四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百三章(尭曰第二十)

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○日曜日の夕方、9月3日、ウオーキング

 

「叔孫武叔、仲尼を毀る。子貢曰わく、以て為すこと無かれ。仲尼は毀るべからざるなり。他人の賢者は丘陵なり、猶踰ゆべきなり。仲尼は日月なり、得て踰ゆること無し。人自ら絶たんと欲すと雖ども、それ何ぞ日月を傷らんや。多にその量を知らざるを見るなり。子張二十四」

 

「大夫の叔孫武叔、孔夫子の悪口をいう。子貢はいう、悪口はお止めください、孔夫子のことを誰が悪くいうことが出来ましょうか。比べれば、他の賢者は丘のようなもので、越えようと思えば越えられます。」

 

「一方、孔夫子は太陽や月のようなもので、越えることは出来ません。人が幾ら絶縁しようと思っても、太陽や月にとって何か問題があるとお思いですか。いわば、自らの身の程知らずを思い知るだけです。」

 

#論語

○日曜日の夕方、森

 

「今日は36度超えにつき、夕方に歩いている、日中は無気力にゴロゴロしていた」

 

「体力、気力とも落ち込み、アトピーが追い打ちをかける」

 

「掻き毟った箇所にによく蚊が集る、血の匂いに引き寄せられるのか、不思議だ」

 

#三行詩

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○日曜日の夕方、森

 

「アマプラMで辻井伸行さんのモーツァルトを聴く、きらきら星 変奏曲」

 

「とても優しい演奏で心が晴れる、辻井さんらしい、素晴らしい」

 

「同曲、ファジル・サイの演奏も好きだ、少し元気になってきた」

 

#三行詩

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○日曜日の夜、ウオーキング

 

「田舎のNと久しぶりに電話する、お互い調子が悪いとこぼす」

 

「平日は疲れているのに眠れない、お互い齢を取ったということか」

 

「十五からの付き合いだが、変わらない、元気が八割方戻る、よし、戦える」

 

#三行詩

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○月曜日の朝、通勤

 

「陳子禽、子貢に謂いて曰わく、子は恭と為すなり。仲尼、豈子より賢らんや。子貢曰わく、君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎しまざるべからざるなり。夫子の及ぶべからざるや、猶天の階して升るべからざるがごときなり。夫子にして邦家を得るならば、所謂これを立つれば斯に立ち、これを導けば斯に行き、これを綏んずれば斯に来たり、これを動かせば斯に和らぐ、その生くるや栄え、その死するや哀れむ。これを如何ぞそれ及ぶべけんや。子張二十五」

 

「子貢の弟子である陳子禽、子貢にいう、先生は謙遜されているだけで、孔夫子より勝れておられます。子貢はいう、君子はただ一言で賢いともされるし、ただ一言で愚かともされる。言葉は慎重に話すことだ。孔夫子に及びもつかないことは、天に梯子をかけても上れないようなものだ。」

 

「もし孔夫子が国を導くする立場につかれれば、『立たせれば立ち、導けば歩き、安らげれば集まり、励ませば応える』ということだ。孔夫子が生きておられれば国が栄え、孔夫子が亡くなられば悲しむ。どうして孔夫子に及ぶことができようか」

 

論語

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

「毎回ながら、人間の身体で、人間の集団の中に居ることに苦痛を感じる」

 

「宇宙人なのかもしれ無い、本体はムカデ星人とか」

 

「人間臭さに疲れている、鏡の前だけでうんざりしている、自惚と驕慢、偏屈と狭隘」

 

#三行詩

 

○月曜日の夕方、通勤

 

「尭曰わく、咨、爾舜よ、天の暦数は、爾の躬に在り。允にその中を執れ。四海困窮。天禄永く終わらん。舜も亦以て禹に命ず。湯曰わく、予、小子履、敢えて玄牡を用て、敢えて昭かに皇皇后帝に告ぐ。罪あるは敢えて赦さず、帝臣蔽さず、簡ぶこと帝の心に在り。朕が躬罪あらば、万方を以てすること無かれ。万方罪あらば、罪は朕が躬に在らん。周に大賚あり、善人是富む。周親ありと雖も仁人に如かず。百姓過ち有らば、予一人に在らん。尭曰一」

 

「尭帝がいわれた、ああ、なんじ舜よ。天の運行・運命は汝の一身にかかっている。帝位に就くために程よい中庸を守るようにせよ。四海の民は困窮している、天の恵みが永遠に続かんことを。舜帝もその言葉を次の夏王朝を開いた禹帝に命じた。夏王朝は桀王にいたって無道であったため、殷王朝の湯王がこれを倒し、天命をうけて天子となったが、殷の湯王はいう、未熟なる履(湯の名)、ここに黒毛の牡牛をお供えし、天帝に申し上げる。罪ある者(夏王朝の桀王)は許さず。」

