○日曜日の朝、6月25日、通勤
「子曰く、群居して終日、言、義に及ばず、好んで小慧を行う。難いかな。衛霊公十七」
「孔夫子はいわれた、集まって一日中話しをしているが、言葉に真実はなく、互いに小知恵を自慢するのみだ。有為な人材になるなどとても難しかろうて」
「君子とは言葉少なく、実践を重んじるものだ。意味のない言葉を羅列し、且つ自らを褒め称える、なんと見苦しいことかな」
#論語
○日曜日の朝、森
「妻とウオーキングへ、よく喋る人だ、さぞかし面白い風にかつて聞いた話しを繰り返している」
「言葉少なく相づちを打つ、小鳥のさえずりや朝の森には興味がないらしい」
「どう思う、と度々聴かれるが、面白いね、と答える、でなければ機嫌が悪くなり後が大変だ」
#三行詩
○月曜日の朝、通勤
「子曰く、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。衛霊公十八」
「孔夫子はいわれた、君子とは義をもって本質とし、礼に従って実践し、慎んで言葉を発し、誠をもって物事を成し遂げる。これこそ君子というものだ」
「義とは、自らを省みて、自らの悪を憎み、思い行いを正しくする。礼とは、尊ばねばならぬことを尊び、先王から伝わる礼を実践する。孫とは遜であり、言葉だけが先行することを恥とし、言葉を少なくして慎む。信とは、何ごとも中正なる誠を以てことに当たり、成し遂げる」
#論語
○月曜日の朝、乗り換え
「髭剃りに肌が負けて湿疹さらにボコボコに、髭を伸ばしている」
「せめて気分は、風と共に去りぬのレッドバトラーといこう」
「古い映画とは良いものだ、マックイーンの大脱走とか、漢の中の漢ではないか、斯くあるべし」
#三行詩
○月曜日の朝、電車内
「構内が若い人たちで溢れている、六月末週の月曜日に何故だろう」
「ああ、朝帰りか、顔つきは皆若い、そういえば数人、酔い潰れたのがトイレ横の椅子で寝ていた」
「電車に乗ると、いつもの通りの通勤風景、仮面を被りスマホを眺めている、下を向いている」
#三行詩
○月曜日の夕方、通勤
「子曰く、君子は能なきことを病う。人の己れを知らざることを病えざるなり。衛霊公十九」
「孔夫子はいわれた、君子とは自らを誠にし仁徳を実践しているのか、天下泰平の為に仁徳を周囲へ広げているのかを心配しても、自らの名誉や名声の有り無しを気にすることはない」
「有徳の君子の能とは、礼に基づき、義に省みて、中正を智り、仁徳を世に実践する、広げことにある」
#論語
○月曜日の夕方、乗り換え
「荻生徂徠先生の論語徴1(東洋文庫)が進まない、辞書がいる、単語で詰まる、意味がぼやける」
「環境も改善が必要だ、やはり書見台がいる、狭い机上に開いた資料を並べて、ノートと鉛筆では進まない」
#三行詩
○月曜日の夜、自宅
「綺麗な言葉、美しい言葉は私は嫌う、過去二十年ブラック企業に勤め嫌というほど聞いた、実践した」
「毎/月80時間以上のサビ残の世界でこう思った、誰の為の美しい世界に、この身を、家族を犠牲しているのだろう」
「幸い生きて生還(転職)した、故に綺麗な言葉、美しい言葉は今でも鳥肌が立つ、学問の世界でもそうだ、世界・人間を美化する言葉にクソが出る、人の世界とはクソだし、クソから脱出する為に忠恕、自らを誠にして人を思いやるのだ、私の学問の道の原点であり、家族を、世界を救えると心から信じている」
#三行詩
○月曜日の夜、自宅
「単細胞で根っからの体育会系だ、社会人三十年目ながら、老いても基本変わらない」
「四の五の言うより、まず百項読んでみろとか、良いだろう」
