四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百五章(為政第二②)

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○日曜日の夜、9月17日、自宅

 

子曰、為政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之。為政一

 

孔夫子はいわれた、仁徳を以て天下の政を行うとは、例えれば、天下の国や民、全天の星々が、仁徳の君子、北極星の周りを巡るようなものだ。

 

「徳治政治とはどの様なものか、イメージしやすい比喩で孔夫子は述べられた。仁徳とは小さくは父母からの慈愛であり、大きくは天下泰平、万民の幸せを思い、実現するものだ」

 

論語

 

○日曜日の夜、自宅

 

子曰、詩三百、一言以蔽之、曰思無邪。為政二

 

「孔夫子はいわれた、詩経に三百篇あり。一言で述べれば、詩経にいう『思いに邪無し』、この言葉に尽きる」

 

「思いに邪なし、とは、日本であれば万葉集であろうか」

 

論語

 

○日曜日の夜、自宅

 

子曰、導之以政、斉之以刑、民免而無恥、導之以徳、斉之以礼、有恥且格。為政三

 

孔夫子はいわれた、政を刑罰を第一として行えば、民は刑罰さえ逃れれば何をしても良いのだと恥を知ることが無くなる。一方、政を君主の仁徳からの広がりを第一とし、礼(規律・規範)を以て行えば、民は恥を知り、その行いは正しくなるものだ。

 

「行いの正しさとは、民、自らが行うものでなければならない。無数の刑罰で縛りつけた正しさか、君主の仁徳によるリーダーシップと礼(規律・規範)による民自ら行う正しさ、どちらが正しいのか、私は自明の理だと思う。また、自らの行いに恥という感覚があるかないか、義、自らの悪を憎む正しさとは、仁徳、忠恕に寄らねばならない。自らを誠にして人を思いやるからこそ、恥がある。本来の恥とはここにあり、他人の恥を攻撃することではない」

 

論語

 

○日曜日の夜、自宅

 

パラドックス『この壁に張り紙を貼らないで』と書いた紙がこの壁に貼ってある」

 

儒家はこの手の人が多い(私含めて)」

 

「孔夫子の教えとは、あくまで学びと実践だ、言葉巧みに孔夫子を称賛し、学んでいる自らを誇る、ジレンマかも知れない」

 

#三行詩

 

○日曜日の夜、自宅

 

論語の意訳二周目のせいか、さくさく進む、学問の積み重ねが見える、己の足らずばかりが見える」

 

「少なくとも、孔夫子との時間はとても楽しい」

 

「意訳していると、孔夫子と会話している感覚になる、ぽかぽかとした暖かさに包まれる、有り難い」

 

#三行詩

 

○月曜日の正午、自宅

 

子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。為政四

 

孔夫子はいわれた、我は十五にて学問の道を志す。三十にてその学問が成り一門を立てる。四十にて学問を通じて思い行いに迷うことがなくなる。五十にてこの世の中で為すべき自らの天命を知る。六十にて道、理を受け入れることが出来た。七十にて思い行いが道、理から外れることがなくなった。

 

「孔夫子の求めた学問の道とは、堯舜の治であり、道、理と一体と化した世の中をいう」

 

論語

 

○月曜日の夕方、ウオーキング

 

「明日の為に歩いている、色々あって良くない状況下、作戦を練っている」

 

「病とは、解決方法に百善はなく、あっても日にち薬で結局はなるようなるしか」

 

「自らの病であれば腹を括れる、しかし家人の病は堪える、しかし決めねばならない」

 

#三行詩

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「物差しはある、孔夫子の教え、マルクス・アウレリウスアントニウスローマ皇帝の自省録、ブッダの言葉」

 

「脳内、エヴァ・マギシステムのような感じで三賢者の教えから最適解を探している」

 

「どうやら腹を据えるしかない、ギャンブルは嫌いだが、大切なものは全て守る主義だ、確実に進む」

 

#三行詩

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「一人で黙々と歩く、考える時にはこのスタイルが良い」

 

「悲劇主義に陥らないこと、楽観的でもいけない、中庸、時と場所、場合の最適解を選ぶこと」

 

「考えても駄目な時はある、ならトライ・アンド・エラーでいこう」

 

#三行詩

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○火曜日の朝、通勤

 

