四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百二十四章(泰伯第八②)

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○日曜日の午後、1月28日、自宅

 

子曰、三年学、不至於穀、不易得也。泰伯篇十二

 

孔夫子はいわれた、学問の道を学んでも、たかが三年で仕官を求める者がいるのだ。

 

「何の為の学問の道か、仕官は手段であり、目的は苦しむ民を救うことにある。孔夫子の門を叩いた者でも、志が低く、仕官目的の者がいることを孔夫子は嘆かれた」

 

#論語

 

○月曜日の朝、通勤

 

子曰、篤信好学、守死善道、危邦不入、乱邦不居、泰伯篇十三

 

孔夫子はいわれた、学問の道を好み、堯帝、舜帝が残された先王の教えを篤く信じること。生ある限り学問の道を歩み、自ら徳を善くすること。政で争う国には立ち入らず、政が乱れた国には滞在しないこと。

 

「孔夫子の教えとは、英雄になることではない。学問の道を歩み、自らの仁徳を広げ、及ぼし、(君子を補佐して)苦しむ民を救い、世の中を泰平にするのだ」

 

#論語

 

○月曜日の夕方、通勤

 

天下有道則見、無道則隠、邦有道、貧且賤焉恥也、邦無道、富且貴焉恥也。泰伯篇十三

 

天下に仁徳が満ちているのであれば世に出るし、天下に不仁が横行しているのであれば世から隠棲する。国で仁徳が行われている、にもかかわらず用いられず貧しいままであれば恥とし、国で不仁が横行している、にもかかわらず用いられ富や名声を得ているのであれば恥とする。

 

「この句も、孔夫子が誰について述べられたかにより解釈が変わる。君子は斯くあるべきであるのか、弟子たちにこうありなさいと述べたのか、老年になってからの遺言か、孔夫子自身のことを述べられたのか。識者の現代語訳を参照しても曖昧な解釈が多い。結論は根本通明先生の論語講義で確認したい」

 

#論語

 

○火曜日の朝、通勤

 

子曰、不在其位、不謀其政。泰伯篇十四

 

孔夫子はいわれた、立場、責任にない者が、担当者に向かってとやかくいうものではない。

 

「断片的なな孔夫子の言葉、前後の句との関連性も低く、孔夫子以外の5W1Hも不明の為、言葉通りの解釈のみ。確かにこういうことはある」

 

#論語

 

○火曜日の朝、駅

 

「幸せという感覚は、自己の積み重ねを肯定するか否定するか、自らの選択による」

 

「金持ちだから幸せとは限らない、人の欲望とは、得てして現状を台無しにするものだ」

 

「例えばパール・バック著、『大地』の第一部主人公である王龍の幸せは、私は成功するまでだと思う」

 

#三行詩

 

「他人と比較する幸せを求めている人は、方法そのものが不幸だし改善の余地が少ない」

 

「腹をくくるというか、過去は過去、未来は未来と決別する、今だけに注力すれば良い」

 

「目的を定め、目標を刻む、継続する、ささやかな進捗に、積み重ねに幸せはある」

 

#三行詩

 

「仮に、貴方が有力国会議員の御曹子とする、確かに恵まれているが、幸せとは限らない」

 

「人の不幸とは、目的を定められない、安直に眼耳鼻腹の欲望のままに生きることだ」

 

「S・キングの小説、『ヨーシャンクの空に』は架空の物語であるが、学ぶことは多い、幸せとは自ら掴むものだ」

 

#三行詩

 

「幸せを掴むのに、老若男女は関係ない、常に、いつ、今から目的を定め、目標に向えばよい」

 

「目的を探す、ことも十分な目的足り得る」

 

「運不運、巡り合わせを恨むよりは、現状を受入れ、最大公約数的な幸せを求めることが現実的、且つ建設的な方法であると思う」

 

#三行詩

 

○火曜日の夕方、通勤

 

子曰、師摯之始、関雎之乱、洋洋乎盈耳哉。泰伯篇十五

 

孔夫子はいわれた、魯の楽団長である摯が演奏した関雎の終曲部分は、とても美しく、透明感のある音色は広がりを見せ、旋律とハーモニーを鮮やかに浮き上がらせた。今だに耳に残る素晴らしい演奏であったな。

 

