四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第九十一章(衛霊公第十五)

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○日曜日の朝、6月11日、自宅

 

子路、石門に宿る、晨門曰く、奚れ自りするか。子路曰く、孔氏自りせり。曰く、これその不可なることを知りて、而もこれを為さんとする者か。憲問四十」

 

子路、魯の城外にある石門にて宿をとる。門番がいう、汝、何処から来たのか。子路はいう。孔家から来た者だ。門番がいう。ああ、孔子という人は、不可能であると知りながら、それを為さんとする人らしいな」

 

「ただの門番の言葉であるが意味するところは深い。道徳が無視され、戦乱の世であり、民は、弱者は虐げられ小人が権力を握る世界で、貴方はどう思い、どう行うかを問いている。このような不合理、非道を改めることを不可能とし、自分だけが良ければいいとするのか、孔家に学ぶ者なら有り得ないことだ」

 

#三行詩 #論語

 

○日曜日の朝、ウオーキング

 

「バッハ、無伴奏バイオリンソナタ第3番を聴きながら森を歩いている」

 

「昨日は二日酔いで寝ていた、酒に弱いくせに呑み過ぎたらしい」

 

「共に歳を重ねた朋友たちと酒を呑み、語る、笑う、心がすっきりした」

 

#三行詩

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○日曜日の朝、マクド

 

「中国思想史と荀子天論篇を読み返している、荀子はやはり画期的だ」

 

儒学の立場のままで、孔夫子の現実主義的な面を進めた」

 

「天を自然を尊ぶも人の世界は人が行うものとした、人は性悪故に学び続ける必要があり、天と学問を決別させたのだ」

 

#三行詩

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荀子礼論篇にある、礼の基づきに三つ有り、天地は生命、先祖は人類、君師は平和と」

 

「故に、礼とは養うこと(人性悪につき)であり、礼無き生、欲情の満喫を望めば、人は自滅が待ち受ける」

 

「人を尊ぶこと(礼)が自らを養うのだ、この養う(尊ぶ)ことが礼から失われつつあるのが現代だ」

 

#三行詩

 

○日曜日の午前、森

 

「世の中とは暗やみがある、マイナス感情から発する、個・集団を問わず人から発するものだ」

 

SNSでは顕著であり、不特定多数の仮面を被り、暗い欲望を満たそうとする」

 

「ただ、昨今は変化がある、刑事告訴が受理される時代となった、誹謗中傷には取り敢えず告訴だ」

 

#三行詩

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○日曜日の夕方、ウオーキング

 

「太った夫婦が転がるように森を歩いている、妻はお喋りが止まらない」

 

「うんうんと話しを聴いている、むかしからよく話す人だ」

 

「身振り手振りを用いて情熱的に話している、たまに、良かったな、というと話しが一段落し、二段目が始まる」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、通勤

 

「子、磬を衛に撃つ。簣を荷いて孔氏の門を過ぐる者有り。曰く、心あるかな磬を撃つこと。既にして曰く、鄙しいかな、脛脛乎たり。己を知ること莫ければ、これ已まんのみ。深きときは則ち厲し、浅きときは則ち掲せよ。子曰く、果なるかな、これを難しとする末し。憲問四十一」

 

「孔夫子、衛の国に滞在していた時に磬(石の打楽器)を演奏する。土砂を運ぶもっこを担いし人、門前を通りかかっていう、なんと心に響く演奏だろう。しかし、暫く聴いていう、いや、この演奏は頑固過ぎる。」

 

「そして、詩経の一節『深きときは則ち厲し、浅きときは則ち掲せよ』と唱えるとその場を去ったいった。これを聞いた孔夫子はいわれた、中々出来た人であるが理解ってはいないな。何ごとも、一つ(仁徳)で通すからこそ、世の中は変わっていくのだ(臨機応変が必ずしも良いとは限らない)」

 

#三行詩 #論理

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

論語を読んでいる、考えていると、意訳時に孔夫子が語りかけられてくるようになった」

 

「なんとなく、孔夫子ならこう言われると、自分の中に孔子像が出来だした」

 