 

「天帝の臣下はその徳を隠すことなく用い、天帝の御心のままにその道を歩みます。そして居並ぶ諸侯にいう、わが身に罪のあるときには民に罰を与えてはいけない。民に罪のあるときは、罰をわが身に与えよ。殷王朝は紂王にいたって無道であったため、周の武王がこれを倒し、天命をうけて天子となった。その時、武王は天帝に誓っていわれた。周王朝は天のたまものあり、それ故に善人は富み栄える。濃い血縁関係があっても、仁徳の人には及ばない。民に過ちがあれば、その責任は我が身一つにあるのだ」

 

論語

 

○月曜日の夜、自宅

 

「最近、すっかり読書から離れてしまった、金谷治先生の老子から少しずつリハビリしている」

 

論語を毎日一句、意訳は続けている、いよいよ最終章、尭曰篇入る」

 

「毎日意訳は論語で通したい、読書は一旦歴史から離れて老子に進む、荘子は好きなので何度も読んだ」

 

#三行詩

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「私は老子が理解できなかった、老子を一(始め)とすると自らの学問が浅く世界が広がらない」

 

「今回、論語との対比視点で読み進めている」

 

老子は天地にも聖人にも仁はないと、仁を用いて世界を述べている、表現において儒学との対比があることが興味深い」

 

#三行詩

 

「当然ながら読んでいる、老子を学ぶ・考える・実践するには例の如く当方、浅学非才過ぎる」

 

「ふと、対比論であれば易経を思い出す」

 

「中途半端に諦めた公田連太郎先生の周易講話にも戻りたくなるが、今は老子に集中しよう」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、通勤

 

「権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を修むれば、四方の政行われん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民、心を帰せん。重んずる所は、民・食・喪・祭。尭曰二」

 

「慎んで目方と升目の基準を整え、明瞭に法の尺度を定め、廃れた官を復活させれば、四方の政治は上手くいくようになる。滅んだ国を復興させ、絶えた家柄を引き継がせ、隠棲している賢者を用いる、天下の民を政に心を帰属させる。重視すべきことは、民・食糧・服喪・祭祀である」

 

「大切なことは、民を伸びやかに暮らさせることにあり、飢餓を発生させてならない」

 

論語

 

○火曜日の朝、電車内

 

「先日、錫製のぐい呑を買う、妙に気に入ったいる、飲んで一番美味しいのは冷やした水だ」

 

老子にある、器の本体とは器の素材ではなく窪んだ何もない空間にある」

 

「人はどうか、目耳鼻口腹の欲求のままでは野人だろう、心と思想こそ人の本体だ、目には見えない」

 

#三行詩

 

儒家であれば、心と思想を学び続けることにより善へ、自らの仁徳を広げること、果ては天下を泰平とする」

 

「一方、老子ではどうだろう、心と思想は無為で良いとする、何もない空間そのものが既に完成されている」

 

「興味深い、やはり易経の乾卦と坤卦が思い浮かぶ、老子とは何処に向かうのだろう」

 

#三行詩

 

○火曜日の夕方、通勤

 

「寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民任じ、敏なれば則ち功あり、公なれば則ち説ぶ。尭曰三」

 

「寛大であれば民の人望が得られ、誠であれば民から頼りにされ、機敏であれば政で功績を上げ、公平であれば民に喜ばれるものだ」

 

「寛容・誠実・機敏・公平、君子の政がどう在るべきかを述べている。現代においても、組織で上に立つ人であれば学ぶべきことだと思う」

 

論語

 

○火曜日の夕方、乗り換え

 

「組織において仕事は一人では出来ない、いくら優秀でも独り善がりの人は消えていく」

 

「上司の力量も大切だ、如何に部下を戦力へと成長させるのも仕事だ」

 

「結局は人間力による、マニュアルではなく、一生懸命自ら考えて生きてきた人は地力があるなと思う」

 

#三行詩

 

「良い上司に出会えるかは運ゲーだが、結局はその人の人間力、積み重ねだ」

 

「光る人はどんな境遇に居ようが、積み重ねが良い意味で滲み出る、横に居るだけで面白い、楽しくなる」

 

「一生懸命生きていれば何とかなると信じている、ただブラック企業はそもそも価値観が狂っている、逃げるべし」

 