孟懿子問孝、子曰、無違、樊遅御、子告之曰、孟孫問孝於我、我対曰無違、樊遅曰、何謂也、子曰、生事之以礼、死葬之以礼、祭之以礼。為政五

 

魯の家老である孟懿子、孔夫子に孝を問う。孔夫子はいわれた、違え無いことです。退席のち御者の樊遅にそのことを告げられた。樊遅はいう、それはどの様な意味ですか。孔夫子はいわれた、父母が生きている間は礼を以て尽くし、亡くなると礼を以て弔い、祭祀にて(ご祖先を)礼を以て祀ることだ。

 

「この句での礼を以て行うとは、父母を厚く尊んで思い、行うこと。定められた礼とは、動作が心を表し、心とは父母、ご先祖を厚く尊ぶこと。礼の本質である心が無い動作とは礼に遠い。違え無いこととは、このことを述べられている」

 

論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「礼とは心と動作が一体になってこその礼であり、即ち仁だ」

 

「武道でも礼(尊ぶ)は最初に叩き込まれる、心無き技は武とは遠い」

 

「最近、論語を意訳していると有り難いと度々感じる、道というか、理が常にここには在る」

 

#三行詩

 

○火曜日の夕方、通勤

 

孟武伯問孝、子曰、父母唯其疾之憂。為政六

 

家老の子息である孟武伯、孝を問う。孔夫子はいわれた、ご両親が病気になること、これのみを子は心配するものです。

 

「子であれば皆、父母の無病息災を願うもの。孔夫子の教えとは、難解な内容はなく、何れも仁徳に基いた当たり前のことの学び(再認識)、実践(継続)が多い。省みれば、道や理とは、今、私たちの普段の生活の内にあり、天帝の御業といった神話の内にあるものではない」

 

#論語

 

○火曜日の夕方、乗り換え

 

「天(帝)と擬人化することもあれば、全てのものを内包する天(汎神論)もある」

 

「私は西郷さんが座右の銘とした『敬天愛人』は凄いと思う、遥か遠くの山脈を見上げる感覚になる」

 

「ここまで大きく仁徳を広げる人は、日本人では空前絶後ではないか」

 

#三行詩

 

「父母を敬う・思いやるから仁徳は始まり、兄弟・家族、一族、友人、会社、地域‥と自らの徳を広げるものだ」

 

「西郷さんは、地域、国を越えて天まで敬うを広くした、物凄いことだ」

 

「省みれば、私の仁徳の範囲など辛うじて友人くらいだ、かなり小さい仁だ、西郷さんは桁が違い過ぎる」

 

#三行詩

敬天愛人

『道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛する心を以て人を愛する也(南洲翁遺訓)』

 

○火曜日の夜、自宅

 

「世界史を読むほど日本史が面白い、歴史とは人の連なりだ、一人の日本人として、自国の歴史を尊びたい」

 

アトピー悪化、浸出液、包帯まみれだが意地でも日常生活は維持してやる」

 

ジャックダニエルをお気に入りの錫製のぐい呑みに注ぐ、相棒よ、よろしくな」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、通勤

 

子游問孝、子曰、今之孝者、是謂能養、至於犬馬、皆能有養、不敬何以別。為政七

 

子游、孝を問う。孔夫子はいわれた、今の世の中で孝行者といわれる人は、只、父母の生活を養えさえすれば良い風潮があるが、犬や馬ですら養うものだ。父母を尊んでこその孝であり、動物と人との差ではないか。

 

「大は独裁国家、小はブラック企業まで市民(社員)の使い捨ては当たり前だ。最低限の生活(給料)は保証するも馬のような扱いでこき使う。倒れれば捨てる、ここに孔夫子の教え、礼(尊ぶ)はない。自らを尊ぶ肥え太る独裁者(経営者)とゴマすり幹部の正義がまかり通る世の中は現代も変わらない」

 

論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

孟子にある易姓革命は君子によるものであり、独裁者が独裁者を倒すことではない」

 

「仁徳の世の中への普及は暗然とする一方ながら、上が変われば下は影響される」

 

舜帝のような、圧倒的な善性の君子が現代に登場すれば、世の中は変わるかも知れない」

 

#三行詩

 

○水曜日の夕方、通勤

 

子夏問孝、子曰、色難、有事弟子服其労、有酒食先生饌、曾是以為孝乎。為政八

 