「学問の積み重ね分の孔子像だ、至らぬは当たり前だが、なんとなく嬉しい、今朝も会話した」

 

#三行詩

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○月曜日の午前、一休み

 

荀子は、人は皆小人から始まる、孟子は、目耳鼻腹のいうがままになると小人になるとする」

 

「故に荀子は学問を一生続ける必要があると説き、孟子は自らの善(四端)を学問をして追い求める必要があると説く」

 

「大本の論語の主張は仁徳と忠恕の実践だ、学問の道に関しては弟子の個性に合わせた教え方なので中庸だ、ここをのちに一般論へ落とし込んだのが性善・性悪となり、性悪は異端とされた。今、荀子を学ぶ意味合いがぼやけている、荀子から何を学ぶのかを決めずにただ紙面を開いている、一旦中止しよう」

 

#三行詩

 

○月曜日の夕方、通勤

 

「子張曰く、書に云う、高宗、諒陰三年言わずとは、何の謂ぞや。子曰く、何ぞ必ずしも高宗のみならん。古の人は皆然り。君薨ずれば、百官、己を総べて以て冢宰に聴くこと三年なり。憲問四十二」

 

「子張が問う、書経に、殷時代の高宗は三年の喪に服している間、一言も発せずとありました。孔夫子はいわれた、高宗に限らず古人は皆そうされたのだ。君主が崩御すれば、百官の官吏は己の役割を遂行したのち、宰相からの服喪の指示を三年の間守り通したのだ」

 

「礼を尊ぶとともに、三年の間、一言も発せずとも国が治まる政治を君子は行っていた。道徳的であることを第一とする徳治政治ならではのエピソードである」

 

#三行詩 #論語

 

○月曜日の夕方、車内

 

「そもそも道徳が、礼がなければバイオハザードの世界だろう」

 

「人類存続する限りは、何らかの礼はある、道徳無き人類とはゾンビ化したか、社会は崩壊している」

 

「皆少なからず道徳的であり礼を行う、経験則であり生きて行く為に、そして大本の儒学は消えつつある」

 

#三行詩

 

「道徳が失われた世界とは、原始宗教的な動的モラルへ、さらには猿山の猿が核ミサイルボタンを管理する世の中か」

 

「或いは、道徳、礼と人が同化するのも過ぎる気がする、もはや蜂、蟻のような、新スタートレックのボーグのような世界は、孔夫子の世界とは異なる」

 

「いつの世も現代と変わりない、世の中で道徳が欠ければ、儒学を学ぶ者が現れ、管理社会が過ぎれば老荘の徒が現れる、世界とは、いわゆる易経にある『一陰一陽これを道と謂う』そのものではないか。余計な心配など無用なのかも知れない、自らもその一駒に過ぎないのだ」

 

#三行詩

 

○月曜日の夜、自宅

 

荀子は離れた、双六にある、振り出しに戻るのだ、今の目はこれらしい」

 

「挟んだレシートによれば買ったのは2005年8月、神保町の本屋さんで」

 

諸橋轍次先生の「論語の講義」、日本語で書かれた論語では最高峰の一冊だと思う」

 

#三行詩

論語の講義

 

○火曜日の朝、通勤

 

「子曰く、上礼を好めば、則ち民使い易し。憲問四十三」

 

「孔夫子はいわれた、政に携わる、或いは人の上に立つ者は礼を好まねばならない。そうすれば民も教化され、やがて国中に礼が行き渡ると民は安心し、国は良く治まるものだ」

 

「上に立つ者が率先して礼を示すことの重要性と、民は政治の不安定を好まず、礼(規範・規律)による安定した社会を望んでいることを孔夫子は述べられた」

 

#三行詩 #論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「派手な服を着たハイエナのような人が、タバコを吸いながらホームを出口に向って歩いている」

 

「ホームに居る通勤客の顔を一人ずつ睨んでは、笑顔だ」

 

「昨今珍しいチンピラ振りだ、昭和からきたタイムトラベラーかも知れない、どないや!と表情が告げている」

 

