○日曜日の夕方、9月10日、自宅
子曰、道千乗之国、敬事而信、節用而愛人、使民以時。学而五
孔夫子はいわれた、戦車を千台維持出来る位の大国を治める道とは、何ごとにも誠を以て慎んでことに当たること、民を大切にし無用な出費は慎むこと、民を使役する場合は、農閑期等の民の負担が少ない時季にすること。
「君主の宮殿は綺羅びやかであり、私利私欲に満ち満ちて食べるものにも困らない。一方で領地の農村では餓死者が道に放置されている。国を治める政治とは弱者と向き合わねばならない。何ごとにも誠を以て慎んでことに当たるは、人間として第一に為政者自身に求められることだ」
#論語
○日曜日の夕方、自宅
「猛烈な雨音と雷鳴、ベートーヴェン・ピアノソナタ全集を聴いている」
「終日昼寝と読書、徳間書店の春秋左氏伝を読んでいた」
「休日に窓越しから聞こえる雨音とは良いものだ、心が妙に落ち着く」
#三行詩
「用事で出掛けていた妻と子が戻る、お土産にスシローの12貫寿司あり」
「熱い日本茶を入れて、いただく、美味しい、ご馳走様でした」
「雨あがる、ウオーキングに行くか迷うも止める、読書に戻ろう」
#三行詩
「錫のぐい呑を手のひらに乗せてコロコロ転がすと妙に落ち着く」
「強く握ると、上の方が変形する位に柔らかい」
「書斎に常に置いている、妙に気が合うらしい、ぐい呑はどう思っているかは知らない」
#三行詩
○月曜日の朝、通勤
子曰、弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有余力、則以学文。学而六
孔夫子はいわれた、若者よ、家に於いては父母に尽すこと、外に出れば年長者を尊び、行いは慎ましく自らを誠にすること。そして仁徳のある人と親しみ、民のこと、国全体のことを思うこと。さらに余力があれば詩書、書経、礼記等の経書を学ぶことだ。
「自らを誠にして人を尊ぶ、忠恕こそ孔夫子の教えの眼目であり、学而第一では度々述べている。また、孝悌(親孝行と年長者を尊ぶこと)とは儒学の、人間の根本である。学而一の学びといい、この章句には孔夫子の教えのエッセンスが濃縮されているように思う」
#論語
○月曜日の朝、乗り換え
「血圧高し、頭痛あり、歳を取るとスッキリとした朝が少なくなる一方だ」
「深夜、岩波書店の日本史年表を読んでいたら惹き込まれて寝不足」
「建武の新政から室町幕府成立までを繰り返し読む、春秋の筆法で書かれた同書は飽きない、夢中になる」
#三行詩
○月曜日の夕方、通勤
子夏曰、賢賢易色、事父母能竭其力、事君能致其身、与朋友交、言而有信、雖曰未學、吾必謂之学矣。学而七
子夏はいう、美人(色)を好むように自然と賢人を賢人として敬うこと。父母に仕えて力の限りを尽くし、君主に仕えてはその身を捧げ、朋友と交わってはその言動に誠を尽すこと。(仮に)人が、学問をしていないこの人は賢人ではないと蔑んだとしても、私はこの人を学問をした賢人だと評するだろう。
「白文から意訳すると、意味は分かっていても現代語訳にはスラスラと表せない。もっとベタ(下手)な言葉で意訳したいが、つい言葉が飾ってしまう。この句も、もっと良い意訳があるのは薄ぼんやりと見えてはいるが、当方浅学非才、故にまだまだだ」
#論語
○月曜日の夕方、乗り換え
「徒然草なら、古文のままでもぼんやりなら意味はわかる、日本語だ」
「論語(経書)の白文は、現代の北京語とは異なる(らしい)も、繰り返し読むと不思議に意味が通じてくる」
「怪しい北京語を話せるせいか、白文からの意訳が楽しい、中日辞典が必要かも知れない」
#三行詩
○火曜日の朝、通勤
子曰、君子不重則不威、学則不固、主忠信、無友不如己者、過則勿憚改。学而八
孔夫子はいわれた、君子とは慎むべき時に慎んで、常に重々しくなければ威厳が伴わない。学問の道を歩めば何かに固執することはない。自らを誠にして周囲から信頼を得て、自らの歩む道とは異なる(私利私欲の)人と友人にならない。自らの過ちに気付けば周囲に憚ることなく速やかに改めること。
「軽挙妄動して何の為の学問の道であろうか。仁徳、忠恕を学ぶ・行う者であれば心は落ち着き、言葉は寡黙、行いは確実にと心掛けるもの。威厳はあれども堅苦しくはなく、近くに寄る者があれば優しく接する。自らの器を自らの仁徳で満たすのが君子である。論語を学ぶとは、自らを磨くことに他ならない。自らを磨くとは、学問の道を歩む、自らの徳を広げることだ。周囲や他人に自らの弱さを依存しない、内に一つを抱き、貫くことだ」
#論語
○火曜日の朝、一休み
「小人に釣られて自らも小人にならないこと、相手にしないこと」
