四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第九十二章(衞霊公第十五)

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○日曜日の朝、6月18日、ウオーキング

 

「子曰く、無為にして治むる者はそれ舜か。夫れ何をか為さんや。己を恭々しくして正しく南面せるのみ。衛霊公五」

 

「孔夫子はいわれた、何をするのでもなく、天下が仁徳にて治まった舜帝の治世とは、なんと素晴らしきことかな。舜帝は何をされたのか、ただ南面を向いて座っていただけなのだ」

 

儒学界のスーパースター、舜帝の御代を孔夫子が語る、この設定だけでも嬉しくなる。舜帝は人材を適格適所に配置されたのちは、その要として常に、臣に、民に仰がれる存在として南面に座ったのだ。孔夫子は控えめに無為といわれたが、舜帝とは存在自体が民と臣と化し、天を向き常に治世されていた」

 

#論語

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○日曜日の朝、森

 

ジョアキーノ・ロッシー二の序曲集を聴きながら森を歩いている」

 

シャルル・デュトワ指揮、モントリオール交響楽団、素晴らしい演奏だ」

 

アバドも良いが、私は若い頃からマゼールデュトワ盤を繰り返し聴いている」

 

#三行詩

Amazon Music Rossini: La gazza ladra - Overture

 

○日曜日の午前、マクド

 

ブラームスを聴きながら、ご機嫌さんで中公新書荻生徂徠を読んでいる」

 

「音楽に関心が戻るということは体調が良いらしい」

 

「左脚の皮がアトピーで剥けているが、気にしない、気にしない」

 

#三行詩

Johannes Brahms交響曲第3番 へ長調 作品90

 

○日曜日の午前、森

 

「大舜は父母から疎まれ、野山に野人の如く暮らし、弟に殺されかける」

 

「だが、極絶ネアカなのだ、父母を恨むことなく慕い、のち弟の身を立てる」

 

「善いことをするのが大好きな人であった、皆と善いことをするのも大好きな人だった、この一つで通された」

 

#三行詩

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「イメージは、漫画、ジョジョの奇妙な冒険に登場(何故か悪役側で)するような人物だ」

 

「子供の様に純心であり、ユーモアに溢れ、横に居るだけで楽しくなる」

 

「聖人とは身近な存在、実学からの人の完成形でなければならない、書経を読みたくなった、帰ろう家へ」

 

#三行詩

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○日曜日の午後、自宅

 

「先王の道と、自然のあるがままの道を同一化してはならない」

 

「学問の道により人は仁者になれるが、聖人とは学問のみではない」

 

「先王の道とは天下を安泰にする為にある、と徂徠先生は弁道にていう」

 

#三行詩

 

「自分の心で自分の心を治めるなど、出来るものではない」

 

書経にある通り、礼によって心を治めるのだ」

 

「先王の道とは、天を畏敬し鬼神を畏敬することを根本とする、理を究めて天も鬼神も畏れるに足らずとは、驕り高ぶることと変わらない」

 

#三行詩 #荻生徂徠 #弁道

 

「先王の道とは、天下を安泰にする為にあり、仁徳、忠恕の実践をいう」

 

「一つで貫くとは、仁徳を広げる、天下を安泰にすることだ」

 

「徂徠学とは、人が行う(目指す)こと、人では理解らないこと、是々非々を明確にし、全世界を理で解明しようとする朱子学(形而上学)に疑問を抱いた」

 

#三行詩

 

「徂徠学を理解する為には、先生が批判した朱子学、仁斎学の知識、考えが自らに少な過ぎる」

 

書経礼記は読み進めても問題はないように思う」

 

「午後、書経の虞書・夏書を読むも途中で寝てしまった、しばらく書経を読み進めようと思う」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、通勤

 

子張、行われんことを問う。子曰く、言忠信、行篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならざれば、州里と雖ども行われんや。立ちては則ち其の前に参するを見、輿に在りては則ち其の衡に倚るを見る。夫れ然る後に行われん。子張、諸を紳に書す。衛霊公六

 

「子張が問う、学問の道を思い、行うにはどうすれば良いですか。孔夫子はいわれた、忠信篤敬(思い、行いに誠があり、慎ましく恭しいこと)であれば、例え言葉通じぬ異国の地でも思い、行い通じる。逆に、誠なく横暴であれば小さな村ですら思い、行いは通じることはないものだ。」

 

「また、立てば真っ直ぐ正面を見る、馬車に乗れば横木に寄りかかる。このように日頃から正しい立ち居振る舞いが出来てこそ、正しく思い、行えるものだ。子張、これを聞いてのち、この言葉、忠信篤敬を、常に思い、行うように服の広帯に書き付けたという」