#三行詩

 

○火曜日の夜、自宅

 

老子を読んでいる、不思議だ、読み進めば進むほど、孔夫子の教えに似ている感あり」

 

「道といい、徳といい、表現は異なるが、最後は大筋で一つとなる」

 

「少なくとも老子は、孔夫子の述べたいことを理解している、その上で述べている、興味深い」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、通勤

 

「子張、政を孔子に問いて曰わく、何如なればこれ以て政に従うべき。子曰わく、五美を尊び四悪を屏ければ、これ以て政に従うべし。子張曰わく、何をか五美と謂う。子曰わく、君子、恵して費やさず、労して怨みず、欲して貪らず、泰にして驕らず、威にして猛からず。子張曰わく、何をか恵して費やさずと謂う。子曰わく、民の利とする所に因りてこれを利す、これ亦恵して費やさざるにあらずや。その労すべきを択んでこれを労す、又誰をか怨みん。仁を欲して仁を得たり、又た焉をか貪らん。君子は衆寡と無く、小大と無く、敢えて慢ること無し、これ亦泰にして驕らざるにあらずや。君子はその衣冠を正しくし、その瞻視を尊くして儼然たり、人望みてこれを畏る、これ亦威にして猛からざるにあらずや。子張曰わく、何をか四悪と謂う。子曰わく、教えずして殺す、これを虐と謂う。戒めずして成るを視る、これを暴と謂う。令を慢くして期を致す、これを賊と謂う。猶しく人に与うるに出内の吝かなる、これを有司と謂う。尭曰四」

 

「子張、孔夫子にに政について問う、どのようにすれば、政に携わることが出来ますか。孔夫子はいわれた、五つの美徳を尊び、四つの悪徳を退ければ、政に携わることが出来る。子張は問う、五つの美徳とは何ですか。孔夫子はいわれた、君子は恩恵を与えても費用をかけない、働かせても怨みを買わない、欲求を抱いても貪ることはない、ゆったりとしていてるが驕慢になはならない、威厳があっても猛々しくはならない、これが五つの美徳である。子張はいう、恩恵を与えても費用をかけないとはどういうことですか。孔夫子先生はいわれた、民が利益としていることをそのままにして利益を得させる、これが恵んでも費用をかけないことだ。自らで苦労して働いているとしても自ら選択して働いているのだから、一体誰を怨むことがあろうか。仁を求めて仁を得るのだから、どうして必要以上に貪ることがあるだろうか。君子は相手の人数の多さや貴賎にかかわりなく決して侮ることはない、これがゆったりとしていて驕慢にはならないということだ。」

 

「君子が衣服や冠を整えて、その目の付け方が重々しく、謹厳実直に振る舞っていると、民はそれを眺めて畏敬する。これが威厳があっても猛々しくはないということだ。子張はいう、四つの悪徳とは何ですか。孔夫子はいわれた、民を教化せずに、罰則の処刑を行うのを「虐」という。民に事前に注意をせずに、急いで何かをやらせようとすることを「暴」という。曖昧な命令を出しておきながら、期限を厳しく設定して徴集する、これを「賊」という。民に平等に分け与えるのに出納を惜しむ、これを「お役所仕事」というのだ」

 

論語

 

○水曜日の朝、電車内

 

老子は、全編に風が吹いている、読んでいて爽快な気持ちになる」

 

「読後、思わず荘子を読み出したが止める、勇み足だ」

 

金谷治先生の現代語訳が良い、初めて老子が面白いと思う、楽しい」

 

#三行詩

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○水曜日の夕方、通勤

 

孔子曰わく、命を知らざれば、以て君子たること無きなり。礼を知らざれば、以て立つこと無きなり。言を知らざれば、以て人を知ること無きなり。尭曰五」

 

「孔夫子はいわれた、天命を知らなければ君子となることは出来ない。礼を知らなければ世に立つことが出来ない。言葉を知らなければ人を知ることは出来ない」

 

「自らの天命を、この世の中で果たす目的を理解してこそ、具体的に目標を立て、実行に移すことが出来る。礼節を知り、世の中の規範を踏まえた言動を行なってこそ人の上に立てる。言葉に潜む善悪を正しく理解し、誠と誠以外を知ってこそ人を知ることが出来る」

 

論語

 

○水曜日の夕方、乗り換え

 

論語全二十篇の書き下し文からの意訳終る、明日は白文から意訳する」

 

「学問に終わりなし、浅学非才なのだ、繰り返し論語を学ぶ」

 

「別に感慨もなし、終わりは始まりにしか過ぎない、学問の道を歩むのみ」

 

