○日曜日の午後、12月10日、マクド
子曰、斉一変、至於魯、魯一変、至於道。雍也二十四
孔夫子はいわれた、遥か昔、太公望呂尚が建国した斉は、政を仁徳により改めさえすれば魯のようになれるし、その周公旦が建国した魯は、仁徳により政を改めれば、古の周王朝のような先王の道を世の中に開くことが出来るだろう。
「孔夫子の教えとは、つまるところ先王の教えに他ならない」
#論語
○月曜日の朝、通勤
子曰、觚不觚、觚哉、觚哉。雍也二十五
孔夫子はいわれた、周王朝から伝わる觚(盃)は角があるものであるが、今までは角がない、これが觚といえるのだろうか。
「觚は祭礼で酒を飲む為の器であり、一升のものを爵といい、二升(現代の一合七勺八分)ものを觚という。酒は少量を楽しむものであるのに、春秋時代の觚は大きくなり大酒を嘆かれたのが古注、角の有無を嘆かれたのが新注の解釈。今回も新注に基づいた」
#論語
○月曜日の夕方、通勤
宰我問曰、仁者雖告之曰井有仁焉、其従之也、子曰、何為其然也、君子可逝也、不可陥也、可欺也、不可罔也。雍也二十六
宰我が問う。仁者とは、井戸の中に人が落ちたと聞けば、井戸に飛び込むのでしょうか。孔夫子はいわれた、あり得ない。君子であれば井戸までは行くであろうが、確認もせず井戸の中に飛び込む様なことはしない。言葉で騙すことは出来ても、常に正しい判断を君子はするものだ。
「宰我の質問自体が馬鹿げた内容であるが、当時も、現代も、仁者とはお人好しの馬鹿であると思う人はいる。孔夫子にこのような質問をする宰我こそ、自ら、自身の徳を下げていることに気付いていない」
#論語
○火曜日の朝、通勤
子曰、君子博学於文、約之以礼、亦可以弗畔矣夫。雍也二十七
君子、広く経書を学び、学んだことを礼により実践する。故に道(中庸)から外れるようなことはない。
「先王の教えとは、常に学び、常に実践してこそ道に通じる」
#論語
○火曜日の夕方、通勤
子見南子、子路不説、夫子矢之曰、予所否者、天厭之、天厭之。雍也二十八
孔夫子、衛の霊公の夫人であり不品行で知られた南子に会われた。弟子の子路、不満を表す。孔夫子はいわれた、もし、私に道の外れた行いがあるのであれば、天が私を見捨てる、天が私を見捨てるであろう。
「剛毅、清廉な子路にとって、宋朝と恋仲にありながら衛の霊公の夫人である南子という存在自体が嫌いなのだ」
#論語
○水曜日の朝、通勤
子曰、中庸之為徳也、其至矣乎、民鮮久矣。雍也二十九
孔夫子はいわれた、中庸とは最高の徳の一つであるが、世間で見ることは久しくなったものだ。
「時と場合、場所で適宜(中庸)である為には、先王から伝わる礼節を知り、義(善、悪を正しく判断する)に基づき、全体を善(仁、思いやり)からしめなければならない。要は、学問の道が廃れつつある現実を孔夫子は嘆かれている」
#論語
○水曜日の朝、ホーム
「感じの良い老夫婦を見かける、アニメ日本昔ばなしから抜け出たような」
「お爺さんは、ゴニョゴニョと喋る、お婆さんははっきりとした声で応える」
「横にいるだけで何となく幸せに包まれる、二人とも格上なのだ、経験値すると徳が滲み出ている」
#三行詩
○水曜日の夕方、通勤
子貢曰、如有博施於民、而能済衆、何如、可謂仁乎、子曰、何事於仁、必也聖乎、堯舜其猶病。雍也三十
子貢がいう、民に広く恩恵を与え、彼らを苦しみから救うことは仁でしょうか。孔夫子はいわれた、多くの苦しむ民を救うことは仁を越えた、聖人の御業といえる。尭帝や舜帝、聖人でさえ、苦労されたのだ。
「四書五経、大学経一章に『大學之道、在明明徳(天から授かった立派な徳を明らかにする)、在親民(民衆を教化して民衆を革新する)、在止於至善(最高の善にふみ止とどまる)』とあるが、孔夫子の教えとは異ならない。何故なら学問の道とは積み重ねであり、仁も積み重ねて(いつかは)聖に至るのだと思う」
#論語
○木曜日の朝、通勤
夫仁者己欲立而立人、己欲達而達人、能近取譬、可謂仁之方也已。雍也三十
仁者は自らが為したいと思えば、まず他人を伸ばして為させる。自らが達成したいと思えば、他人から達成させるものだ。仁者とは身近な人を思いやり、推す。これが、仁徳の道というものだ。
「仁徳の道とは推しの子に通じる。自らの徳を広げ及ぼし、身近な人を世に立たしめる。身近な仁の積み重ねがやがては聖に至る」
#論語
○木曜日の夕方、通勤
子曰、述而不作、信而好古、窃比我於老彭。述而一
孔夫子はいわれた、先王の教えを弟子たちに教える。そして、ただ礼楽を好み、新たな政には関わらない。例えれば今の私は老彭(殷王朝に仕えた名宰相の彭祖)のようなものだな。
「孔夫子、晩年の言葉とされる。孔夫子は周王朝から伝わる先王の教えを終生尊ばれ、その教育と実践に一生を捧げられた。晩年、息子の孔鯉に先立たれ、有能な弟子たちも次々と早世する。その失意の中でも、先王の道への情熱は変わることがない孔夫子の思いは、時代を越えて文中から伝わってくる」
