○日曜日の午後、7月9日、自宅
「子曰く、辞は達するのみ。衛霊公四十一」
「孔夫子はいわれた、言葉とは、飾ること無く内容を正しく伝えることを心掛けること」
「仁徳とは実践あるのみ、自らを賛美する人の何処に仁徳があろうか」
#論語
○日曜日の午後、ウオーキング
「雨あがる、森を歩いている、休日に汗をかかないと明日の肌が困る」
「エアコンをつけ食べては寝る幸せ、結論、太るということらしい」
「子が勉強から逃げている、小言を言っても取り付く島もない」
#三行詩
○日曜日の夕方、森
「大降りの雨、雨宿りのち、雲が晴れて夕日が見えた、緑の中に包まれている」
「薄靄がかかる森を、今しばらく歩く」
「先ほどの大雨で誰もいなくなった森を満喫している、深呼吸して家路についた」
#三行詩
○月曜日の朝、通勤
「師冕見ゆ。階に及べり。子曰く、階なり。席に及べり。子曰く、席なり。皆坐す。子これに告げて曰く、某は斯に在り。某は斯に在り。師冕出ず。子張問いて曰く、師と言うの道か。子曰く、然り。固より師を相くるの道なり。衛霊公四十二」
「盲目の楽師である冕、孔夫子に謁見する。孔夫子は冕にいわれた、階段の前では、前に階段です、席の前では、ここが席です。一同の座席が決まると、誰々はここに座り、誰々はここに座っています。」
「楽師の冕が退室してのち子張が問う、孔夫子の先ほどのお言葉は、盲目の楽士に対する礼ですか。孔夫子はいわれた、その通り。これが楽師を助ける場合の作法なのだ」
#論語
○月曜日の朝、乗り換え
「寝不足、山川世界史と日本史を交互に読んでいたら時間を忘れた」
「イスラーム世界のところでいつも詰まる、よく理解らない」
「山川日本史は良いものだ、繰り返し読んでいる、歴史は面白い」
#三行詩
○月曜日の朝、電車内
「クーラーの効きが悪い、車内に漂う体臭と香水その他の臭いに顔を少し歪ませた」
「先日、梅田に行くが、子が臭いで苦しんでいた、鼻が利くのは遺伝らしい」
「対策を問われる、加齢臭を出すまで生きれば、余り気にならなくなるよと答えた、暗然とする子」
#三行詩
○月曜日の夕方、通勤
「季氏、将に顓臾を伐たんとす。冉有・季路、孔子に見えて曰わく、季氏、将に顓臾に事あらんとす。孔子の曰わく、求よ、乃ち爾是れ過てること無からんや。夫れ顓臾は、昔者先王以て東蒙の主と為し、且つ邦域の中に在り。是れ社稷の臣なり。何を以てか伐つことを為さん。季氏一」
「家老の季氏、魯の属国である顓臾を討伐しようと欲す。季氏に仕える冉有と子路、孔夫子にいう、季氏が顓臾に戦争を仕掛けるようです。」
「孔夫子はいわれた、冉有よ、間違っている。顓臾は、昔、魯の東蒙山で行う祭祀の主催者として先王が決められ、かつ魯の属国であり、魯の譜代の家来ではないか。どうしてこれを討伐する必要があろうか」
#論語
○火曜日の朝、通勤
「冉有が曰わく、夫の子これを欲す。吾れ二臣は皆な欲せざるなり。孔子の曰わく、 求よ、周任に言あり曰わく、力を陳べて列に就き、能わざれば止むと。危うくして持せず、顛って扶けずんば、則ち将た焉んぞ彼の相を用いん。且つ爾の言は過てり。季氏一」
「冉有はいう、家老の季氏が顓臾の領知を欲しているのであり、冉有と季路は欲していません。孔夫子はいわれた、冉有よ、古の記録官、周任の言葉に、職務とは全力で取り組み、自らの言が用いられないなら職を辞すとある。」
「仕える君主の危ういところを支えず、傾いているのに助けない。例えば、盲人を助け手引きする人が、そのようであれば、仕えるのに何の意味があろうか」
#論語
○火曜日の朝、乗り換え
「寝不足、山川日本史Bが面白い、犬公方綱吉は、評価が変わり、家康・家光・綱吉トップ3入りとか」
「江戸時代が面白い、儒学に基づく改革と失敗、興味深い」
「リアル天下泰平への試行錯誤は、日本の近世にあり、儒学を学び、歴史がとても面白くなった」
#三行詩
○火曜日の朝、電車内
「湿気と暑さに肌がついていけず苦しい、眠気、犬のように舌を出して呼吸してみた」
「アトピー肌は、中々汗をかかない、喉は渇くが水分過多は肌をクラッシュさせる」
「二進も三進も行かず、かといってクーラー部屋に籠もれば、ますます肌が汗をかかない」
#三行詩
○火曜日の夕方、乗り換え
「一律ベースアップがあるらしい、と聞き及ぶ、有り難いことかな」
「日常品の値上げラッシュ、スーパーの買い物でこれまで千円くらいだったのが二千円に近くなるばかり」
「家族を養う、子供を育てている、まだまだ頑張らねばならない」
#三行詩