 

#論語

 

○月曜日の朝、車内

 

「出発する電車に向って、大声で待って!、と叫ぶカップルあり、足元がふらついている」

 

「トーマスなら答えてくれただろうが、あいにくディーゼルらしく電車は去っていった」

 

「子が小さい頃、度々、きかんしゃトーマスを一緒に観ていた、ゴードンって実はいいヤツでは」

 

#三行詩

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○月曜日の朝、乗り換え

 

「左脚の向こう脛周辺の皮が剥け、浸出液が止まらない、アトピーリバウンドか」

 

「ズボンが大雨の日のように濡れている、もしリバウンドなら医者に行ってもどうしようもない」

 

「仮にリバウンドでなくても、主治医はいう、今の季節って皆さんしんどいですよ(笑顔)」

 

#三行詩

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○月曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、直なるかな史魚。邦に道有るときも矢の如く、邦に道無きときも矢の如し。君子なるかな遽伯玉。邦に道有るときは則ち仕え、邦に道無きときは則ち巻きてこれを懐にすべし。衛霊公七」

 

「孔夫子はいわれた、史魚という人はなんと剛直であるかな。国の政に仁徳があれば矢のように動き、国の政に仁徳が無くとも矢のように動く。また、遽伯玉という人はなんと君子であるかな。国の政に仁徳があれば仕官し、国の政に仁徳が無ければ自らの才を用いることがない」

 

「君子とは、その才を用いるに時と場合、場所を選ぶ必要がある。仁徳なき世の中で、礼に正しく仁徳を行っても、私利私欲に走る多くの人たちからは異端視され、迫害されるかも知れない。それならば世に潜み、自らの仁徳を広げ周囲に及ぼし、後の世に人材を残す方が良いと考えられたのだろう」

 

#論語

 

○火曜日の朝、通勤

 

「子曰く、与に言うべくしてこれと言わざれば、人を失う。与に言うべからずしてこれと言えば、言を失う。知者は人を失わず、亦た言を失わず。衛霊公八」

 

「孔夫子はいわれた、共に語るに足る人であるのに語らなければ、その人を失う。共に語るに足らない人であるのに語れば、言葉の誠を失う。知者とは、大切な人を失うことがなく、言葉の誠も失わないものだ」

 

「共に語るに値する人とは、裏返せば自らもその人たちに値するべく学問に励まなければならないことであり、言葉の誠を失うとは、自らの学問が浅はかであり、語らずをしていいことを語ったのだ。孔夫子の教えとは常に自らを省みることが第一であり、この句は他人を批判・選別するものではない」

 

#論語

 

○火曜日の朝、電車内

 

「学問とは、決して自らを責めることではない、学問の道において、省みるとは自らを改めることだ」

 

「資質・特性、向き不向きがあり、一概にはいえない、しかし仁徳の道とは、あらゆる局面で人を幸せにする(ねばならない)、暖かく、あらゆる衆人を仁徳で包み込むものだ」

 

「ポカポカとした仁、老若男女を包み込む仁、仁徳とは常に人の根本にある、故に儒家とは厳しい学問を重ね、自らの仁徳を広げれるのだ」

 

#三行詩

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○火曜日の朝、乗り換え

 

「ホームで並んでいる、頭一つ飛び越えた背の高いアジア系の家族がいる」

 

「前の黒眼鏡の男性、電車の通過音に合わせて身体を小刻みに震わせている、剃り後の濃い顔、青白い肌」

 

「そういえば、今日の車掌さんの白い手袋は人差し指だけ毛玉がある」

 

#三行詩

 

○火曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無し。身を殺して以て仁を成すこと有り。衛霊公九」

 

「孔夫子はいわれた、志士・仁人とは、その身を捨てることなく仁徳を全う出来るし、その身を捨てて仁徳を全うすることも出来るものだ」

 

「その一身を捨てず・捨てて仁徳を全うするとは、天下の民を救う、天下を泰平にするという目的の為にその身を捨てず・捨てることを躊躇しないのだ。捨てることを美化する訳でもなく、名誉名声を求めることもない」

 

#論語

 

○火曜日の夕方、乗り換え

 

儒学とは実学でなければならない、論語を学ぶとは、思い行いを変える、省みることだ」

 

「自らの思い行いに、孔夫子の教えである唯一つ、忠恕を貫くこと」

 

「私のように能力が低くとも、人は君子を目指すことが出来る、礼に基づく揺らぐことなき心、思い行う」

 