「東洋文庫、荻生徂徠先生の論語徴1、一から甲/八十九ページまで、学而第一、為政第二、ひたすら読むと決めた、逃げない」
#三行詩
○火曜日の朝、通勤
「子曰く、君子は世を没えて名の称せられざることを疾む。衛霊公二十」
「孔夫子はいわれた、君子とは自らの生涯を終えるまでに、道半ばに天下泰平へと世の中を導くことが出来ないのでないかと、常に悩むのだ」
「儒家とは夢物語に生きる者ではない、仁徳の実践を第一として、苦しむ民を救う、天下泰平の為の礎を築くことを人生の目的として生きている。故に成果には拘るし、成せてこその仁徳であると心から思っている(名誉・名声は後から付いてくるものだ)」
#論語
○火曜日の朝、乗り換え
「不思議だ、論語徴1、今朝も読んでいたが昨夜より文字がスラスラと頭に入る、普通に読めている」
「猛烈な眠気、集中と選択とは当然ながら代価を支払わねばならない、睡眠不足を何処で補おうか」
#三行詩
○火曜日の朝、電車内
「顔にはどうしても、これまでの生き様が表れる、巧言令色でも丸わかり」
「故に、通勤風景でのマン・ウォッチングとは常に興味深い」
「と思っていたら、鏡に映る顔に面を食らう時がある、誰だこれ、皺だらけでくたびれている、眠たそうだ」
#三行詩
○火曜日の夕方、通勤
「子曰く、子の曰わく、君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む。衛霊公二十一」
「孔夫子はいわれた、君子とは何事も自らの内に責を求めるが、小人とは何事も転嫁して他人を責めるものだ」
「何をもって小人なのか、身分が低き時は世界を怨み、身分が高き時は驕り高ぶり世界を喰い散らす。世の常とはこのような世界であるが、なら何故世界は滅びないのか。このような小人でも父母があり慈愛を受け、我が子には慈愛を与える。何をもって君子なのか、この慈愛、忠恕を実践する、広げるからだ」
#三行詩
○火曜日の夕方、乗り換え
「私利私欲とは抑えるものだろうか、人に一つ貫くものがあれば利と欲は私から離れ天下の利、民の欲となる」
「現実主義とは肯定であると思う」
「自らを肯定するのが学問の道だ、私から離れて、仁徳、忠恕をもって一つを貫く、君子とはこのような人だ」
#三行詩
○水曜日の朝、通勤
「子曰く、君子は矜にして争わず、群して党せず。衛霊公二十二」
「孔夫子はいわれた、君子とは自らを律し、常に自らに厳しい。故に自我を強くして人と争うことはなく、付和雷同して群れることもない」
「仁徳の実践とは自らにあり、他人の評価や同意を求めるものではない。誇り高くとは、自らを高くすることではなく、天下を、民を高くすることに他ならない」
#論語
○水曜日の朝、乗り換え
「眠い、車内で立ちながら意識飛ぶ、トイレは行列でスルー」
「矜持とは、志しの高さをいう、プライドの高さや見栄ではない」
「人であるからには私であり、私を学問で正しく広げたものが徳となり、その思いは志しになる、私を否定するとは人を否定することになる」
#三行詩
「人とは、私を、心を否定してはならない、しかし、過度に肯定過ぎても驕慢となる」
「故に、自らの一つを通す・貫くべき一つを持たねばならない」
「学問により正しい道を得て、先人の道に残る轍を踏みしめる、立ち位置を常に理解する」
#三行詩
○水曜日の夕方、通勤
「子曰く、君子は言を以て人を挙げず、人を以て言を廃せず。衛霊公二十三」
「孔夫子はいわれた、君子とは言葉だけで高名な人を評価することはなく、悪人でも善い言葉ならそれを認める」