#論語
○金曜日の朝、通勤
子曰、黙而識之、学而不厭、誨人不倦、何有於我哉。述而二
孔夫子はいわれた、静かに学問を重ねる、学問の道を厭うことがない、学問を人に倦むことなく教える。私にとっては当たり前のことだ。
「学問の道とは、黙々と静かに自らに学問を積み重ねることだ。積み重ねるとは学ぶ、実践する、省みる、改めるの繰り返し。積み重ねた分だけ学問が楽しくなる、もっと先が見えてくる」
#論語
○金曜日の朝、一休み
「同門で、尊敬している先達がいる、修行僧のように学問の道を歩まれている」
「その人がいう、(私は)怠っている、努力不足だ、まだまだ努力しよう」
「中島敦の小説、名人伝の最後の文を思い出す。我が身を省みる、自らの学問の浅さにただ恥じ入るのみだ」
#三行詩
『その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥たということである。』
青空文庫 中島敦 「名人伝」より抜粋aozora.gr.jp
○金曜日の夜、忘年会
「楽しい夜であった、ビールも控えめに」
「歳を重ねたなりの話しがある、共感がある、驚きがある」
「酒を呑むのが主ではない、共感し、笑い⁰、そして杯を空にした」
#三行詩
○土曜日の午後、ウオーキング
子曰、徳之不脩、学之不講、聞義不能徒、不善不能改、是吾憂也。述而三
孔夫子はいわれた、徳、未だ修められず。学問、未だ学び足らず。義、未だ行えれず。不善、未だ改めれず。我、未だ道、途中なり。
「孔夫子の晩年の言葉であろうか、孔夫子をしてこの言葉。孔門をくぐった私たち後塵は、常に肝に銘じなければならない」
#論語
所感)
■忘年会
同じ会社で部署が違う友人と呑む。
会社の敷地内に2軒レストランがあり、1軒は酒が飲める。
彼は酒呑みではない。故に話に花が咲く。
共に海外でバックパッカーの経験があり、群れることを嫌う正義漢だ。
社会の不合理と、強くならなければ生き辛い世の中、矛盾の中でも家族を守り、幸せに生き抜いてやろう、という様な話しをする。
二次会はコーヒーを飲み別れた。
来週は、古い仲間たちとの忘年会だ。
クリスマス・イブ(イブ)ということで、プレゼント交換会も決めた。
お金を使わず、それぞれの趣味の分野で不要の本を持ち合い交換する。
人間、五十以上も生きていると趣味も玄人レベルになる。
プロレス一筋や、全国寺社廻り人、改造腕時計収集家、等々、楽しみだ。
■土曜日の夜、自宅
歳を取ったのか酒量が減る一方の中で整ってきた気がする。
食事中はよく冷やした缶のハイボールやビール、チューハイを1〜2本飲んで満足する。
食後はジャック・ダニエルを錫のぐい呑に半分くらい注ぎ、香りを楽しみながらちびちび呑む。
音楽を聴いたり、本を読んだり、夜リラックスする時に欠かせない。
これ以上、飲もうと思えば飲めるが、飲む必要を感じない。
勿論、日本酒は大好きだが、好き過ぎて量が多くなる一方で、翌朝、内臓が腫れて体調を崩す場合が多く、家酒から外す。
故に、外酒では良い日本酒をちびちび呑むことにしている。
若い頃、日本酒を販売する専門店で数年間アルバイトした経験がある。
閉店後は毎晩、ユニークな性格をした副店長とアルバイトらで試飲酒の酒盛りがあり、そこで日本酒の味を覚えた。
店の紹介で利き酒会に行ったり、一時は大学卒業後は酒造りの道に進もうかと迷ったりしたが、結局は就職氷河期の大波の呑みこまれ、今に至る。
大学卒業のち、十年振りにお土産を持って寄った時には、その店は潰れ、味も素っ気もないコンビニになっていた。
美味しい日本酒とは、良いお米と良い水が薫り立つお酒らしい。
利き酒会で一番美味しいと感じたのが、大吟醸を作る為の水であったのが意外であり、強く記憶に残っている。
別に、大吟醸酒が百善、素晴らしいお酒という訳ではなく、自分が美味しいと思う酒が良いお酒だと教えられた。
ワンカップ大関が一番美味しい、という人も正解であり、ブランドやラベルが良いお酒、ではないということを若い頃に知ったことは良かったと思う。
■人それぞれ
学問もそうだが、人生も積み重ねらしい。
若い頃から繰り返し行っていることは、五十代になれば、不思議にその人となりに香りが付く。
若い頃からギャンブルと風俗が好きな知人は、歳を取っても、そうであるし、それなりの雰囲気を発している。
旅行好きで、日本全国、津々浦々巡ってきた友人は、神社やお寺、お城の知識に異様に詳しく、マニアックであるが人を惹きつける魅力がある。
私などは、仕事以外は本ばかり読んできた頭でっかちであるが、今まで読んできた本の知識ではなく、そういった様々な考え方、思想を思い出し、日常生活の中で可笑しみを感じたり、多様性を受け入れることが楽しくなってきた気がする。