四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百二十一章(述而第七②)

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○日曜日の夜、1月7日、自宅

 

子釣而不綱、弋不射宿。述而篇二十六

 

魚釣りはしても網でさらうことはなく、弓で鳥を狩っても巣を狙うことを孔夫子はなさらなかった。

 

「のちの季氏第十六 に『孔子曰、益者三樂、損者三樂。』とある通り、釣りも狩りも君子の嗜みとして楽しむのは良いが、何ごとも楽しみて過ぎるのは中庸から遠く外れる、ということではないか。」

 

#論語

 

○月曜日の午後、ウオーキング

 

子曰、蓋有不知而作之者、我無是也、述而篇二十七

 

孔夫子はいわれた、自らの才能を過信して自己流を良しとする人を見受けることがあるが、私は決してそのようなことはしない。

 

「仮に天才であれ、唯一無二の創造者とは人類史上、数人ではないか。何ごとも根(基本)を地中に広く伸ばす、先人の為したことを学ぶ、根本を固めてからこそ、その才能も花開くのだ」

 

論語

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○月曜日の午後、森

 

「今年は論語、白文の写経を始めた、少しずつ少しずつ書く」

 

「繰り返し読み、毎日意訳して、ようやく書くことが作業ではなくなった」

 

「書くことに三年かかる、私は浅学非才であり、小人なのだ」

 

#三行詩

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○月曜日の夕方、帰宅中

 

「怖くない、怖くない、怖くない、若い頃、教えてもらった言葉」

 

「以来、怖い、迷う、逃げるくらいなら、何ごとも飛び込むことにしている」

 

「学生時代、尊敬する合気道部のコーチに教えていただいた言葉、今も変わりない」

 

#三行詩

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○火曜日の朝、通勤

 

多聞択其善者而従之、多見而識之、知之次也。述而篇二十七

 

私は、多くの話を聞き、善い行いを選びてそれに従い、多くの書を読み、善い行いを選んで我が知識とする。道に至るには積み重ねが必要なのだ。

 

「学問の道の積み重ねとは、毎日の基礎的な行動の積み重ねにある。論語の意訳、孟子素読四書五経の通読、今年から始めた論語の写経、ささやかな学問ではあるが、継続こそ力なりと信じている」

 

#論語

 

○火曜日の夕方、通勤

 

互郷難与言、童子見、門人惑、述而篇二十八

 

頑固で偏屈な村人で有名な互郷という村から少年がやってきて孔夫子の門を叩いた。門人は取次いで良いものかと戸惑う。

 

「人間とは平等であり、孔夫子の教え、学問の道とは老若男女、あらゆる人の為に門を開けている。でなければ五十を越えて儒学を学びはしない。私にとって儒学を学ぶとは、人間を磨くことだと思っている」

 

#論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

子曰、与其進也、不与其退也、唯何甚、人潔己以進、与其潔也、不保其住也。述而篇二十八

 

孔夫子はいわれた、学問の道を歩もうと我が門を叩いたのであれば、私は何人たりとも教えないことはない。一方、我が門を去るのであれば追うことはない。何を少年に戸惑うことがあろうか。人が自らを磨こうとしているのだ、教えるのみ。ただ、私から去るのであればそれは私の預かり知らぬことだ。

 

「学問の道を歩むか、歩まないかは自分自身の問題であり、学ぶ、自らを磨く、成長させる思いがなければ、他人がどうこうできるものではない。仁徳とは自らの内にある善性を広げるものだ、どうして他人が広げれようか」

 

#論語

 

○水曜日の夕方、通勤

 

子曰、仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣。述而篇二十九

 

孔夫子はいわれた、仁徳とは神話のような高邁で高尚なものであろうか。いや、日常生活で、今日、今、誰もが行える、思いやりこそ仁徳に他ならないのだ。

 

「孔夫子の教え、忠恕(自らを誠にして人を思いやる)とは、二千五百年を経ても現実世界、日常生活での日々の実践にある。学問の道とは経書を暗記することではなく、如何に自らを磨く、内面を仁徳にて充実させることにある」

 

#論語

 

○水曜日の夜、自宅

 

「年始から、論語の写経に取り組んでいる」

 

「テキストは、根本通明先生の論語講義だ」

 

「古本で状態が良くない為、そろりそろりとページを開く、一文字残さずノートに写している」

 

#論語

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○木曜日の朝、通勤

 

陳司敗問、昭公知礼乎、孔子曰、知礼、孔子退、述而篇三十

 

陳国の司法長官、孔夫子に問う、魯国の昭公は礼を知っておられましたか。孔夫子はいわれた、礼を知っておられました。のち孔夫子は退出された。

 

「礼の根本とは尊ぶことであるが、同じく規律・規範も意味する。君主の徳は民に及ぶものであり、君主の不徳も民に及ぶ」

 

#論語

 

○木曜日の夕方、通勤

 

揖巫馬期而進之曰、吾聞、君子不党、君子亦党乎、君取於呉、為同姓、謂之呉孟子、君而知礼、孰不知礼、述而篇三十

 

司法長官、孔夫子の弟子の巫馬期にいう、君子は仲間であろうが依怙贔屓はしないと聞き及んでいたが、自分の君主を良くいうのはどうであろうか。魯国の昭公は、呉国から夫人を娶る時に、同じ姓故に結婚出来ない為、夫人の性を呉孟子と変えられたのだ。昭公が礼を知る人とするならば、この世の中に礼を知らない人などいないのではないかな。

 

「魯国の君主の家も呉国の君主の家も姓はどちらも姫であり、「同姓娶らず」が古代中国での習慣であったらしい。清王朝の末期まで続いたとのこと」

 

#論語

 

○金曜日の朝、通勤

 

巫馬期以告、子曰、丘也幸、苟有過、人必知之。述而篇三十

 

弟子の巫馬期、この話を孔夫子にいう。孔夫子はいわれた、私は幸せものだな。過ちを犯せば、誰かがそれに気づいてくれるのだ。

 

「昭公が礼を知らないことは孔夫子は存じ上げておられたに違いない。しかし、他国の司法長官にそれを述べるのは自国を恥ずかしめるとして、昭公は礼を知ると述べられた。さらに指摘されると潔く認められた。自らの評判など気にしない、これも君主に仕える忠なのだろう」

 

#論語

 

○金曜日の夕方、通勤

 

子与人歌而善、必使反之、而後和之。述而篇三十一

 

孔夫子が歌を唄われる時に、善き歌い手がいれば、繰り返し独唱を聴いて、共に合唱されるのが常であられた。

 

「孔夫子は2mを越える長身であったらしい。故に巨躯から発せられる歌声は例えれば、現代のルチアーノ・パヴァロッティのような美声であられた違いない」

 

#論語

 

○土曜日の夕方、ウオーキング

 

子曰、文莫吾猶人也、躬行君子、則吾未之有得也。述而篇三十二

 

孔夫子はいわれた、経書を学ぶことであれば人並みの学問は出来ようが、君子として先王の教えを実践しているかと問われれば、未だに遠いな、私は。

 

「学問の道とは、経書を学ぶ、学んだことを実践することにある。詩経書経、春秋左氏伝などは竹簡、木簡の綴じた帯を何度も切られるまで学ばれたに違いない。そしてだ。そこから実践せねばならない。学問の道とは大変なことだと改めて思う」

 

#論語

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所感):

■土曜日の夜、自宅

終日、冬眠する。

食べたら寝る、寝たら食べる。

あっという間に1日が終わる。

こういう日もあるさ。