「儒家とは中正であり、現実を正しく認識しなければならない」
#論語
○水曜日の夕方、乗り換え
「暑い上に雨と雷、蒸し暑さ、電車も遅れて駅のホームは人が混み合っている」
「よく冷やした日本酒を呑みたくなった、あては冷や奴、さらに漬け物があれば良い」
「今夜も論語徴の続きを読もう、遅々として進まず、取り敢えず読んでいる、続けている」
#三行詩
○木曜日の朝、通勤
「子貢問いて曰く、一言にして以て終身これを行うべき者ありや。子曰く、其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すことな勿かれ。衛霊公二十四」
「弟子の子貢が問う、一言で一生の指針となることとは、どのような言葉ですか。孔夫子はいわれた、それは「恕」、人を思いやることだ。自分がして欲しくないと思っていることは、他人にも決してしてはならない」
「孔夫子の教えとは忠恕『自らを誠にして人を思いやること』であり、忠恕とは仁徳へと繋がる。自らを誠にするとは、学問の道をひたすら歩み、実践し、自らの徳を広げることにある」
#論語
○木曜日の朝、乗り換え
「荻生徂徠先生の論語徴1(東洋文庫)、四日目で22項、遅々として進まず」
「繰り返し、繰り返し素読している、最初の前書きが難しい」
「速さは諦めた、1項、1項を理解するまで素読する、ぼんやりながら徂徠先生が見えだした」
#三行詩
○木曜日の朝、電車内
「連絡橋で前を歩く人、Tシャツ背中に帽子のイラスト、そして同じ様な帽子を被っている、なるほど」
「既に蒸し暑い、車内の冷房にほっとする、今日も暑そうだ」
「今日の車掌さんは顔つきが四国に住む従兄弟に似ている、小声でぼそぼそアナウンス、ほとんど聞こえない」
#三行詩
○木曜日の夕方、通勤
「子曰く、吾の人に於けるや、誰をか毀り誰をか誉めん。如し誉むる所の者あらば、それ試みる所あらん。斯の民や、三代の直道にして行う所以なり。衛霊公二十五」
「孔夫子はいわれた、民を見て、どうして誰かを褒め、誰かを非難する必要があろうか。褒めるのであれば言葉ではなく実績をよく見なければならないが、この国の民は、夏・殷・周の三代にわたって定められた道を守り、真っ直ぐに生きている人たちではないか」
「褒めるにしろ、非難するにしろ、民がそうぜざるを得なかった政を行う、今の君主や国の家老にこそ、その責を問わねばならぬのだ」
#論語
○木曜日の夕方、乗り換え
「今日は忙しかった、何が忙しいのか説明し難いが、する事が多過ぎるのは自らの責任でもある」
「普通に仕事して余力2割は当たり前だし、余力4割くらいが私は好きだ」
「業務の見直しが必要だ、ムリ・ムダ・ムラの洗い出し、過負荷状態の解消こそ最優先事項か」
#三行詩
○金曜日の朝、通勤
「子曰く、吾は史の闕文に及ぶべきか。馬ある者は、人に借してこれに乗る。今は則ち亡きかな。衛霊公二十六」
「孔夫子はいわれた、昔は、事実があやふやな事を記述する場合は空欄にして後に埋めたり、馬を持っている人は、必要であれば誰にでも馬を貸したものだが、今は、このような慎重さや親切な風習は失われてしまった」
「過去を美化する訳ではなく、良いことは良いとする視点と、人心が徳から離れている現実を孔夫子は述べられた」
#論語
○金曜日の朝、電車内
「訳あって家事・炊事をしている、料理が難しい、毎日食べる食事を毎日料理する大変さを実感している」
「私など毎日ソーメンで平気だが、妻と子は嫌がる」
「下手な上に計らない、故に私の作る料理は最終的には全て同じ味がするらしい、不思議だが否定出来ない」
#三行詩
○金曜日の朝、乗り換え