#三行詩

 

○火曜日の午前、一休み

 

「昨夜、諸橋轍次先生の論語の講義、学而第一を一字漏らさず素読する」

 

論語の全体像から一句を読む視点に欠けていることに気付く」

 

「先生によれば学而第一は一から七までで論語の総論とする意見もあるとか」

 

#三行詩

 

論語は点でしか読めていない、次は線で繋ぎ、面で新たな理解が出来るかも知れない」

 

「どう点を線へするのか考えている、テーマごとにノートへ書き出すとか、或るいは最初から分類していくとか」

 

「エクセルでちゃっちゃと作成しそうになるが、違う、作業では意味がない、手書きでコツコツとだ」

 

#三行詩

 

○火曜日の夕方、通勤

 

子路、君子を問う。子曰く、己を修めて以て敬す。曰く、斯くの如きのみか。曰く、己を修めて以て人を安んず。曰く、斯くの如きのみか。曰く、己を修めて以て百姓を安んず、己を修めて以て百姓を安んずるは、尭・舜もそれ猶諸を病めり。憲問四十四」

 

子路、君子を問う。孔夫子はいわれた、自らを正して、人を尊ぶことだ。子路はいう、それだけですか。孔夫子はいわれた、自らの思い、行いを礼に基づき正しく修め、周りの人を導き安んじさせることだ。」

 

子路は更にいう、それだけですか。孔夫子はいわれた、自らの仁徳を広げ、民を感化させて安んじさせるとは、古の堯帝、舜帝ですら悩まれたことだ」

 

#三行詩 #論語

 

○火曜日の夕方、乗り換え

 

「気付く、荀子を学んだことは(未だ中途半端の身であるが)礼の理解が進んだ気がする」

 

孟子ではここまで気付かなかった」

 

「礼とは仁徳の実践といって良い、そして、天を、先祖を、父母を、尊ぶ思いが根本になければならない」

 

#三行詩

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○火曜日の夜、自宅

 

岩波書店刊行、日本思想体系36『荻生徂徠』来たれり」

 

「今、諸橋轍次先生の論語の講義を繰り返し素読、精読しているので、取り敢えず本棚へ」

 

荀子の次は、荻生徂徠先生に学ぼうと思う、楽しみだ」

 

#三行詩

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○水曜日の朝、通勤

 

「原壌、夷して俟つ。子曰く、幼にして孫弟ならず、長じて述べらるるなく、老いて死せざる、是を賊と為すと。杖を以てその脛を叩く。憲問四十五」

 

「幼なじみの原壌、片足を立てて座り控えている。孔夫子はいわれた、幼き頃から不遠慮で、大人になっても秀でるところ無く、老いて周りに迷惑をかけるばかり、汝こそ賊というのだ。と、細い竹の杖で原壌の膝をピシャリと叩いた」

 

「原壌老人は孔夫子に膝を軽く叩かれても、堪えることなくニヤニヤと笑っている。結局は幼なじみの孔夫子が助けてくれると分っているからだ。そして孔夫子も原壌老人を見放すことなく、家人に命じて老人が必要なものを用意させた、と、こんな一コマが見える」

 

#三行詩 #論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「人の流れに何を思う、自らの老い、生き死に、個を越えた類、過去の残像」

 

「今日もその人の時間が流れ、普通の一日が始まる・終わる」

 

「今、この時に生まれる人がいて、ご臨終の人がいて、通勤中の自分たちがいる」

 

#三行詩

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○水曜日の夕方、通勤

 

「闕党の童子、命を将う。或るひとこれを問いて曰く、益する者か。子曰く、吾その位に居るを見たるなり。その先生と並び行けるを見たるなり。益を求むる者に非ざるなり。速やかに成らんことを欲する者なり。憲問四十六」

 

「闕村の少年、孔夫子の家で客の取次ぎをする。或る人いう、少年は秀でているのですか。孔夫子はいわれた、彼は大人と同じように中央の席に座ったり、先輩を敬わず肩を並べて歩いています。学問に秀でるというより一人前になりたいと背伸びしているのです。なので、取次ぎをさせて勉強させています」