子夏、孝を問う。孔夫子はいわれた、顔色を厳しくし、(祭祀で)若い者は色々と働き、酒や食べ物は年寄りが祭壇に捧げる。このような形通りにことを重ねても、ご先祖への孝になるはずもない。

 

「孝とは尊ぶ心があっての孝であり、先祖を祀る祭祀で、形通りのことを繰り返す、ご先祖を尊ぶ心のない祭祀を見て批判されている」

 

論語

 

○水曜日の夕方、乗り換え

 

「うんざしているが運命は受け入れること、短気や怒りは運命への裏切りだ」

 

「良く生きるとは、与えられた運命を最期まで全うすることにある」

 

「過去も未来も見ない、現在に注視し、最も良い選択をし、最善を尽すこと」

 

#三行詩 #ストア哲学

 

○水曜日の夜、自宅

 

「別人格がいる、いざ鎌倉の時には腹が据わる、独りで戦える、捨身で行ける」

 

「日常の漫然ととしたつまらなさ、腑抜けで優柔不断、ボヤ〜としている」

 

「こうして歳を重ね何とか生きているも、本当の優しさ、自らの強さを得れたのかは、どうも自信がない今日此の頃哉」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、通勤

 

子曰、吾与回言終日、不違如愚、退而省其私、亦足以発、回也不愚。為政九

 

孔夫子はいわれた、弟子の顔回は私のいうことであれば終日、嬉しそうに聴いている。一見、愚かな人に思える。退席して後、顔回の様子を見れば、私のいったことを尽く実践していることが分かる。顔回は愚かではない。

 

論語の意訳二周目で顔回がわからない、儒学の妖精のようにすら思えてしまう。実在した人物なのだろうか。天才、短命、遺された言葉からも人間臭さがない。極貧に居て道を楽しむ、貧しいのは同じだが、ここから道を、理を楽しむとは、ひょっとしたら孔夫子を超えた超人かも知れない」

 

論語

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

「夢をみた、ひたすら何かの毛の本数を数えている、周囲は中華風クイズショー」

 

「ピタリ賞は莫大なお宝をゲット出来る、八等分に切って数える」

 

「数えた、しかし切断面の毛を数えれない、天を仰いでいたら目が覚めた、要は寝不足ということだ」

 

#三行詩

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○木曜日の夕方、通勤

 

子曰、視其所以、観其所由、察其所安、人焉捜哉、人焉捜哉。為政十

 

孔夫子はいわれた、人の行いを視て、その人の成したいことを観る。そこから、その人の満足することを察する。その人がどの様な人か丸分かりだ。隠しおおせることなど不可能だろう。

 

「いくら隠そうが、視て・観て・察すれば、その人の本質は丸分かりだ。故に、自らの仁徳を広げなければならない。別に自分が小人でも良い、自らの仁徳を広げようとする努力があれば必ずや人に通じる、人は学問により変われるものだ」

 

論語

 

○木曜日の夕方、乗り換え

 

「視て、観て、察する、或は顔、眼、歩き方、服装、靴、手、人は丸分かりだ」

 

「一見して話せば、行いを観れば、大概どんな人か想像がつく、年の功か推理小説の読み過ぎかはわからない」

 

「人が人に隠し通せることなどほとんどない、同じく自分も視られている」

 

#三行詩

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○金曜日の朝、通勤

 

子曰、温故而知新、可以為師矣。為政十一

 

孔夫子はいわれた、尭帝舜帝から伝わる礼楽を守り後世に伝える、今の時代の新しきことを知るようにする。人の師といってよい。

 

「人の根本は揺らいではいけない。先王の道を第一として、篤く守り抜き、時代の新しきことはどんどん吸収する」

 

論語

 

○金曜日の朝、乗り換え

 

「漠然と古きを温めても仕方が無い、孔夫子の教えとは先王の道を守り世の中に広げる」

 

「大地に深く根(仁徳)を伸ばす、新時代に合った枝葉を天に掲げる」

 

「古臭い懐古主義が儒学とか、真逆だ、孔夫子の教えとは、根本を大切にし、世の中を新しきに変えることだ」

 

#三行詩

 

○金曜日の夕方、通勤

 

子曰、君子不器。為政十二

 

孔夫子はいわれた、君子は仁徳を広げることを一とし、馬術や弓矢などの一つの技を極める者ではない。

 

「もっとも、孔夫子は全てに於いて秀でる、或は知識を身に付けておられたらしい」

 

#論語

 