「小人は、他人を批判することでしか自分の価値を確かめれない」
「ぽかぽかと暖かい、大きな孔夫子の仁に包まれている、学問の道とは厳しくとも心は穏やかになるものだ」
#三行詩
○火曜日の夕方、寄り道
「違う会社の人たちに誘われて、軽く呑みにく、内の一人は酒豪らしい」
「ハイボールを一晩で30杯は呑むらしい、人間が12〜3リットルも飲めるのだろうか」
「会社の敷地内にある、VIP接待向けの食堂に行くのは初めてだ」
#三行詩
○火曜日の夜、通勤
曾子曰、慎終追遠、民徳帰厚矣。学而九
曾子はいう、亡くなった人があれば政を司る者は代表して厚く弔う、そして、遠い祖先のことは祭祀にて常に祀っている。このようであれば民は安心し、民の徳(思いやり)はますます厚くなるものだ。
「思いやりとは、政を司る者こそ先頭に立って行わねばならない。過去を大切にする為政者を見て、現在に生きる民は安心し、ともに未来を歩もうと思うのだ」
#論語
○水曜日の朝、通勤
子禽問於子貢曰、夫子至於是邦也、必聞其政、求之与、抑与之与、子貢曰、夫子温良恭倹譲以得之、夫子之求也、其諸異乎人之求之与。学而十
子禽、子貢に問う、孔夫子が他国へ行かれると、必ずや政のことを為政者から尋ねられるのは、孔夫子がそれをもちかけたのか、君主が求めているのか、どちらなのだろう。子貢はいう、孔夫子は温良で恭しく倹譲の人だ。仮にもちかけたとしても、他の人とは根本が異なると思う。
「小人や過去の小人の言動に引き込まれないこと、孔夫子の教え、学問の道を今日も歩むのみ、温良であり恭しく倹譲であること」
#論語
○水曜日の朝、一休み
「誰しも過去の亡霊が表れることはある、人間とはそういうものだ」
「過去のトラウマは中々解けない、前向きに生きようと気安くいえるのは他人の問題だからだ」
「苦しむ人がいるのであれば、横で寄り添う、話を聴く、他人事のアドバイスなどは役に立たない、自ら強くなるか傷が癒えるのを待つくらいか」
#三行詩
○水曜日の夕方、通勤
子曰、父在観其志、父没観其行、三年無改於父之道、可謂孝矣。学而十一
孔夫子はいわれた、父が生きている時には父の志し、父が亡くなった時に父の為したことを観る。没後三年間、父から受け継いだ志し、行いを改めない。これは孝といえる。
「父母と子の関係とは、古来、このように志し、思いを引き継くことであった。この志し、思いとは省みれば先祖代々の志し、思いだ。孝は百行の本、孝悌は仁を為すの本、連なり」
#論語
○水曜日の夕方、乗り換え
「人は何処に安心を求めるのだろう、財産、学歴、能力、体力、何れも私は持っていない」
「それでも常に前に向かって進む」
「学問の道とは老若男女を問わない、仁徳を広げる、論語を学ぶ・実践する、有り難いことだ」
#三行詩
○木曜日の朝、通勤
有子曰、礼之用和為貴、先王之道斯為美、小大由之、有所不行、知和而和、不以礼節之、亦不可行也。学而十二
有子はいう、礼とは和を以て貴いとする。堯帝・舜帝が定められた礼とは何と美しいことであろうか。しかし、小も大も礼に過ぎるのは良くない。和を以て和を知るようでは礼から外れてしまう。礼の本質とは尊ぶことであり規範・規律を守る、守らせることでもある。和のみでは物ごとは上手く行かないものだ。
「礼の本質とは尊ぶことにあり、規律・規範を守る、守らせるからこそ礼は和となる。何を尊ぶのか、例えば祭祀に於いては目の前の台や器、飾り物ではない、先祖代々の連なりを理解し、今の自分があるのは父、祖父、曽祖父・・等のおかげであると感謝する、自分の内にある連なりを尊ぶのだ」
#論語
○木曜日の夕方、通勤
有子曰、信近於義、言可復也、恭近於礼、遠恥辱也、因不失其親、亦可宗也。学而十三
有子はいう、人から信頼を得るには、言動に義(自らの悪を憎むこと)がなければならない。人に恭しくあっても礼(規律・規範)がなければ辱めを受けることになる。人に親しくするのであれば、道(理)を歩む人にすれば、朋友として一生の宝となるだろう。
「義とは、自らの悪を憎むことであり、他人の悪を憎むことではない。他人の悪は、自らの仁徳を広くして、その人自らが悪に気付くように及ぼすことが儒学の教えである。本来の正義とは勧善懲悪ではなく、善を勧めて悪を改めさせることにある」
#論語
○木曜日の夕方、電車内
「アトピーが悪化し、見た目も酷くなってきた、もはや服では隠せない」
「レジでお釣りを貰うとき、赤く瘡蓋まみれの手首を見て必ず止まる店員さん」
「今日はメニエールも出た、目眩が止まらない、やれやれ、これも業か」
#三行詩
○金曜日の朝、通勤
