四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第八十二章(顔淵第十二)

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○日曜日の午前、4月9日、自宅

 

子路問う、聞くままにこれ行わんか。子曰く、父兄在す有り、如何ぞ、それ聞くままにこれ行わんや。冉有問う、聞くままにこれ行わんか。子曰く、聞くままにこれ行え。公西華曰く、由が聞くままにこれ行わんかと問えるとき、子は父兄在す有りと曰えり。求が聞くままにこれ行わんかと問えるとき、子は聞くままにこれ行えと曰う。赤や惑う。敢えて問う。子曰く、求や退く、故にこれを進む。由や人を兼ねんとす、故にこれを退く。先進二十一」

 

子路が問う、善いことを聞いたら直ぐに行うべきですか。孔夫子はいわれた、父母を心配させてはいけない、どうして直ぐに行えようか。次に冉求が問う、善いことを聞いたら直ぐに行うべきですか。孔夫子はいわれた、善いことを聞いたら直ぐに行うことだ」

 

「公西華が問う、子路と有冉は同じ質問をしましたがお答えが違います。どうしてですか。孔夫子はいわれた、冉有は引っ込み思案だし、子路は猪突猛進だからさ」

 

#三行詩 #論語

 

○日曜日の午前、選挙

 

「人は何の為に生きるか、そもそも自らが何ものか知らない」

 

「他人を鏡として生きている、挙げ句に生きる意味を問う、無理ゲーだ」

 

「他人は何の為に行きているのか、明確だ、自分さえ良ければ幸せなのだ」

 

#三行詩

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「自分さえ良ければ幸せな人たちの世界で自らが何ものかを問う」

 

「何故問うのか、人の本来の姿とは美しく尊厳に満ちた存在ではないのか」

 

「故に、省みるところは他人ではなく自らにある、本来の姿を問うのだ」

 

#三行詩

 

「本来の姿をあちこちに求める人がいる、そして何ものにも成れない」

 

「一つで貫くこと、天を畏敬しつつ忠恕、自らを誠にして人を思いやること」

 

「全ての理は明らかにはならず、混沌とした世の中は変わらない、変わるのは世の中ではなく自らの内面だ」

 

#三行詩

 

「人の器量の完成とは、それぞれの天命の内にある、私たちは聖人にはなれない」

 

「しかし、学問の道を歩む、積み重ねることにより私たちは仁の人になれる」

 

「顔淵・閔子騫冉伯牛・仲弓・宰我・子貢・冉有・季路・子游・子夏、それぞれの仁があり、人生がある」

 

#三行詩

 

「人は何の為に生きるか、常に学ぶ為に生きている」

 

「本来の道とは、父母から受けた愛情を周囲へと広げることにある」

 

「忠恕、自らを誠にして人を思いやること、人とはこういう生き物であるべきだ」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、通勤

 

「子、匡に畏わる。顔淵後る。子曰く、吾汝を以て死せりと為せり。曰く、子在す、回敢えて何ぞ死せん。先進二十三」

 

「全国を外遊中の孔夫子と弟子たちは衛の国の匡という土地で、匪賊に襲われ散り散りとなり、後に顔回が遅くれて戻った。孔夫子はいわれた、私はお前の身に何かあったのかと心配していたところだ。顔回はいう、孔夫子が生きておられるのに、私がどうして死ぬことがありましょうか」

 

「孔夫子の外遊が文字通り命懸けであったことと、師弟のお互いを思う気持ち、絆が伝わってくる」

 

#三行詩 #論語

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

「子供の頃に飼っていた犬が夢にあらわれた、嬉しそうに飛び掛かってきた、懐かしい匂い」

 

「血圧高め、子、今日の始業式の為に昨夜は豆腐メンタルが動揺していた」

 

文豪ストレイドッグスというアニメを観ていた、気晴らしになる、ラヴクラフトって最強では」

 

#三行詩

 

○月曜日の夕方、通勤

 

