○日曜日の午後、3月26日、自宅
「子、斉衰の者を見ては、狎れたりと雖も必ず変ず。冕者と瞽者とを見ては、褻れたりと雖も必ず貌を以てす。凶服の者にはこれを式す。負版者に式す。盛饌あれば必ず色を変じて作つ。迅雷風烈しきときも必ず変ず。郷党二十一」
「孔夫子は、喪服の人を見れば、たとえ親しい人でも顔色を改めた。国に仕える冠をかぶった役人と、目の見えない人を見れば、親交の有無に関わらず礼儀を正された。駕籠の上で喪服の人を見れば、駕籠の前の横木に手をつく式という礼を行う。」
「国の戸籍簿を管理する役人を見れば、同様に式という礼を行う。客として訪れて先方から立派なおもてなしを受けたときには、必ず顔色を改めて立ち上がる。激しい雷や強風のときには、必ず居住まいを正された」
#三行詩 #論語
○月曜日の朝、通勤
「車に升るときは必ず正しく立ちて綏執る。車の中では内顧せず、疾言せず、親指せず。郷党二十二」
「馬車に乗る場合、直立して綱を柔らかく握られた。馬車に乗っているときは振り返って後ろを見ることはなく、大声で話しかけたり、人を指差すことはなかった」
「馬車での礼の話しながら、現代でも通じるものがある」
#三行詩 #論語
○月曜日の朝、電車内
「人の本分とは、選択肢の中にあり、自分ではどうしようもないことに関しては、気にしない」
「選択とは常に結果が伴う、そして、どう選択しても最後は墓場には変わりない」
「運命とは結果を納得することではなく、選択による過程をどう潔く受け入れるかにある」
#三行詩
○月曜日の朝、乗り換え
「両太腿、背筋が筋肉痛、形意拳三体式の影響か」
「寝不足、さらに腹痛、今朝は冷える」
「昨夜、易経の六十四卦図を眺めていた、一卦には、相対する卦、補完する卦があり、あらゆる一卦は常に太極の内にある」
#三行詩
○月曜日の朝、一休み
「音楽を聴いて哲学的な何かを感じるときはある、例えばバッハ、ベートーヴェン、ブラームス」
「しかし哲学を読んで音楽的な何かを感じたことはない」
「ワグナーとニーチェの関係を踏まえれば、何かとは双方異なるのだ、音楽と哲学は別々の世界に存在している」
#三行詩
「例えば、ワグナー『さまよえるオランダ人』序曲を聴いて感じることは哲学というよりは記憶の断片の集合体だ」
「未体験の人生のシーンを、自らの近似体験と重ね合わせ、あたかも舞台の主人公になったような気にさせる」
「確かにここに哲学的な何かは存在しない、しかし心は感動し音楽の生み出す世界に没入する、わずか十二分程の演奏にだ。つまり音楽とは、世界や人生の究極の根本原理を主観的、感情的に追求することだ。客観的、理性的に追求する哲学とは目的は同じでも方法が真逆なのだ」
#三行詩
○月曜日の夕方、通勤
「色斯きて挙がり、翔りて而して後集まる。曰く、山梁の雌雉、時なるかな時なるかなと。子路これに共えば、三たび臭げて作つ。郷党二十三」
「人の気配を警戒して空へ飛び去った雉が、人のいないことを確認して、再び木に集まった。孔夫子はいわれた、山に棲む雌雉たちは、時機を知っている、時機を心得ているな。弟子の子路が雉に近づくと、三度羽ばたきして飛び去ってしまった」
「孔夫子と子路のやり取り。孔夫子の言葉を聴いたか、聴いてないか不明ながら、結果的には雉を追っ払ってしまった武人の子路。なんとなく詩的な光景に思える」
#三行詩 #論語
○月曜日の夕方、乗り換え
「生きるとは、今週はまだ四日残っていることだ」
「出来れば楽が大好きだ、美味しい料理、温泉、映画、読書‥」