#三行詩

 

○水曜日の夜、自宅

 

アトピー悪化する、掻き壊していない肌、あちこちから浸出液が滲み出る、皮膚が崩壊している」

 

「いわゆるリバウンドだ、大が付くと全身の肌から浸出液が溢れる」

 

「こうなると打つ手なし、タオルを巻いて、バーボンを呑み、好きな本を読むしか選択肢がない」

 

#三行詩

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○木曜日の朝、通勤

 

子曰、学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎。学而篇一

 

孔夫子はいわれた、仁徳の道を学び実践し、後になって省みる、なんと楽しいことかな。同門の友人が遠くからに会いにやってくる、なんと嬉しいことではないか。他人が自分を知らないからといって、恨みに思うことはない、それが仁徳の道を歩む君子というものだ。

 

「学而第一の一、論語の総論といわれる、仁徳の道を歩む喜びに満ち溢れている、学び続けることとは、自ら仁徳を広げることに尽きる」

 

#論語

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

アトピーリバウンド中なれど、出勤する、顔以外なら何とかなる」

 

「タオルで巻いて、着替えを用意、手慣れたもの」

 

「会社を休んでも良くならない、水分制限とメンタル維持に尽きる」

 

#三行詩

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○木曜日の夕方、通勤

 

有子曰、其為人也、孝悌而好犯上者鮮矣、不好犯上而好作乱者、未之有也、君子務本、本立而道生、孝悌也者、其為仁之本与。学而二

 

有子はいう、親孝行で目上に従順な人が、地位が上の人や年が上の人に逆らうことは少ない。目上の人や地位が上の人に逆らわない人が、国に争乱を起こしたとは聞いたことがない。君子とは根本を大切にする。根本を確立すれば、人の生きるべき道を自然に歩んでいるものだ。親孝行であり、目上の人を尊ぶことは、仁徳の根本である。

 

「根本を広げるとは、毎日の学問の道を歩む、積み重ねるに尽きる」

 

#論語

 

○木曜日の夕方、電車内

 

儒学の根本である父母からの愛とは、与えられるものだろうか」

 

「自分が父母から受けたから、子に与えるものだろうか」

 

孟子はいう、人の性とは善であると、故に根本に忠恕がある、根本を広げるとは与える与えられるものではない、自らの善のままに行うことだ」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、通勤

 

子曰、巧言令色、鮮仁。学而三

 

孔夫子はいわれた、言葉巧みに人の顔色をうかがう、仁とは遠い。

 

「仁徳とは自らにあり、どうして他人の顔色をうかがう必要があろうか、又、儒家は有言実行、故にどうして言葉を巧みにする必要があろうか、むしろ沈黙寡言でよい。」

 

論語

 

○金曜日の朝、乗り換え

 

「仁徳の道とは、ありふれた、誰もが出来ることだ、善いことを行う」

 

「決めつけは無用、色々な仁があって良い、当方陰キャのインドア、性格も捻くれているが問題ないと思う」

 

論語を学び、独善が減った気がする、自らの狭隘を自覚出来た、まだまだこれからだ」

 

#三行詩

 

○金曜日の夕方、通勤

 

曾子曰、吾日三省吾身、為人謀而忠乎、与朋友交言而不信乎、伝不習乎。学而四

 

曾子はいう、私は一日に三度、自らを省みる。自らを誠にして民のことを考えれたのか、友人に対して自らを誠にして接することが出来たのか、孔夫子から教わってもいないことをあなた達(門弟)に伝えてないか。

 

「背景どうだろうか、恐らく曾子は年を取り、門弟に孔夫子の教えを伝えている時期でないか。孔夫子の直弟子としての自覚と、後世に、正しく孔夫子の教えを残そうとした思いが伝わってくる」

 

論語

 

○金曜日の夕方、通勤

 

論語という本は漫然と現代語訳を追うだけも十分に学べる」

 

「時代背景と、孔夫子とその門下生の目的を知ってから学ぶのもさらに良い」

 

論語とは入門書であり、実践書でもあり、儒学の奥義書でもある」

 

#三行詩

 

所感)

■土曜日の夜、自宅

午前中、皮膚科へ。

春夏秋冬、相変わらず同じことを先生はいう、

「今の季節、皆さんしんどいですよ(笑顔)」

ステロイド系の塗り薬三種と、痒み止めを処方される。

左脚の浸出液が止まらない旨を伝えると、薬局でガーゼを買って貼って下さいとのこと。

皮膚が回復しないので、あとは食う、寝る。