四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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2024-01-01から1年間の記事一覧

三行詩 第百三十章(郷党第十②)

○日曜日の午後、3月10日、森 揖所与立、左右其手、衣前後譫如也、郷党篇三 (朝廷で)同役の人たちに挨拶をされるときは、両手を胸の前で組み合わせて、左に向き、次に右に向き、少し上にあげる動作をされた。礼服の裾の前後は整然と揺れ動き、寸分も乱れな…

三行詩 第百二十九章(子罕第九②)

○月曜日の朝、3月4日、通勤 子曰、可与共学、未可与適道、子罕篇三十 孔夫子はいわれた、共に学問を行うことは出来よう、しかし同じ学問の道を歩むことは出来ない人もいる。 「志や学問に対する思いが異なれば、孔門を叩いた時は変わらぬも学問が進めば次第…

三行詩 第百二十八章(子罕第九②)

○日曜日の午後、2月25日、ウオーキング 子謂顔淵曰、惜乎、吾見其進也、未見其止也。子罕篇二十一 孔夫子、早世した顔回を評していわれた、惜しいことかな、彼の学問は進むばかりで、止まることは無かったのだ。 「惜乎(惜しいことかな)とは、早世した顔回を…

三行詩 第百二十七章(子罕第九②)

○月曜日の朝、2月19日、通勤 且予与其死於臣之手也、無寧死於二三子之手乎、且予縦不得大葬、予死於道路乎。子罕篇十二 (孔夫子はいわれた)そのような偽の家臣団に偽の大夫として天に見送られるより、門弟の二三人に見送られるほうがよい。大夫としての大葬…

三行詩 第百二十六章(子罕第九②)

○日曜日の朝、2月11日、森 大宰問於子貢曰、夫子聖者与、何其多能也、子貢曰、固天縦之将聖、又多能也、子罕六 呉の大宰である嚭、子貢に問う、孔夫子は聖人であられるも、どうして諸事多能であられるのか。子貢はいう、孔夫子は天より許しを得た、真の聖人…

三行詩 第百二十五章(子罕第九②)

○月曜日の朝、2月5日、通勤 孔子曰、才難、不其然乎、唐虞之際、於斯為盛、有婦人焉、九人而已、三分天下有其二、以服事殷、周之徳、其可謂至徳也已矣。泰伯篇二十 孔夫子はいわれた、国の政に才ある人を得るのが困難というが、果たしてそうだろうか。堯帝…

三行詩 第百二十四章(泰伯第八②)

○日曜日の午後、1月28日、自宅 子曰、三年学、不至於穀、不易得也。泰伯篇十二 孔夫子はいわれた、学問の道を学んでも、たかが三年で仕官を求める者がいるのだ。 「何の為の学問の道か、仕官は手段であり、目的は苦しむ民を救うことにある。孔夫子の門を叩い…

三行詩 第百二十三章(泰伯第八②)

○日曜日の午後、1月21日、自宅 詩云、戦戦兢兢、如臨深淵、如履薄氷、而今而後、吾知免夫、小子。泰伯篇三 曽子、傷のない手足を見せていう、詩経にこうある『戦々恐々として深き淵に臨みて、薄氷の上を歩むが如く』と。臨終を迎え、ようやくこの心配から離…

三行詩 第百二十二章(述而第七②)

○日曜日の午後、1月14日、ウオーキング 子曰、若聖与仁、則吾豈敢、抑為之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣、述而篇三十三 孔夫子はいわれた、学問の道の目標とは、自らを聖人や仁者へと近づけることであるが、私は未だにそれらに及ばない。ただ、止まること…

三行詩 第百二十一章(述而第七②)

○日曜日の夜、1月7日、自宅 子釣而不綱、弋不射宿。述而篇二十六 魚釣りはしても網でさらうことはなく、弓で鳥を狩っても巣を狙うことを孔夫子はなさらなかった。 「のちの季氏第十六 に『孔子曰、益者三樂、損者三樂。』とある通り、釣りも狩りも君子の嗜み…

三行詩 第百二十章(述而第七②)

○月曜日の午前、1月1日、正月 子曰、三人行、必有我師焉、択其善者而従之、其不善者而改之。述而篇二十一 孔夫子はいわれた、学問の道とは、三人いれば必ずや師となる者に出会える。仁徳に優れた善き人であれば自らも倣い。私利私欲の悪き人であれば自らはど…