四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第八十九章(憲問第十四)

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○日曜日の朝、5月28日、ウオーキング

 

子路曰く、桓公、公子糾を殺す。召忽これに死し、管仲は死せず。曰く、未だ仁ならざるか。子曰く、桓公、諸侯を九合して、兵車を以てせざるは、管仲の力なり。その仁に如かんや、その仁に如かんや。憲問十七」

 

子路がいう、斉の桓公が政敵である兄の公子糾殺した時、公子糾の側近である大夫の召忽は殉死を選びましたが、同じ公子糾の側近であった管仲は殉死せず、さらに桓公に仕えました。これは仁徳から外れるのはないですか。孔夫子はいわれた、その後、桓公は諸侯を九度集めて会合を開き、天下の覇者となった。しかも兵力の数や戦争を用いて諸侯を強迫し、諸侯を従えたのではなかったのだ。これは管仲の政のお陰である。戦乱を防いだのだ、この仁徳に及ぶものがあろうか」

 

「のちの系統化された儒学的には、主君に殉ぜず、あろうことか敵に仕えた管仲と、彼を用いた桓公は仁徳に欠ける。しかし、儒学の始祖である孔夫子は、『その仁に如かんや』と二度も答える。孔夫子はあくまで現実主義者であり、戦乱のない世の中を心から望まれた。論理倒れの学者頭ではいけない」

 

#三行詩 #論語

 

 

○日曜日の朝、森

 

モーツァルト魔笛を聴きながら森を歩いている、涼しい朝が快適だ」

 

アトピーで剥けた肌は中々再生しない、そろり、そろりと歩いている」

 

「発作から二日目、ようやく頭の中で思考が戻る、今日は本でも読もう」

 

#三行詩

 

○日曜日の朝、マクド

 

「久方ぶりのマクド、コーヒーを飲みながらゆっくりと本を読んでいる」

 

吉川幸次郎先生の論語は常にアカデミックな香りがする、大学の教室で椅子に座り、窓からの風が睡魔を誘うような感覚」

 

「最近、荻生徂徠集を読んでいるせいか、吉川先生の徂徠論が面白い」

 

#三行詩

 

○日曜日の夜、自宅

 

荻生徂徠先生の弁名を読んでいる、感動している」

 

「志すところが自らを全うすることのみで民の安泰を願わない、どんな高い地位にいようが小人という」

 

儒家とはこうあるべきだ、目的の(民を救う)為に実践してこその仁徳、忠恕ではないか」

 

#三行詩

 

○日曜日の夜、自宅

 

荀子から、我が国の荻生徂徠先生にいたる、さっそく買う」

 

荀子も読んでいる、考えている、学問の道は広がるばかり、楽しい」

 

「現在の唯一の贅沢、趣味なので、書籍代が数千円なら取り敢えず買う」

 

#三行詩

日本思想大系〈36〉荻生徂徠

 

○日曜日の夜、自宅

 

「前職、ボーナスが出た日には、会長・若社長に直接お礼を伝える暗黙のルールあり」

 

「ある年、仕事が忙しく行きそびれた部下が数人…」

 

「翌朝、若社長に呼び出され、君の部の誰それと…はお礼に来ない、会社への忠誠と感謝をどう教えているのか、と叱責、ブラックだ」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、通勤

 

「公叔文子の臣、大夫撰、文子と与に同じく諸を公に升す。子、これを聞きて曰く、以て文と為すべし。憲問十九」

 

「衞の大夫である公叔文子 は、自分の家臣である僎を、仁徳と能力に優れている為に、自分と同格の大夫として君主に推薦した。孔夫子はこれを聴いて公叔文とは文という諡にふさわしい人物だ、といわれた」

 

「公叔文子は、国の為に、民の為に優秀な人材が必要であると心底から思い、自ら家に仕える陪臣でも、その仁徳、能力が高ければ、自分と同格として国の政に参加させた。その公正無私の志に孔夫子も感動されている」

 

#三行詩 #論語

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

論語一周目は年内には終わる、二週目は白文からの意訳に挑戦する」

 

「学問とは積み重ねだ、浅く広く四書→五経→宋明学→古学(今ここ)」

 

孟子論語は深く挑戦中、学問とは積み重ねが必要だ、いきなり古学とか、陽明学とかは天才の御業だろう」

 

#三行詩

 

○月曜日の夕方、通勤

 

「子、衛の霊公の無道を言う。康子曰く、それ是くの如くんば、奚ぞ喪びざる。孔子曰く、仲叔圉は賓客を治め、祝鴕は宗廟を治め、王孫賈は軍旅を治む。それ是くの如くんば、奚ぞ喪びん。憲問二十」

 

