四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第八十三章(顔淵第十二)

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○日曜日の朝、4月16日、自宅

 

「子張、徳を崇くし惑いを弁ずることを問う。子曰く、忠信に主しみて義に徒るは、徳を崇くするなり。これを愛するときはその生を欲し、これを悪むときはその死を欲す。既にその生を欲して、またその死を欲するは、これ惑いなり。顔淵十」

 

「弟子の子張はいう、自らの徳を高くし、自らの迷いから離れるにはどうすればいいのですか。孔夫子はいわれた、自らを誠とし人からの信頼を大切にすること。そして中庸の立場から義の道を実践する、貫き通すことが自らの徳を高くすることだ。」

 

「自らの迷いとは、自らの愛、自らの憎しみの思いから生じる。愛する人は命末長くを願い、片や憎む人は命短けれと呪う。迷いとはなんと恐ろしいことか。中庸の立場から、愛する、憎むを離れること」

 

#三行詩 #論語

 

○日曜日の午前、自宅

 

「タイトルで損をしている、良書だ、ケルト音楽を聴きながら読了する」

 

「イギリスの香りがする、著者陣もその道に優れた人ばかり」

 

ウヰスキーシングルモルトを買いに行こう」

 

『酒場天国イギリス 英国文化を味わい尽くす /中公新書ラクレ刊』

#三行詩

 

○日曜日の午前、自宅

 

「ぷち断食効果が、胸のざわざわは収まるも相変わらず血圧は高止まり」

 

「子からサイゼリヤで食べたいと、また図書館に寄ってから合流の予定」

 

ケルト音楽を聴いている、あらゆる民族音楽とは素晴らしいものだ」

 

#三行詩

 

○日曜日の午後、ウオーキング

 

「子と形意拳の練習、筋トレ、ジョギング、のち別れて森へ」

 

ベートーヴェンピアノソナタ集を聴きながら新緑の中を歩いている」

 

「結局はバックハウスベートーヴェンに戻るらしい、ここには全てがある」

 

#三行詩

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○日曜日の夕方、森

 

「現実の中で朽ち果てていく、進行形の恐怖と諦め、生き物とは悲劇的だ」

 

「小説、音楽、建築、料理、偉大なる人の内なる世界は世に残る、当人たちは、きれいさっぱりと消えたが」

 

「私たちは他人の創り出した記憶の世界の内で生きている、幸いなことだ」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、通勤

 

「斉の景公、政を孔子に問う。孔子対えて曰く、君君たり、臣臣たり、父たり、子子たり。公曰く、善いかな、信に如し君君たらず、臣臣たらず、父父たらず、子子たらずんば、粟ありと雖も、吾豈得て諸を食らわんや。顔淵篇十一」

 

「斉の景公、政について問う。孔夫子はいわれた、君主は君主らしく、家臣は家臣らしく、父は父らしく、子は子らしくあれ、ということです。」

 

「景公はいう、善いことだ。もし、君主が君主ではなく、家臣が家臣ではなく、父が父ではなく、子が子ではない、そんな世界であれば、落ち落ち食事も出来ない」

 

#三行詩 #論語

 

○月曜日の朝、電車内

 

「週末、運動したせいか体調がいい、脳でも心でもなく本体は筋肉かも」

 

「父は父らしくとは耳が痛い、子にとって理想の父ではないが、少なくともそう在りたいと思っている」

 

「週始め、頭が仕事のことに切り替わっていく‥GWまであと2週間か」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

「昨夜、神尾真由子さんのチャイコフスキー・ヴァイオリン協奏曲ニ長調op35をYou Tubeで聴く」

 

「ヴァイオリンのソロが神憑っている、凄い演奏だった」

 

「惹き込まれて、意識が音色と一体化して現実を忘れた、一世一代の名演奏だと思う」

 

#三行詩

 

「世の中で一番好きなヴァイオリン曲は、ブラームス、ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調op102だ」

