四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第九十四章(衛霊公第十五)

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○日曜日の朝、7月2日、ウオーキング

 

「子曰く、人能く道を弘む、道人を弘むるにあらざるなり。衛霊公二十九」

 

「孔夫子はいわれた、人が自らの徳を広げるからこそ、天下泰平、堯帝・舜帝への道が広がるのだ、道が人を広げるのではない」

 

「孔夫子は夢幻は好まない、道とは現実的解釈を伴う確固たる、学び実践する未来でもある。天は畏れ敬う、不可思議な運命も受け入れる、しかし、その思考・行動とは、常に仁徳を本にした現実主義で貫かれている」

 

#論語

 

○日曜日の朝、森

 

ドミトリー・ショスタコーヴィチ交響曲5番を聴きながら、既に蒸し暑い森を歩いている」

 

「しかし論語は面白い、汲めば汲むほど孔夫子が大きくなる」

 

「読み解く鍵は自ら考えること、論語を軸に自分自身、周囲、世界、時代の現実を紐解く、立ち位置を理解することだ」

 

#三行詩

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○日曜日の朝、森

 

「虫とは興味深い、生物でありながらこの星の生態系と一体化している」

 

「合理的、システマティックな行動原理・原則に興味津々だ」

 

「ちと古いが、ファーブル昆虫記集を読みたくなった、不朽の名著は本棚にある」

 

#三行詩

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○日曜日の朝、森

 

マクドで朝食、妻より持ち帰り命令(電話)あり、今より帰還する」

 

「緑の中でドボルザーク交響曲7番を聴き、風を感じながら歩く、森の香りを嗅ぐ、ご機嫌さんだ」

 

「帰ったら本棚のファーブル昆虫記/岩波文庫を開こうと思う、良き休日になりそうだ」

 

#三行詩

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○月曜日の朝、通勤

 

「子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う。衛霊公三十」

 

「孔夫子いわれた、学問の道を歩みながら過っても改めない、現実を正しく認識出来ない、これを本当の過ちという」

 

「学び続けるからこそ、自らの過ちに気付くことが出来る、訂正することが出来る。目的に向って努力しているから過ちに気付ける、方向を修整出来る。この句の意とはそこにある」

 

#論語

 

○月曜日の朝、電車内

 

「週末食べ過ぎた、血圧高め、お腹さすればベルトきつい人」

 

マトリックスの連なりの一行に過ぎない、モブであり、今日も予定された一日を過ごす」

 

「少し不思議とは何処にでもある、想像力が日常を面白くする」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

「パスポート期限あと5年ある、さて、格安チケットサイトを探さねば」

 

「久方ぶりなので北京語圏にしようか、休みを合わせてGO!」

 

「難関は妻子だ、少し話したら警戒している、目を尖らせて裏切り者の様に探られている、連れて行けと」

 

#三行詩

 

○月曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、吾嘗て終日食らわず、終夜寝ねず、以て思う、益なし。学ぶに如かざるなり。衛霊公三十」

 

「孔夫子はいわれた、かつて一日中食事もせず、一晩中寝もせずに考えたことがあったが、時を無駄にしたのみであった。学ぶことには及ばない」

 

「とかく思い悩むものが人であり、食も通らず夜も眠れない時もある。しかし、そこで修行や苦行を自らに強いてなんの効果があるだろうか。問題解決に向けて論理的な学びと実践、トライ・アンド・エラーこそ現実主義者たる孔夫子の教えだと思う」

 

#三行詩

 

○月曜日の夕方、乗り換え

 

「少し旅行計画で浮かれ過ぎた、身体はアトピーで皮が剥けたまま、現実に戻ろう」

 

「家族旅行で良い、一泊二日で場所は妻子の行きたいところで」

 

「考えたら温泉も海水浴も、浸出液の出る肌でどうしたいのか、アトピーとは難儀なものだ」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、通勤

 

「子曰く、君子は道を謀りて食を謀らず。耕して餒えその中に在り。学びて禄その中に在り。君子は道を憂えて貧しきを憂えず。衛霊公三十二」

 

「孔夫子はいわれた、君子とは自らの仁徳を厚くし周囲へ広げ、実践しているかを常に考えているが、食を得る為に動こうとは思わない。」

 

「何故なら、穀物を耕しても収穫出来るとは限らないが、仁徳を実践し、天下泰平の為に世の中を変えようとすれば(苦しむ民の為に暴君や佞臣を排除して仁政を行う)、自ずから地位や周囲からの援助が付いてくるものだ。故に、君子は天下泰平、道のことを常に悩んでいるが、自らが貧乏に陥るかは悩まない」