#三行詩

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○火曜日の夜、自宅

 

「孔夫子の教えとは、四書五経に一字一句精通しなければ成し得ないのだろうか」

 

儒家と称する人たちはそういう、なら父母の慈愛とは、四書五経ありきなのか」

 

「忠恕とは、私の様な平凡な家庭持ちのサラリーマンでも思う行えるものだ、父母の慈愛を広げる、思い行う」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、通勤

 

「子貢、仁を為さんことを問う。子曰く、工、其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利くす。是の邦に居りては、其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とせよ。衛霊公十」

 

「子貢、仁徳の実践を問う。孔夫子はいわれた、ものづくりの職人とは良い仕事をする為に、まず用いる道具を磨くものだ。この国の優れた大夫(家老)に仕え、士の中で仁徳のある人を友とすることだ」

 

「仁徳に優れた人を見つけることが難しい現代では、己を磨くことと、やはり経書に親しむことになるが、自らが仁徳に秀でれば、必ずや周囲に潜む仁者に気づけると思う。まず己を磨くこと」

 

#論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「黒ずくめの服で、やたら眼がギラギラした若い人がいる、長いもみあげ」

 

「今日の車掌さんの白い手袋は、左手だけ薄汚れている、横に上司、明らかに新人さんらしい」

 

「寝ていた人、急ぎ電車から飛び出し扉閉まり困っている、あるある」

 

#三行詩

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○水曜日の夕方、通勤

 

「顔淵、邦を為めんことを問う。子曰く、夏の時を行い、殷の輅に乗り、周の冕を服し、楽は則ち韶舞し、鄭声を放ちて、佞人を遠ざく。鄭声は淫に、佞人は殆うし。衛霊公十一」

 

顔回、国の政ついて問う。孔夫子はいわれた、暦は夏王朝の暦を採用すること、馬車は殷王朝の輅に乗ること、衣服は周王朝の冕の冠を被ること、音楽は舜帝の韶を舞わせること。そして、鄭の音楽を除き、佞人を除くこと。鄭の音楽は淫靡で民の心を惑わせ、君子を惑わす佞人は国を滅ぼすものだ」

 

「孔夫子は現実主義者である。暦法は夏の太陰暦が農事に便利だからであり、馬車は殷のものが倹素で堅牢だからであり、冠は周のものが華美ならず粗略ならず中正を得ているからであり、音楽は善を尽くし美を尽した舜帝の韶の舞楽だからだ」

 

#論語

 

○水曜日の夕方、乗り換え

 

「今朝から仕事でポカミスを連発する、顔を歪ませつつ対応する」

 

バイオハザード1の主人公と同じ格好の人が構内を歩いている、コスプレもここまでするらしい」

 

「今日は冴えない一日だった、帰宅時にも雨、お腹が空いたグウと鳴る」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、通勤

 

「子曰く、人にして遠き慮り無ければ、必ず近き憂い有り。来る、衛霊公十二」

 

「孔夫子はいわれた、人として先のことを想定して事前に策を講じねば、近きに災難は無くなることは無かろう」

 

「雨が降るのに傘を用意しない人はいないが、仁徳を広げようとせず、思い行いを変えようとせず、周囲を巻き込んで不幸の連鎖を発生させる小人になっていることに気付かない、気付けない人は世の中あちこちにいる。父母から受けた慈愛を広げることが忠恕であり、自身の仁徳を広げることに他ならない」

 

#論語

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

SNS上では自称正義を振りかざす小人で溢れている、善良なる隣人が裏では煽り、誹謗中傷の輩と化す」

 

「身バレしない、不特定多数の一人として発言出来る誘惑は、人の倫理を狂わせる」

 

「衆人の目前で井戸に落ちる幼子は万人が必ず助けるが、誰も見ていない、何をしたか人に知られない環境ではどうか、が問われる。父母から受けた慈愛とは、近き・遠き、独りか・衆人の一人かを問うものだろうか。学問の道とは自らの芯、忠恕をあらゆる場所・場合・時間で自覚する、持続することにある」

 

#三行詩

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○木曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、已んぬるかな、吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。衛霊公十三」

 

「孔夫子はいわれた、どうしようもいことかな。未だ、美人を好むほどに仁徳を好む人を見たことがない」

 

「仁徳を好むとは、表層の思いからではなく、自らの根本から好むことで初めて仁徳を好むといえる。古人の好むと現代人の好むの差はとても大きい。言葉が薄っぺらくなったのか、人が薄っぺらいのか、中身が薄っぺらい我が身としてはとても耳に痛い」