○火曜日の夜、自宅
「アマプラMでカラヤン指揮集を聴いていた、いずれも一流の音楽だが、超一流には敵わない」
「と、若い頃によく読んだレコ芸批評のようなことを思いながら微睡む」
「Kさんから着信あり、間違い電話とか、近況と月末に予定している呑み会の話しをする、さあ寝よう」
#三行詩
○水曜日の朝、通勤
「孔子の曰わく、求よ、君子は夫のこれを欲すと曰うを舎いて必らずこれが辞を為すことを疾む。丘や聞く、国を有ち家を有つ者は寡なきを患えずして均しからざるを患え、貧しきを患えずして安からざるを患うと。季子一」
「孔夫子はいわれた、冉有よ、君子とは、自らの私利私欲を取り繕って言葉を飾る者を憎む。丘はこう聞いている。国家を保ち、家を保つ者とは民の少ないことを憂えず、扱いが不公平であることを憂え、貧しきことを憂えず民の心が安らがないことを憂うと」
「心が正しければ行いも正しくなる。冉有は孔夫子の教えに反することを知りながら、仕える家老の為に戦争を止めようとしていない。何が正しく、何が正しくないのか、孔夫子の弟子ですら迷うのがこの世の中らしい」
#論語
○水曜日の朝、乗り換え
「知人で資産家の方がいる、この人はあちこちで我を通す、喧嘩が多い」
「捨て台詞は辞めてやるだった、退職されたのちも、周囲と諍いばかり」
「お金がその人になっている、省みれば自分は何だろう、まだまだ私利私欲が多い、もっと学問の道に励まねば」
#三行詩
○水曜日の夕方、通勤
「蓋し均しければ貧しきこと無く、和すれば寡なきこと無く、安ければ傾くこと無し。夫れ是くの如し、故に遠人服せざれば則ち文徳を修めて以てこれを来たし、既にこれを来たせば則ちこれを安んず。季氏一」
「思うに、富が公平ならば民は貧しいとは思うまいし、お互いに譲り合えば何か足らないと思うこともなく、民の心が安らかであれば国が傾き、滅ぶことはないものだ。」
「故に、遠くの民が従わないのであれば、兵を用いて武力で強制するのではなく、自らの礼節と仁徳を修めて、教化によって従うようにすべきであるし、すでに従っているのであれば、さらに民の心が安らぐではないか」
#三行詩
○水曜日の夜、自宅
「本日、子の三者面談、日は暮れて晩飯をどうするか家族会議を開く」
「ソーメンをつくると主張する父、松屋の牛丼を望む子、料理したくない妻、三竦みで睨みあう」
「父の料理のセンスが皆無なのは認める、しかし、ソーメンを嫌がる妻子に問う、茹でるだけではないか」
#三行詩
○木曜日の朝、通勤
「今、由と求とは夫の子を相け、遠人服せざれども来たすこと能はず、邦分崩離析すれども守ること能わず、而して干戈を邦内に動かさんことを謀る。吾れ恐る、季孫の憂いは顓臾に在らずして蕭牆の内に在らんことを。季氏一」
「今、冉有と季路は、家老の季子に仕えながら、従わない遠くの民を教化することが出来ず、国が内から分散しているのに守ることも出来ず、そればかりか国内に戦争を起こそうとしている。我は思う。季氏の心配しなければならぬことは顓臾ではなく、自らの立場ではないか」
「仁徳により思い行わねば、結局は私利私欲が横行する弱肉強食、戦争の世界となる。孔夫子が亡くなられた後、二千五百年を経ても変わらない。故に論語を学ぶ、実践する人を増やす、広げることが大切である。科学の発達により全生物が滅ぶボタンを権力者が得た今、最後の分岐点に来ているのではないか」
#論語
○木曜日の朝、乗り換え
「連日の暑さと、あと一日で三連休を迎えるせいか、酷く疲れている」
「眠たくて仕方がない、白髮も増えた気がする、無理はやめよう」
「普段は座らないが、今日は座る、眠たくて意識が夢の世界へ飛んだ」
#三行詩
○木曜日の夕方、通勤
「孔子曰く、天下道有れば、則ち礼楽征伐、天子より出ず。天下道なければ、則ち礼楽征伐、諸侯より出ず。諸侯より出ずれば、蓋し十世にして失なわざること希なり。大夫より出ずれば、五世にして失なわざること希なり。陪臣国命を執れば、三世にして失なわざること希なり。天下道有れば、則ち政は大夫に在らず。天下道あれば、則ち庶人は議せず。季氏二」
「孔夫子はいわれた、天下に正しき道が行われていれば、礼楽(政治)・征伐(軍事)を行う実権は天子が持つ。天下に正しい道が行われなければ、礼楽(政治)・征伐(軍事)を行う権限は諸侯が奪う。諸侯が権限を持てば、十代後に権限を失わないものは稀である。」