「孔夫子が衛の霊公の無道ぶりをいわれた。 魯の国の大夫である季康子が問う、仁徳のない君主なのに衛が滅びないのは何故ですか。孔夫子はいわれた、仲叔圉が外交を、祝鴕が宗廟の祭祀を、王孫賈が軍事を担当しているからです。彼らの様な優秀な家臣が国を守っていて、どうして国が滅びましょうか」

 

「国に賢臣がいて、正しく用いれば君主が無能でも国は滅びない。衞の君主霊公の無道とは、夫人である南子を溺愛し、南子の愛人だった宋朝重臣として用いたこと」

 

#三行詩 #論語

 

○月曜日の夕方、乗り換え

 

「この蒸し暑い中でも半数はマスクをしている、外国人をよく見るが誰もしていない」

 

「こういう時には水分補給制限をかけねば、アトピー肌は内部からジュクジュクと崩壊する」

 

アトピーにマスクは地獄だ、赤黒まだら顔だが、隠すよりマスクからの解放を選ぶ」

 

#三行詩

 

○月曜日の夜、自宅

 

「はっきりいう、グルダベートーヴェンピアノソナタ集は、私には合わなかった」

 

「しかし、このモーツァルトは絶品だ、アバド・ウイーンフィルも非常に良い」

 

「若い頃、ボーナスでグルダベートーヴェンピアノソナタ全集を買うも、心に響かない、以来苦手なピアニストであったが…見識を改めようと思う」

 

#三行詩

グルダMozart: ピアノ協奏曲 第25番 ハ長調 K.503 - 第1楽章: Allegro Maestoso

 

「亡父は晩年バロック音楽にハマり、お風呂でも大音量で聴いていた」

 

バロックは私も基本形だが最近思う、中二の頃、レコードで最初にハマったのは父のモーツァルト全集だ」

 

「なんとか生きて晩年に近付く一方の我が身を省みる、モーツァルトを聴いていると幸せらしい、そういうことだ」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、通勤

 

「子曰く、その言にこれ作じざるときは、則ちそれこれを為すに難し。憲問二十一」

 

「孔夫子はいわれた、大言壮語などは恥とすべきだ、言葉は少なく、ただ実践すれば良い、それだけだ」

 

「大言壮語、口だけの軽薄な態度を孔夫子は戒められた、言葉とは重いものだ」

 

#三行詩 #論語

 

○火曜日の朝、電車内

 

「先週のつまらないことの詫びをする、頭を下げて寸志を渡す」

 

「少し、すっきりした、儒学を学んでいるのだ、斯くあるべきだ」

 

「自らの誤りは正す、急いでいるからでは、何の為の学問か」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「礼(人を尊ぶ)あってこそ義(自らの悪を憎む)でなければ仁徳とは遠い」

 

「礼(規範)とは、人が人である証であり、内面から発せねばならない」

 

「論理的思考に基づいて今日も過ごそう、言葉は慎み深く、実践を第一とする」

 

#三行詩

 

○火曜日の夕方、通勤

 

「陳成子、簡公を弑す。孔子、沐浴して朝し、哀公に告げて曰く、陳恒、その君を弑す。請う、これを討たん。公曰く、夫の三子に告げよ。孔子曰く、吾大夫の後に従えるを以て、敢えて告げずんばあらざるなり。君曰く、夫の三子者に告げよと。三子に之きて告ぐ。可かず。孔子曰く、吾大夫の後に従えるを以て、敢えて告げずんばあらざるなり。憲問二十二」

 

「前481年、斉の大夫である陳成子が君主である簡公を謀反で滅ぼす。それを聞いた孔夫子、沐浴して身を清め、魯の哀公に参内して申し上げる。斉の大夫である陳恒が君主を滅ぼしました。大義に基づいて征伐されますように。哀公はいう、家老の孟孫・叔孫・季孫の三人に申すがよい。孔夫子、退いてのちいわれた、大夫の末席にいたものとして、大義について申し上げずにはいられなかったが、主君は、あの三家老に申せといわれるのみであった。孔夫子は、のちに三家老を訪ね、陳恒の討伐について伝えるも聞き入られることはなかった。」

 

「孔夫子はいわれた、大夫の末席にいたものとして、大義について申し上げずにはおられなかったのだ」

 

#三行詩 #論語

 

○火曜日の夕方、電車内

 

「正義ではない、大義とは人として守る道であり、臣民として守らねばならないことだ」

 

儒家として大義を言葉に出すのは、よほどのことだ、天下国家に関わることだ」

 

「昨今の政治家は何かといえば大義大義という、私利私欲は大義とはいわない、言葉が軽すぎる」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、通勤

 

子路、君に事えんことを問う。子曰く、欺くこと勿かれ。而うしてこれを犯せ。憲問二十三」

 

子路、君主に仕えることを問う。孔夫子はいわれた、君主を欺いてはいけない。一方、君主が道義に反するのであれば、正しい道を説かねばならない」

 