○金曜日の夕方、乗り換え

 

「成果を誇るようでは、まだまだか、出来て当然の人にはまだ遠い」

 

「プラス生真面目過ぎる、笑いが足らない、工夫の面白さに欠ける」

 

「仕事を楽しむこと、人の顔色を気にするより、根本から変えればよい」

 

#三行詩

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○金曜日の夜、自宅

 

「数日前から宇宙戦艦ヤマト(1)を第1話から観ている、今、5話目になる」

 

「アニメで画かれた空間に無限の宇宙の広がりを感じる、とても楽しい、日本のSFここにあり」

 

「1974年11月3日に放映されたらしい、デスラー総統の声が違う、何故だろう」

 

#三行詩

 

○金曜日の夜、自宅

 

論語二周目、狂を思う、狂とは心の爆発であり、仁や義とは異なるものではないか」

 

「何が理由としてこの人は狂なのか、ここが本質だ、復讐か、ストレスの爆発か、世界の消滅を欲するのか」

 

「リビドー、人が未だ獣である証かも知れない、いっそバルカン人なら良かったのに」

 

#三行詩

#新スター・トレック

 

「狂の根底には怒りがある、彼(彼女)はこの世界を増悪し、自らに受けた不合理の復讐を欲している」

 

「人の五感とは、欲の塊であり、そういう風に設計されている、でなければ人は滅んでいる」

 

荀子にある、人の性は悪である、狂とは性善説からは解明しにくい、人の暗部から発しているものだ」

 

#三行詩

 

荀子はいう、人の性は悪であり、故に人は終生学び続ける必要ある」

 

「善の狂など聴いたことがない、やはり狂とは悪なのだ」

 

「大善を信じ抜けない、自らの暴を狂とするとは、やはりリビドー、生存本能の為せる生まれ持った本質に回帰する、獣の習性なのだ。基本的に私たちも動物には変わりない」

 

#三行詩

 

○土曜日の夕方、自宅

 

サイゼリヤにて友人たちと集まる、ワインリスト6種制覇を謀るも、4種にて断念する」

 

「我らは老いた、4本目で1人はトイレへ離脱する」

 

「それでも最後はグラッパで、皆々様の健康と幸せを祈り乾杯する、次回は箕面の滝での再開を誓う」

 

#三行詩


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○土曜日の夜、自宅

 

「赤ちゃんの乳児性湿疹をアトピーと診断、そして最強ステロイドを処方、又は小児精神病にはリスパダールを処方、え?」

 

「重症は除く、例えば6歳の子供に癇性がある、親のいうことをきかない、だから精神科医に通院しリスパダールを大量に処方する医者、それを認める親、これが現実」

 

「世の中はクソらしい、他人のいうがままに幼い子に抗精神病薬を投薬する親でいいのか、子供はプラモデルではない、同級生と違うから、だからどうした」

 

#三行詩

 

「なんだろうか、科学万能を信仰する必要があるのだろうか」

 

「親子関係に、精神科医が何が出来るのか、で、挙げ句にリスパダールの投薬」

 

「一人の親としていう、子と向き合って下さい、精神科医の勧める投薬の前に、ずっと、ずっと、、ずっと、我が子を抱きしめ上げてださい、お願いします」

 

#三行詩

 

○土曜日の夜、自宅

 

「人と違うからどうした、アトピーで肌が赤黒くても人に変わりない」

 

「怒っているから精神病なのか、原因と結果があり怒っている、で、癇性の子供にリスパダールを投薬をするのが正義か」

 

「弱き者でも幸せになれる、異端でも生きていける、故に孔夫子の教えを私は学んでいる」

 

#三行詩

 

所感)

■土曜日の夕方、自宅

古き友人たちと集まる。付き合いは何れも三十年にはなる朋友たちだ。

今回は私が企画した、サイゼリヤ全六種ワインリストを、サイゼリヤが誇る料理とともに我らで呑み干そうではないか。

結果、4本目で1人離脱し、ここでグラッパの乾杯で〆た。

グラッパは仲間内には不評であったが、とても楽しかった。

次回は、箕面の滝を観てから、酒を呑む会らしい。

何れも五十代から六十代だが、集まっては中学生レベルの会話で盛り上がり、胸の内を話す、共感する。古い仲間だ、もはや兄弟に近いKさんもいる。

息抜きは充分だ、さあ、明日から再び戦うのだ。