「季子然問う、仲由と冉求とは大臣と謂うべきか。子曰く、吾子を以て異なるをこれ問うと為せり。曾ち由と求とをこれ問えるか。所謂大臣なる者は道を以て君に事え、不可なれば則ち止む。今、由と求とは具臣と謂うべし。曰く、然らば則ちこれに従う者か。子曰く、父と君とを弑せんとすれば亦従わざるべし」先進二十四」

 

「魯の家老、季平子の子、季子然が問う。季平子に仕える孔夫子の弟子である子路と冉求は大臣の器といえましょうか。陪臣にすぎない立場で国の大臣を任命するかのような態度に傲慢さを感じた孔夫子はいわれた、何か特別のことをお尋ねかと思いましたが、子路と冉求についてですか。そもそも国を支える大臣とは、道に従い君主に仕え、君主が道から外れれば諫止し、その意見が採用されねば辞職するものです。省みれば子路と冉求は君主の側に控えるくらいが関の山です。季子然は問う、側に控えるくらいが関の山の者なら、父の季平子の命に何でも從う者なのですか。孔夫子はいわれた、実の父と君主を暗殺せよとの命に従うことはない、くらいの者です」

 

「孔夫子は明らかに不愉快だ、魯の君主を蔑ろにする家老の息子までが、愛弟子を国の大臣に任命すればどうかと孔夫子に問う。当然ながら子路と冉求はこき下ろされた。孔夫子は、このような傲慢不遜な輩が大嫌いなのだ」

 

#三行詩 #論語

 

○月曜日の夜、自宅

 

「二千五百年間、人の書斎なる場所に在り続けている論語なる本がある」

 

「巨大な城壁のようでもあり、桜吹雪に舞う花びらのような感じもする」

 

「やはり圧がある、ゴゴゴゴゴと擬音を生じながら本棚の一番良い位置に今日も居る」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、通勤

 

子路、子羔をして費の宰たらしむ。子曰く、夫の人の子を賊なわん。子路曰く、民人あり、社稷あり、何ぞ必ずしも書を読みて、然して後、学びたりと為さん。子曰く、是の故に夫の佞者を悪む。先進二十五」

 

「季氏に仕える子路が、後輩の子羔を要地である費の城主として仕官させた。孔夫子はいわれた、学問の浅い子羔では無理がある。子路がいう、費には民がいて、祭祀を行う社もあります。民を治め、社の祭祀も行わずに書を読むだけで学問の道といえるでしょうか。」

 

「孔夫子はいわれた、私はこのような口達者の者を不快に思う」

 

#三行詩 #論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「昨夜、万葉集を開いた、恋の歌にときめかない、この歳で恋はきつい」

 

「次に古今和歌集を開いた、少し心に響くも和歌は難しいなと思う」

 

「最後に今昔物語を開いた、興味深い、時間が足らない、寝不足だ」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、電車内

 

「デカ頭の人が降車中の人を押し退けて頭から車内へ入っていった、一人席に座っている」

 

「くしゃみが止まらないサラリーマン、リズム感に乏しい、そもそも笑いが足らない」

 

「車掌さんの井上さんの落ち着いたアナウンスを聞く、間だ、間、職場で真似してみよう」

 

#三行詩

 

○火曜日の夕方、通勤

 

「顔淵、仁を問う。子曰く、己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば天下仁に帰す。仁を為すは己に由る、而うして人に由らんや。顔淵曰く、請う、その目を問わん。子曰く、礼に非ざれば視ること勿れ、礼に非ざれば聴くこと勿れ、礼に非ざれば言うこと勿れ、礼に非ざれば動くこと勿れ。顔淵曰く、回、不敏と雖も、請う、斯の語を事とせん。顔淵一」

 

「高弟の顔回が仁について問う。孔夫子はいわれた、自らに克ち、礼に帰することが仁といえる。たとえ一日でも自らに克ち、礼に帰することが出来れば、天下の民はその仁徳に帰するであろう。仁の実践とは、自らの努力に帰するものであり、他人に仁を実践させるものでは決してない。」