 

#論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「眠たい、出費が重なる、そういえば今月は賞与か」

 

「上を向いて呼吸しながら計ったら、今朝の血圧は低くかった、検証が必要だ」

 

「まだ火曜日じゃないか、明日はようやく水曜日だ、長い一日が始まる」

 

#三行詩

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○火曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、知はこれに及べども、仁これを守ること能わず、これを得ると雖も必ずこれを失う。知はこれに及び、仁能く守れども、荘以てこれに位まざれば、則ち民は敬せず。知はこれに及び、仁能くこれを守り、荘以てこれに位めども、これを動かすに礼を以てせざれば、未だ善ならざるなり。衛霊公三十三」

 

「孔夫子はいわれた、政を行う者として知識が十分であっても、仁徳をもって政を行うことが出来ねば位を失う。政を行う者として知識が十分で、仁徳をもって政を行うことが出来ても、厳格な態度で政を行わなければ、民は敬おうとはしない。」

 

「知識が十分で、仁徳をもって、厳格な態度で政を行っても、民に礼節をもって規範を示すことが出来ねば、やはり十分とはいえないのだ」

 

#論語

 

○火曜日の夕方、乗り換え

 

「暑いのでデスクワークばかりしていた、仕事は何処にでもある」

 

「変な人(上位)を敵に回すくらいなら、こちらも変と思われ方がまだましか」

 

「組織で生きる限りは人と人の衝突は避けられない、無駄な争いをするくらいなら、時には道化を演じるのも手ではある」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、通勤

 

「子曰く、君子は小知すべからずして、大受すべし。小人は大受すべからずして、小知すべし。衛霊公三十四」

 

「孔夫子いわれた、君子は小さな仕事はできないが、大きな仕事を委ねることができる。小人は大きな仕事を受けるべきではないが、小さな仕事をこなすことができる」

 

「天下を泰平にすることを大事、目の前の細々とした事を小事とする」

 

#論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「強い眠け、朝は5分起きれず、電車内は膝カックン、連絡橋は視界霞む」

 

「帽子を鞄へ、ベルトを強く締め腰を落とす、指を大きく広げ、呼吸は逆腹式へ」

 

「一寸先は闇、気を抜いてはいけない、外国の人から停車駅を聞かれた、OKと指を丸めたら、向こうも指を丸めた」

 

#三行詩

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○水曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、民の仁に於けるや、水火よりも甚だし。水火は吾蹈みて死する者を見るも、未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり。衛霊公三十五」

 

「孔夫子はいわれた、仁徳とは生きていく上で必要な水や火よりずっと大切なものである。水と火が過ぎて死ぬ人は多数いるが、仁徳に過ぎて死ぬ人はいない、仁徳とは人を人たらしめる最も大切なものである」

 

「仁徳とは、忠恕、自らを誠にして人を思いやることであり、言葉ではなく実践を重んじる。根本には父母から受けた慈愛があり、この慈愛を周囲へ広げることが儒学の眼目と思う」

 

#論語

 

○水曜日の夕方、乗り換え

 

儒学形而上学的な世界が必要なのだろうか、仁徳、忠恕を広げる、実践する、これでこと足りる」

 

朱子学への批判など身の程を遥かに越えている、儒学から派生した哲学であり、世界を述べている」

 

「浅学非才、独学故に、度々迷う、今回も迷っている」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、通勤

 

「子曰く、仁に当たりては、師にも譲らず。衛霊公三十六」

 

「孔夫子はいわれた、仁徳を行うに当たっては、学問の師ですら止められるものではない」

 

「仁徳を行うとは、善いことをする、善いこととは自らを誠にして人思いやる、実践すること」

 

#論語

 

○木曜日の朝、電車内

 

「子が反抗期、頑固親父を酷く嫌う、側にいるだけで嫌う、抱きしめるよ、と脅すと逃げた」

 

「幼子の頃は、抱っこ抱っこと可愛いかったが、昨今は身長も並ぶ」

 

「子は親離れしている、喜ぶべきことながら、親バカとしては少し寂しい、子離れの時来たれり」

 

#三行詩

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○木曜日の朝、構内

 

「上部は黒、耳から下は茶に染め長髪をポニーテールにしている男性あり、意図が理解らない」

 

「人の良いお爺さんから停車駅を聞かれた、ありがとう、といって手を振って去られた」

 

「今日の車掌さんは長身黒メガネだ、黒メガネの印象しか残らない、本体はこちらと思う」

 

#三行詩

 