 

#論語

 

○木曜日の夕方、乗り換え

 

「通勤風景で、外国人の旅行者を見ることが当たり前になりつつある」

 

「パスポートの期限はあと五年はあるはず、ちょっと行ってこようか」

 

「格安エアー往復と安宿、アジアぶらり一人旅に行きたくて仕方がない」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、通勤

 

「子曰く、臧文仲はそれ位を窃める者か。柳下恵の賢を知りて而も与に立たざるなり。衛霊公十四」

 

「孔夫子はいわれた、魯の大夫(家老)である臧文仲は、仁徳・能力に欠けるにも関わらず、その地位に固執しているようだな。魯の賢人である柳下恵を、国の政に有為な人材と知りながらも自らの地位を脅かすものとして、位の低い官位でしか推挙しなかったのだ」

 

「小人が要職につけば、自らの権益を守ることを第一とし職務を疎かにする。小人であり佞人といえる。このような人物が権力の中枢にいる組織とは行く末が知れている」

 

#論語

 

○金曜日の朝、乗り換え

 

「今週は何故か血圧が高い、謎だし論理的ではない」

 

「結論からいうと、肥満が関係しているように思う、食べ過ぎだ」

 

「夕方、子の塾で面談、一向に伸びぬ成績、やる気スイッチは何処にあるのだろう」

 

#三行詩

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○金曜日の朝、電車内

 

「高額なブランドバックに支配された人がいた、本体はどう見ても鞄にある」

 

「ヤンキー座りで電車待つカップルあり、腰が座っていない、役者不足としか」

 

「車内のポスターの人と目が合う、チャージして進め、と彼は述べているが、そもそも彼が誰か知らない」

 

#三行詩

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○金曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、躬自ら厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨みに遠ざかる。衛霊公十五」

 

「孔夫子はいわれた、自らに省みること多くして、人にその責任を問わねば、恨むことも恨まれることも少なくなるものだ」

 

「一般的な解釈としては『自らを責め、他人を責めなければ世間一般の恨みも止む』との意であるが、白文にある『自らを厚くする』の意とはそうではない。自らを責めるのではなく省みるから次につながるのだ。あくまで目的ありきが儒学であり、天下泰平の為に自らを鍛える・磨く、厚くする、故に、自らを責める・省みるのだ」

 

#論語

 

○金曜日の夕方、乗り換え

 

「私も含めて、儒学を学ぶ人に偏固・頑固な人が多い、自らを強く責める分、同門や後進には厳しい」

 

「肝心の我ら儒家の存在意義たる、天下泰平を実現するという目的意識があれば、同門や後進は有力な同志であることに気付かない」

 

「学ぶこととは儒家の眼目であるが、目的ではない。何の為に学んでいるのか、学而第一に述べられていることは、とても深いと思う」

 

#三行詩

 

○土曜日の朝、ウオーキング

 

「アマプラMでエド・シーラン、don'tを聴きながら森を歩いている」

 

「健康で幸せだ、働けて幸せだ、この時代この国に生まれて幸せだ」

 

「口角を上げて、今日一日を楽しもうと思う、立ち位置は常に確認する」

 

#三行詩

 

○土曜日の朝、森

 

「子曰く、如之何、如之何と曰わざる者は、吾れ如之何ともすること末きのみ。衛霊公十六」

 

「孔夫子はいわれた、どうするのか、どうしたいのか、どうすべきかと思い悩まない者を、どう教えよというのだろうか(とても無理だ)

 

「現状に安穏と生きることは易しい、常に戦う必要もない、しかし自らの立ち位置は常に自らが問わねばならない、今日をどうするのか、来月はどうしたいのか、今年はどうすべきか、学問の道とは有り難いことかな」

 

#論語

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○土曜日の夜、自宅

 

「イオンで半額の焼肉用牛肉を見つける、今夜は鉄板焼、美味しかった」

 

「子はチーズ焼きが大好きで自ら料理する、中はトロトロ、外はパリパリ」

 

「さて読書、論語徴に戻る、現代語訳がなく遅々として進まず、睡魔に負けそうだが頑張る」

 

#三行詩

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所感)

■学問の道

荀子を中止してから、書経礼記を読んでいるが、どうもピンとこない。

学問が中だるみしている。

そこで東洋文庫荻生徂徠先生の論語徴に絞ることにした。

論語徴2は、値が下がるのを待っている。

東洋文庫論語徴1が900円の頃に買う。

今宵は心ゆくまで本を読もうと思う

 

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