 

顔回がさらに問う。仁徳の実践について教えてください。孔夫子はいわれた、礼に外れていれば見ない、聴かない、云わない、行わないこと。顔回はいう、私は愚かですが、孔夫子からいただいた今の言葉を、一生を懸けて実践していきます」

 

#三行詩 #論語

 

○火曜日の夕方、乗り換え

 

論語、先進篇二十六の意訳は長文の為、ブログにて」

 

「回らない寿司が食べたい、家族に内緒で一人食べて帰ろうか」

 

「子の顔が浮かぶ、帰ろう家へ、土曜日にスシローでも行こう」

 

#三行詩

 

○火曜日の夜、自宅

 

子路・曾皙・冉有・公西華、侍坐す。子曰く、吾、一日爾に長ぜるを以て、吾を以てすることなかれ。居れば則ち曰く、吾を知らずと。如し爾を知るもの或らば則ち何を以てせんや。子路、率爾として対えて曰く、千乗の国、大国の間に摂して、これに加うるに師旅を以てし、これに因るに飢饉を以てせんに、由やこれを為めて三年に及ぶ比、勇あり且つ方を知らしむべきなり。夫子これを哂う。求よ爾は何如。対えて曰く、方六七十、如しくは五六十、求やこれを為めて三年に及ぶ比、民を足らしむべきなり。その礼楽の如きは以て君子に俟たん。赤よ爾は何如。対えて曰く、これを能くすと曰うには非ず。願わくは学ばん。宗廟の事、如しくは会同のとき、端章甫して、願わくは小相たらん。点よ爾は何如。瑟を鼓くことを希め、鏗爾として瑟を舎きて作ち、対えて曰く、三子者の撰に異なり。子曰く、何ぞ傷まん、亦各その志を言うなり。曰く、暮春には春服既に成り、冠者五六人・童子六七人を得て、沂に浴し、舞樗に風し、詠じて帰らん。夫子、喟然として歎じて曰く、吾は点に与せん。三子者出ず。曾皙後る。曾皙曰く、夫の三子者の言は何如。子曰く、亦各その志を言えるのみ。曰く、夫子何ぞ由を哂えるか。子曰く、国を為むるには礼を以てす、その言譲ならず。是の故にこれを哂えり。求と唯も則ち邦に非ずや、安んぞ方六七十如しくは五六十にして邦に非ざるものを見ん。赤と唯も則ち邦に非ずや、宗廟と会同とは諸侯に非ずして如何。赤これが小相たらば、孰か能くこれが大相と為らん。先進二十六」

 

「弟子の子路・曾皙・冉有・公西華が孔夫子の近くに控えている。孔夫子はいわれた、私は学問の道に於いて一日の長があるかも知れない、試みに今日は気兼ねなく答えよう。お前たちは常に自分たちは世の中や君主にに評価されないという。もし、世の中や君主に認められたら、どういったことを行うのか述べてみなさい。」

 