 

「忠孝とは、少年の立場からすれば、なんと面倒くさいことことか。野山で野人として一人で暮すならそれでもいいが、父母がいて、先輩がいて、これから社会で生きていくのだ。孔夫子の少年に向ける目線は優しさで満ちている」

 

#三行詩 #論語

 

○水曜日の夕方、乗り換え

 

「ふう、とため息をつく、疲労、空腹、解放感、今夜も読書で楽しもう」

 

「明日は木曜日らしい、そういえば週末は父の日だ」

 

「妻からはご馳走をつくるからとラインあり、何を頼もうか」

 

#三行詩

 

○水曜日の夜、自宅

 

アルゲリッチシューマンの演奏、炎のピアニストと相性が良い」

 

「湿ったシューマンは嫌いだが、アルゲリッチが弾くと潔さを感じる」

 

「この組み合わせで他も聴いてみようと思う、楽しみが増えた」

 

#三行詩

Amazon Musicアルゲリッチ & シューマン

 

○水曜日の夜、自宅

 

「徂徠先生の学問とは豪傑であり、清々しいくらいに潔い」

 

「現実主義者であり、理解らないものは理解らないと、開き直りさえ感じる、人が聖人になれるものかと」

 

「後進の利を生かしグイグイと持論を広げる、楽しい」

 

#三行詩

日本思想大系 荻生徂徠

 

○木曜日の朝、通勤

 

「衛の霊公、陳を孔子に問う。孔子対えて曰く、俎豆の事は則ち嘗てこれを聞けり。軍旅の事は未だこれを学ばざるなり。明日遂に行く。衛霊公一」

 

「衛の霊公、三軍の陣立てについて問う。孔夫子はいわれた、周王朝から伝わる儀礼であれば学びましたが、軍事のことを学んだことありません。翌日、孔夫子は衛の国を去られた」

 

「衛の霊公とは、夫人の南子にうつつを抜かして国を傾けた、あの霊公だ。太子の蒯聵は南子を亡き者にしようと画策するもバレて晋に亡命し、父、霊公没後に国に戻り、荘公として君主となる。のち、孔夫子の弟子である子路を部下の石乞と于黶に命じて誅殺させた」

 

#三行詩 #論語

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

「少し前に流行った漫画に出てくる登場人物そっくりの服、髪型、ピアスの人を見かける」

 

「興味深い、二十代前半、優先座席にドカッと座る、興冷めした」

 

「漫画では主人公を助ける脇役で、子供と老人を守っていたが、この人は格好だけらしい」

 

#三行詩

 

○木曜日の夕方、通勤

 

「陳に在りて糧を絶つ。従者病みて能く興つこと莫し。子路慍って見えて曰く、君子も亦窮すること有るか。子曰く、君子固より窮す。小人窮すれば斯に濫る。衛霊公二」

 

「陳へ訪れた時、戦乱の為に食糧を手に入れることが出来ず一行は飢えてしまった。お伴の弟子たちは病み疲れ、立ち上がることすら出来ない。子路、憤激して孔夫子にいう、君子でありながら、食に困窮するようなことがあってよいものでしょうか。」

 

「孔夫子はいわれた、君子とはいえ困窮することがない訳がない。しかし、子路よ、小人は困窮すると心が乱れ、自暴自棄になるが、君子とは道に安んじ、天の命を受けし者だ。困窮に心を乱されることはなく、ただ仁徳、忠恕を貫き通せばよいのだ」

 

#三行詩 #論語

 

○木曜日の夕方、乗り換え

 

「髪の毛が伸びた(2cmくらい)、昔から丸坊主なので長髪は合わない」

 

「帰りに散髪屋さんに寄ってから帰ろう、土日は行列で待つ時間が惜しい」

 

「若い頃、長髪にしたことがある、天然パーマなのでモジャモジャタワシと化した」

 

#三行詩

 

○木曜日の夕方、散髪屋さん

 

