい。陽虎は魯の国の昭公から実権を奪った三桓氏の一人である季孫斯に仕えた。のち三桓氏の当主たちに反乱を企て篭城戦を繰り広げるも、三桓氏連合軍に敗れて魯の隣国である斉に追放された。のち、宋・晋を転々としたとのこと」

 

#論語

 

○金曜日の夕方、通勤

 

天之将喪斯文也、後死者不得与於斯文也、天之未喪斯文也、匡人其如予何。子罕篇五

 

今、天が文王の遺徳(を引き継いだ孔夫子)を滅ぼしてしまうのであれば、のちの世に、文王の遺徳は伝わらず失われてしまうのだ。天が文王の遺徳を失わせるようなことをするはずがない。故に匡の人が私に何が出来ようか。

 

「孔夫子は、自らの存在価値を心得ておられた。先王の教えを後世に伝える、人類史上の自らの立ち位置(儒学創始者儒学の教育者)を天命として自覚されていたのだ」

 

#論語

 

○金曜日の夜、自宅

 

「ようやく三連休、今晩も根本通明先生の『論議講義』を写経しつつ雍也第六に進む」

 

「一文字、一文字、根本先生の意に近づきたく、慎みつつ、省みつつ、腹を据える」

 

「学問の道、意は無限にあるも真は一つ、腹に納めるか否か、唯、自らを磨き続けるのみ」

 

#三行詩

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所感)

■土曜日の夕方、自宅

アトピー、悪し。

あちこちに巻いた包帯から浸出液が滲み出ている。

終日、伏せるも、

昼、松屋でシュクメルリ定食を食べる、美味し。

 

三連休、田舎にも帰省出来ず。

独り住む母の顔も、また見れず。

田舎のNから体調を気遣う長文のメールあり。

やれやれ、こういう時らしい。

 

いつも人生万事塞翁が馬と唱える、只、唱える。

病気も自分の一部だ、憎むより寄り添うこと。

 

■学問の道ー「儒学と宗教」

儒学と宗教は、確かに密接な関係性はある。

天命思想、先祖崇拝、祭祀、礼式から、日常生活においても旧正月、お盆、端午の節句、位牌、百ヶ日、一周忌、三周忌等々…根本に宗教(儒教)があるのは万人が認めることだ。

 

しかし、ここで無宗教の人間が学問の道を歩んでも儒学の根本を理解出来ない、表面上の似非君子に終わる、ということを述べた人がいる。

捻くれたいい方をすれば、無宗教も一つの宗教であり、父母からの慈愛、兄弟への孝悌、祖父母ご先祖様への感謝と供養は、宗教の有無で有る無い、とはならない。

 

儒学の根本とは孝であり、忠恕にある。

特定の宗教に入信せねば自らを誠に、人に真の思いやりは持てない、実践出来ないのであれば、孔夫子の教えは多くの人々の本棚の中に並ぶ一冊で終わる。

仁徳とは、宗教も無宗教も、全てを包み込むものだ。

 

極論、論語とは宗教性こそが本質である、ならそれでも良いと思う。

私は浅学非才であるし、度々間違いをする人間だ(故に、独り学び省みて改めている)。

大家である加地伸行先生は、論語の宗教性に着目されている。

学問の道とは自由だし、私のような素人が何を言えようか。

だが、現代の無宗教儒学を学ぶ者に、お前たちでは真の教えは理解出来ない、似非君子め、と述べる人こそどうなのであろうか。

少なくとも孔夫子の教えを学ぶ人の言葉ではない。

 

今年は1月より根本通明先生の論語講義を写経している。

仕事の疲れ、体調の良い悪いで左右され、遅々として進まないが、気付くことある。

根本通明先生の孔夫子は、とても暖かい、心がポカポカしてくる。

孔夫子の大きな仁、世界を包み込む仁を、論語という孔夫子の言行を集めた断片集から、見事に講義されている。

 

お顔は厳しく(怖い)、文武の達人であられた根本先生であるが、論語講義の中の言葉は一つ一つに心がこもり、私たち読者に向かって孔夫子の正しい姿を優しく、易しく述べられている。

根本通明先生との出会いは、私の今後の学問の道に於いて指針となるものだ。

 

孟子を通じて論語を学び、ポカポカと暖かな仁を感じたのは三年前、学問の道に入門したときのこと。

色々あるも、今日も独り学問の道を歩む、ポカポカとした暖かな仁を実践する、のみだ。