「最初に弟子の子路が慌しく立ち上がりものをいう、千台の戦車を持つ国が、それ以上に戦車を持つ大国から侵略を受け、さらに飢饉に襲われたとしても、私がその国の政を三年行えばその国は勇猛で且つ道理を備えた民ばかりになるでしょう。孔夫子は微笑され、冉求にお前はどうかと問われた。冉求はいう、私は、七十里か、六十里の国の政を行います。私が政を行い三年も経てば民は満足を知るでしょう。礼と楽による統治については、他の有徳の君子の力を借ります。次に孔夫子は公西華にお前はどうかと問われた。公西華はいう、今から述べることは、確実に行える自信はありませんが、私はその為に学問を深めています。先祖の宗廟や祭祀、他国の君主との会合にて、玄端の衣服をまとい、章甫の冠を被り、儀礼の進行を司る、国を代表する外交官に私はなっているでしょう。次に孔夫子は曾皙にお前はどうかと問われた。この会話に入らず、ただ琴を弾いていた曾皙は、琴を鳴らしてから下座に移りいう、私は三人とは考えが違いますので、いうことはありません。孔夫子はいわれた、他の弟子と意見が異なることを気にする必要はない。それぞれの志について語っているだけだ。曾皙はいう、暮春に、春に着る晴れ着がすっかり仕上がって、冠をかぶった大人の従者五、六人、子どもの従者六、七人を引き連れて、沂水で水浴びをし、雨乞い台で舞を舞わせて、歌を歌いながら帰りたいと思います。孔夫子はそれを聴いて、曾皙は私に近いな、といわれた。のち三人が退席し、曾皙が最後になったので孔夫子に問う、三人の志についてお聞かせ下さい。孔夫子はいわれた、それぞれの志を忌憚なく述べたいるだけだ。曾皙がさらに問う、孔夫子はなぜ、子路の言葉に微笑まれたのですか。孔夫子はいわれた、国を治めるには礼に基づかねばならないが、子路には謙譲の心欠けていた故に子路らしいと笑ったのだ。冉有は、七十里か、六十里の小国というが、いずれも大小あれど国には変わらない。公西華も小国といえど国を相手にしているのだ。宗廟の祭祀や外国の君主との会合が諸侯の仕事でないとしたら、国の政はなんだというのか。仮に公西華が儀礼の進行だけを担当する小相になるのなら、儀式全体を監督する大相には誰がなるというのか」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、通勤

 

「仲弓、仁を問う。子曰く、門を出でては大賓を見るが如くし、民を使うには大祭に承うるが如くす。己の欲せざるところ人に施す勿れ。邦に在りても怨み無く、家に在りても怨み無し。仲弓曰く、雍、不敏と雖も、請う、斯の語を事とせん。顔淵二」

 

「仲弓が仁について問う。孔夫子はいわれた、門を出て人を迎えるには、大切な国賓を迎えるように、民を使役するには、宗廟の大祭を勤めるように厳かに行う。自分がされたくないことを、他人にしてはいけない。」

 

「そうなれば、国に仕えても人に恨まれることはなく、家にいても人から恨まれることはない。仲弓はいう、私は愚かですが、孔夫子からいただいた言葉を実践していきます」

 

#三行詩 #論語

 

○水曜日の朝、電車内

 

「今日は黄砂デーらしい、アトピー持ちには鬼門だ、事務所に籠もろう」

 

「寝る前の今昔物語が楽しい、今は昔、から毎回始まるのもいい」

 

「二十数年前、東通りの古本屋さんで全巻購入した、そろそろ読もう」

 

#三行詩

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○水曜日の朝、乗り換え

 

「空いた席に座ったら数秒で眠け、朝早いのは好きではない」

 

「トイレの大が二箇所故障中、もはや死活問題では、マナーが悪すぎる」

 

「最近、治安が悪化し鋭い目つきの人が多くなった、鏡にも映っていた」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、構内

 

「久方ぶりに仕事が出来る雰囲気を身に纒った人を見る」

 

「長身、痩せ型、背広が似合う、ルパン三世歩きで飄々と改札に向っていた」

 

「顔には微かに笑み、一身から仕事を楽しんでいる香りを放っている」

 

#三行詩

 

○水曜日の夕方、通勤

 

「司馬牛、仁を問う。子曰く、仁者はその言や訒、曰く、その言や訒、これこれを訒と謂うべきか。子曰く、これを為すこと難し。これを言うに訒なることなきを得んや。顔淵三」

 

「弟子の司馬牛が仁を問う。孔夫子はいわれた、仁の人は言葉を慎重にするものだ。司馬牛はさらに問う、言葉が慎重であれば仁といえますか。孔夫子はいわれた、仁を実践するとは困難を伴う。言葉だけが先に進むとは仁の人は決してないものだ」

 