 

「別に演奏者は問わない、この曲が大好きなので、どんな上手下手でも感動する、楽しめる」

 

「久方ぶりにコンサートホールへ行きたくなった、ググってみるとしよう、自分へのご褒美だ」

 

#三行詩

 

○月曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、片言以て獄えを折むべき者は、それ由か。子路、諾を宿むること無し。顔淵十二」

 

「孔夫子はいわれた、苦しむ民からの訴えを一言のもとに判決し、民を救うのは子路らしい。子路は日頃から剛毅果断に正義を実践する人だ」

 

大岡越前とか、時代劇の勧善懲悪そのままだ、子路とは地でそんな人だったのだろう」

 

#三行詩 #論語

 

○月曜日の夕方、乗り越え

 

「自分さえ良ければいい人にならないこと、出来れば近寄らないこと」

 

「願わくば幸せになってほしい、そして私の周囲3km以内には近付かないでほしい」

 

「お互いが不愉快な思いを抱く不幸な出会いだ、速やかに解決すべきだ」

 

#三行詩

 

○月曜日の夜、自宅

 

エリック・サティの腰の据わったピアノ曲を聴きながら、ポテトチップスコンソメ味大袋を貪り食う」

 

「そして、よく冷えたコカ・コーラを中ジョッキに注ぎごくごく飲む」

 

「次に、ポッキーチョコレート8袋入りを開けて片っ端から食う、間にコーラを飲む、こんな夜だ」

 

#三行詩

 

○月曜日の夜、自宅

 

ベートーヴェンピアノ協奏曲5番ホ短調、ピアノ/ヴィルヘルム・バックハウス

 

「指揮/クレメンス・クラウス、ウイーンフィルハーモニー管弦楽団、1953年録音(モノラル)」

 

ベートーヴェンの演奏とは、古今、かくあらねばならない音がある」

 

https://t.co/DwlQqTAmxc

#三行詩

 

○火曜日の朝、通勤

 

「子曰わく、訟えを聴くは、吾猶人のごときなり。必ずや訟え無からしめんか。顔淵十三」

 

孔夫子はいわれた、裁判官として民からの訴えを聴くのは、私も普通の人と変わるところはない。ただ、この裁判で民が苦しむ原因を根本から無くしたいと思っているだけだ」

 

「視点が何処にあるか、先の句にある子路と比較すると、孔夫子の大きさがよく理解出来る」

 

#三行詩 #論語

 

○火曜日の朝、電車内

 

「昨夜の三体式か筋肉痛が酷い、毎夜、左右各十五分は筋肉を痛めつけている、追加五分も」

 

「なんとなく、左の時に腰が入るようになった、わかる、右は苦手だ」

 

「三体と五行、易経との絡みはどうなのだろうか、形意拳とは身体で行う東洋思想かも知れない」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「昨日の夢で、ひたすら儒学とは何かを述べていた、うまく云えない」

 

「仁徳と礼儀を以って国を、天下を治める為に、忠恕、自らを誠にして人を思いやること」

 

「言葉が多い気もするし、学ぶ、実践するが抜けてもいる、難しい」

 

#三行詩

 

○火曜日の夕方、通勤

 

「子張、政を問う。子曰く、これに居りて倦むことなく、これを行うには忠を以てせよ。顔淵十四」

 

「弟子の子張、政を問う。孔夫子はいわれた、民の幸せを思い、飽くことなく、心を込めて行うことだ」

 

「過ぎたるは及ばざるが如しの、過ぎたる、能力の高い子張に対して、孔夫子は的確に、子張が行わなければならないことを教えられた」

 

#三行詩 #論語

 

○火曜日の夕方、乗り換え

 

「仕事は自らの価値を高めること、二束三文では使い捨てられるだけだ」

 

「世の中、貴方のことに関心は薄く、育てようという人は父母兄姉‥以外は自分しかいない」

 