「電車内は人でいっぱいだ、満員電車は好きではない、もう一度数えてみたが、やはり明日は火曜日らしい」
#三行詩
○火曜日の朝、通勤
「子曰く、先進の礼楽に於けるや野人なり、後進の礼楽に於けるや君子なり。如しこれを用うれば、則ち吾は先進に従わん。先進一」
「孔夫子はいわれた、弟子の中で先輩格である子路・子貢・顔淵・閔子騫・宰我たちは礼節と音楽に対して野蛮人の様であり、後輩格の子游・子夏・曾子・子張たちは、礼制と音楽に対して君子の様だ。もし私が従うなら、政治での実践を大切にする先輩格だろうな」
「孔夫子の教えとは、机上の学問ではなく、苦しむ民を救う為に、如何に実践するかにある」
#三行詩 #論語
○火曜日の朝、乗り換え
「顔にヘルペス、ピリピリ痛む、ほっとくと滲出液が止まらなくなる」
「通いつけの皮膚科はまた一週間お休み、やれやれ先生、旅行が大好きらしい」
「午前中で早退して、皮膚科を探そう、安静一番、ひげ剃り厳禁」
#三行詩
○火曜日の夕方、通勤
「子曰く、我に陳・蔡に従える者は、皆門に及ばざるなり。先進二」
「孔夫子はいわれた、魯を出て全国を遊説し、今や陳・蔡の国境にいる。弟子たちの仕官もかなわぬまま八年が経ってしまったな」
「孔夫子は、悲しみ、嘆かれている」
#三行詩 #論語
○火曜日の夕方、乗り換え
「帰るつもりが結局仕事をしていた、まあ、なんとかなるだろう」
「年度末、なんやかんやで忙しい」
「苛々を顔に出さぬ様にと歪んだ笑顔、丸わかりとの指摘あり」
#三行詩
○水曜日の朝、通勤
「徳行には、顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓、言語には宰我・子貢、政事には冉有・季路、文学には子游・子夏。先進三」
「徳行に優れた者は、顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓、言葉に優れた者は、宰我・子貢、政治に優れた者は、冉有・季路、文学に秀でた者は子游・子夏だな」
「いずれも高弟として孔夫子を支え、孔夫子から学び続けた弟子たち」
#三行詩 #論語
○水曜日の朝、電車内
「血圧が140/101、馬鹿正直に反応してくれる為にその日の体調がわかりやすい、要は悪い」
「ストレスだろう、今日は研修もある」
「人を押し退けて混み合う車両を移動する男性、顔に笑顔、興味深い、明日も観察しよう」
#三行詩
○水曜日の朝、乗り換え
「マスクの位置に黒いふんどし状の何かを垂れ下げている人あり、黒眼鏡」
「体育会系ユニフォーム集団が連絡橋の真ん中を闊歩している、柄も言葉も悪い」
「高身長で茶髪、革靴の紐は解け左右に揺れて歩く、そして階段下にしゃがむ、ああ、そこか、二日酔の人あり、定位置、ヨシ」
#三行詩
○水曜日の夕方、通勤
「子曰く、回や我を助くる者に非ず、吾が言に於いて説ばざるところなし。先進四」
「孔夫子はいわれた、弟子の顔回は、私の教えることに質問や批判すること無く、ただ喜んで一心に学ぶ人だった」
「天才顔回故に、その仁は孔夫子と同軸線上にあり、孔夫子の教えを自らのこととして得ることが楽しくて仕方ない様子が伝わってくる」
#三行詩 #論語
○水曜日の夕方、乗り換え
「人混みの連絡橋でGメン75歩きをする人たちがいる、前を歩かせないらしい」
「忙しい、仕事はテトリス型、先の先を読み終わらせるタイプであるが、最近追われてきた」
「チェスプロブレムが大好きだ、一問をひたすら集中し駒が動く残像まで見える、もちろん不正解だが」