○木曜日の夕方、乗り換え

 

大義を唄う、人に強制する人は好きになれない、大義とは自ら思い行うものであるべきだ」

 

「自分は、自分たちは資産家だし一番安全なところにいる、さあ大義の為に民よ働け、税を納めろ(いつまでも)」

 

「最近、義、正しさについて、否定的感情を抱く自分がいる」

 

#三行詩

 

○木曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、君子は貞にして諒ならず。衛霊公三十七」

 

「孔夫子はいわれた、君子とは、思い行いに正しき(義)を旨とするが、小さな正しさ(小義)に拘り、全体での正しさ(大義)を蔑ろにすることはない」

 

「君子とは、馬鹿正直ではないし、お人好しでもない。自らを誠にして人を思いやり(仁)、民に率先して規律・規範(礼)を示し、自らの悪を憎み省みて(義)、天下の大義を知る(智)が故に、君子は正しきを旨として思い行えるのだ」

 

#論語

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○金曜日の朝、通勤

 

「子曰く、君に事えては、その事を敬してその食を後にす。衛霊公三十八」

 

「孔夫子はいわれた、君主に仕えるとは、誠を以て信に応えることが大切であり、俸給はその後のことで良い」

 

「誠を以て仕事に取り組み結果を残せば、俸給の是非を述べることも出来ようし、職責、位に応じた俸給は与えられるものだ」

 

#論語

 

○金曜日の朝、車内

 

「老紳士、白い無地のバケット帽子に黒字で般若心経のプリント、興味深い、目を引く」

 

小泉八雲耳なし芳一、平家の亡霊、前九年・後三年の役へと思いがいく」

 

「夏草や兵どもが夢の跡、まで思考が飛び、最終的には草という草は無い筈だと、妙なところへ落ち着いた」

 

#三行詩

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○金曜日の午前、一休み

 

大義とは何か、海外で税金をバラまき、米国から高額な兵器を買うことか」

 

法人税は引き下げるが(中小企業より大企業のほうが税制は軽い)、国民には増税を」

 

「実子を重職(辞職)へ、公邸で一族と宴会をする、権力者と金持ちの正義が国の大義と化している、已んぬる哉」

 

#三行詩

 

○金曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、教え有りて類無し。衛霊公三十九」

 

「孔夫子はいわれた、人とは教育により人となりが形づくものだ、生まれついた土地や家柄、身分に左右されはしない」

 

「自ら何を学びたいと思い、実践するかがその人となりであり、学ぶ、実践することにより人は(いつでも)自ら望む自分になれる、そう信じている」

 

#論語

 

○土曜日の午前、電車内

 

「子曰く、道同じからざれば、相為に謀らず。衛霊公四十」

 

「孔夫子はいわれた、志しが異なる人と腹を割って話しても得るところは少ない」

 

「相手に誠がないのに、どうして共に歩めようか。人を思いやれない人と、どうして同じ時間を過ごせようか」

 

#論語

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○土曜日の午後、知留久さん

 

「お昼は串かつを、久しぶりだがとても美味しい」

 

「昔は、梅田阪急百貨店8階に店があり、亡父がよく連れていってくれた」

 

「子、とても美味しかったと、また連れていこう」

 

#三行詩

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○土曜日の夜、電車内

 

「終日、梅田の書店巡り終わる、有意義な一日であった」

 

「夜、いつもの焼き鳥屋さんで家族と軽く呑む、食べる、満足なり」

 

「結局、チャート式新世界史、同日本史、徳間書店『中国の思想Ⅺ左伝』を購入する、こういうのが読みたかった」

 

#三行詩

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所感)

■学問の道

齢五十になってから学問の道を志す。

もはや遅すぎる気がして先達に問う。

曰く、仁徳の道に年齢はなく、果てしなく深く広い仁徳を学ぶににどうして年齢が関係ありましょうか。

 

それから二年、継続して学んでいる。

 

色々あり独学を選び、故に日々迷う、非才故にさらに迷う。

しかし、仁徳の道とは論語を学ぶ、考える、実践する、そして迷うことにより孔夫子との位置が近づく、本気でそう思っている。

 

■日曜日の夜

今日は梅田の大規模書店を巡る。

妻は私以上に本好きで、大型書店でじっくりと沈没するのが大好きな人だし、子は子で趣味のペン回し用の素材(スタビロなんとか)発見書の為の書店巡りで忙しい。

 

旭屋書店本店とか、ブックファースト梅田店とか、かつてあった味のある書店さんが次々と閉店し、寂しいばかりながらも、まだ楽しい。

 

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