「平日の夕方は空いている、せっかくの土日に人混みで待つのは勿体ない」

 

「明後日の父の日、お好み焼きをリクエストしようと思う、ネギたっぷりで」

 

「今、読書と考える時間が楽しい、サラリーマンだ、休日に特化せざるを得ない」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、通勤

 

「子曰く、賜よ、女予を以て多く学びてこれを識れる者と為すか。対えて曰く、然り、非ざるか。曰く、非ず、予、一を以てこれを貫く。衛霊公三」

 

「孔夫子はいわれた、子貢よ、私は多くの学問を修め、知識を備えし者と思うか。子貢はいう、そう思います。違うのですか。孔夫子はいわれた、私は博識な物知りなどではない。一つの道を貫く者だ」

 

「孔夫子はブレない、目的あっての学問であり、学問の積み重ねは手段でしかない。一つとは忠恕であり、仁徳を広げて天下の民を救う・実践することこそ貫くことだ」

 

#三行詩 #論語

 

○金曜日の朝、電車内

 

「学問を誇る人がいる、そして至らぬことを美徳のようにいう、一つからブレている」

 

「年数や冊数をいう、俺でもこのレベルだ(ましてやあんた達など)」

 

「自らの仁徳を広げられなかったことを省みれない、後進の間違いを指摘して悦に入る、恥そのものではないか」

 

#三行詩

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「学問の道とは、志しあっての一つであり、能力の大小、実績、地位や名誉ではない」

 

「自らの仁徳を広げる、天下を救う為の学問が儒学であり、それぞれの一つを貫くことが眼目だ」

 

「学問することが目的であればそれも良い、優秀な人たちだ、研究者同士で切磋琢磨すれば良い」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、一休み

 

荻生徂徠先生は、書き下し文よる解釈を否定された、白文そのままを発音し読む」

 

「幸い北京語は日常会話レベルなら出来るが、全く歯が立たない」

 

「辞書がいる、やはり漢字辞典か漢和辞典がないと為す術もない、良い辞典を探さねば」

 

#三行詩

 

「それにしても、現代の儒家と称する人たちには幻滅する、皆偉そうだし上から目線でしか物を言えないらしい」

 

「私は、孔夫子の教えを学び、独り実践する者でありたい」

 

「教育とは、同志の視点を失ってはならない、長くともたかが数十年の先達に過ぎない、ともに学ぶからともに成長する」

 

#三行詩

 

「忠孝を説く儒家尊いのではない、思い行う礼を実践するから尊い

 

帝王学を唄うのであれば、学ぶとは帝王になる為では決してない、民を救う為に、規範となる君子の徳を、礼を学ぶのだ」

 

儒学とは実学だ、孔夫子の教えとは実学だ、実学とは人を批判することでなく、自ら実践することにある」

 

#三行詩

 

○金曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、由よ、徳を知る者は鮮なし。衛霊公四」

 

「孔夫子はいわれた、子路よ、天下に仁徳を知る者の、なんと少なきことか」

 

「陳の国で飢え、子路に『君子固より窮す。小人窮すれば斯に濫る』といわれた後に、この言葉を発せられた」

 

#三行詩 #論語

 

○金曜日の夜、自宅

 

「一つ、ブッ飛ぶ人には敵わない、我ら凡人を越えて羽ばたく天才に、如何に刃向かえようか」

 

「二つ、故に我ら凡人は、決して神や天才に平伏しなどはしない」

 

「三つ、イマニミテイロ、と再び挑むのだ、この世界とは我らのものだ、異端の者よ、イツカオドロケ、と」

 

#三行詩

 

所感)

■土曜日の夜

ランチは妻の奢りで、魚べいへ。ここのマグロは安くて身が厚く大好きだ。

 

帰りに図書館へ行き、雑多にかりる。荻生徂徠先生関連は見当たらず、残念。

 

帰宅のち、のんびりと図書館の本を読んでいたら寝てしまい、晩ごはんが出来たよー、の声で起こされる。

 

さて、ブログも書き終えたので、ひとっ風呂浴びてから読書に戻ろう。

 

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