「礼に反することとは、道に背くことであり、君主であろうが許してはいけない。一方、仕える方も、当然ながら礼に則らねばばらない。表層をもっともらしく繕うのは礼ではない。何ごとも真心込めて、本体、目的を尊ぶことこそ礼の本質であり、世の中の規律、世の中を世の中足らしめているのが礼である」

 

#三行詩 #論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「この国は礼の国だ、礼が生きている国はそうはない」

 

「ただ、礼の本来の意味するところの理解が薄くなり、他国と同じように形式が礼となりつつある」

 

荀子を学ぶと、ものごとの本質を知ることが出来る」

 

#三行詩

 

儒学とは礼の本質、本体を学ぶ学問であり、本体とは、突き詰めれば古の堯帝舜帝にいたる」

 

「学問とはリアルでなければならない、目に見え行えてこその仁徳、忠恕だ」

 

論語はただ読まない、自分はどう考えどう実践するのか、本体、目的は何か、人は学問により必ず変われる」

 

#三行詩

 

孟子は、儒学とはこうあるべきだ、儒家とはこうでなければならない、思い、理想が詰まっている」

 

荀子は、仁徳と忠恕をどう実践するのか、形作ることを第一とし礼に求めた」

 

「真心を込めて、尊ぶのだ、5W1Hで具体的に、古き礼に込められた思いを汲み、新しき礼を以て規律を社会に行き渡らせる」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、一休み

 

「動作一つにも礼があり、その意味することに対して、真心と、本体、目的に対する尊ぶ心がある」

 

「過ぎるも横柄、足らずも萎縮、仁徳の礼、義、智、信とは中庸でなければならない」

 

諸子百家の思想を中庸にて総括した荀子とは、見事なまでに孔夫子の弟子といえる」

 

#三行詩

 

○水曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、君子は上達し、小人は下達す。憲問二十三」

 

「孔夫子はいわれた、君子はますます仁徳に富み、小人はどんどん下品になってくるものだ」

 

「学問に勤しめば、人は善き方向へと変化するが、目的もなくただ私利私欲のままに生きれば、世俗的な享楽にのめり込む一方となる」

 

#三行詩 #論語

 

○水曜日の夕方、乗り換え

 

自己啓発本やこの種の類いのセミナーに疑問を感じる」

 

「良いとこ取りをして、一冊で、数時間で、何かを身につけれる人など世界に何人いるのだろう」

 

自己啓発自体は悪いことではない、楽して結果を求めず、コツコツと同じことを繰り返す、他人に頼らない」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、通勤

 

「子曰く、古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。憲問二十五」

 

「孔夫子はいわれた、昔に学ぶ者は、己の仁徳の向上の為であったが、今に学ぶ者は、他人に認められたい、地位や名誉を得たい為だな」

 

「目的は仁徳と忠恕を世の中に広げることにあり、地位や名声、財産は後から付いてくるものに過ぎない、私利私欲は人であれば皆願うものであるが、真心や誠とは遠く、結局は弱者が虐げられ、戦争が正当化される世の中が続くことになる」

 

#三行詩 #論語

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

「仁徳を広げるとは、弱者が虐げられない世の中を実現することであり」

 

「自由と平等、友愛で満たされた社会にすることにある」

 

「道徳的であるとは父母から受けた慈愛を広げることにあり、孔夫子の教えとは、ここ以外にはない」

 

#三行詩

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「ここまで書くと、もはや宗教的な匂いすら感じる」

 

「しかし、儒学とは実学だ、論語を学び実践することにより、いつかは至るのだ」

 

「孔夫子の教えの眼目はここにあり、ここがない儒学の言葉とは、空恐ろしくもあり、くだらなくもある」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、一休み

 

「血圧178/106、意味が理解らない、朝からクラクラしている」

 

「電車は座る、対面でヤンキーサラリーマンあり、脚を大きく組み、周囲をにらみ恫喝している、薄笑い」

 

「クラクラしてどうでも良い、ふと、哀れな奴だし、この人はこのまま生きるのだろうな、と思う」

 

#三行詩

 

○木曜日の夕方、通勤

 

「遽伯玉、人を孔子に使いせしむ。孔子これに坐を与えて問いて曰く、夫子は何をか為す。対えて曰く、夫子はその過ちを寡なくせんと欲すれども未だ能わざるなり。使者出ず。子曰く、使いなるかな、使いなるかな。憲問二十六」

 

「衛の大夫である蘧伯玉、孔夫子に使者を遣わす。孔夫子、使者を招き入れて問われた、蘧先生は如何がお過ごしですか。使者はいう、蘧先生は常に過ちを少なくと願われていますが、未だそうならないと、いっています。」

 