「自らの領域を少しずつ広げること、短所を無くすより長所を伸ばすべきだ」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、通勤

 

「子曰わく、君子博く文を学びて、これを約するに礼を以てすれば、亦以て畔かざるべし。顔淵十五」

 

「孔夫子はいわれた、君子は、広く学問の道を歩み、何ごとにも礼節に則るものだ。人として道を踏み外すことは決してない」

 

「礼節とは人を尊ぶこと、人としての規範を守ること」

 

#三行詩 #論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

「昨夜、伊藤仁斎先生の語孟字義を読む、老仏を否定する言葉が興味深い」

 

「心とは、孟子の四端にあるとする」

 

「流石に仁斎先生だ、一つで貫き通している、孔夫子、孟子の教えとは底が見えない」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「昨日は仕事をし過ぎた、過ぎたるは慢心を生む、今日はゆっくりしよう」

 

「トイレが行列、並んでいる人と目が合う、切羽詰まった目に妙に共感を感じる」

 

「車掌の伊藤さんは大きな目をしている、一瞬目が合い、肉食動物に睨まれた気がした、急いで下を向く」

 

#三行詩

 

○水曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是に反す。顔淵十六」

 

「孔夫子はいわれた、君子は善いことを好んで行い、悪いことを行わない。小人はこの逆を行う」

 

「善いこととは心から発するものであり、心とは父母から受けた慈しみを根底とし、故に孟子性善説を唱えた」

 

#三行詩 #論語

 

○水曜日の夕方、乗り換え

 

「今朝からずっと忙しい、滝のような冷や汗をかき疲労困憊する」

 

「他所の部署の尻ぬぐいをしていると思ってはいけない、修行だ、忍耐だ」

 

川の流れのように人から人へ、洪水にならぬように、ここで止める」

 

#三行詩

 

○水曜日の夕方、電車内

 

「巨大な思想体系を持ち、孟子に匹敵する荀子の評価が低いのは何故か」

 

「江戸時代、荻生徂徠荀子を高く評価した」

 

「過去、朱子学VS陽明学の闘争の中で存在自体が薄くなり、儒学自体が忘れ去られた現代では見る影もない」

 

#三行詩

 

○水曜日の夜、自宅

 

明治書院荀子(上)を解説の1頁から丁寧に読んでいる」

 

『もし世界に人が唯一人しか存在していなかったら、その人の行動は善でも悪でもない』

 

荀子とは興味深い、こういう考え方をする人だ、本質とは何かを問うている」

 

#三行詩 #荀子

 

「私は孟子原理主義者であるが、荀子は理解出来る、相反しない」

 

「孔夫子の教えを理解するにあたり、孟子荀子は両翼なのかも知れない」

 

「共に人類の幸福を願っていることに変わりない、腰を据えて学ぼうと思う」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、通勤

 

「季康子、政を孔子に問う。孔子対えて曰く、政とは正なり、子帥いるに正を以てすれば、孰か敢えて正しからざらん。顔淵十七」

 

「魯の国の大夫である季康子が政を問う。孔夫子はいわれた、政とは正しいことを自ら行なうことです。国を治める三家老の一人である貴方が先頭に立ち正しいことをすれば、民が正しくならない訳がありません」

 

孟子に登場する舜帝は、善いことを好んで行った。そして仲間と行なうようになった。やがては国中の民が善いことを行なうようになった」

 

#三行詩 #論語

 

○木曜日の朝、電車内

 

「立っていたら強烈な眠け、眠い、空いた席に座る」

 

「昨夜も朝も荀子を読む、礼に帰することこそ君子の道らしい」

 

「礼に非ざれば、まともに相手にする必要はない、見ない、聴かない、近寄らない」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

「社員を使い捨てるブラック企業に礼はなく、歪んだ精神論が横行する」

 

「世界二位の重税を一生払い続けても老後はまともに暮らせない、国に礼があるとは思えない」

 