「次に大夫がこの権限を奪えば、五代後にこの権限を失わないものは稀である。さらに陪臣がこの権限を奪えば、三代後にこの権限を失わないものは稀である。そもそも天下に仁徳で基づいた正しい道が行われていれば、大夫が政治の実権を握ることもなく、民が政治を批判することもないのだ」
#論語
○木曜日の夕方、乗り換え
「ベートーヴェンの交響曲が脳裏で流れている、しかし何番の何楽章かが出ない」
「車窓から見る雨の大都会を眺めながら、妙に曲と合う、頭の中で曲を追っている」
「今週は疲れたらしい、あと一日で三連休だ、さっさと家に帰ろう」
#三行詩
○金曜日の朝、通勤
「孔子曰く、禄の公室を去ること五世なり。政の大夫に逮ぶこと四世なり。故に夫の三桓の子孫は微なり。季氏三」
「孔夫子はいわれた、俸禄を与える権限が魯の公室を離れてから、五代の時が流れた。政権が大夫の手に渡ってから、四代の時が流れた。あの孟孫・叔孫・季孫の三桓の子孫も今や衰えたものではないか」
「世の中では仁徳が軽んじられる一方であり、魯の君主から実権を奪った三家老も実権は陪臣に奪われつつある。仁徳に基づかねば何事も続かない、弱肉強食の果てに何が待つのか、孔夫子は暗然とされている」
#論語
○金曜日の朝、電車内
「チャート式新世界史・新日本史が興味深い、受験用ではあるが、むしろ趣味人向けの内容が多い」
「山川は山川で王道を歩む、チャート式は山川とは異なる視点で独自感を出して成功している」
「三連休、じっくりと読書三昧といこう、あと、徳間書店の左氏も面白い」
#三行詩
○金曜日の朝、乗り換え
「週末、疲労困憊して通勤電車で座れれば少しでも寝る」
「顔から表情がなくなり、言葉なく能面のように座る乗客たち」
「あゝなるほど、この仮面だ、というかただ疲れている、何も考えていない」
#三行詩
○金曜日の夕方、通勤
「孔子曰く、益者三友。直きを友とし、諒を友とし、多聞を友とするは益なり。便辟を友とし、善柔を友とし、便佞を友とするは損なり。季氏四」
「孔夫子いわれた、良き友とは、直言があり、誠の心で接し、博学である。悪き友とは、外面が良く、その場限りで、口先がうまいものである」
「良き友を得るには、まず自らの行いが真っ直ぐであるか、心に公正無私の誠があるか、学問の道を日々歩んでいるのか、省みる、改める、実践する。自らを良き友とせず、人の悪きことを誹謗、中傷、罵詈雑言するのが悪き友であり、小人という」
#論語
○金曜日の夜、自宅
「アマプラMでベートーヴェン集を流しながら、書斎にて、じっくりと本に向き合う」
「好きな音楽を聴いて、好きな本を読む、何と幸せなことかな」
「今宵は佐伝を、平凡社の春秋左氏伝を参照しながら読み沈もうと思う」
#三行詩
○金曜日の夜、自宅
「音は悪い、1943年録音、しかし、耳をすませば明快なり、ベートーヴェン交響曲7番の真の演奏だと思う」
「鼻歌で唄えるか、ここが自分なりのポイントだ」
「フルトエングラー指揮ベルリンフィル、ベートーヴェン交響曲7番、名盤としてカルロス・クライバー盤を推す人が多い。しかし、間の取り方に差がある、クライバーは超天才だが、フルトエングラーは時代を背負い、中正を得ている、微塵も揺るぐことなき見事な演奏だ」
#三行詩
Beethoven - Symphony n°7 - Berlin / Furtwängler 1943 - YouTube
○土曜日の午後、自宅
「孔子曰く、益者三楽、損者三楽。礼楽を節することを楽しみ、人の善を道うことを楽しみ、賢友多きを楽しむは、益なり。驕楽を楽しみ、佚遊を楽しみ、宴楽を楽しむは、損なり。季氏五」
「孔夫子はいわれた、楽しみには益、不益になるものがある。礼儀と節度を保つ楽しみ、人の仁徳を広げる楽しみ、賢明な友を多く持つ楽しみ、いずれも益である。一方、驕りたかぶる楽しみ、遊び呆ける楽しみ、酒食宴会に耽る楽しみ、いずれも不益である」
「目、耳、鼻、口、腹の求めるものを追いかける、過ぎると人にとって不益となる。真の楽しみとは私利私欲を満足させることではなく、仁徳を充足する、広げることだと孔夫子は述べられた」
#論語
○土曜日の午後、自宅
「疲労困憊、故に終日アマプラMでベルリンフィル集を聴きながら寝る」
「少し用事で外に出る、恰も火星を感じさせる様な猛暑、暑すぎる」
「眠気も取れたので、読書する、エアコンを効かし扇風機をかけ快適なり」
#三行詩
所感)
■土曜日の夜
妻は今日も仕事、夕食は家族とサイゼリヤへ。
のち駅前の書店へ。
帝国書院、新詳地理資料を購入する。
とても興味深い。歴史とは視点が異なるデーターの積み重ねの世界が見える。