「使者が退席してのち、孔夫子はいわれた、立派な使者であるし、その使者を遣わした蘧先生は立派な人物に違いないな」

 

#三行詩 #論語

 

○木曜日の夕方、乗り換え

 

「疲れが溜まり過ぎると、レトロゲームの世界に没入したくなる時がある」

 

火の鳥鳳凰編、エスパードリーム新・鬼ヶ島忍者じゃじゃ丸くんetc‥」

 

「瞬き一つせず、ドットの彼方に救世と安らぎを求めて暫し旅立つのだ」

 

#三行詩

 

○木曜日の夜、自宅

 

孟子は人とは性善である、故に思うことにより善に至ると」

 

荀子は人とは性悪である、故に学び続けることにより善に至ると」

 

「孔夫子はただ、忠恕たれと述べられた、自らを誠にし人を思いやる、そしてこの仁徳とは中庸に至ると」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、通勤

 

「子曰く、その位に在らざれば、其の政を謀らず。憲問二十七」

 

「孔夫子はいわれた、自らの本分とすることを行う、余計な口出しはしない」

 

「暴君・暗君に正しいことを述べても害を被るのみ、黙るか逃げ出すこと」

 

#三行詩 #論語

 

○金曜日の朝、電車内

 

「台風の影響か、大雨で電車が止まる夢をみて度々目覚めたが、電車は止まらず、寝不足」

 

「眠たさと、高い血圧と、他人の臭いの不快感、雨の電車内は好きではない」

 

「恐らくは不愉快な顔をしている、君子を目指す身なので口角を上げる、クリント・イーストウッド風の雨の通勤」

 

#三行詩

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○金曜日の朝、乗り換え

 

「子は林間学校、小学校の時も必ず雨、そして何故かキレる妻」

 

「小学低学年の頃、祈れば雨が止むと信じていた子、祈り過ぎたらしい」

 

「予報によれば、子が家に帰ってくるに従い、雨雲もこちらに向ってくる」

 

#三行詩

 

○金曜日の午後、通勤

 

曾子曰く、君子は思うことその位を出でず。今朝問二十八」

 

曾子はいう、君子とは仁徳に基づき思う、行う。能力の有無に関わらず、その立場において仁徳を行う」

 

「君子とは能力を問わない、秀でれば朝廷にて政を、秀で無ければ郷里にて周囲に仁を広げる」

 

#三行詩 #論語

 

○金曜日の午後、乗り換え

 

「大雨でいつ電車(JR)が止まるのか、博打は嫌いなので昼から帰る」

 

「本数も少なく、既に電車は超満員で各駅は乗れない乗客で溢れていた」

 

「よく止まるJRはホームも人でごった返しているが、めったに止まらない私鉄は平常通り、疲れた」

 

#三行詩

 

○土曜日の夕方、ウオーキング

 

「流行の夏歌を聴きながら森を歩いている、日中は寝ていた」

 

「あちこちに、昨日降った大雨の影響が残っている」

 

「長靴が冠水したのは初めてだ、じゃぶじゃぶ音を立てながら帰宅した」

 

#三行詩

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○土曜日の夜、自宅

 

「人の性の善悪とは、儒家からすれば枝葉であり、一生学び続ける為の理屈に過ぎないと荻生徂徠先生はいう」

 

荀子と同時期に荻生徂徠集を読んでいるせいか、主張に共通点を感じる」

 

「ここで、じゃあ孟子は、いや、朱子学ではと考えだすといけない、論語ではどうかと考えるべきだ、学問とは誘惑が多い」

 

#三行詩

 

論語を学ぶ、自身の学問の中で論語を根本とする、ここから孟子へ、荀子へ、朱子へいくのは良い」

 

「自身の論語の根本や幹が細いのに、枝葉の孟子、二程子、朱熹を主に学ぶ危うさが理解出来る」

 

「一方、荀子は異端とされているが、堂々と根本論を唱えている、孔夫子の教えからすれ、正統派、本流だろう」

 

#三行詩

 

所感)

■学問の道

儒学とは実学であると実感出来るようになった。

通勤時間にTwitterにて、論語の書き下し文を朝・夕、意訳している。

この、孔夫子の教えを学べる時間が苦しくも楽しくて仕方がない。

論語を学ぶとは、突き詰めれば鏡面に向き合う自分との対話であり、学ぶとは自らを磨くことであるらしい。

微々たるものながらも、学問が一つ進んでいる。

 

■土曜日の夜

儒学を学ぶ限りは、根本たる論語を軽んじてはならない。

自らどう思う、考えるかが孔夫子の教えであり、過去に煌めく儒家の天才たちに阿るようではいけない。

不遜であろうが、自身の論語を骨太にしてのち、過去の兄弟子たちの意見を参考にするように学ぶべきだ。

学問の道とは、論語を自ら考え、実践することに他ならない。

 

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