「富めるものが子々孫々まで富み栄え、貧しき人びとの屍の上で笑っている、彼らに礼があるとでも」

 

#三行詩

 

○木曜日の夕方、通勤

 

「季康子、盗を患えて孔子に問う。孔子対えて曰く、苟しくも子の欲するなくんば、これを賞すと雖も窃まじ。顔淵十八」

 

「 魯の国の大夫である季康子、国に蔓延する盗賊に頭を抱えて解決策を問う。孔夫子はいわれた、上に立つ大夫ご自身が無欲であれば、褒美を与えても盗賊になりたがる者などいなくなるでしょう」

 

「季康子は魯の国の家老でありながら、君主を蔑ろにし、その地位を奪おうとしていた」

 

#三行詩 #論語

 

○木曜日の夕方、乗り換え

 

「人混みに酔う、頭痛がする、暑さに肌が負けて全身に痒み、不愉快な一日」

 

「これだけの人間が自分さえ良ければと思うのであれば、現状は奇跡かも知れない」

 

「こういう時は筋肉に問うのが良い、三体式、筋トレ、ダンベル(5k)、筋肉は裏切らない」

 

#三行詩 #論語

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○木曜日の夜、自宅

 

日課の三体式、左右各十五分、少し気付く、合っているかは知らないが弓矢の様だ」

 

「前に出す手は✔の字にする、これは照準だ、✔の真ん中に目線を合わせる」

 

「後ろの手は前方に向いながらも、実は真下に力を落とす、身体の重心を沈める」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、通勤

 

「季康子、政を孔子に問いて曰く。如し無道を殺して以て有道を就さば何如。孔子対えて曰く、子、政を為すに焉ぞ殺すことを用いん。子、善を欲すれば民善ならん。君子の徳は風なり。小人の徳は草なり。草はこれに風を上うるとき、必ず偃さん。顔淵十九」

 

「家老の季康子、政を問う。犯罪人を片っぱしから処刑し、納税者を褒め称えてはどうだろうか。」

 

「孔夫子はいわれた、政に処刑を用いる必要が何処にありましょうか。国の家老自らが善いことを行えば、民も善いことを行うものです。君子の徳とは風であり、小人の徳は草です。草は風に吹かれればその通りに倒れるものです」

 

#三行詩 #論語

 

○金曜日の朝、乗り換え

 

「隣の人が玉ねぎ甘太郎のキャッチコピーを繰り返し声に出している」

 

「周りの人は席を去っていくが、興味深いので聞いていた」

 

「ググッたがヒットしない、不思議だ、オリジナルなら秀逸といえる」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、電車内

 

「ホームで並んでいたら若い人に、この電車は大阪駅に停まりますかと問われた」

 

「まじまじと顔を見る、焼そば髪だが目つきは普通だ、車掌さんに聞かれた方が良いですよ、と答えた」

 

「ここは大阪駅のはずだ、でなければ遅刻してしまう、今日は奇妙な人が多い、興味深い」

 

#三行詩

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○金曜日の夕方、通勤

 

「子張問う。士、何如なればこれこれを達と謂うべき。子曰く、爾の謂うところの達とは何ぞや。子張対えて曰く、邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ。子曰く、これ聞なり、達に非ざるなり。それ達なる者は、質直にして義を好み、言を察して、色を観、慮りて以て人に下る。邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す。それ聞なる者は色に仁を取りて行いは違い、これに居りて疑わず。邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ」顔淵二十」

 

「子張が問う、君子はどうすれば達といえますか。孔夫子はいわれた、達とは何かいいなさい。子張はいう、国に仕えては名声を得、有力者に仕えては名声を上げることです。孔夫子はいわれた、汝がいっているのは聞であり達ではない。達とは、質朴、真面目であり義を好む。言葉の意味を察し、顔色を観察し、深い思慮をもって他人に謙譲の気遣いを示すことだ。故に、国に仕えても名声に達し、有力者に仕えても名声に達する。」

 