子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而慎於言、就有道而正焉、可謂好学也已矣。学而十四
孔夫子はいわれた、君子とは飽きるまで食を求めることはなく、住む所に華美や安楽さを求めない。ことにおいて俊敏に対処し、言葉は常に慎んでいる。道(理)に照らして自らの悪を正し、善に勤しむ。学問を好むいって良い。
「儒家は殺人、戦争を否定する。故に、謀反や反乱を嫌う時の権力者から好まれた。しかし、易姓革命を肯定し、民を虐げる悪逆無道の君主を認めない一面も備える。しかし、この面でも時の権力者が王朝を創業する根拠とされた。学問を好むとは、自らの徳を広げ、正しく世の中を観、仁徳の世界を実現することにあるが、実際は権力者側の都合に利用されてきた。ひょっとしたら権力の旨みと孔夫子の教えは相容れないかも知れない。しかし、それでも儒家は仁徳の世界を実現する為に学問の道を歩む。近現代でも変わらない」
#論語
○金曜日の朝、一休み
「自分は出来ていないから学問をするという人がいる、人との比較で学問をするものだろうか」
「同音でありながら異義を感じる」
「学問とは自らを磨く為にある、他人との優劣で劣であるから学問をする、なら優なら学問はしないのだろうか」
#三行詩
「確かに人は比べる/比べられる生き物だ、同時にこの様な比べる人たちにうんざりしているのも事実だ」
「上を見たらきりがない、下を見たらあとがない、だから」
「嫌気が差して哲学・思想・宗教・音楽に価値観の救いを求める、少なくともここは平等であるし安らぎに満ちている」
#三行詩
○金曜日の夕方、通勤
子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如、子曰、可也、未若貧時楽道、富而好礼者也、子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂与、子曰、賜也、始可与言詩已矣、告諸往而知来者也。学而十五
子貢はいう、貧しくとも諂わない、富んでいても奢らない、如何でしょうか。孔夫子いわれた、よろしい。しかし、貧しくとも道(理)を楽しむ、富んでいても礼(人を尊ぶ)を好むには及ばない。子貢はいう、詩経にある『切るが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し(切磋琢磨)』と同じことですね。孔夫子はいわれた、賜(子貢)よ、これからは詩経について共に語りあうとしよう。汝は、往き道を教えれば帰り道を知る者であるな(真面目に学問に取り組んでいるな)。
「頭を下げて人に教えを請うのは容易い、しかし教えを請う者は、とことん考えてから質問すべきだ。安易な思い付きを矢継ぎ早に問うのは、教える人に対して礼を欠くことになるし、自ら省みない学びは役に立たない。私も儒学を学び始めた頃は無礼千万な輩であったと思う」
#論語
○金曜日の夜、自宅
「河井継之助という人がいた、現代的なシャープな思考と判断力を備えながら、時代と故郷に殉じた」
「今『峠 最後のサムライ』をアマプラビデオで観ている」
「日本人の遺した日本史とは宝だ、何れも美しく、気高い、読み返す度に自分が日本人であることを誇りに思う」
#三行詩
「日本人の美意識とは何だろうか、第一に粘り強さと反面する潔さか、四の五のは嫌う」
「司馬遼太郎の小説にどっぷりと浸かり、思春期を過ごし、大人になった」
「実は、今でも司馬遼太郎が書いた薩摩人に憧れている、こうありたいと思っている、源日本人の姿だ、単純であり雄雄しい」
#三行詩
○土曜日の夜、自宅
子曰、不患人之不己知、患己不知人也。学而十六
世の中の人が、斉家治国平天下を目指す学問に励む自分を何ら評価しないことを心患ってはいけない。むしろ、学問の道、修身斉家治国平天下であるこの道を目指すも、自らの力不足で、世の中の人が未だ苦しんでいる現実を心患うべきではないか。
「論語白文からの意訳が楽しい、書き下し文からの意訳は、比べると色々制約を感じる。白文を繰り返し読むと、一字一字の漢字の意味が大きくなり、全体に連なるとさらに意味が膨れ上がる、とても楽しんでいる」
#論語
所感)
■土曜日の夜、自宅
猛暑と秋の花粉ににアトピー肌が悲鳴をあげている。
夕方、図書館へ。
三連休は読書の予定。
アーサー・C・クラークの本を読むのは三十年振りだ、楽しみだ。
孔子演義という小説が気になる。孔夫子の教え通りであれば良いのだが。
帰りに薬局により、ガーゼと包帯、包帯止めを買う。
子に手伝ってもらい、アトピー浸出液の止まらないあちこちの箇所にガーゼを貼り、包帯を巻いてもらう。
やれやれ、全く、やれやれだ。