「孔夫子は音楽を好まれた。当時の音楽を現代で聴くことは叶わぬも、『洋洋乎盈耳哉』と表現された音色は、現代でも想像力を掻き立てられるに十分だと思う」

 

#論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

子曰、狂而不直、侗而不愿、悾悾而不信、吾不知之矣。泰伯篇十六

 

熱狂しても正直ではなく、知らないくせに真面目ではない。また、何も出来無いくせに誠実ではない。このような小人はどうしようもないな。

 

「熱狂していることには正直に取り組むこと。知らないことには真面目に接すること。何も出来無いのであれば、せめて誠実であること。私は小人なので、今日はこの三つに取り組みたい」

 

#論語

 

○水曜日の朝、一休み

 

「通勤、座れた、寝る、終点で目覚めた、5分で深睡眠とは想定外、アラームも効かず」

 

「勿論、常に2本早く通勤しているので問題なし、サラリーマンとは用心深く、強かであるべし」

 

「水曜日で、もはや疲れている、今週は昔の仲間と呑み会あり、モチベを上げていこう」

 

#三行詩

 

○水曜日の夕方、通勤

 

子曰、学如不及、猶恐失之。泰伯篇十七

 

孔夫子はいわれた、学問の道とは、学んでも学んでも未だ及ばないものであり、学び得ても失うことのないようにと恐れ、繰り返し繰り返し復習するものだ。

 

「学問の道とは厳しく、心緩むことなく日々繰り返し学ばなければならない。孔夫子は弟子たちに向けて、学問に対する姿勢を述べられた」

 

#論語

 

「当然ながら学問の道とは、厳しさだけではない」

 

「学問の積み重ね、実践は自らの仁徳を広げる、仁は、礼、義、知と広がり、世の中を正しく見ることが出来る」

 

「最大の楽しみは、学問の世界の深さ、広さだ。学んでも学んでも先がある、汲んでも汲んでも尽きない、どんどん夢中になる」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、通勤

 

子曰、巍巍乎、舜禹之有天下也、而不与焉。泰伯篇十八

 

孔夫子はいわれた、なんと偉大な業績であろうか、舜帝、禹帝の下での政とは。しかも両帝とも南面して玉座に座られていただけというではないか。

 

「善いことを好まれ、実践し、周りを巻き込んで、ますます善いことを好まれ、実践する。私は舜帝の大ファンだ。孟子しかり、舜帝が登場するだけで嬉しくなる、幸せに満たされる」

 

#論語

 

○木曜日の夕方、通勤

 

子曰、大哉、堯之為君也、巍巍乎、唯天為大、唯堯則之、泰伯篇十九

 

孔夫子はいわれた、堯帝とは、なんと偉大な君主であったことだろう。天とは唯一無二の存在であるが、かの時、唯、堯帝のみが天に則って政をなされたのだ。

 

「その仁は天のごとく、その知は神のごとく、などと最大級の賛辞で描かれる。黄色い冠で純衣をまとい、白馬にひかせた赤い車に乗った。(Wikipedia/『堯』より抜粋)」

 

#論語

 

○金曜日の朝、通勤

 

蕩蕩乎、民無能名焉、巍巍乎、其有成功也、煥乎、其有文章。泰伯篇十九

 

(堯帝の)偉大な功績は広々として果てしなく、民は(成された事業を)名付けることすら出来無い。様々な広大な成功を収められ、礼楽を後世の遺されたのだ。

 

「巍巍乎(ぎぎこ)に蕩蕩乎(とうとうこ)と堯帝の偉大さを表現された。もはや神話のようにすら思える」

 

#論語

 

○金曜日の夕方、通勤

 

舜有臣五人而天下治、武王曰、予有乱臣十人、泰伯篇二十

 

舜帝は部下に五人の賢人(禹、稷、契、皋陶、伯益)がいて天下を治められた。武王はいう、私には乱を治められる十人の重臣(周公旦・召公奭・太公望・畢公・栄公・太顚・閎夭・散宜生・南宮适・太姒)がいる。

 

「例えればマーベル映画、儒学アベンジャーズのような樣となっている。人物を一人ずつ追いかける楽しみもある」

 

#論語

 

所感)

■土曜日の深夜、自宅

友人たちと鳥貴族へ、楽しき呑み会であった。

帰宅、のち寝込む。

軽い風邪をひく。

 

翌、日曜日も終日寝る。

喉の痛みがましになる。