#三行詩
○木曜日の朝、通勤
「子曰わく、孝なるかな、閔子騫、人その父母昆弟を間するの言あらず。先進五」
「孔夫子はいわれた、弟子の閔子騫は忠孝の徳に優れている。世間が閔子騫の父母、兄弟を悪くいうなど聞いたことがない」
「継母と腹違いの弟たちから虐待されるも実父には知らせず、独りで堪え、忠孝の徳有りと称賛された」
#三行詩 #論語
○木曜日の朝、乗り換え
「眠たい、筋肉に頼って通勤している、思考していない」
「昨夜、形意拳三体式をしていたら両腕の内捻りと両脚がつながる」
「粗食を目指しているが、食欲大魔神の凄まじきパワーにひれ伏すばかりだ」
#三行詩
「三体式のお陰か、腕を左右に開けると長袖シャツがピンと張り出した」
「去年、メタボでズボンをL→LLに変更した、肥満が進んだ可能性も否定出来ない」
「満員電車でも奥に詰めようとしない旅行者がいる、トランクを盾に周囲を睨んでいる」
#三行詩
「乗り切れない、諦めずに必死に乗ろうとする通勤の乗客がいて電車が出発しない」
「そろそろ春休みに憎しみすら」
「足を踏まれた、満員電車とはある種の地獄だろう、閻魔様も地獄で新設するのではないか」
#三行詩
○木曜日の夕方、通勤
「南容、三たび白圭を復す。孔子、その兄の子を以て、これに妻す。先進六」
「弟子の南容は、詩経にある『白圭』を日に三度、声に出して自らを戒めていた。孔夫子はこれを知り、兄の娘を南容に嫁がせた」
「詩経の白圭とは、白圭(玉)が欠けても磨けば修繕は出来るが、言葉が欠ければどうしようも出来ない、との意」
#三行詩 #論語
○木曜日の夕方、乗り換え
「ここは人が多過ぎる、一様に急かせかと歩き、顔に表情を表さない」
「地下ダクトからは美味しそうな、色々混ざりあった料理の匂いが漂う」
「音が良くない、ざわざわと短い会話が聞こえては消え、全体的にまとまりなく、足音がひっきりなしに響く」
#三行詩
「ただ歩く、ただ立つ、ただ喰らう存在、それでいいのか」
「ここは人が多過ぎる、無数の個が発する己たちに、恐怖すら覚える」
「否、一つを貫くべし、自らの暗やみを背負い、孔夫子の教えを貫くのみ」
#三行詩
○木曜日の夜、自宅
「色々あり、望む望まぬ不可避なれど、取り敢えずはバッハとベートーヴェンを聴けば生きていける」
「楽しいとき、悲しいとき、疲れたとき、常に音楽を聴くこと」
「色々あり、最後は笑ってさようなら、一生懸命頑張って結果はどうあれ悔いは無し、感謝でいいじゃないか」
#三行詩
○金曜日の朝、通勤
「季康子問う、弟子孰か学を好むと為す。孔子対えて曰く、顔回という者あり。学を好みしが、不幸、短命にして死せり、今や則ち亡し。先進七」
「魯の大夫である季康子が問う、数ある弟子の中で学問に秀でた者は誰ですか。孔夫子はいわれた、顔回という者がいましたが、不幸、短命に終わりこの世にはいません」
「天才顔回が短命に終わらず、孔夫子の没後、弟子たちを率いていたら歴史どう変わったのだろうか」
#三行詩 #論語
○金曜日の朝、電車内
「眠たい、立ちながらにして意識飛ぶ、席は空きそうにない」
「都会でしか生きられないにも関わらず人間嫌いとは」
「故に、旅に出たくなるのであろう、見知らぬ土地でぶらぶらするだけだが」
#三行詩人
○金曜日の朝、乗り換え
「ホームは既に混み合っている、下手をすると次の乗り換えでアウトだろう」
「車掌さんが奇妙な動作をしている、両手を空中で上下左右に動かす、動作不良か」