「構内のトイレが行列、死にそうな顔をしている人と目が合う」
「身体は小刻みに揺れ、目は朧げに中を彷徨う、蒼白、こういう時に限って中々トイレが空かない」
「なんとなく頷き、ご武運を祈りつつスルーした、先方も頷かれた、戦士の顔をしていた」
#三行詩
○金曜日の夕方
「子曰く、巧言は徳を乱る。小、忍びざれば、則ち大謀を乱る。衛霊公二十七」
「孔夫子はいわれた、言葉が巧み過ぎる人とは、結局は実践を伴えず、その人の徳を損なうものだし、小さな些事に囚われ過ぎる人とは、結局は大局での視点を失い、大事を為すことが出来ないものだ」
「小さなことでも過ぎれば取り返しの付かない事態となる。日々、言葉を慎み実践を心掛け、小事に心悩むのではなく、天下泰平の為に自らの仁徳を厚くする、学問の道を積み重ねる」
#論語
○金曜日の夕方、乗り換え
「会社を去る人あり、時流に乗らず、寡黙、人の嫌がることを独り行う、誇ることもない」
「何事もトライ・アンド・エラーで、犯人探しはしない、ちょっと面白いことをしようよ」
「建前をいわない、本音で勝負出来る実力と実績、逃げない、いつも笑顔、お疲れ様でした、後は継ぎます、お任せあれ」
#三行詩
○金曜日の夜、自宅
「チョロQとは一端下がり、ゼンマイの続く限り進む、見事かな」
「複雑怪奇の人界に生きる人の解とは、ここに尽きる」
「成すべきことを為す、意味など求めない、目の前を全力疾走して力尽き、休んだら又全力疾走する、我々はそういう生き物らしい、生ある限り逃げるな、戦え!」
#三行詩
○金曜日の夜、自宅
「亡父を思う、何故なら私たち兄妹が思う限りは生みの親はこの世界に存在している」
「同様に私の没後、子が私のことを思う限りは私はこの世界に存在しているのだ」
「奇妙な連鎖ではある、しかし、遡れば縄文時代の洞窟で焚き火に暖まるご先祖にも辿り着き、思えば遥か未来、宇宙時代に生きる自分自身でもある、確固たる証とは、思う、連なりだ」
#三行詩
○土曜日の夕方、自宅
「子曰く、衆これを悪むも必ず察し、衆これを好むも必ず察す。衛霊公二十八」
「孔夫子はいわれた、多くの人間が悪し様に非難する人物でも、多くの人間が賛同を示す人物でも、情報を集め、必ず自ら考えることが大切だ」
「儒家とは人のいうことを鵜呑みなどしない、仁徳をもって確固たる規準、規範を自らに培い、中正をもって世の中の出来事、人物を正しく捉える」
#論語
○土曜日の夕方、自宅
「終日雨、アマプラビデオの海外ドラマ、ライアンシリーズを流し観しながら寝ていた」
「妻は仕事より、子は塾で模試を受けて帰宅する、さあ鉄板焼をつくろう」
「イカネギ焼きが半額だった、餃子、豚肉、厚揚げ、南瓜、えのき茸、〆に焼きそばの予定」
#三行詩
「イカネギ焼きが腐っていた、部屋中に腐敗した焼き臭が充満する」
「サザエも古かったらしくアンモニア臭、新トウモロコシの匂いと混ざり、嘔吐を誘う香りが食卓に満ち溢れた」
「撤去のち、焼きそばポン酢味をつくるも妻子から大ブーイング、二度とつくらないでね、と念を押される、無念なり」
#三行詩
所感)
■金曜日の夜
難解なパズルに挑むように、今夜も荻生徂徠先生の論語徴1(東洋文庫)の素読に挑む。
というか、日常とは異なる世界にどっぷりと浸かれる喜びに満ち溢れている。
荻生徂徠先生、本当に面白い。
■土曜日の夜
週に一日は何もしない日にしている。
本も開かない。
ひたすら寝る時もあり、元気なら延々とウオーキングする。
今日は雨だし、肌の調子が良くないのでゆっくりと静養する。
あと、料理の才能は皆無らしい。