「一方、聞とは、顔色には仁があるように見せているが、行いは仁から外れている。また、自らの仁を疑うことすら出来ない。故に聞の人は、国に仕えても名声を得るだけだし、有力者にに仕えても名声を上げるだけだ」

 

#三行詩 #論語

 

○金曜日の夜、自宅

 

「子、帰宅する、テストで少し解けたと天使の笑顔、抱きしめようとするも逃げられた」

 

蒼天航路360話、無茶苦茶面白い、張飛馬超も、斯くあらねばならない」

 

三国志、いつ、何を読んでも面白い、英雄たちがそれぞれに暴れ回るのだ、この歳ですらワクワクする」

 

#三行詩

 

○土曜日の午後、マクド

 

「子とマクドへ、それぞれ塾の勉強、資格勉強に勤しむ」

 

「気晴らしに平凡社荀子を持ってきら、こちらは読みやすい」

 

「君子も小人も人には変わりない、内の誠へ向かうか、外の栄誉や利益に向かうかだ」

 

#三行詩

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○土曜日の夕方、ウオーキング

 

「冷やっとした風が心地よい、風よ、もっと強く吹くがよい」

 

「帰ったら、公田連太郎先生の周易講話を読もうと思う」

 

孟子荀子、革命と支配、一陰一陽これを道という、結局、儒学とは論語に帰するのだ」

 

#三行詩

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○土曜日の夜、自宅

 

「何ごとにも表裏がある、性善説の裏に革命、性悪説の裏に支配」

 

「そして、孔夫子の教えとは全てを包み込む、仁と義とは優しさだ、天命とは厳しさか」

 

「古の聖王の復活を望むより、自らの徳を広げること、常に学び実践する」

 

#三行詩

 

所感)

■金曜日の夕方

子は塾へ、今月から五教科を。

気合いが足らない気がする。

親の気持ちが伝わっているのだろうか…。

しかし、まあ、中二だ、言うことが全て中二だ。

頑張れ!

思いっきり悩んで、飛び上がれ!!

 

■革命か、支配か、

孟子、告子章句上一四六段

孟子はいう、本性が物にふれて外に現れたもの、それが情であるが、そのごく自然に現れた心情のままに従って行動すれば、人は必ず善をするはずである。(性善説)

仁義礼智とは人がもともと持っているものである。求める求めないか(学ぶこと)により、善悪の開きとなる。

荀子、性悪篇第二十三

荀子はいう、人の生まれながら持っている性は悪くなる傾向を持っている。努力して取得(学ぶ)することにより性は善くなる。(性悪説)

そして、孟子がいう、人が学問をするのは人の性が善だからである、との主張を間違いであると否定する。

 

どちらも、一生涯をかけて学ぶ、学問の道によって人は善くなることを述べている。

(孟子は、他の主張[四端、仁義、天命、民本主義、浩然の気]も、性善説で一貫している。)

結局、孟子から易姓革命の正当性がとられ歴代王朝の革命思想へと、荀子の弟子たちから法家思想が大成し、始皇帝による秦の統一へとつながる。

 

性善説=易姓革命 VS 性悪説=法家思想による国家支配』

 

やはり、孟子儒学の武、荒々しき思想なのだ。

圧政に苦しむ民の為に立ち上がる、今、現代でも革命の思想的拠り所となっている。

一方、荀子は礼による規律正しき世界、国家支配の為の統治原理としての礼(法)の大切さを説く。

 

性善説性悪説、革命と支配、どちらも孔夫子の教えからすると、中道を逸している感はあるが、根本には違わない。

儒学とは四書五経朱子学陽明学、古学古義学派、様々な思想を内包しつつ、最後には忠恕へと結びつく。

 

儒学とは、斯くあらねばならない。

 

私の論語の意訳は孟子からみた視点が多い。今後、荀子をより深く学んだのちは、荀子からみた論語の意訳との比較も面白いかも知れない。

 

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