「一本早い電車で備えた、物理的に乗り切れない、接続待ちが4回あり、2回目で満員だ、春休みよ早く終われ」
#三行詩
○金曜日の夕方、通勤
「顔淵死す。顔路、子の車を以てこれが椁を為らんことを請う。子曰く、才も不才も亦各れもその子を言うなり。鯉の死せるや、棺ありて椁なかりき。吾徒行して以てこれが椁を為らず。吾大夫の後に従えるを以て、徒行すべからざるなり。先進八」
「顔淵が亡くなると、父の顔路が孔夫子の駕籠を使って立派な外棺桶をつくりにたいと願った。孔夫子はいわれた、才の有る無しを問わず、子の為に思う、何かしてやりたい気持ちは皆変わりない。」
「しかし、我が子の孔鯉が亡くなった時でも駕籠を壊してまで、子の外棺桶を作らなかった。何故なら大夫の末にいるとはいえ、君主に直接仕える者が駕籠を使わずに徒歩で王宮に行くわけにはいかないのだ」
#三行詩 #論語
○金曜日の夕方、乗り換え
「才の有り無しを問わず、碌でも無いことは起こる、運とか、避けれない」
「嵐が過ぎ去るまで大人しくする、以外に方法がない、少なくともこれ以上被害を大きくする愚は避けたい」
「偏狭、独善の我が身ながらも今日は沈黙する、文字通り砂を噛むような日だった」
#三行詩
○金曜日の夜、自宅
「偏屈、独善、傲慢、いずれも私そのものだ、認める」
「自らを美化し、正義を唄う、自称善人様には反吐が出る」
「墓場のaristotles200、己の愛する者の為に今日も散漫、独善、偏屈だ、正義を倒すのが私の学問の道だ」
#三行詩
○金曜日の夜、自宅
「孟子には、どこかに揺らぎ、不安定さと暗やみがある、人とはそういう存在ではないか」
「性善説を唱えるも、そのバックボーンは深い暗やみだ、孟子はいい」
#三行詩 #孟子
○金曜日の夜、自宅
「弱者の為に、中国春秋戦国時代の専制君主に堂々と民の辛苦を訴えるところに孟子の意がある」
「孔夫子は偉大だ、忠恕〈自らを誠にして人を思いやること〉、一つで貫かれた、微塵も揺るぎがない」
「それでも、孟子から仰ぎ見た孔夫子という視点に惹かれている、聖書の洗礼者ヨハネか、いや聖ヨハネか」
#三行詩
○金曜日の夜、自宅
「なんとなく、故、松本零士先生のおいどん、トチローを思う、日本男児かくあれかし」
「ヒーローとは、黒眼鏡、短足、水虫、withトリさんだ」
「勿論、ジャン・リュック・ピカード艦長の評価は揺るぎない、彼はフランス人であるが、男とは世界共通で日本男児たるべきだ」
#三行詩
○土曜日の午後、マクド
「顔淵死す。子曰く、噫、天予を喪ぼせり、天予を喪ぼせり。先進九」
「顔回が亡くなった。孔夫子はいわれた、なんということか、天は私を滅ぼした、天は私を滅ぼしてしまった」
「後継者として期待していた天才顔回の死に、孔夫子は悲嘆に暮れた」
#三行詩 #論語
○土曜日の午後、マクド
「子は宿題、父は資格勉強、横並びに座っている」
「アイスに、シャカチキ、ポテト、食べ物で釣る」
「子は4月から塾に通う、受験に向けて一つ、一つ、積み上げてほしい」
#三行詩
○土曜日の夜、自宅
「重い映画の悲劇とは心が暗くなる、そして何処か中毒性を感じる」
「感情とは、自らの非体験の映像に良きも悪きも心を揺らされる」
「娯楽とは、プーブリウス・ウェルギリウスの時代から何も変わりない」
#三行詩
所感)
■論語
論語の意訳が先進第十一に入る。
全二十章あり、折り返し地点を通過した。
一周で終わるつもりはなく、二周、三周と重ねていきたい。
学問が進めば、新たな解釈や発見があるだろうし、だらだらすれば前周の内容より後退するかも知れない。