「司馬牛という人はよくわからない。兄の桓魋は孔夫子を襲ったらしい。元は宋の国の名門貴族であったが、兄の失脚に連座し領地を失い、諸国を彷徨ったらしい」

 

#三行詩 #論語

 

○水曜日の夕方、乗り越え

 

「縞模様の服を着た集団を見た、若い女性なので明るい色の縞々だ」

 

「ふと、囚人とシマウマを思う」

 

「縞模様には体温の上昇を防ぎ、防虫効果もあるらしい、なるほどだ」

 

#三行詩

 

○水曜日の夜、自宅

 

文豪ストレイドッグスを気に入っている、現在32話、フランシスが素敵だ」

 

「最近のアニメは良くできている、敵味方、スルメのように噛み締めて味を出す」

 

「少年漫画の王道か、かつての敵は今や味方、面白い、傲慢キャラが実はいい奴だった、いいじゃないか」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、通勤

 

「子張、明を問う。子曰く、浸潤の譖り、膚受の愬え、行われざる、明と謂うべし。浸潤の譖り、膚受の愬え、行われざる、遠しと謂うべし。顔淵六」

 

「子張、智を問う。孔夫子はいわれた、水が布に染みてくる様な陰険な誹謗や、傷口に塩を擦り付ける様な陰湿な中傷に、心が動揺しなければ智といえる」

 

「物ごとを明らかにするとは、心が落ち着いた状態でなければならない。仁を志す者がどうして心を乱されることがあろうか、日々自らの仁を広げる為に学問に励まなければならない」

 

#三行詩 #論語

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

「電車で座ったら意識跳ぶ、終着駅にて目覚めて一瞬、現実も跳ぶ」

 

「これは夢かも知れない、莊子を思い出す、胡蝶の夢か」

 

「次に目が覚めたら、学生時代の本で埋まったワンルームかも知れない」

 

#三行詩

 

○木曜日の夕方、通勤

 

「子貢、政を問う。子曰く、食を足らしめ、兵を足らしめ、民をして信あらしめよ。子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の三者に於いて何をか先にせん。曰く、兵を去れ。曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於いて何をか先にせん。曰く、食を去れ。古より皆死あり、民信なくんば立たず。顔淵七」

 

「弟子の子貢、政について問う。孔夫子はいわれた、政とは食を十分にし、軍を十分にし、民から信用を得ることだ。さらに子貢が問う、食と軍と民の中で最初に諦めることはなんですか。孔夫子はいわれた、軍を諦めることだ。」

 

「さらに子貢は問う、食と民、次に諦めることはなんですか。孔夫子はいわれた、食を諦めることだ。人は最後には皆死ぬものだ。国とは民の信頼がなければ政もならず、国が存続することなど出来ないからだ」

 

#三行詩 #論語

 

○木曜日の夜、自宅

 

「バカはいい、目の前しか見ない、見えない、前しか進まない」

 

「バカについて語ろう、強く逞しく何処か抜けていて、仁と義を尊ぶ」

 

「強さの裏返しとは何か、弱さを認めること、貫けばそれは確固たる強さだ」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、通勤

 

「棘子成曰く、君子は質のみ、何ぞ文を以て為さんや。子貢曰く、惜しいかな夫の子の君子を説くや。駟も舌に及ばず。文は猶質のごとく、質は猶文のごときならば、虎豹の鞹は猶犬羊の郭のごときなり。顔淵八」

 

儒者に批判的な棘子成はいう、君子とは本質が重要であり、礼儀や規範などは必要ではない。」

 

「弟子の子貢はいう、棘子成の言葉は惜しいものだ。四頭立て馬車の速さでも舌禍には敵わない。礼儀や規範も君子の本質なのだ。虎・豹のなめし皮は、美しい毛があるから貴重であり、毛がなければ犬・羊のなめし皮と変わらないではないか」

 

#三行詩 #論語

 

○金曜日の朝、乗り換え

 

「礼儀や規範がなければ動物園の猿山と変わらない、筋肉と牙の世界へようこそ」

 

「確かに儒者とは口煩く礼儀や規律ばかりいう、これは儒者が悪い」

 

「礼儀正しく、規律・規範を自ら実践するのが孔夫子の教えだ、口だけの儒者とは儒ではない」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、電車内

 

「デカ頭の人は列半ばに位置、扉が開くと列を押し退けて突き進む、武将か」

 

「英語で尋ねる女性、凄い訛りのあるブロークン英語で応える車掌さん、慣れた」

 

「今日は金曜日なので元気だし眠けもない、やる気(早く帰る)に満ちている、さっさと終わらせよう」

 

#三行詩

 

 

○金曜日の夕方、通勤

 

「哀公、有若に問いて曰く、年饑えて用足らず、これを如何。有若対えて曰く、盍ぞ徹せざるや。曰く、二たりとも吾猶足らず、これを如何ぞ、それ徹せんや。対えて曰く、百姓足らば、君孰と与にか足らざらん。百姓足らずんば、君孰と与にか足らん。顔淵九」

 

「 魯の君主である哀公、孔夫子の弟子である有若に問う、飢饉で国の財源が逼迫している、どうすればよいか。有若はいう、民からの税率を十分の一に変えてはどうでしょうか。哀公はいう、十分の二でも足らないのにどうして税率を下げれようか。」

 

「有若がいう、君主と民は一つです。民が富めば君主も富み、民が貧しければ君主も貧しいものです。仮に民が足りたとして、君主が足らぬといえますか。また、民が足らぬのに君主は誰と共に足りたというつもりですか。現在の飢饉による国の財政難の根本は、民が弱っていることが原因です。税率を下げることによって、民の力を回復させることこそ、君主が行わなければならない政でしょう」

 

#三行詩 #論語

 

○金曜日の夕方、乗り換え

 

「取り敢えず今週終わる、GWに向けてまた一日進む、疲れた」

 

「家に帰って映画でも観よう」

 

「仕事は前職ブラックより遥かに楽だし好きに動いている、転職万歳だ、少なくとも家族といる時間が増えた」

 

#三行詩

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○土曜日の夕方、自宅

 

「図書館でビジネス系論語本を数冊かりる、読む、面白くない」

 

「目的がなく目標、手段のみ述べている、天下の民を救う大目的があってこその論語だ、小手先過ぎる」

 

「志と誠、思いがないスキル本としての論語とは、無駄な時間を過ごしてしまった」

 

#三行詩

 

「著名な大学教授や高名な実業家が自分の経験値から論語を解釈しても別に良い」

 

「漫然と過去の自慢話しばかりでも構わない」

 

「天下の民を救う、現状を憂う、強い思いがあれば、それも論語だ、論語の軸はここにある」

 

#三行詩

 

○土曜日の夜、自宅

 

「終日雨、静養してアトピーは良くなるも血圧が高止まりでざわざわする」

 

「図書館でかりた本が面白くなかった、ちくま文庫中島敦全集1を読んでいる」

 

「夕方、子は塾の模試へ、体調が悪いと常に断食を迫る妻により、今夜の夕食は夫婦ともに抜きらしい」

 

#三行詩

 

所感)

■金曜日の夜

空前の黄砂の影響か調子が悪い、アトピーが悪化して一部の皮膚が剥けてしまった。

土日は何もしない。

ひたすら寝るつもりだ。

過去のブログを読むと常にアトピーが良くないが、この時期は本当に良くない。

何もしていないに全身の皮膚が剥け、全身から滲出液が溢れ出た十数年前の地獄は御免蒙りたい。

 

■土曜日の夕方

論語から学ぶビジネススキル本とは、やはり私には解せない。

人とは思いだ。

このようなビジネス論語本を何十冊も読むより、吉田松陰先生の書かれた文章を一行でも読み返すほうが、よっぽどビジネススキル向上につながるのではないか。

 

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